KoblenzからRemagenへ  ライン川を巡るサイクルツーリング (2007/2/1)


新調したツーリング自転車「Rhein(ライン)号」による初ツーリングは最初からライン川の街Koblenz(コブレンツ)からRemagen(レマーゲン)まで走ろう、と決めていた。そもそもライン号という命名は自宅の裏手を流れる欧州随一の大河、その河原の森は自分の愛すべき散歩コースでもある川、またドイツ人にとっての「父なる川」、そんなライン川に敬意を表しての命名である。このドイツ生まれのツーリング車による初ツーリングは当然ライン川に沿うものだろう。

Koblenzはローマ帝国からの歴史を持つ古い街であるが、ライン川とモーゼル川が分岐する街で、その大河の分岐点を見てみたいという思いが以前からあった。またRemagenは第二次世界大戦での米独の古戦場でもあり、ライン川にかかる橋をことごとく爆破し自国へ進撃する米軍を食い止めようとしていた独軍が唯一爆破し損ねた橋で、そこを米軍が奪取してとうとうライン川東岸になだれこんだ、という、その橋梁跡が残る街。小学生の頃ミリタリーかぶれだった自分にはその頃から頭に焼きついた地名であり、是非一度行って見たい場所でもあった。この両町をライン川に沿って走る、距離は50-60kmといったところだろうか。日帰りには持って来いの距離だろう。

* * * *

(Koblenz Hbfにて。石畳は雰囲気は
良いが実は細いタイヤには走りづらい)

毎度の事ながら”ドイツ鉄道”(DB = Die Bahn)による旅は心が躍る。野暮ったいけど機能的な車両、馴れると判りやすいダイヤ表示、ペンデルツーク運用(制御客車を先頭とし機関車を後部に連結し機関車に後押しさせる列車)などの魅力的な列車運用などに「鉄ちゃん」の血が騒ぐ。DBの赤白のロゴすらも誇りに溢れカッコいい。ダイヤによるとこれから乗ろうとするデュッセルドルフ10:58発コブレンツ行きRE列車(RE=Regional Epress)には「Rhein Express」という特別な愛称がついているようだ。愛称までついているとは・・・、特別な車両を期待したが入線してきた来たのは146系電気機関車を後ろに従えたペンデルツーク運用のお馴染みの二階建て客車列車。REなので当然だろう。興ざめだがこれなら専用の自転車収容スペースがついている車両なので自転車旅には持って来いだ。

REは快速列車というだけあって通勤列車のS-Bahnとは違い主要停車駅のみに停まって行く。日本の首都圏で言えば東海道線を走る快速ラピッド号、といったらピンとくる。駅間では120-140Km位で飛ばすのでなかなか快速だ。自分と同じくデュッセルドルフから自転車持ち込みで同乗してきた隣に座った女の子は学生なのか、座るや否やレポート用紙を広げ数色のペンを用いて細かいノートづけをし始めた。化粧っけがなく清潔な感じの漂う娘さんだ。30分でライン川を大きな鉄橋で渡り大聖堂を右手に見上げる。ケルン。いつみても誇るこの威容はまさに見上げるという名に相応しい。そこから30分弱でボン。旧西ドイツ時代は首都だったこの街も駅自体は全く小さくこじんまりとしている。学生の多い町なので車両内の若者が殆ど降りてしまった。隣に座っていた学生らしい女性も降りていくと車内はいきなり閑散とする。

ボンを抜けしばらく走ると進行方向左手からライン川が近づいてきた。貨物船の行きかうとうとうたる大河は下流の自分の住む町・デュッセルドルフ付近にくらべても川幅・水量ともにいささかの変わりもない。ライン川南岸を「Rhein Express」は快走する。今回のツーリングの目的地・終点であるRemagenに停車。あと数時間後にはツーリングを終えてこの駅に戻ってくるはずだ。ここからしばらくは川が急速に山肌が背後から近づき、ライン川南岸は幹線道路(9号線)と鉄道路線だけのせっぱつまった地形となった。予定ではここをも自転車で南下する予定なのだが自動車専用道のような9号線を自転車で走れるのだろうか。締め出しになるのではないか、と不安が募る。走っていっていきなり自転車通行止めになるような事はないだろうが・・。

不安をよそに喉のように窮屈な地形をぬけるとAndernach停車。車窓から望むこの街は中世の城壁が街をぐるりと囲んでおりその内側に旧市街が広がっているようだった。ここからは再びライン川沿いに広がった地形上を走りぬけモーゼル川の鉄橋を渡った。Koblenz到着12:42。

Koblenz Hbf (コブレンツ中央駅)は石造りの重厚な駅舎でドイツの地方都市にあるどのDBの駅とも変わらぬものだった。街そのものは大きくない。コブレンツの街は今から20年近く前に出張の機会を使って週末にライン川観光をしたことがあり、その際に訪れた、という記憶があるのだがそれ自体も曖昧としている。当然ながら初めての街という感じだ。トラムが走っていないので自分としては不満だがこの街の規模ならしかたないかもしれない。まずはライン川・モーゼル川分岐点へ行かなくては。石畳の市内を抜けて川岸まで行くとそこはライン川観光船の船着場になっている。ただ2月の平日ということもありひと気はなく閑散さが却って寒々しくもある。

石畳に沿って走る。石畳は雰囲気は良いのだが700Cx28のタイヤにはやや辛い。振動がダイレクトに伝わってくるのだ。ツーリング車である「ライン号」のフレームは当然振動吸収性を視野に入れたクロモリ鋼ではあるが、それでもさすがに手足がブルブルしてくる。これとは別に所有している15年前の古いMTBもクロモリ鋼のフレームだがあれはタイヤが太い事もあり石畳のドイツの道を走ってもそれほど振動を感じなかった。細いタイヤの軽快性と悪路での快適性は相容れない。「ライン号」のタイヤももう少し走りこんでみてその太さを見直す事も必要かもしれない。

川岸を南下すると公園となりそこに待ち望んでいたライン川とモーゼル川の分岐点があった。Deutches Eck - ドイツの角、と名づけられた場所だ。思ったよりも広く、ほぼ直角に近く川が分岐していた。ここから544km上流のフランスが水源地でもあるモーゼル川はルクセンブルグの国境を経てモーゼルワインの産地を流れてこのコブレンツでライン川に合流する。支流とはいえそんな大河の分岐はやはりダイナミックな光景だった。大河の交わるこの地のこの風景に長く憧れていたのは何故だろう。どちらも数百キロ以上も上流の違う国に水源を持つ川という超然さが島国に住んでいた自分には想像もつかないものであった。一方豊かな水はそんな事もお構いなしにただ悠然と存在するのみ。そんな時間を越えた圧倒的なボリュームに自分は惹かれているのかもしれない。

目的地を見られた事に満足してさぁいよいよツーリング開始だ。広場に建つドイツ統一を果たしたというプロイセンの王、ウィルヘルム一世の騎馬像を背にしてペダルを踏んだ。

モーゼル川を渡る。橋梁から振り返ると近代的な観光船の奥にKoblenzの蒼然とした街並みが中世のドイツらしさを感じさせて静かに佇んでいた。豊かな水の香りと重厚な建物が落ち着いた感じを醸し出している、素敵な街だ。

ハンドルにつけたコンパスを見ながら市内を適当に走っていくといつしか倉庫や工場の並ぶ工業団地の中を走るようになった。このまま行くとライン川の土手に出るはずだがなかなかぶつからない。Koblenz周辺の地図は持っておらず、横着してそれを買うこともなくインターネットからダウンロードした地図を印刷したものだけを持ってきたのですこし覚束ない。廃線跡。引込み線。地図にならちゃんと出ているのだが。感を働かせ適当に曲がって進んでいくと袋小路となり小さなわき道にはいる。鉄道沿線まで戻ってしまった。どうも街から郊外に抜ける際は注意していないとすぐに場所がわからなくなってしまう。現在地がわからなくなってしまったので再びコンパスの針を見ながら東北東に闇雲に進んでいくが車道は必ずしもその通りに進んでくれないので苦労する。きちんとした地図を買っておくべきだった。

Blockに向かうライン川にかかる鉄道陸橋の下まで走りようやく現在位置がわかった。Urmitzの集落のはずれと言う事だ。随分と迂回・蛇行したものだ。その昔から自分の方向感覚は優れている、と内心では自信を持っていたのだがどうも最近は全くその限りではない。道迷いが命取りともなる山歩きでは読図に精力を傾ける必要があるがドイツに来てからは山歩きとも無縁。感覚は磨かないと鈍るものだ。そもそもこういった本能的な感覚は迷うおそれのない生活に浸っていると年齢とともに衰えていくスピードが速いのかもしれない。情けない話だ。

土手には期待通りにサイクリングロードの標識が出ていた。後はこれに従えばよい。右手に流れるライン川は川幅は100m以上はあるだろうか。日本のように護岸工事でコンクリートで固められていない川岸にはブッシュが茂り心地よい。コンテナを載せた船が船尾にフランスの国旗をはためかせながらゆっくりと遡上していく。現役バリバリの交通路でもある。「生きている川」と言えるだろう。

(Deutches Eck・ドイツの角 にて。左・モーゼル川。右・ライン川。
大河の交わるこの地は憧れの地でもあった。)
(モーゼル川の橋から眺める蒼然としたコブレンツの街)

印刷して地図ケースに挟んでいた地図のカバーしているエリアが終わったので入れ替えなくては。自転車を止め地図ケースに入れた地図を入れ替えていると土手の上から声がかかった。小さな赤ちゃんを連れた夫婦だった。

「*●△☆□◎?」
(なんだ?唯一しゃべれる台詞はこれだ・・・。)「Ich nicht sprechen Deutsch !」
「OKey、you need help ?」 
「No, I don't.」
「Good! Have a Good Journey !」
「Thanks !」

地図を見ていた自分に出た助け舟だった。しかしなんという親切さだろう。日本で道に迷っていても手助けのオファーなどありえない。しかもGood Jouneyなんて、そうか、しっかりこんなものでもしっかりJourney = 旅 なんだなぁ。妙に嬉しくなってしまう。よーし、頑張るぞ、と思わずペダリングに力が入る。

土手沿いの道は迷う心配がないものの欠点は風が強いということだ。今日はたまたま向かい風でペダルが随分と重く感じられる。サイクルメーターの表示も時速18-20Km程度。思ったよりもペースが遅い。手を伸ばしギアを軽くする。当初は心配していたダウンチューブに装着したWレバーのシフターも馴れてしまえば変速動作には問題がない。もちろん手元シフトの便利さには当然及ばないが自然に手を伸ばすとレバーに手が届くようになった。

自分は腰痛持ちで、同じような姿勢で座ったままだとすぐに腰が痛くなってくる。MTBでのラインディングがまさにそうで20分も乗っていると徐々に腰に不快感が溜まって来てそのうちライディング自体が苦痛となってくるのだが、Rhein号によるこのツーリング、もうすでに2時間以上乗りっぱなしだが全く腰に不快感が来ない。これがやはりドロップハンドルによる効果なのか・・・と実感する。もともとフラットバーのMTBでスポーツサイクルにエントリーした自分にはドロップバーが本格的すぎかつなんとなくダサく感じられていたこともあったのだが、ツーリング車にはドロップバーだ、と力説していた友人の言葉がようやく体と共に実感として味わえた。ドロップバーはハンドル上に握るポジションが何箇所も有りその度に腰の角度も変わる。かつ握り方も順手や逆手で握る事も出来、結果として腰から上体にかけての疲労が少ないのだろう。乗車姿勢に変化を出しづらいMTBやクロスバイクなどでは自分にはこうはいかなかっただろう。アドバイスに従って良い選択ができたと思う。

Andernachの街が近づくとサイクリングコースは一旦土手を離れ土砂置き場の脇を通り幹線路のほうへ迂回する。看板に気をつけていると自転車マークが書かれた看板が目に付くので迷うことはない。サイクルツーリストのための共通した案内掲示板が要所要所を押さえているのはさすがとしか言いようが無い。

行きの電車の車窓から見たAndernachの市街地は古い城壁に囲まれており好感を持ったが、しばらく走るとはたして目の前に城壁が立っていた。門扉こそ無いもののそれをくぐると期待通りの中世らしさを感じる旧市街が広がっていた。同じく城壁に囲まれた街・ニュルンベルクの小型版と言える。それこそ中世では城壁の周りにはなにもなく、門扉のない城門を経て場内に入れば街が待っている、そんな光景をまざまざと想像させられる造りだ。石畳の旧市街はさらりと通り抜けるだけにする。だらだらと家を出たこととKoblenzの街を抜けるのに思いのほか手間取ったためか時間が気になっていることもある。まだ全行程の半分も走っていない。

(Andernachは小さな城壁都市。
城門の奥に街が続いていた。)

Andernachの街の外れのガソリンスタンドで一本立てる。小腹が減ってきたのでクッキーとワッフルを買う。ここから地形は山肌が後ろから迫ってきて川までの余裕がなくなってきた。幹線道路の9号線はトンネルで山肌の中に潜っている。自転車道を求めて土手の森の中に降りしばらく走ると非舗装路の泥んこ道となった。自転車の轍はあるので走れるだろうが荒れた道だ。泥にタイヤを取られて進まなくなった。700x28CというMTBなどに比べてはずっと細いタイヤを履いているせいもあるだろう。自転車を降りて押し歩く。周りは木々が深く静かだ。幸いなことに泥濘区間は短く数百メートルで舗装路に出た。しばらく見失っていた自転車道を示す看板も整備されている。ほっと一息。

ここからは自転車道はしばし土手を離れる。鉄道を跨線橋で超えてNamedyの集落だ。通りには一応Hauptstrasseという名がついている。中央通り、とでも訳すべきか。もちろん典型的な田舎町で、なにもない。ひと気のない街の中を走るともう街を抜け出てしまい畑の中の一本道となった。森が左手から近づいてくる。子供をつれた親子がゆっくりと散歩をしている。ドイツ人はこんな自然の中をゆっくりと長い距離を散歩している。日本ではそんな時間の使い方はありえないだろう。時間の使い方、余暇のあり方に対しての価値観が日本人と異なっているという事は自分がドイツに来て最初に感じた事でもあった。

再び山肌が右手から近づいてきた。往路の車窓から見た幹線道路9号線と鉄道が併走する山と川に挟まれた咽の様な地形がここだ。自転車が追い出しを食らうかと思っていた心配をよそに自転車道の標識は続く。と90度に曲がり鉄道をくぐり線路の一段下、9号線との間にサイクリングロードが伸びていた。なるほど列車の窓からは見えなかっただけでサイクリング道はしっかりと続いていた。さすが自転車先進国。サイクリング路をないがしろにはしていない。

喉を抜けたBad Breisigの街はちょっとした商店街になっており土産物屋も軒を並べている。のんびりとわき道に入ってみたいがもう16時が近く日が沈むまでにあと1時間を切っている。時間に追われペダルを止めることなく走り抜ける。たんたんと漕いでいく。今日の目的地、Remagenまではあと10Kmもないだろう、ようやく日暮れ前までに目的地に到着するだろうという目処が立った。しかしぎりぎりなのでライン川に沿わず最短路で行こう。

Sinzigの街までやってきた。先ほど同様地図ケースの地図を新しいものに入れ替えていると今度は自転車に乗った自分と同じくらいの年齢の女性が話しかけてきた。

例によって「Ich nicht sprechen Deutsch !」と返すと彼女も英語で話しかけてきた。
「何処に行くの?」
「レマーゲンまで・・・。今は此処ですよね。」
「そう、レマーゲンまではこのまままっすぐ行くよりもライン川に沿った方が道が良いよ。」
(本当は時間的にはまっすぐ行きたいんだけど・・・)
「ライン川に出るにはちょっと複雑だから道案内してあげましょう」
「いや、わかるからいいですよ」
「大丈夫、私はまだ時間があるから、先導してあげましょう」

そういうとやおら先に立って自転車を漕ぎ始めた。英語は余り得意ではないが、と前置きして彼女はいろいろ併走しながら話してくれる。彼女はこのSinzigの街に住み休日は夫婦でライン川のサイクリングを楽しんでいるという。一番良くいくのはケルンでここからだと日帰りには丁度良い距離との事、またKoblenzも適当な距離なのでよく行くそうで街が美しいので気に入っているとの事だった。またこの川に沿って随所で現れる自転車マークの看板だが、この統一された自転車道標識はライン川に沿ってスイスからずっと整備されているとの事で、けれどボンから下流は突然整備が途絶えている、との事であった。自分の住むデュッセルドルフはボンの下流地区だが確かにこの統一標識は見たことがなかった。

ライン川の土手までくると標識と愛車とともに写真を一枚とってくれて彼女は再び街へ戻っていった。先のドイツ人と同じく、同じ自転車乗りだからかもしれないがなかなか親切なものだ。道に困っている人がいてもこうまで親切に対応してくれることが日本ではあっただろうか。

ライン川沿いのサイクリング道はよく整備されて走りやすい。ライン川の対岸、Linz Am Rhein に渡るフェリー乗り場を過ぎると果たして目指すレマーゲンの橋頭堡跡は近い。写真で今まで何度も見てきたライン川対岸の岸壁が近づいてきたと思ったら黒ずんだ橋梁跡に出た。1945年3月、ここでライン川に唯一残った橋・通称レマーゲン鉄橋、正式にはルーテンドルフ鉄道橋、をめぐって米軍と独軍が攻防を繰り広げたのだ。物量に勝る米軍は結局難なく橋を奪取してドイツ本土への連合軍進出となった、そんな歴史のターニングポイントでもある地ではあるが、激戦から62年の年月を経た今日には周りには民家も立ち、肝心の橋頭堡も記念公園にはなっているが草が茂りのどかなものだ。唯一橋頭堡のてっぺんにはためくドイツとアメリカの国旗がかつての戦場跡であったことを物語っている。今日のドイツ人はどう写るのだろうか。古びた石造りの橋頭堡の裏手には一般の住宅が建っており、まったくののどかで何処にでもあるドイツの田舎町風情が漂っていた。

長きの憧れの戦場跡に触れることができて今日のツーリングの目的も達せられた。猫の額のように小さな街を走りレマーゲン駅に到着。午後17:10。休憩を含み4時間ちょっとのツーリングだった。

デュッセルドルフに戻る次の列車は今から40分後。駅の売店でビールを買い飲み干すがなかなか気持ちが良かった。

心配していた腰痛とも結局無縁のままでツーリングを終えることができたことは嬉しかった。一方で思ったよりも強い向かい風に終始対面したせいか足が疲れ、後半ふくらはぎがつりそうになったのも事実であり反省材料だろう。日本では毎月続けていた山歩きとももはや遠ざかり、通勤には自動車を使う日々。足腰の衰えは加齢だけではないだろう。まあそれでもなかなか充実していたツーリングだったと言える。

ゆったりとして豊かな水の流れ。河に沿ってゆっくりと走った走行距離70Km の旅。”悠々と、遥かなる大河・ライン。”そんな言葉を口にしながら我が愛車「Rhein号」とともに素晴らしい日帰りツーリングを終えるのであった。

(ライン川には自転車道
標識が完備されている。)
(屋根のついた古風な木橋が掛かっていた) (レマーゲン鉄橋東側の
橋桁を遠望する)
(西岸の橋桁は記念公園
になっていた。)

(終わり)


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