ラ・ロッシュ・ギオンとジヴェルニーへ - セーヌ川を巡るサイクルツーリング 

 (2008/10/25、イル・ド・フランス地域圏、オート・ノルマンディ地域圏)


イルドフランスのサイクリング旅もあらかためぼしい箇所を走ったように思えるが、残っているのがセーヌ川を下流に下ったラロッシュギオンとジヴェルニーだ。ラロッシュギオンは「フランスの美しい村144」にも登録されるセーヌ川沿いの小さな村で、河岸段丘の上に立つ古城(ドイツ占領下の第2次世界大戦中はかのロンメル将軍がそこに司令部を置いたという)が有名だ。ジヴェルニーは言うまでも無い、印象派画家モネの家がありその終焉の地として名高い。

そんな2箇所の目的地は隣り合っているのでサイクリングの目的地としては実に相応しい。セーヌ川を巡っての周遊コースとして上流に位置するマンテ・ラ・ジョリーまで車で走りそこから走り出せば一周50kmの程よいサイクリングコースだろう。

マンテ・ラ・ジョリーまでは自宅から1時間もかからない。市の中心部、ノートルダム教会の近くに駐車してハッチバックを開けて愛車の700Cサイクリング車、Rhein号を引っ張り出した。この教会は築200年は経っているだろうか、それ以上か、一方街並みは比較的新しく、どこにでもあるフランスの風景にこれと言って感銘を受ける街ではない。教会前のブランジェリーでパンオーショコラを行動食に買い求めフロントバックを閉めると出発だ。いつもながら出発は期待と不安が入り混じる。

(丘を下るとその先に、名もない
集落が待っていた)
(積み重なった時間の重みが
気負いもなく風景の中に在る。)
(ラ・ロッシュ・ギオンの山城は
セーヌ川を望む高台に在る)

ノートルダム教会の前から北に向かって緩く下るとセーヌ川を越える。川を渡って蛇行するセーヌ川右岸(北側)に沿った道に乗って北西に向かう。道は川と同じく蛇行する訳ではなくやや進むと一直線に川岸の河岸段丘に向かっての登坂車線を伴った登り坂となった。

ギアを軽くしてゆっくりと登り始める。傍らを車が駆け抜けていくが追越車線を走ってくれるので不安は無い。ペダリングのリズムを一定にして登っていくとみるみるうちに視界も広がってくる。標高差は100m程度だろうか、わずかなそんな登りでもさすがに広い。登りついた丘の上は緩やかな起伏の続く丘陵が続きその果てが見えない。ふり返るとこれまたぐるりと地平線まで視界を妨げるものが何も無い。地球が丸い。もう25年近く前、学生時代にモーターサイクルで一周した北海道を思い出した。広大さの規模は遥かにそれ以上だろう。

胸のすく様なこの光景を感じとることが出来るのは自分で高さを稼いだからだろう。車で走ってそこに停まっても決して感じることは出来まい。自分の足で稼いだ山頂からの眺めが胸にしみこむのと同じで、車道沿いのさもない丘陵地の頂上とはいえ、自分でペダルを踏んで登りついたからには山歩きと同種の感動がそこにあるのだ。サイクリングの経験の浅い自分でもそんな事を感じることが出来るのは嬉しい。

やや走り再び畠の中の緩い丘陵を登りつめるとうねるような丘の連続、その先緩やかに下る坂の下に小さな名も無き集落が広がっている。教会の塔が畠の向こうに霞んで見える。緩く下り集落に入る。風の中に畠の、土のにおいが混じる。古びた小さな集落が近づいてくる。黄ばんだ石造りの家並み。小さな教会の前で停まると土曜日だと言うのに中からはかすかにミサ曲の合唱が聞こえてきた。・・・まただ。またいつものように。早くもすっかり虜にされてしまった。風景の作り出す時間感覚。古を感じ今を感じる。時代を超えて横たわる大きなこの大地、この自然。百年以上も前に戻ったような古い家並み。その中を走り抜ける自分は確かに21世紀を生きているにもかかわらず、自分は一体どの世界に居るのかがはっきりとしない。ヨーロッパの持つ時の流れは時間を狂わせる。

ゆっくりと、流れる汗を拭って行動食を口にする。集落の中とはいえ空は広く、ごろりと倒れこむような錯覚を感じる。

集落を抜けると心地よい下り坂となり左手にセーヌ川の川岸が近づいてきた。奔放な林が車道の片側を包み込む。木々の匂いが風に流れて自分を包み込む。緩い上り坂に転ずる。ダウンチューブに手を伸ばしギアを前後ともに変速する。カクンと軽くなったギアに一瞬足の動きが追いつかない。目を落としてゆっくりと登っていく。路肩にはしばらく前に落ちたのか、栗のイガがいくつも転がっている。それをタイヤで踏むとボコリとショックが伝わってきた。古びたシトロエンが大きな音を立てて自分を追い抜いていくが去ってしまえば再びしーんとして物音が林に吸い込まれていくだけだ。風景の展開が、自然の物音が、そして風の匂いが、自分を全く飽きさせない。

登り切るとVetheuilの街で、古い家並みが続く。土曜の昼下がりと言うのに集落の中心にもひと気はなく、村全体が昼寝をしているようだ。ラ・ロッシュ・ギオンへの道標を追って角を左手に曲がると目の前の坂の上に古びた教会が立っていた。今という日付を考えれば、確かに時間は随分と積み重なっているはずだが、気負うこともなくそこに在る風景が、そんな事を一切感じさせないのは何故だろう。フランスの、風景と時間の魔術は相変わらず深い呪縛を自分にかけたままだ。

セーヌ川に沿った緑の中を行く道となった。すれちがうサイクルパンツとジャージ姿のサイクリストが軽く目で挨拶を交わしてくれる。こんな自分でもサイクル仲間として見てくれているのかと思うとやはり嬉しい。こちらも軽く頷いてエールを送る。見知らぬモーターサイクリスト同士が旅先でお互いにすれ違い様にピースサインを交わすのはかつての日本では普通だったが(今もそうあってほしいと思うが)ここフランスのサイクリストでも似た事をしてくれるとは思ってもいなかった。同じ乗り物を好み、それに跨り、必ずしも楽しいばかりではない旅をする者同士だ。お互いに共感するものがあるのは当然の話なのだろう。

目の前にラ・ロッシュ・ギオンの山城が姿を現した。セーヌ川の作る河岸段丘の上に立っている。ラ・ロシュ・ギオンの村は城の前に立つ数軒のレストランとカフェ、土産物屋があるだけでオフシーズンなのかひと気も余りなく寂しい感じだ。麓の建物から山城までは地下階段で登れる、と何かの本で読んだことがあるが、自転車を長時間置いておくのが不安なので見学はとりやめる。治安が日本ほど良くないと言われる外国での自転車旅の、唯一の不便な点とも言えるだろう。ここは「フランスの美しい村協会」が認定した144の村の一つだ。

この先予定ではジヴェルニーに向けて小さな峠を越える予定で、峠の頂上から尾根筋にやや戻れば丁度城の裏手当たりまで行くことが出来そうなのでそのまま先に進む。すぐにセーヌ川の段丘に向けての急な上り坂に転じた。ギアを落とし心して取り掛かる。標高差はせいぜい100mくらいだろうが崖のような丘を一気に登るつめるのでなかなかの急坂が続く。視線を落としてただ漕ぐのみだ。見る間に左手のセーヌ川が眼下に広がっていく。車が来ないのを確認してジグザグを切りながら登っていく。駆動系メカから聞こえてくるわずかなメカニカル音に混じりキュウキュウと小さな音が、もしかして耳には聞こえず心にのみ聞こえているのかもしれないが、確かに聞こえる。そう、タイヤだ。タイヤなのだ。フリクションをかけて登っているからか、間違えなく聞こえてくる。坂を登るという事に、音が在る。タイヤが路面に触れる音はまさにゴムが粘りつくような音で、こんな音はサイクリストしか知らないだろう。

坂を登りきった。峠を、越えたわけだ。すると、どうだ。反対側には想像もしていなかったような大きな展望が待っていた。これか・・・。蛇行するセーヌ川の作り上げた丘陵地がうねるように、その果てが見えぬまま地平線を形成している。名も知らぬ小さな集落が眼下の谷間に見えるが、明瞭な形を持った風景はそれまでであとは自然の作り上げた絨毯の中にすべての風景が溶け込んでしまっている。二輪と小さなペダルを駆るだけの自分は、飛翔することは出来ないけれど、心だけはこの風景を前に大きな地平線に向けて飛び出すことが出来る。サイクリングは心の開放なのだろうか。

路肩に自転車を停めて、来し方を振り返る。一気に落ち込むセーヌ川の谷。コンテナを満載した貨物船がゆっくりと下っていく。行く手を展望する。尾根筋をやや走り展望に満足して、先へ進む。

(尾根まで登る。と対面には思いがけず広い
展望が開く。心の開放を感じる時。)
(ジヴェルニーは
静かな村だった。)
(セーヌ川にもやがかかる。
印象派絵画の、ひとコマのようだ)

谷の底まで開放的な草原の中の道を一気に降りていく。スーッと切る風の匂いも、当然のことながら岡の上と谷の底では違う。林の中と、森の中でも違う。川岸と、集落の中でも違う。目にする光景も、自分で漕いで稼いだ距離だからこそ、その風景の展開がしっかりと頭の中に残る。サイクリング・自転車旅は、普段の日常生活の中では使うことのない五感が自然と目を覚ます・・・。

エプテ川を渡るとGasnyの街で、ここで再び進路を東に取る。目指す今日の折り返し点、ジヴェルニーまではもう少しのはずだ。

平坦な林の中の道だが結構疲れているのに気がついた。足が思うように進まない。これまでの行程に緩いながらも登坂がそれなりにあったせいだろうか。サイクリングは山歩きとは違い、自分の場合行動中はなかなか規則的な休憩が取れないようだ。山であれば1時間ごとに10分という休憩リズムが身についているが、目下のところ自転車では写真を撮るために自転車から降りる以外は特に休む事もなく走り続けてしまう。ある時点で疲れが一気に出てくるのもこのせいだろうか。体を使うと言う意味では山と同じように規則的な休憩が必要なのかもしれない。

ジヴェルニーはバルビゾンの様にまとまった集落であるかと思っていたらそれよりもずっと小さな村で、あっという間に着いてしまい、様子見でそのまま走るとこれまたすぐに集落の反対側に出てしまった。これといった村の中心部も見当たらずやや調子が外れてしまう。静かな村でモネの家が唯一の見所ともいえる村なのだろう。小さなカフェとホテルが並ぶ通りにモネの家と庭園の入り口があった。入場料を払い中に入る。花と緑で一杯の庭園でさぞやモネに沢山のインスピレーションを与えた事だろう。隣接するモネの家は木造の家屋で中にはモネが収集したと言う安藤広重や喜多川歌麿などの浮世絵が各部屋にたくさん掲げられている。浮世絵の現物を見たのは初めてのことだが、精緻な絵作りだ。日本の文化遺産がこうして遥か離れたヨーロッパに散逸しているのがひどく残念に感じられるのは自分だけだろうか。もっとも日本にもヨーロッパの画家の絵が個人や美術館で所有されているのだろうからお互い様なのだろうが、自分は了見が狭いのか、なにかしっくりしないモネの家ではあった。

モネの家を見てしまうと今日の行程も折り返しであとは見ることもなく淡々と走るだけとなる。エプテ川をすぐに渡り南南東に緩い丘陵を越えてBennecourtの街を目指す。セーヌ川を渡るが西に見る川面にガスが淡く掛かって幻想的でもある。渡りきるとBonneresの街でここから後は往来の激しい幹線道をひたすら東に向かって走るのみだ。昔ながらのフランスの光景はもうここにはなく、サイクリング中ずっと支配されていた「風景と時間の作り上げる魔術」からもすっかり開放される。車の往来にびくつきながら、起点のマンテ・ラ・ジョリー迄戻るだけだった。

50km程度の全行程であったが小さいながらもそれなりに旅をした、と言う想いの大きかったサイクリングだった。

(走行距離53km フランス、イルドフランス圏、オート・ノルマンディ圏、ヴァル・ド・ワーズ県、ユール県)
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