モンタルジとシャトーランドン - ロワン川を巡るサイクルツーリング 

 (2008/10/11、フランス、サントル地域圏)


パリ南郊外からフォンテーヌブローまで走ったのが先月。フォンテーヌブローの先には何があるのだろう、地図を見ているとフォンテーヌブローの南東でセーヌ川はロワン川と分岐し、それぞれの上流にもいくつかの街があり、豊かな渓谷風景を想像させるように地図も緑色に塗り分けられている。蛇行する川は標高差もなく川沿いの道路も交通量が少なさそうだ。また川の左右に広がる平地はもう地図を見るだけでその広大さがイメージできるもので、こんな場所を走ることが出来ればサイクリングも楽しかろう。

ロワン川の南、地図を見ているとモンタルジという街を見つけた。フォンテーヌブローから60km南にあたる。WEBで調べてみると街の中に小さな水路が行き来しているとのことで、何とフランス版ベネチアをうたっている。興味を持ったので行程を検討する。フォンテーヌブローまで車で行き、そこから鉄道に乗りモンタルジまで南下、あとはゆっくりと北上するのが良いだろう。もっともモンタルジへ行く列車の便は必ずしも便利ではなく2時間に1本といった具合。早めにフォンテーヌブローへ着かなくてはならない。

とある週末、車に愛車700Cサイクリング車・Rhein号を載せパリの南60km程度にあるフォンテーヌブローを目指す。予定出発時間をやや遅れ焦り気味に家を出るが、早々にパリの環状高速道路がひどい渋滞だ。土曜の朝にしては珍しい。急遽下の道におりるがこちらも混んでおり、列車に間に合うか、早くも計画に黄色信号がついた。ようやくフォンテーヌブロー方面に向けて南下する高速道路に至るが、霧が深くノロノロ運転を暫く強いられる。どうもやばそうだ。何としても間に合わそう、とアクセルを踏み込む。

フォンテーヌブローの駅につく。あと列車の発車まで5分程度か。駐車スペースを捜していると駅舎の裏に丁度予定していた列車が滑り込むのが見えた。間に合わなかった。次の列車はまた2時間後だ。力が抜けてしまう。もう10分早く家を出れば、と悔やまれる。自分の人生はどうもこの手の後悔がやたらに多い。悔しいが仕方ないが諦めるしかない。だんだん年齢をとるにつれて悔しいもののがっかりするのではなく諦めてしまうことが増えたのはそれだけ大人になった、というよりは単に人生に諦めが増えてきたからだろうか。

(モンタルジはロワン川と水路が街の中を
流れる小さな街だった。)
(水路が風景に溶け込み
静かな風景を作っていた。)
(滑るように船が去り、波紋が淡く残った。
運河は悠々とし、異質の時間が流れていた。)

折角ここまで来たので地図を広げて一思案、とりあえずモンタルジまで車で行ってみて、そこからフォンテーヌブロー方面へ北上、出来るところまで周回するコースを取ってみようと考える。

再び車を駆り南下する。フォンテーヌブローの森を抜けると後はモンタルジまではだだっ広い畠の、大地の中をひたすら走る高速道路だ。モンタルジの看板に導かれ下道へ降り街の中へ進む。小さな街だ。

街はなにかイベントをやっているのか中心部で道路封鎖がされており、しかたなく適当な路肩に車を停めて自転車を引っ張り出した。街の中心部に向けて走り出すと、一角ではなるほど水路が街の中を走っている。家と家の間を水路が流れ、とある家には船着場のようなデッキもあしらえてある。家の窓枠に飾られた花壇が水面に鏡のように映りこみ、その下には緩い川の波紋の中に青い空がゆっくりと揺れている。川の中の空は現実の空と変わらぬ青さをたたえ、一瞬天と地の感覚が失われてしまう。川の中に伸びる家のデッキからその家の住人がのんびりと釣り糸をたれている風景は、ひどくのんびりとした風景として目に映る。水路が生活の中に結びついている事を感じさせた。

ベネチアはかなり大げさだろうがミニミニベネチアくらいならOKだろうか。川の流れる風景は独特の安心感を風景に与えてくれる。

小さな街だが目抜き通りは人で一杯だった。ブランジェリーで行動食用にパニーニを買い街を抜けて北に向かって走り出す。街外れにSNCF(フランス国鉄)の駅がある。本来ならフォンテーヌブローからの列車でここで降りるべき計画だった。僅か10分の差で計画変更となった今日、フォンテーヌブローまでの中間点よりやや手前にあるシャートランドンという街へ走りそこから折り返してこようと考える。シャトーランドンがどんな街かはわからないが、そこまでロワン川沿いに走り、折り返し後は西側の台地にあがりそこを南下して戻ってこよう。

ロワン川に沿った道を北上するが川面は左手に遠くここからは見ることが出来ない。川の作った湖沼が点在し、その周りを林が包み込む。右手にはSNCF(フランス国鉄)の路線が続き、走る路面は交通量もなくのんびりとした走りが出来る。走るのには割り切りが必要な幹線道走行とは違い、こういう地元住民のための生活道を走るのは楽しい。

ゴーッと音を立てて電気機関車に牽引された客車列車が南下していく。Corail Intercites(インターシティ急行)だ。ドイツでもフランスでも、優等列車が電車ではなく機関車牽引による客車列車というのが日本人にはピンと来ない。日本ではブルートレインを除けば電気機関車といえば重たい貨車編成を引き喘ぎながら走る、貨物専用というイメージがあるが、ヨーロッパでは機関車は客車を引いて颯爽と走り去る。花形ともいえる。一方電車は短距離中心の運用で脇役扱いだ。

ダイヤの疎な路線ゆえ、列車が風のように走り去ってしまうと再び何の物音もしない。線路に残る金属的な走行音が少しづつ小さくなってしまうとしーんとしたままだ。静かな道を前に見てペダルを踏み込む。ゆっくりと風景が流れ始める。川沿いの林の中には小さな別荘風のコテージなどもあり子供が庭のバスケットボールのゴールを相手に球遊びをしている。彼らの遊び声は木々に吸収されて余りこちらには届かない。揺れる木々が路面に影を落とし、秋の高い日に照らされた自分の影が短く路面に映りこむ。

Fontenay-sur-Loingの街まで走るとうまい具合にシャトーランドンへ向けてロワン川を渡り北西に向かう小道が分かれていた。そのままそれに従う。林を抜けてゆっくりと少し登り橋を渡る。眼下のロワン川は運河のようになっており橋の下で丁度水門があり水位を調整できるようになっている。小父さんが一人、手回しのハンドルを回しながら水門を解放しており見る見るうちに水位が上がってくるのが面白い。一体何時の代物なのか、手回しの運河の水門など、想像もした事がなかった。目を転ずると丁度この運河を抜けて川下へ向かったばかりの小さな船が淡い波紋を運河に残して去っていく。

川沿いの道を北にやや下ると次の水門があった。今度は先ほど走り去った船がまさにそこを通過しようとしている。船長がキャビンから下りてきて水路の門を閉めて水位を調節している。上の門を閉じ下の水門を開けると水位が下がりゆくっりと船も下流の高さまで下がってくる。ゆっくりと水路を出ると、再び水門を閉じて出発再開だ。急がない旅をする自分も路肩の林に自転車を停めただその風景を眺める。10分以上もボーっとして、ただ眺めるだけだ。

これは、一体なんなのだろう・・・。自然に溶け合う古びた運河で、何の不思議もなく水門を手回しで開けている人。一体今は何世紀なのか、本当に21世紀なのか。急ぐこと、効率化を図る事を必ずしも誰も求めていない。これがヨーロッパの精神なのか。運河だけではなく、それを取り囲む豊かな森が、開発される事を拒むかのようにそこに在る。この風景はあと何十年も、百年も、変わることはないのだろう。自分の生まれ育った国の持つ物事の考え方と余りにも次元が違うではないか・・。必要以上の開発を求めることもなく昔ながらの風景が今に残り、奔放な自然がそれを取り囲む、新しい事を求めることが必ずしも良いこととはされない、この時間感覚は、一体なんなのだろう。ひどくのんびりとした光景だ・・・・。

(中世の面影を残す城壁の集落・シャトーランドン。
さぁ坂を登って・・。・)
(そこは時間の経過から
忘れ去られた様な町だった。)

エンジンの音も殆ど聞こえず、船は滑るように緑と黄色の林に縁取られた川を下っていく。中世ヨーロッパからまるでそうあったように、何のおごりもなく下っていく。特別な事では、ないのだ。揺れる波紋に林の木々が写りこみ、黄色く焼けたその木々が波にあわせて踊るように揺れている。気が遠くなるような、時間の感覚を失わせる風景を前に、自分は全く無力で、走り去る船を眺め、運河にゆれる木々の陰をただ見、存在感の在る時間の重みを、ただ感じるだけだった。

シャトーランドンまではロワン川の道から一段河岸段丘を登らなくてはならない。ギアを落としてペダルを踏む。登りきるともうそこは大平原の一角で、ぐるりと視界を妨げるものはない。進むべき方向を確認して走り始める。

なだらかな下りをこなすと前方にいきなり城塞都市の如き集落が眼に入った。シャトーランドンだ。シャトーという名のとおり、ここは古い城なのだろう。城壁のように山が盛り上がりその壁にへばりつくように住居がならぶ。これまた、こんなところにもまた、中世ヨーロッパがあった・・・。この村も一体何時から在るのだろう。集落の中心に向けてはこの城砦を斜めに登っていく細い車道に頼る以外はない。ギアを落としてゆっくりと登っていく。秋の空は非常に青く、陽を浴びた建物が白く輝く。

登りついた集落は、まったく時代に取り残されたかのような古い街だった。重みを感じさせる教会を回りこむと小さな広場があり、何台かの車が駐車しその向かいにカフェが何軒か開いている。これらがなければまさに中世そのものと言える街だ。少し走り眺めの良い城壁の先端へ出るとその広場で老人たちがペタンクに興じている。これまた浮世離れした眺めだ。

なんだか、ひどく疲れてしまった。まだ25km程度しか走っていないと言うのに、寄り道をしながら走ったからか。いや物理的な距離の移動より、時間的な距離の移動がとてつもなく大きいからなのだろうか。フロントバックから行動食と小さな水のボトルを取り出す。泡を立てる炭酸水が喉に心地よい。思っていたよりも、ずっと充実しているサイクリングではないか。当初の予定では、ひたすらフォンテーヌブローへ北上するばかりで、こんな名もなき道や集落で時間をとることもなかっただろう、そう思うと列車に乗り遅れたことも感謝したい気分になってきた。

シャトーランドンの街からは丁度折り返しとなり、来た道を180度逆戻りする事になる。尤もロアン川沿いに北上した道を戻るのではなく、来た道と平行して南下する道を、大平原の中をひたすらこぐだけだ。

この村は古くからの交通の要所だったのか、東西南北の各方向に向けて小さな街から道が分岐している。少し迷ったが自分の取るべき道を見つけることが出来た。そこをゆっくりと、今度は正反対に南に向けて走っていく。

何もない、地平線にぐるりと囲まれる道となった。漕いでも漕いでも風景に変化がないと言うのは辛いものだ。地図上にその名を記す小さな集落を幾つもパスしていくが、集落とは名ばかりの民家数軒、といったレベルのものも在る。集落を超え畠に進むと何かが驚いたかのように足元から猛ダッシュで前方に走り去っていく。野ウサギだ。自転車は走行音が立たないので彼も気づかなかったのだろうか。

このあたりで足もかなり辛くなってきた。平原で緩い風が自分に常に対向しているというのもあるが、高速道路を越える高架の僅かな登りすらも辛い。再び路肩に自転車を止めて行動食を水を摂る。もう、あと10kmもないはずだ。

ややよれよれになって漕ぎ、ようやくモンタルジの町に戻ってきた。商店街のタバコ屋で冷たい炭酸水のボトルを買う。ぐっと飲むと喉が焼けるようでこれ以上美味い物はビール以外にはないだろう。車でなければ迷わずビールだが、このときばかりは車利用の今日の行程が恨めしい。僅か48kmしか走っていないと言うのにこの疲労感はなんだろう。登り坂もない平坦なコースだと言うのに。暑かったせいもあるのだろうか、なんだか精も根も尽き果てて、くたくたになって車のシートに腰をかけた。

乾いたTシャツに着替えてエアコンをぐっとかけるとやや落ち着いてきた。

しかし今日は良かったな。予定していた列車を逃したおかげか、当初の案とは違うコースを走ることが出来それが結果的には大変な拾い物をした気分だ。運河の巡るモンタルジの街並みも良かったが、何よりも緑豊かなロワン川に沿ってはそこに流れる悠長な時間が自分を異質の世界へ連れて行ってくれた。中世の面影を残すシャトー・ランドンのひなびた街並みも川岸から登り上がるコースだからこそその城壁のような街の全貌を仰ぐ事が出来た。ヨーロッパとは一体何なのか。自分が日本人であると言う事を、違う文化背景を持つ人間だと言う事を、ペダルを踏みながらいつも考えているように思う。知らない世界へペダルがいざなってくれるのだ。だからこそヨーロッパの自転車の旅は自分に新鮮さを感じさせ続けてくれるのだろう。

(走行距離48km、サントル地域圏、セーヌ・エ・マルヌ県、ロワレ県))
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