Remagen - Bonn 間を走る - ライン川を巡るサイクルツーリング

 (2007/3/4)


Koblenz(コブレンツ)−Reamgen(レマーゲン)間はこの2月の初めに走ったので今回は更にライン川に沿って下流へ、我が町Dusseldorf(デュッセルドルフ)方面に向けて北上して走りつなごう。すでにデュッセルドルフ-ケルン間は走っているのでレマーゲン-ケルン間が未踏であるが、この間を一日で走るのは可能ではあろうがそう急ぐ事もないだろう。2度に分けて、今回はレマーゲンからボンまでとする。

(フェリーは無事運航していた) (水没した桟橋、ライン川波高し) (運賃1ユーロ)

前回と同様に10時58分デュッセルドルフ中央駅発のRE ”ラインエクスプレス”に乗ってライン川に沿って南下する。見慣れた感のするケルン大聖堂を通り過ぎボンを抜けると車窓左手にライン川がぐっと迫ってきた。今朝見てきた自分の家の裏手のライン川の土手から見る川の水位もずいぶんと増えていたがここから見るライン川もかなり水かさが多いようだ。まだ上流の雪解け水の季節でもないだろうからここ数日間続いていた雨の影響かもしれない。

一ヶ月前にそのホームを踏んだRemagen駅で下車。小さな駅前広場。愛車「Rhein(ライン)号」に跨り石畳の上をゆっくりと漕ぎ出した。ツーリングでの最初のペダルの一漕ぎはなかなかわくわくするものだ。ボール遊びをしている子供の横を通り抜け街を走る。小さな、眠気を誘うような静かな街だ。試しに川沿いに走り出てみると驚いた。川沿いの道路がすっかり冠水しており民家の一階も水に浸かっていた。土手の高さは確か水面から3m近くはあったはずである。水量が思ったよりもずっと多い・・・。

Reamgenから川沿いに3Km 程度上流に走るとKrippの街でここに対岸のLinz (Linz am Rhein) に渡るフェリー乗り場がある。今日の予定はこれにまずは乗って対岸に渡り下流へ向けて走るというもの。ただこのような水位ではそもそも対岸のLinzに渡るフェリーが運航されているものか、また仮に渡れたとしてもライン川の土手に沿って続くサイクリング道は水没している事だろう・・・。うまくいけるか、考え出すときりがない。まぁ行ってみるしかないだろう。

Krippの街に到着。想像通り川沿いのフェリー乗り場付近は民家や商店も含め今日は水で溢れている。ケラー(地下室)は当然のこと、一階も水浸しだろう。生活している人々はたまったものではないだろうが、毎年に何度かは発生しているのかもしれない。ライン川くらいになると川が長くなかなか水位調節がしずらいということもあるのだろうか。こうなると間違えなく日本では治水工事の名の下で待ってましたとばかりコンクリート護岸とダム工事で川の姿を徹底的に変えてしまうところだろうが、不思議とこのような被害がありながらライン川の川岸はセメントで固められていない。川に対する考え方に違いがあるのだろうか。

心配をよそにフェリーはこの水位の下でもきちんと運航されていた。フェリー桟橋はスロープ状の道路がその角度を保って川の中に延びているだけだ。一方の船も同じ角度の船底になっており、船底が道路に密着するように接岸するとちょうどその上に伸びた車両甲板がスロープ上の道路に乗り上げるようになっている。これであれば多少の水位の変動には問題なく対応できるのだろう。波の低い河川を横断するだけならこれで充分というところか、大掛かりな接岸設備も不要で安上がりなフェリーといえる。ライン川にはこの手のフェリーによる対岸との交通が無数にある。自転車乗客の運賃は1ユーロ。市民の足として定着している。

さすがに川の流れが速いので車を満載したフェリーでもぐいぐい下流に流されていく。川は見事に泥色でこんな色のライン川を見る事は珍しい。船長も腕の見せ所、流されながらも頑張ってほぼ対面のLinzの街に無事接岸。一安心。

Linzの街はこのあたりではちょっとした観光地のようだ。ここにはドイツらしい木組みの家が残っているということで、今回のツーリングの中ではゆっくりと見ようと楽しみにしていたところでもある。まずは腹ごなし。フェリー乗り場裏のImbiss(軽食屋)でお決まりのヴルスト(ソーセージ)をブロート(パン)に挟んで食べる。これで2ユーロ。ここにポメス(フライドポテト)に山盛りのマヨ(マヨネーズ)をつけあわせて食べると完全なドイツ人の間食パターンであろう。そうそう最初にビールですね。今日はさすがにそこまでやると自転車での走行に支障をきたしそうなのでビールとポメスは遠慮する。ドイツのヴルストは肉感に溢れさすがにやはり旨い。これにカレー(といっても日本人の想像するものとは違いカレー粉の入ったケチャップベースのソースといったほうが近い)を乗せたカレーヴルストも非常にポピュラー。これもなかなか美味で、この手のドイツのB級グルメはなかなか楽しい。

(木組みの街並みが愛らしい。Linzの町)

Linzの街はやや坂があり、なるほど小さな街だが通りに沿って木組みの家が続く。日本人の思い浮かべるヨーロッパらしい街並み、いかにもドイツらしい家並がここにあり、嬉しくなってしまう。集落の中心には広場があり今日の好天もあってかレストランは一斉にテーブルを野外に出して客で溢れている。まだ3月も初めにもかかわらず客の中には半袖にサングラスもいるほどで皆少しでも全身で太陽の光を浴びようとしているようだ。暗く長い冬があってこその太陽のこのありがたさ。冬のドイツでは昼間と呼べるのは朝9時から夕は3時半過ぎまで、それもどんよりとして緞帳のようなカーテンにつつまれた頼りない明るさ・・・そんな冬を過ごしてきたドイツ人の太陽に対する渇望の度合いは自分たち日本人にはちょっと想像できない。弾けるように全身で太陽を浴びようとする。

確かに今日は妙に暖かい。自分も中の服を一枚脱ぐ。Rinzの街は好ましいがさすがに規模は小さく自転車では15分もあれば回りきってしまった。満足して、さぁ、ボンを目指そう。しばらく車道に沿って走るとじきにレマ-ゲン鉄橋の東側の橋桁跡に出た。長く憧れていた第二次世界大戦の戦跡を前回のツーリングと併せじっくりと見る事が出来た。戦跡公園になっている西岸に比べ東岸の橋桁跡は風化に任せるまま、特に誰も注意を払う事もなく通り過ぎていくようだ。地元民以外、ここがどういう場所だったかももう誰も知らないのかもしれない。もっとも敗戦に至る一里塚ゆえドイツ人には興味のないポイントかもしれない。

川沿いのこの道は幹線道で交通量の多い道だが路肩も広いので余り車のプレッシャーを感じる事もなく走る事が出来る。ギアをトップにするが、前44−後11のギアでは自分には荷が重いようでこれを一定の速度でずっと漕いでいく事は辛い。ロードバイクに乗ったドイツ人のサイクリストはもっと重いギアでぐいぐい漕いでいくが、自分の貧脚がうらめしくもなる。

Unkelの街に入るところでのんびりとした道を求めて街の中へハンドルを向けた。街は小さいがここにも木組みの家並みがあり、Linzに比べ観光地化していない分地味だが生活感もある。野外カフェで「ビールをつまみに日光を楽しむ人たち」を横目に走るとすぐに家並みを抜け出た。ここからは豊かな緑の下サイクリングに相応しい細い道が伸びていた。ゆっくりと漕いで行く。このような風景の展開がサイクリングの最も楽しいところだろう。

今日は好天ということもあり川沿いの道は人であふれていた。ジョガー。水ボトルを手にして颯爽と走っていく。彼らは一応に引き締まっており無駄がない。ドイツ人らしいストイックさをまさに具現化するかの如くいささかの苦しさも表すこともなく真っ直ぐに走り去る。ローラーコースター。これは何も若い人ばかりではなく自分と同年代、あるいはより高齢な人も楽しんでいる。ポールを手にしてのノルディックウォーク、これも多い。自分もライン川の森をノルディックウォークする事もあるが四肢を使っての歩行は気持ちの良いものだ。犬連れの散歩。これもドイツでは一般的で、幼犬のころから徹底的な教育をするせいかどの犬もリードなしでも吼える事もなく主人に寄り添うように大人しくついてくる。実際大型犬を従えて森の中を長い足でゆったりと散策するドイツ人はなかなか絵になる風景でもある。老夫婦の散策も多い。彼らは手をつないで、時には杖をつきながらも、小奇麗な格好でゆっくりとした歩調で散歩をしている。老いた夫婦が手を取り合って散歩をする姿はなかなか日本でお目にかかることもないだろう。微笑ましい。そして自分と同様の自転車乗りも多い。

彼らはいったい何処へ行こうとしているのだろう・・。なぜこのように野外をひたすら歩き、走るのだろう。実際自転車に乗っているとわかるがローラースケーターは何十キロも延々と走っている事が多い。ジョガーも同様。人里から遠く離れた森の中で散歩の老夫婦に出会う事も多い。若いカップルも森の中をゆったりと歩き、ベンチに座り語り合っている。あたかもこれが一番楽しいデートなのだとも言わんばかりに。

ドイツで生活してみて森や河といった自然の中で休日を過ごすドイツ人の多さに驚いた。休日は自分が一番落ち着く場所でゆったり過ごすのが一番で贅沢なのだろうが、ドイツ人にとってのそれは森であり自然なのだろうか。狩猟民族としてのDNAが色濃く彼らの中に残っているのかな、などども想像する。変にアウトドアと気負うこともなくただ森で過ごすだけ。贅沢さに対する価値観が確かに日本人とは違うようで、そんな素朴さが自分にはとても羨ましくもある。

Bad Honnefの街まで北上したらそこには単線で終端式のU-Bahn(地下鉄)の終点駅があった。Bonnの町からここまで伸びているのだろう。地下鉄とは言うがこのような郊外では専用軌道の地上線である。ましてやここは単線でのんびりとしたダイヤが伺われる。ライン川に沿ってサイクリング道、U-Bahn、一般道、DB(ドイツ鉄道)がずらりとならぶ。川沿いの道は人用と自転車用にきちんと標識と白線が引かれ区別され、場合によっては色分けもされている。規則を守りお互いにそれぞれの領域には踏み込んでくることは余りない。間違って走行しようものなら注意もされかねない。ここまでくると気も重いがそれでもルールがしっかりしている分お互いの安全性も高いわけだ。

ライン川の増水はこのあたりでもひどく、時折一番川岸に近いサイクリング道は水没している。もうすっかり街が近いのか散歩する人たちは更に増えたようだ。川の水と人を避けながらサイクリングするのが辛くなってきた。KONINGSWINTERを過ぎて更に進むと前方右手にボンの町が近づいてきた。Konrad-Adenauer橋と名づけられた大きな橋でライン川を渡り左岸に戻る。Konrad Adenauer橋とはドイツの戦後復興に寄与したコンラード・アデナウアー首相からとったのだろう。アデナウアー首相は確かこの付近で没したと記憶する。テオドール・ホイス橋というのも我が町デュッセルドルフをはじめ時々目にかかるが、ドイツの橋や地名には著名政治家を名に冠することが多いのかもしれない。

(ボン中央駅迄あと少し) (小さなボン中央駅)

公園を抜けて市街地を中心部の方向に適当に走っていくと近代的な建物の並ぶ一角に出た。それを抜けてしばらく走るとDBの線路に当たった。あとはこれを北上すればボンの中央駅だろう。今日はここまで50kmも走っておらずまだまだ走れるところだが、もう3月で日に日に日没が遅くなっているとはいえもう17時が近い。切り上げ時だろう。

ボン中央駅の前は桜が咲いていた。日本で見慣れたソメイヨシノの白い花ではなくピンク色の花だが、ライン川の増水、うららかな陽気と多くの人出、そして桜。もうすっかり春が近いことを感じさせてくれた一日だった。

ボン中央駅はこれがかつての西ドイツの首都だったのか、と思わせるほど小さな駅で、およそ名のあるドイツの街のDBの駅はどれも立派だが、これではローカル線なみだろう。もっともドイツ随一の優等列車であるICEが真正面のホームに停車しているのだからやはりここはボンなのだろう。ホームのパネル式掲示板に現れている列車名は今の時刻とはかけ離れたものを示していた。小さなホームに鈴なりの人々。列車は全般的に遅れているようだった。

人ごみのホームにて自分と同じ年代と思われる日本人家族を見かけた。日本人の、それも家族であれば彼らもデュッセルドルフ行きだろう。遅れた電車の掲示板を見ながら不安そうな彼らに話しかけてみると果たしてそのとおりだった。春休みを利用して家族旅行で日本から来ているとの事、デュッセルドルフにはかつて仕事で駐在していたとのことで、そこで生まれた息子さんに街を見せたくて、また親自身も懐かしくて12年ぶりのドイツ訪問となったとのことだった。彼らに問われるままに最近のデュッセルドルフ事情などを話すが、彼らは久々のドイツが懐かしく楽しくて仕方ないようであった。くだんの息子さんも無言ながらも明るい表情で会話に参加しており、あぁ家族で良い旅行をしているな、という空気が感じられた。息子さんは自分の娘とほぼ同じ年代だ。そろそろ多感で親に対して距離を置き始める時期でもあるというのに、自分たちのルーツを辿る、という家族旅行は家族の絆を深めるのにも良いのかもしれない。まだまだ子供っぽい素直さの中に事あるごとに親への批判や反抗の色を見せ始めた我が娘の事を考える。自分がそうであったように子供が成長するのには色々な段階を経るものだろうが、彼らを独り立ちさせるには自分たち自身の意識も変わっていかなくてはならない。束縛、監督の時代から如何にうまく自立させられるのか。改めて考えてみると子供が自分の手元から去っていくような気がして少しでも気を惹こうとなにかとちょっかいを出すのは他ならぬ自分自身だ。親自身の意識が変わらなくては子供を育てていく事は難しいのだろう。今の自分にそれが出来るものか。子を持つ親となってもう長いというのにまだまだわからない事だらけでもある・・・。

列車は程なくしてやってきた。いつものとおり自転車指定車両に乗り込む。デュッセルドルフまでは小一時間、傾いた西日が差し込む車内は暖かい。デュッセルドルフ駅でくだんの家族連れと軽く会釈をして家路に着いた。自分もあと1ヶ月後には仕事の都合で1年半の滞在を終えてここデュッセルドルフを離れ隣国・フランスへの転勤が決まっている。いつの日かこうして自分たち家族もまたこうしてデュッセルドルフを再び訪れる日が来るものだろうか・・・。そんな事を考えながら見慣れた夕暮れの街の中へペダルを踏み進んだ。

ライン川を見ながら走ったにも関わらず、その風景の向こうに何かもっと色々なものを見たような気がする。暖かな春のツーリングであった。


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