ブドウ畑の丘陵地をぬって - ボーヌ近郊、ブルゴーニュのサイクルツーリング 

 (2009年8月9日、フランス・ブルゴーニュ地域圏)


(ブルゴーニュ・ワイン街道を行く)

ブルゴーニュ地方、世界遺産の村、ヴェズレーとワインの町として有名なボーヌ(Beaune)へ1泊の旅行。目的は観光だが、旅行ではいつもホテルで朝寝坊してしまうという家族の行動パターンを逆手にとって2日目の朝の数時間をサイクリングに充てるため、車のトランクにしっかりと愛車、700Cサイクリング車ライン号を積んでいく。ボーヌ近郊のショートサイクリングが良いルートであると言うのは、最近知り合った、自分と同様にパリに転勤で住まれている I さんから教えていただいたものだ。

まだ寝ている家族を置いて朝7時半にホテルを出る。ブルゴーニュといえばワインと美味しい食事、となるが自分たちも昨晩は街のビストロでエスカルゴやブフ・ブルギニヨンに舌鼓を打ち、美味しい赤ワインを楽しんでしまった。さすがに食べ過ぎたのか今朝は腹が重い。ワインも家内と二人でフルボトル一本はいささか多すぎたようで頭も重い。良いワインは二日酔に無縁、というがそれも量の問題だろう。

ゆっくりとボーヌの南西部に向けてペダルを踏み込んだ。天気予報では今日は昼前に雨のとこと、確かに今にも振り出しそうな重い空で、フランスらしからぬほど空気も湿っている。走り始めても体がシャキッとしないのは二日酔のみならずこんな天候のせいもあるかもしれない。 ボーヌの街は小さく、数分で市街地を抜け出ししばらく走ると右手の西方面には緩やかな丘陵地が広がり、あたり一面ブドウ畑となた。

ワイン街道とでも言えるのか、看板によるとRoute des Grand CRUs という名がこの道にはつけられている。地図を見て適当な細道を西に折れる。名もなき小道を、ブドウ畑の中を走るのだ。ブドウ畑はある程度の斜度があるのがよいのか、丘陵地に延々と畑が続いている。東向きの斜面をゆっくりと登っていく。日曜日の朝8時前、葡萄畑を縫うこの細道を走る車もない。左手に小さな集落があり教会の塔が立っている。坂を登っていくと塔がいつか丘陵地の山ひだに消えていく。

緩いながらも長い登り坂で、やや下りに転ずるとブドウ畑が終わり森の中を行く道となった。分岐を見て地図を見ながら進行方向を決める。点と点を結ぶのではなく単なる周回ルートなのでどう走ってもよい。この暫く先の坂を登りきった丘陵地に集落があり、そこからは山裾を回り込むように下界に下りボーヌから伸びる車道につながっている。丁度良い一周ルートになるのではないだろうか。

道はこれまでになく一気に登りはじめた。フロントは頑張ってミドルのままで漕ぎ続ける。細い道を左右にジグザグに登っていく。汗がこぼれる。昨晩の二日酔いもようやく気にならなくなってきた。サイクリングを始める前は自転車で坂道を登るなど気がしれなかったが、思ったよりも辛くない。もっともこんな短い距離である。大口を叩くにはまだまだ修行は足りない。

登りきるとそこは雄大な丘陵地の一角でなだらかな展望が我が手にあった。麦わらの牧草ロールがいたるところに転がっている。ここはブドウ畑ではなく牧草地のようだ。丘陵を登りきるとふたたびブドウ畑となりその先の小高い丘の上に小さな教会とそれを取り囲む小さな集落が見えた。その雰囲気が妙に可愛らしく、あそこに行ってみよう、と決める。と、一台トラクターが向かいからやってきてゆっくりと通り過ぎていった。乗っているのは色褪せた帽子を被った善良そうな小父さんで、東洋人のサイクリストが珍しいのか、無遠慮な視線を感じる。「ボンジュール」と挨拶してもあのエンジン音では聞こえまい。

集落までは鯨の背のようになった尾根を通っていくようだ。その背中に乗るためにもう一度上り坂を伝わなくてはいけない。ため息混じりにギアを落として登り始めると後ろから白いバンが追い越していった。運転しているのはまだ若い女の子だ。坂道を登りきると尾根伝いにくだんの集落は手に取るように近い。こうしてみても小さな教会を中心に色褪せた石壁に赤い屋根の家々がお揃いで小さくまとまった箱庭のような村である。こんな山の上に忽然と出現した小さな村だ。腕時計の高度計は標高350mを示している。ボーヌから標高差300m近く登ってきた事になる。

集落を目の前にしゆっくりと少し下り集落を少し登ると先程の白いバンが前方の道の真ん中にとまっており「プーッ、プーッ」とやや間延びした笛のような音を鳴らした。 もしかして、移動マーケットだろうか? と直感で頭に浮かぶ。奥多摩の山村などで見かける、日用雑貨品から食料食材までを積んで販売して回る移動販売車だ。と思ったとおり音にあわせて路地から何人もの人々が出てきた。へぇ、日本と全く同じだ・・。変に感心をする。出てきた住人は坂の下で立っている自分に気づいたのか再びジロジロと視線を感じる。

その視線になんだか自転車に乗ってその横を通過するのが耐え難くなり、手で押しながら横を通り抜ける。と、それは移動販売車ではあるが食料雑貨屋ではなく、ショーケースの中はバゲットにパン・オ・ショコラ、そしてガトー。パン屋だったのだ。確かに毎日の食卓に欠かせないバゲットは、毎朝下界まで買いに行くのも大変だろう。こうして売りに来るのか!と感心する。こんなところにフランス人の農村の生活を垣間見たような気がしてなんだか楽しい。食べ物を中心とした社会の仕組みがちゃんと出来上がっているのだ。

(ブドウ畑丘陵を登りついた名もなき集落にも
地に根付いたフランス人の生活があった。そんな
生活の匂いのする村は魅力にあふれ、美しい。)

再び視線を感じながら彼らを通り過ぎるとくだんの教会がありここが村の中心地だろう。放し飼いの犬が二匹ゆっくりと教会前の広場を横切っていく。こうして少しでも人家の集まるところには必ず教会がある。教会を中心に人々の生活が成り立っている。暫くそこに佇んでいると、さきほどの移動パン屋でバゲットを買ったお婆ちゃんがゆっくりと登ってきた。やや勇気を出して「ボンジュール」と挨拶するとそのお婆ちゃんはにっこり笑って「ボンジュール」と返してくれた。

良かった、決して胡散臭がっていたのではないようだ。彼らにとっては珍しいのであろう東洋人が、自転車に跨ってこんな村まで乗ってきたことが単純に不思議なのかもしれない。そう思うと居心地の悪かった気持ちが少しだけ和らいだ。


村の端までゆっくり走り道なりに進むとそのまま大きく来た方向にUターンしていく。眼下にはブドウ畑がゆっくりと、そして広く下界に向け広がっている。広がったその先は広大なブルゴーニュの平原だ。この村はこのブドウ畑で生計をたてているのかもしれない。下界に降りる道を探して広くない村の中を走るが道はすべて行き止まりで、結局この村は丘の天辺に袋小路をなしているようだった。村の入り口であった上り坂までもどると下界に降りていく細い道があった。かなりの急坂を慎重にブレーキをかけながらおりていく。色褪せた石壁の古びた集落の中に道は通じておりそこを抜けると道幅が広がり心地よい車道となった。ぐんぐんと道なりに降りていくと耳から空気が抜けた。一気に200m近く下りたようだ。

下りきって再びワイン街道に出ると後は雄大に広がるブドウ畑を左右に見ながらボーヌの街まで戻るだけだった。これなら予定通り10時前にはホテルに戻れるだろう・・・。

走行時間2時間ちょっと、距離にして30kmの、豊潤なブドウ畑の中を走った短いサイクリングだった。

* * * *

これまでにドイツやフランスでサイクリングを何度もしてきたが、今回ほど自分が異邦人であるという意識を強く感じた事はなかった。自分の身の置き場がない、自分のいる場所ではないという感覚。決して不審な目でじろじろ見られた訳ではない。「ボンジュール」と挨拶も交わしたのに。都市部や観光地なら東洋人である自分も別に引け目を感じることもない。が、観光に無縁な農家の村ではひしひしと自分のアイデンティティを感じざるを得ない。自分は、彼らが見た初めての東洋人ではないだろうか。

おそらくいつか再び地図を広げても、あの村を決して見つけることは出来ないだろう。それほど、地図の線の中に埋まってしまいそうな村。でも、そんな村にも人が住み、その生活を営んでいる。毎朝車で売りに来るバゲットを買い、村の中央にある教会でお祈りをし、ブドウを育てて一日が終っていく。たとえ自分はそんな場所を気まぐれに辿りついたただのサイクリストに過ぎないにせよ、あの小さな集落の事を、あそこで生活しているフランス人の事を忘れることはないだろう。

ブドウ畑を上り詰めた場所にあったあの集落は、本当に浮世離れしており、小さくそして静かに佇むその様はまるで絵のように美しかったのだ。


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