パリ南郊外へ、サイクリングの軌跡をつなぐツーリング 

 (2009/4/12、イル・ド・フランス地域圏)


(オルリー空港脇には快適な
サイクリング路があった。)

ヨーロッパの冬も開け3月末には夏時間に移行した。1時間時間が変わるだけで途端に日が長くなる。桜も咲き終え、すっかり春になった。サイクリング適期の到来だ。パリ南西部の自宅から伸びているサイクルツーリングの軌跡の途切れている部分が気になり、空白を「埋める」為に自宅からパリ南東の郊外都市Evryのコルベイユ・エソンヌまで走る。コルベイユ・エソンヌから先はフォンテーヌブローまでサイクリング済なのでこれで自宅からフォンテーヌブローまで軌跡をつなげるわけだ。

どう走ろうか、ミシュランの5万分の1ロード図を眺める。自宅からコルベイユ・エソンヌまではこれと言った観光スポットもなくただパリ郊外の街並みを単に走るというコース取りしか浮かばない。強いて言えばルートの中間点にある飛行場−オルリー空港の滑走路脇を走ることと、ルートの後半にセーヌ川の川岸に沿って走ることが出来そうだ、というくらいか。言って見れば消化試合のようなサイクリングなので期待できない。まぁこういう事もあるだろう。

のんびりと昼食を摂って、愛車・ライン号に跨り自宅を出たのは14:00だった。

自宅からセーヌ川を渡りイッシー・ヴァル・ド・セーヌを抜けてパリ外環高速道路の外観に沿うように東へ向けて走る。

このあたり自分の住むブローニュ・ビアンクール市同様に、Issy、Vanvesと小さな街がいくつも続く。皆パリの都市圏をなす衛星都市だ。東へむけては緩やかな丘陵地になっておりギアを落としてゆっくりと上り坂を登っていく。イースター3連休の中日だ。パリは空いており車道に車も少ない。汗をかかぬ程度、息が上がらぬ程度で漕いでいく。冬の間は自転車と言えば日曜日に近所のロンシャン競馬場の回りの1周4km弱のトラックを3,4周する程度しかしていなかったので、久々のサイクリングに脚が持つか心配になる。

ポルト・ド・オルレアンから南へ伸びる幹線道に交差する。面白みは無い道だがこれを辿って南下するのが一番効率がよい。消化試合ルートだから早いほうがよかろう。

片側3車線の太い道だ。幹線路だけあってさすがに車の往来も増え大型車も走っているがそれでも信号のリズムに合わせての事であり、自転車でのんびり走っているとすぐに周りに車がなくなる。まっすぐの道をたんたんと進んでいく。こんな道でも自転車の市民権はあり、自分の横をパスしていく車は余裕を持って通り抜けてくれるので余り危険を感じることも無い。東京ではこんな事はないだろう。恥ずかしながら自分は日本に居たころ、サイクリングをしていなかったせいもあるが、車道脇を走るロードライダーに嫌味に幅寄せしたり信号待ちで通せんぼしたり、と、そんな運転をしていたものだ。

久々のライディングだが平坦な事もあり思いのほか足が出る。信号待ちもあまり多くなくリズムが崩れない。

地図上の路肩の教会や鉄道の駅などの所在を現実に確認しながら走る。地図上の進行距離が現実の走行距離よりも思ったよりも早いのは直線路だからだろうか。ベルサイユからランジスに抜けるハイウェイを交差するとそろそろオルリー空港も近い。路肩に停車し、左折すべき交差点を確認すべく地図を見ていると、横を歩いていた老夫婦が「ヴ・ザレ・ウ?」と話しかけてきた。

「何処に行くのか?」って、そんな事を一見してフランス人ではないとすぐに分かる自分に聞いてくれるのか・・・!ドイツのサイクリングでは地図を広げているとそんな事を聞かれる経験をしばししたが、フランスで聞かれるのは初めてだ。おせっかい焼きの多いと言われるドイツとは異なりフランス人は余り他人の行動に関心を示さない、と思っていただけに人のよさそうな老夫婦に対して、嬉しさがこみ上げてくる。が、聞かれても自分はフランス語が全く出来ない。辛うじて「ヌー・ソン・イシ?」(今ここに居るのですか?)と、分かっているにもかかわらず、地図を指しながら返答する。そんな簡単な会話しか喋れなかったからだが如何にも悔しい。それでもにこにこしながら「ウィ・ウィ」と返事をしてくれる彼らに大きく「メルシー」と答えて再びペダルを踏んだ。

何気ない会話だがこんなふうに話しかけてもらいカタコトででも答えてコミュニケーションが出来る、そんな事がひどく嬉しい。「へぇー、こんな外国人にも話しかけてくれるなんで、フランス人もなかなかだなぁ」と独り言を言ってしまう。もっとも急な会話にどぎまぎしてしまったので肝心の左折地点をまだ確認できていなかった。彼らから見えなくなったと思える所でもう一度停まり確認する。何やってるのだろう、我ながら情けない。

(セーヌ川川岸は豊かな緑とゆったりとした気配で
素敵なルートだった。)

曲がるべき点を確認し、幹線道から分かれる。とたんに長閑になりオルリー空港滑走路の末端の境界線を走る道に導かれる。空港の建物が遥かかなたに見える。頭上を爆音を残してA320が飛び去っていく。飛行機好きにはたまらないプロムナードだ。

気まぐれなのか、ここにはサイクリング用の細道が仕切られて設けられていた。車道からそちらに移る。緑豊かな郊外風景が広がりゆっくりと走る。見通しもよくサイクリング路の往来も少ない。ダウンチューブに手を伸ばしカチカチとギアを落としペダルを強く踏む。加速感に全身が包まれると風の匂いが心地よい。時速30Km程度の巡航が維持できる。700Cの持つ爽快感だ。

路肩に綺麗に花が植わっており、木々の緑も鮮やかだ。なかなかいいコースじゃないか!なんて半信半疑で思っていると、やはり、というかお決まりではあるが、快適なサイクリング路は前触れも無く突然終わり再び車道の端を走るようになった。そうだような、フランスにしては珍しいと思ったんだよ。これがドイツだとサイクリング路が延々と途切れることなく続くのだがフランスではドイツほど徹底して自転車の走行環境を整える事はしていない。村や集落単位で物事が収束してしまう。国民性の違いなのか、いろいろ考えていると興味は尽きない。

再び幹線路に合流して南下していく。Juvisyの町で緩い下り坂を駆け下りると風景に広がりが出てセーヌ川が左手からゆっくり近づいてきたのを感じることが出来る。Grignyの町で進路を左に取り、予定通りセーヌ川の川岸を行く道に至る。

豊かな緑の中の一本道をゆっくりと走る。対して上流まで来たわけではないがこのあたりではセーヌ川は自宅の傍で見る川幅よりもずっと狭まり、100mもないのではないだろうか。近づいてみると川底の石が見える。思ったよりも水が綺麗だ。パリの上流だと水もまだ汚れない、ということか。

車止めがあり自転車と歩行者だけの道になる。木々に囲まれて静かな、こんな道を走るのはやはり楽しい。気の向くまま林の中に自転車を停める。犬連れの散歩の人や子供連れの夫婦などが行きかう。川沿いの自然を楽しむというその姿は日本と余り変わらない、のんびりとした雰囲気だ。

ゴールのコルベイユ・エソンヌまではこのまままっすぐ行くだけだ。再び車止めを抜けてやや荒廃した工場街を通り抜けると半年前にそこで下車したコルベイユ・エソンヌの駅だった。のんびり走って3時間とちょっと。距離は45km。小さなサイクルツーリングだったがこれで自宅からフォンテーヌブロウまでの自転車での軌跡がつながった。つまらない事ではあるが、満足する。

自宅近くのRER(パリ高速鉄道)の駅、イッシー・ヴァル・ド・セーヌまでは乗り換え1回で一時間半はかかる。たいした距離を走ったわけでもないのだが鉄道だと思ったよりも時間がかかるようだ。

デッキにそのまま愛車を載せワイヤー錠で手すりに固定する。消化試合サイクリングではあったが、それでもささやかながらフランス人と接し、風の匂いを感じ、木々の緑に心を安らげる事ができた。久々のサイクリングのせいか、心地よい眠気に誘われてうとうとする。気がつけばもう電車はパリ市内を走っていた。

(走行45km)
ルート概念図へ


(戻る) (ホーム)