フランスの美しい村、リヨン・ラ・フォレ - ノルマンディのサイクルツーリング 

 (2009年7月12日、フランス、オート・ノルマンディ地域圏)


パリからセーヌ川にほぼ沿って北西に伸びてきた自分のサイクリングの軌跡も、あと数回で大西洋まで届きそうだ。レザンドレーから北西に、更に進んでみよう。丁度その方角には「フランスの最も美しい村」のひとつとして登録されているリヨン・ラ・フォレという村がある。ブナの森の中に佇むリヨン・ラ・フォレの村は写真やWEBで見る限り典型的なフランスの田舎村だ。ラヴェルが組曲「クープランの墓」を作曲したのはモンフォール・ラ・モリではなくこのリヨン・ラ・フォレだという。こんなノルマンディの片隅にもラヴェルの軌跡があったのか。あの豊かな音の彩が生まれた村・・。レザンドレーを起点に、行き先はすぐに決まった。

前回そこで休憩を取ったレザンドレーのセーヌ川土手の駐車場へ。そこに車を停めてハッチバックを開けて700Cサイクリング車・Rhein号を引っ張り出した。レザンドレーの街外れから小さな谷を詰めて台地の上に登ってしまえばあとはノルマンディらしい広大な台地を走ることになる。途中、リヨン・ラ・フォレへはセーヌ川の支流を横切る事になるので、その谷間へは快適な下り道が待っていることだろう。それを過ぎ再び一気に台地へ標高を稼げばもうそこは森の中になる・・・。森を抜け浅く下ればリヨン・ラ・フォレだ。そんな事がフロントバックに挟んだ10万分の1図から読み取れる。ペダルを踏む前から、未だ見ぬ風景への期待感が湧き上がる。この高揚感はサイクリストの特権だ。

レザンドレーの街の中をゆっくりと流す。街外れの住宅街の中の公園に何故か第二次世界大戦のプロペラ機の展示がしてあった。遠めにずんぐりとした形で旧ソ連のヤコブレフだろうと想像をつけるとまさにその通りだった。フランス語の看板で分からないが、大戦中にソ連からレンド&リースされたものなのだろうか。ヤコブレフの実機を見たのは初めてで、余り興味はなかったがもうけものの気分だ。

レザンドレーの街の北部を、河岸崖に沿って走ると目指す道D-2がありちょうど小さな谷をなしていた。これを詰めると台地への登りに差し掛かる。

フロントのギアを落としてゆっくりと取り掛かる。地図では等高線5本、100mの登りだ。ブーンとエンジン音がして後から車が迫ってくるのがわかる。出来る限り路肩を走るしかない。轟音を立てて車が通り過ぎるとしーんとしてキュウキュウと愛車のタイヤが回る音だけが耳に届く。傾斜が強まり直登がつらい。車が来ないと知れ路面一杯にジグザグを取り登っていく。と、かなたから再びエンジン音が聞こえて路肩にコースを戻す。

そんな事を何度か繰り返すと目の上が急に広がった。上りついた。ギアを元に戻しながらほーっと息をつく。サイクリストはその多くが上り坂、峠越えが楽しいという。自分の場合まだまだそんな境地にはとてもならないが、確かにフラット一辺倒のコースよりも、多少はこの程度の登りがあったほうが良いかもしれない、と最近感じている。コースにメリハリが出てくるのだ。登っている最中はイヤだが後で振り返るとなかなか良いコースだった、と感じることが多い。少しはサイクリストに近づいたのだろうか。

地図によると140mほど高さを稼いだことになる。登りついたそこは地平線の果てまで見過ごせるとうもろこし畑だ。漕いでも漕いでも風景が変わらないとはこの事で、まぁのんびりしながら行くしかない。肩をまわして首を回す。よく凝っており、サイクリングででもこうやって体を動かさないとなかなか肩こりも良くならない。7月の今はヨーロッパでも盛夏と言える季節だが今年は熱くもなくこうして走っていると汗もかかない。外でこうして遊ぶにはもってこいの季節だろう。

しばらく走ると前方からCollegialeの村が近づいてきた。こういう平原を走っていると随分と遠くから最初に見えてくるのが教会の塔だ。ぐんぐん漕ぐと教会の塔もどんどん大きくなってくる。するとやがて教会の建物が判別され、そして単なる黒い塊だった集落もその姿が見えてくる。教会を中心に村がある、という事がよくわかる。

Ecouisの村はこんな村にしては結構な規模の教会があり、由緒があるのだろうか。村の子供が教会の前の広場でボール遊びに興じている。東洋人が珍しいのか、村人の視線を感じる。若干居心地が悪くわずかにストップしたのみで先へ急ぐ。

村を過ぎると再び広大な畑で、麦が収穫を前に重たそうな穂をたれている。風が吹いて一斉にそれがなびくのが美しい。やがて地図の示すとおり、幅10Km に及ぶ台地を横断して谷へと緩く折り始めた。ジャーっとフリーホイルの音が耳に届いて風が真正面からぶつかってくる。オーバースピードにならぬよう左右交互にブレーキングを適度にしながら一気に下りていく。あっけなく谷底におりてしまう。

セーヌ川の支流の名もなき小川を渡り谷を走る細い道を横断して今度は対岸の登りに取り掛かる。フロントはミドルで頑張ってみよう。それでも息が上がる。登りは辛い。なにが楽しくて自転車をこいでいるのだろう。これはハイキングでも登り坂で考えることと同じ。でも山道で、尾根に登りついたあとに待っている爽快感を知っている。サイクリングも、同じだ。ちらっ、ちらっとフロントバッグの地図に目を落とす。これを登り切ると地図が緑色に塗られており、リヨンの森、と記されている。森林地帯に入るのだろう。

(静かな村に小さな教会があった。時を忘れる空間が
そこにあった。)
(緩い谷に挟まれた快適な道が
続いていた。)

ゆるいヘアピンを経て台地に再び上りついた。なるほどそこはは森の中に伸びる直線路だった。悪くない。台地に上り、畑の中。谷へ下って再び登れば今度は森の中か。

緑豊かな森は鮮やかな色彩で、自分を取り囲む空気すら緑色の気がする。この明るい森の風情はまさにブナの林だろう。が、良く見ると日本のブナに比べ樹皮に縞模様がなく、コケ類が付着していないのだろうか。あるいは品種が違うのか。ただやや灰色っぽいこの木肌はやはりブナなのだろう。見ているだけで落ち着く森だ。そんな中を、左右を見ながらゆっくりと走るのは実に気持ちが良い。

林を抜け下るとそこはリヨン・ラ・フォレだった。村の中心部の広場で一本立てよう。道沿いに古い木組みの家並みが続きその道路の果てには豊かな林が広がっている。確かに好ましい雰囲気で、何処にでもあるフランスの田舎の村よりも静けさが際立ち、可愛らしい雰囲気もある。これが「最も美しい村」に選ばれた理由だろうか。ベンチに腰掛け、自宅で作ってきた昼食のおにぎりを食べる。カフェが数軒。しかし客も少なく暇そうだ。ラヴェルがそこに住んで「クープランの墓」を作曲した家はどこなのだろう。しばらく町の中を自転車を引いて歩いてみるが分からなかった。

今回のルートでの、ちょうどここが頂点。あとは再び起点のレザンドレーに戻るのみ。これまでレザンドレーから北東に進んできたのだが、周回コースの先端に当たる丁度ここから南西に戻るようなルートをとる。リヨン・ラ・フォレの村は坂の上にありここから南西には緩い下り坂が待っていた。50,60m程度をゆるやかに下がると道は平らになり右手に小さな橋が分岐をなしている。

数百メートルも走っただろうか。そこは、不意にやってきた。平らになった道の右手に小さな橋があり分岐をなしている。メインの道ではないが何かに惹かれるようにそちらへ折れるとそこには小さな教会があった。豊かな緑に囲まれたその教会は高い尖塔もなく大人しい建物で、石の正面壁にはマリア様が立っている。村の教会などヨーロッパでは珍しくともなんとも無いが、この小さな教会は静謐な昼下がりの素朴な村に溶け込んで、時間を忘れるかのような空間を作り出していた。思わず、金縛りにあったかのようにそこに自転車を停め、しばらく一休みする。目を転ずると緑の牧地がゆったりとひろがり素朴なたたずまいの農家が数軒建っている。その傍らを流れる小川のせせらぎの音も聞こえてくる。こんな空間に身をおいていることがにわかには信じられなかった。

今走っているこのD-321という道路はリヨン・ラ・フォレから南のMenesquevilleの村に向けて下っていく心地よい道だ。走りながら、ラヴェルの「クープランの墓」の旋律がごく自然に思い出される。愛聴しているサンソン・フランソワの古い録音。やや引っかかったようにブレるフランソワのピアノのタッチ。でもその一音一音からは防ぐ事も出来ないような色彩感が滲み出る。それはまさに今走っているこの道の風景そのものだ。左右にはゆったりとした丘陵が迫りその谷間 - といってもその幅は数百メートルもあるゆったりとしたものだ - をゆるいアップダウンを交えてまっすぐに走っていく。こんな気持ちよいサイクリングルートが、日本にもあるのだろうか。フランスは、なんと素晴らしいのだろう。いずれは日本に帰国することになる自分だが、こんなルートに慣れきってしまうと日本で感動に接することができるのか、とても心配でもある。

セーヌ川の支流(地図によると l'Andelle 川とある)に出る。地図上には民家も書かれており開発された場所のイメージを持っていたが、建物もまばらであいかわらず広大な谷の走行を楽しむことができる。さてこれを10kmも走れば左手に大地に上っていかなくはいけない。起点のレザンドレーはこの大地の向こう側なのだ。地図を見て等高線を数える。ざっくり120mの登りだ。谷が切れ込むように台地に向け食い込んでいく。その谷の脇に一本の農道があった。これで上ってしまおう。さぁ、いくぞ、今日最後のアルバイトだ・・。しばらくは緩い登りだが左右の牧草地がにわかに両肩にのしかかるように近づいてくると一気に登り始めた。交通量が少ないだろうと選んだ農道だったが、それはその通りだが、失敗した。なにせ道幅が狭く、ジグザグに登っていくことができないのだ。湿気がなくすごし易いヨーロッパの夏とはいえ、こう登るとやはり暑い。汗を腕でふき取りため息を吐いてペダルを踏み続ける。登りついて小さな村の中に出た。フロントバッグをあけて水を飲む。。。とても、うまい。

登りついてしまえばあとは楽な道のりだ。鼻歌交じりに、何も考えずに、レザンドリーに向けてペダルを踏み進んでいく。途中ソロのサイクリストとすれ違う。レーサージャージのロードバイクだが目線で挨拶を交わす。これだから、楽しい。

レザンドリーのシンボルともいえるガイヤール城を目の前に見る高台に出て、一気に100m近く下って駐車していた車に戻った。

* * * *

坂の上に広がる広大な台地。
延々と広がる麦畑。
時折忘れた様に現れる古びた集落と教会。
大地が尽きるとゆったりとした下り坂にさしかかる。
下りきった緩やかな谷間は緑豊かな谷間だ。
小さなせせらぎが夏の陽射しの下静かに流れている。
陽射しは強いが木陰に入ると体を切る風は冷涼で。
絵画のように静謐で素朴な村を抜けるとゆったりとした谷に導かれた。
再び大地に登る。
ゆっくりと、自転車をこげる喜びに浸りながら。
広い風景の中の、一つの点になる。

ノルマンディで過ごした夢のような一日であった。

(坂を上るとブナの林に入った) (リヨン・ラ・フォレは静かな村だった) (ノルマンディの台地をひたすら走る) (レザンドリーを望む高台に出た)

走行距離 60.2Km


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