大聖堂の街 Chartres (シャルトル) へのサイクルツーリング  

(2008/4/26、フランス、ウール・エ・ロワール県)


日照時間の短さや寒さのせいもあり昨年の晩秋以来、自宅近郊の森やパリ市内のポタリングをする事はあっても郊外へのサイクルツーリングは閉店休業していた。が、3月末でサマータイムに移行すると俄然日が長くなってくる。4月中旬は冬に戻ったような気温がしばらく続いたもののあとは気温も日増しに上がり15度程度か、木々は新緑に彩られ気の早いフランス人はすでに半袖で日光浴モードに入っている。郊外へのサイクリングを、再開だ。

まずは昨秋以降中断していたパリ南西の街、シャルトル(Chartres)へ走ろうと考える。世界遺産に指定されている現存するシャルトル大聖堂は10-11世紀の建造物との由、アンリ4世が戴冠式を挙げたという古い街でもある。パリ市郊外の自宅から自転車でつながっている自分の南西方面の軌跡の端は昨年11月に走ったエペルノン(Epernon)。ここからシャルトルまでは直線距離で約20-30kmを残しているのみ。あと、一息だ。

まずは自分の軌跡の最南端、Epernonの街まで行く。Epernonまでは車に愛車Rhein号を車に積み込んで自宅から約1時間の行程だ。昨秋に、暮れかかる夕暮れに追われるように走ったRambouilletの森を抜ける。緩やかながらもアップダウンの多い道で、焦燥感でひたすらペダルを漕いだ風景もこうして今鮮やかな新緑の下に見ると全く異なる光景に思える。今こうして新たな気分で走ってみると、もっとゆっくりと風景を見ながら走ればよかったとも思えるが、あの時は仕方も無かった。

Epernonの街は半年前と同様に静かで昼寝したような長閑な街だった。街外れの路肩に駐車してRhein号を組み立てる。シャルトルまでの取るべきルートは出来るだけのどかで広大な風景を味わいたく、幹線道と鉄道が寄り添うユーレ川に沿ってのコースではなくその南側に広がる台地を走ろう、と大まかな方針は決めてあった。

花が色とりどりに咲くEpernonの街を後にする。街外れにて左折して南下するコースに入る。すぐにSNCF(フランス国鉄)をガードで渡り緩く登っていくと地図から想像していた通り緩やかな起伏の続く畑が視界に入ってきた。広い。おそろしく広い。その地平線も見えない。北海道の広さなど軽く超越している。まさに大地そのものが目の前に広がっており、その視界の果てに思い出したようにポプラ並木が高く連なっているその様は馬のたてがみのようでもある。しかし全体に林の類は少なく、ただ一面に畑が続くそのさまにはいささか距離感を失ってしまう。

(緩い登り坂を上り切ると目の前の黄色一色
に思わず溺れそうになる。汗をぬぐうのも
忘れるほどだった。)

その桁違いの広さに気後れして、地面を確かめるようにぐうっとペダルを踏み始める。予定のコースはこの緩い起伏を持つ大平原をただひたすらシャルトルまで漕いで行くというもので、やや退屈な光景を想像していたが、まさにそんな通りの眺めが目前にある。走り出すとゆっくりとかわり映えのしない風景が後へ動いていく。スピードに乗ってギアを重くする。台地に漂う空気が、土のにおいとともに鼻腔に流れ込む。車道を走る車の音がはるかかなたから聞こえてきてやがてブーンと追い越していく。聞こえ始めてから追い越されるまで、かなりの時間がかかるという事が、この広さを改めて体感させてくれるのだ。

Gazという名の集落は旧い町なのか薄灰色に埃っぽくくすんだ石壁の家々が並ぶが、ひと気も無い集落の中を、ただ無遠慮なまでに明るい太陽がその光をもてあそぶかのように街中を照りつけいる、そんな町だった。崩れかけた石の壁が続きその背面に太陽が黒い影を作っている。町全体が白くすすけたように見えるのは、これがフランスの色なのだろうか。ヨーロッパの風景と言っても色々あり、深く沈んだトーンが中心となるドイツに比べフランスの風景は全体に白く、やはり地中海の街の色に近い。しかしこれは喉の渇いてくる光景で、ダウンチューブにつけた水筒の水も減ってくる。

モノトーンの集落の果てに鮮やかな花壇があった。咲き乱れる花々は、放っておいても良く育つという、その土壌の豊かさを自ずから語っているようなものだ。その鮮明さにカラー写真の世界に引き戻される。道は再び緩く上っていく。上がるにつれ左右一面が真っ黄色に広がってきた。一面菜の花の絨毯の、その真ん中に道は続いていた。

黄色一面の中の、小さな小さなただ一点の黒点になったような気すらしてくる。見事なまでの菜の花畠のその真ん中を漕いで進むが、風景にはいささかの変化も見られない、そんな台地走行が続く。

遠目には緩やかな起伏の台地が単に陸続きに広がっている様にしか見えないが、実際に走っていくと道は時折上下し、遠目に隠れていたその谷間の部分幅数メートルもない川が静かに流れ、その小さな森を抜けると、静謐に溢れこじんまりとした教会がポツンと佇み、その周りを時間においていかれたような集落が音も無く取り囲んでいるのだった。そんな静けさにあらがう事もできずに自転車を停めて降りると、明らかに違う空気に自分は包まれる。明るい初夏のような陽射しが木々を抜けて降り注ぎ、石造りの古びた小橋の下の小川に魚が小さな波紋を作っている。今は一体何時なのだろう。自分は一体なぜ此処にいるのであろう。そんな事を考える事もまるで無意味に思えてしまうこの感覚。何度見たであろう、こんな光景。ドイツにせよ、フランスにせよ、こんな名も無い古い集落にヨーロッパを強く感じてしまうのだ。この風景に、如何にも自分は惹かれてしまったことだろう。

一瞬の眠りから醒めると照りつける日差しはまだまだ高く、とはいえ木漏れ日のなかからゆるやかに流れてくる風は乾いて、心地よい。

トップチューブをまたぎゆっくりとペダルを踏み込み森を抜けるとまた緩い上り坂が待っている。ダウンチューブの変速レバーをカチカチと手前に押し倒して、軽くなったペダリングに大きく息をついて足を合わせる。

台地の上まで上りついてふと顔を上げると、地平線のかなたに、目指すシャルトルの大聖堂が忽然と、しかし確実に出現した。大きい。この距離にしてあの大きさ。それは何も無い平原に立っているわけではなく実際は街の中に位置しているはずだが、ここからは市街地は一切見ることが出来ない。ただ大聖堂のみ。地平線に浮かぶ、天空の城という感もある。

ゴールが見えるとなにかほっとするような、少し残念な気もする。木々も無くだだっ広い台地の上をただひたすら漕ぐだけの行程が続く。農薬の散布をしているのか、単発のプロペラ機が低い高度で畠の上を飛んでいる。グライダーを曳航しているが何故だろう。

Coltainvilleの集落で古びた廃線を高架で跨ぐと大聖堂もいよいよ近づいてきた。地図を見て市街地へのアプローチの道を考える。飛行場の南を回って市内に入ろうのが良いだろう。芝生張りの長閑な飛行場を過ぎると運動公園があり、その一角には移動遊園地が出ていた。人だかりも多く急速に都会に来たという感が強まり夢見心地も醒めてしまう。

前方には小さな谷があり大聖堂はその奥の小高い丘の上に立っていた。あそこに行くには谷を横切り坂を登り返さなくては行かない。谷まで緩く下るとユーレ川が古い街に溶け込むように流れている。その小さいが豊かな流れの川を石造りの橋で超えるのだ。橋の向こうには古びた町並みが続き、石畳の上り坂の先に押しかかるようなボリュームで立っている。大聖堂だ。この眺め、まさに時間の流れを失わせるには充分な、鎧兜の馬上の騎士が、あるいは粗末な衣服に身を包み藁束を背負った老人が、坂の上の聖堂に巡礼の荷を担いだ民が、歩いていても不思議ではない、そんな中世そのものの光景と言えた。

石畳の道は狭く上りづらい。薄暗い路地に木組みの家。時間の調性はとうに失われてしまっている。はるかかなたにタイムスリップした異次元の旅を頭に浮かべながら狭い道をギアを最小にして登っていく。倒れ掛かってきそうな石の街並みを縫うように抜けるとぽっかりと空間が広がり、そこが大聖堂前の広場だった。円形のステンドグラスを挟んで二本の相対する塔。形が違うのは各々の建設時期が違うからで一つがゴシック、もう一つはロマネスクの様式という。500年以上も前の石の巨大な殿堂だ。内部のステンドグラスも実に細かく手の込んだものでいくつか見てきたヨーロッパの教会の中でも屈指のものだろう。

その重厚さに威圧されドアの外に出ると、光が溢れて暫くは目が慣れない。数人の子供が教会横の広場でボール蹴りに興じている。数百年も前の建築物が当たり前に現在の生活に溶け込んでいる。この違和感のなさ、気負いのなさ。その歴史の長さを特に意識することもなく、現代の生活の中に続く継続性としてすべてが収まっている。これはなかなか日本人には理解できない感覚なのではないだろうか。

シャルトルの駅までは教会からは数分の走行だ。上手い具合に後20分でパリ・モンパルナス駅行きの列車が入ってくる。車をデポしたエペルノンまでは30分程度だろうか。時間となり入線してきたのは電気機関車を後ろに従え制御客車を先頭にした編成だ。ドイツではおなじみのペンデル・ツーク編成がここフランスにもあったのだ。ル・マンから走ってきたこの列車には自転車専用コンパートメントも準備されている。天井のS字鍵フックに自転車の前輪を引っ掛けてぶら下げる、というドイツのICと同じ発想だ。 がらがらの車内なのであえてそれをせずに扉の横に自転車を置いたまま横の折りたたみ椅子を引き出して座る。ドイツにせよフランスにせよ、ヨーロッパでは自転車旅行に鉄道を取り入れるのはこんなふうに実に簡単で気負いがない。週末だけでも良い、日本にも是非取り入れて欲しいものだ。

エペルノンで下車し、そのまま車を停めた路地へ戻る。今日のコースは広大な平原を走ると言うもので、台地が主体となるその平野は全体に乾いた感じが続き、必ずしも心地よい道ばかりという事も無かった。食料自給率120%と言われるフランスの穀倉地帯なのだ。それも当然だろう。自転車旅とすればやはり木漏れ日の中ゆったりとした川の傍を走るようなルートに憧れを感じる。そんなコースはまた今度選んでみよう。

(台地を緩やかに下ると集落が
あった。時間が止まったかの様な
静謐さが、そこにあった。)
(石造りの小さな橋。名も知れぬ
小さなせせらぎが、空と木々を
その水面に写し出していた。)
(シャルトル大聖堂。何百年も前
からさして変わらぬ風景なので
あろう静寂の路地から。)
(石畳の坂を登れば木組みの
家があった。時として今が21世紀
だという事を忘れてしまう。)


(走行距離45km)
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