ロワール川を目指して走る - オルレアン運河のサイクルツーリング 

(2009年8月22日、サントル地域圏)


パリで知己を得たIさんは、自分と同様に転勤族で、仕事の関係でパリに住まれている方だ。日本にいらした時からサイクリングを趣味とされ日本中数多くサイクルツーリングをされてきたということで、それでは今度フランスを是非一度一緒にサイクリングをしましょう、という事になった。

行き先としてロワール川を目指すツーリングを提案する。自分は自宅からセーヌ川とその支流・ロワン川に沿ってパリ南部はサントル地方のモンタルジまではサイクルツーリングで走っており、そこから是非ロワール川のオルレアンまで行ってみたかった。オルレアンはジャンヌダルクがその勇名を馳せた街で興味があったが、なによりもロワール川の持つ悠然とした風景に惹かれていたことがある。我が足で、あそこまで行ってみたい。やや長距離の走行ではあるがサイクリングの経験の豊かなI氏に同行頂ければ行程の不安も減ろう。Iさんの快諾を得て、実施となった。

* * * *

(パリ・リヨン駅から
出発だ)
(モンタルジの町外れでは
蚤の市が出ていた)

Iさんとパリ・リヨン駅にて待ち合わせ。朝9時過ぎにリヨン駅を出る列車に乗りモンタルジを目指す。沿線のフォンテーヌブロウからモンタルジまでは3回にわけて走りつないだ事もあり、車窓から見る沿線の風景に馴染みがある。そこここに自分がペダルを回して通った道が見え、懐かしい。

モンタルジ駅10時半過ぎに定刻到着。Iさんと大まかな走行ルートについてチェックし、走り出す。モンタルジの中心地を抜けると車道を塞いでブロカント(蚤の市)が出ていた。面白そうなのでしばらく中を通る。どれも服や玩具、装飾品などのガラクタばかりでこれと言った掘り出し物もなさそうだったが一瞬鉄フレームの古いサイクリング車が出品されているのが目に入った。時折パリの街中で見かけるプジョーやジタンの古いサイクリング車を見て食指を動かされるのだが、これは大きなフレームでぱっと見で自分とサイズが合わないように思える。やれやれ危なかった。これ以上ガラクタが家の中に増えるとなると家内の呆れ顔が浮かぶばかりだ。

街外れに出て進行方向を再度確認。Iさんの地図にはモンタルジとオルレアンを結ぶ運河沿いにサイクリングコースがあると書かれている。ここから少し走ればそこに出られそうだ。

パリへ向かうハイウェイを高架で通り過ぎD963という名前の道をとる。森と畑の中を行くこの道は車の往来も全くなく実に素晴らしい。ゆっくりとのどかなフランスの田舎を満喫しながら走る。Chevillonという村を過ぎて、地図によるとこのすぐ北側数百メートル程度に運河とサイクリング路が近づいているようだ。広大な畑の中、果たしてすぐにそれは見つかった。幅20m程度の運河の横にあぜ道がついている。これがサイクリングロードだろう。未舗装路だ。顔を見合わせる。Iさんも自分もタイヤは700x28を履いている。この程度の道なら問題なく走れるだろう。進入するとガタガタという振動と砂埃が舞い上がった。辟易するがじきに慣れよう。

運河はあまり使われていないのか緑色の水面に波も立たず、時折その表面を緑の川藻が覆いつくしているところもある。それは黄緑色のペンキを川一面に流したかのようでもある。さらに進むと葦が川面から顔を出している。ポチャンと音がして波紋が広がる。魚が棲んでいるのだろう。

小さな教会が川辺に立つ集落で一旦運河沿いの道を離れ、しばらくは車道で距離を稼ぐ事にする。道路番号も記載されていない細道をたんたんと走り出す。左右にトウモロコシ畑が広がりぐるりと地平線が四周に眺められる。誰も来ない車道を2台で並走する。日本の随所をサイクリングしているIさんだが、こんな広い地形は北海道でも追いつかないだろう、との事。いまや自分にとってこの風景には半ば不感症なのだが改めて考えてみると大層な場所をサイクリングしていることになる。こんな経験をごく当たり前のようにしていると、果たして帰国して日本を走れるのだろうか。

地方道D948と幹線道N60E60が交わる点のやや北で、蛇行してきた運河と再び交わった。ここから運河沿いの未舗装路に再び下りる。幅2m程度の未舗装路が緑の川岸に続いている。時折左岸から右岸へ、右岸から左岸へ渡る。思い出したようにサイクリストが向かい側からやってくるのでそれなりにメジャーなルートなのだろう。事実、走っていて気持ちの良いコースだ。

1時半、運河沿いの草むらに愛車を横たえて昼食タイムだ。気づけばあっという間の3時間の走行だ。朝食用にパリ・リヨン駅で買ったサンドイッチの残りを水で流し込む。誰もいない運河の林を我々だけで独占する。運河沿いに建つ看板によるとモンタルジとオルレアンを結ぶこのオルレアン運河はなんと17世紀の建設という。このあたり全土がフラットな地形なので運河を用いた水運がもっとも効率的だったのだろう。それにしても数百年前にこんな立派な運河を作っていたとは驚きでもある。

再び運河に沿って無心に走り続ける。路面の砂利が浅くなり走行速度が全般にやや上がったようだ。運河はゆるく左右に曲がり、林に溶け込むその先は見えない。そのたびごとに狭いながらも奥行きのある風景がさらに連なり、目を飽きささない。自分が子供の頃気に入っていた一人遊びに母親の三面鏡台に顔を挟み左右の鏡を見る、というものがあった。合わせ鏡を通して自分の顔が奥まで果てしなく続いているのにくらくらとするような好奇心を感じたのだ。合わせ鏡の中に入り込み、その奥へ向かって歩いてみたい好奇心。それ以来、延々と奥に向かって進む道の風景に惹かれて止まない。道の持つ連続性が自分を魅了し続ける。ハイキング路、縦走路しかり。そしてサイクリングルート。この運河も果てしなく、行けども行けども次々にその奥が目の前に見えてくる。全く、飽きない。

運河に沿って林の中を走るこのコースは木陰の中を行くもので、向かい風が冷涼で汗も出ぬほど心地よい。天気も、風景もよく、言う事はない。運河はときどき水門が現れ、行く手に門の先の水位が高くなっている。非常に緩くではあるが運河は登っているのだろう。いくつも水門を過ぎていく。と、ある箇所で水門の先の水位が低くなっているのが目に入った。いつの間にかロワール川に向けて運河は下りに転じたのだ。気づかぬうちに分水嶺を越えたと言うわけだ。たいした標高差ではないものの満足感が高まる。

Fay-aux-Logesの街で、Iさんのペットボトルの水が足りなくなり休憩をとる。そろそろ腿の疲労感ととお尻の痛みが高まってきたので丁度良かった。TABAC(タバコや)が目に入ったのでのぞいてみるとカフェメニューしかなくボトルの水はないという。上手い具合に隣にブランジェリーがあり、そこで間食と水分を補給。木陰で足を休めながら息をつく。壁に立てかけた自転車には容赦ない真夏の太陽が照り付けて、今日も間違えなく33度近くあるのではないだろうか。空気が乾いているので走っている分には風でクールダウン出来るが停まっているとやはりじりじりと来る。地図を確認しあとオルレアンまでは10kmもないだろう、と頷きあう。と同時に今が4時半である事に驚く。走り始めて6時間たっているのか。とてもそうとは思えない。モンタルジの駅に降りて6時間、昼食を食べてから3時間、本当にそんなに経ったのだろうか。時間が経つ事がそんなに短かかったのだろうか?

(ゆったりした風景の中、運河は続いていた) (名もなき小さな村を通る。静寂を美しいと感じる時) (とある街で自転車を止め、木陰に入って一休み)

再び運河に沿って走り出す。左右を森と静寂さに囲まれたここまでの運河走行とは異なり、この先は家屋が並び運河はその裏手を流れる、という具合に人里の雰囲気が俄然濃くなった。一本道は途切れる事もなく運河を右手に、時に左手にしながら続いている。集落を抜けると再び林の中になり壊れそうな木橋を渡って先へ進む。頭上高くに陸橋がかかっている。地図を見てこれが鉄道橋と知れる。とすぐに地図どおりに今度はハイウェイをくぐった。もう、ロワール川まで目と鼻の先だ。心がはやる。

前方に茂っていた林も薄くなり空も広くなってきた。この先に大きな展望が広がるに違いないという確信が高まる。ひとしきりペダルを漕いで、思わず快哉を叫んだ。林が消え、街が消え、ただ広い水面が目の前に広がるのみだ。ついにロワール川に出た!

我々は広い川の中にぽつんと飛び出た岬のような堤防の上に突然飛び出た訳だ。しばらくはそのコンクリートの岸の上に立ち、二人とも言葉も出ない。なんというドラマティックな風景の展開だろう。サイクルメーターはここまでに80km近く走ったことを示していた。強烈な日差しと達成感にややくらくらしてしまう。

心ゆくまでロワール川の風景を眺める。セーヌ川と違い、流れがゆったりして水温も高いのだろう、黄緑色のなんともいえない色をした川で、そこに漁にでも使うのか帆掛け舟が係留されているその風景は今が21世紀だということを忘れさせる。対岸もだだっ広い平原があるだけだ。

眺めに満足してあとは川沿いにオルレアンの街まで走るだけだ。旧市街に入り込み立派な教会を見学。SNCF(フランス国鉄)の時刻表を見るとパリ・オステルリッツ駅行きの列車はあと50分後にある。この列車はオルレアン南部のブルジュ方面から走って来るため、盲腸線の終端駅である最寄のオルレアン駅始発ではなく、オルレアン駅からの盲腸線も含めた各方面からの幹線が合流する、4kmほど先のAubrais駅の発車である。最後にワンピッチ、4km走る。全くここまで何事もなく、迷う事もなく無事に走ることが出来た。85kmという近年の自分にはない長い距離となったがこれもIさんが先を走ってくれていたから無事走破できたのだろう。駅に着き思わず握手を交わす。ここまで、ありがとうございました。時間までは駅のカフェでビールで乾杯だ。

入ってきた列車はCorail Intercitiesで電車ではなく電気機関車が牽引する客車列車だ。TGVのような大都市間幹線ではなく、地方都市や小都市を効率よく走る優等列車で自分は前からこれに乗りたかったのだ。お互いに鉄道ファンを自認するIさんも自分もこれに思わずにんまりする。日本流に言えば特急列車ということになるこの列車は、6人がけコンパートメントを一室廃して自転車積載ルームにしている。そのまま自転車を積み込めばよいのでサイクリストにとってはこの上ない。無事自転車を収めコンパートメントに席を見つける。パリまで1時間でノンストップで快走する列車の中で、早くも次回のサイクリングコースについての話に花が咲いたのだった。

* * * *

セーヌ川水系からロワール川水系まで分水嶺を超えて走ったが、異なる水系を結んだ今回のルートは思いのほか良いルートだった。運河沿いに林の中を走る続ける風景が良かったのは言うまでもないが、やはりセーヌ川の水系から異なる文化の地方へ走ったという満足の思いが大きい。それぞれの川には異なる風景があり、その川が育んできた流域の文化も又異なるのではないだろうか。帆かけの平底船が何艘ものんびりと浮かぶロワール川ののどかでゆったりとした風景は、貨物船や観光船の行き交うノルマンディやパリの自分の知るセーヌ川の風景とも異なる。オルレアンの街も地方都市ではあるが立派なドームにサントル地方の中心という独自の雰囲気を感じる。文化を分かつ境ともいえる分水嶺を越えて二つの地域を走りつないだ、と言うことが今回のルートに「旅」的な要素をもたらしているように感じたのは美化しすぎだろうか。ロワール川に出て感じた達成感は自分でも意外なほどであった。

また、行程の半分以上は未舗装路の走行であったにもかかわらずに、いつしか走りきってしまった。モンタルジからオルレアンまで自分自身7時間走った、という実感が全くない。途中数時間分は記憶がすっ飛んでいる。それほどまで走りも楽しいコースだったのだろう。最後に念願のCorail Intercitesにまで乗ることが出来て言うことなしだ。非常に満足度の高いサイクリングだった。

(運河は森を抜け、奥行きが深い。) (ついに悠久のロワール川に達した。) (オルレアンの旧市街は
静かだった。)
(憧れのCorail Intercitesにようやく乗れた。
客車列車はヨーロッパを感じさせる。)

(走行距離 85Km )

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