高松山にて

 (神奈川県厚木市、1999/10/31)


10月も最後の週に入ると月初の頃とは違いようやく空気も透明感を増してきて季節が秋に向かった事がはっきりしてくる。今月は暑かったり涼しかったりと寒暖の差が数日毎に現れて、情けない話だが体がその変化についていかず、すっかり風邪ぎみで数週間を過ごしてしまった。無論その間は山に行く事も出来ずにいたづらに何回かの週末を過ごしてしまった。10月は本来なら山を楽しむのにはもってこいの月なのだが・・。ようやく少し体調が戻ってきたように思えばもう11月の声が聞こえる。なにか大きく取り残された気持ちが心の中に大きい。焦っても、悔やんでも仕方がないのだが・・。

さて例年この季節には「柿もぎ」をダシにして家族を野外に連れ出しては手近な丘に皆で登ってアマチュア無線運用を楽しんだり(楽しませてもらったり)、どんぐりを拾ったり、あっ、それからもちろん柿農園に行って柿をもいだりして一日を過ごしている。今年も気づけばもうそんな時期がやってきた。ついこの間厚木市の日向山を散策して柿もぎをしたと思っていたのだがそれはもう去年の秋の事である。野山散策と柿もぎは今年で三年目ということになる。

最近は「山ラン」(山岳移動ランキング)を少しは意識しているので、近郊の丘といっても一応2万5千分の1地形図にその山名表示がされている事が重要になる。そうでないピークでアマチュア無線を運用しても山ランのポイントにはならないからだ。毎年行っている柿農園は地元神奈川県・愛甲郡愛川町にあるのでその近場でまだ登っていないピークを探さなくては。もちろん家族で行ける手軽さがあることが最重要。あった、高松山。147m。厚木市だ。この標高・・、凡そ山とは名乗れまい。登頂時間は子供の足でも15分と読んだ。この夏になかば無理矢理だが浅間隠山までチャレンジした我が家族にしてみれば四人の誰もが思うに違いない。物足りない、と。それにこの山、実はすごく前から知っている。というのも学生時代に私の通っていた学校がこの山のすぐ裏にあったからだ。毎日、この山の下をくぐるトンネルを抜けて新造間もないキャンパスへ通ったのはもう17,8年近く前になる。1年の経過どころかこの調子だと20年の経過なんてあっという間だろう。だって今こうやって一緒に居る子供たちだってついこの前生まれたはずなのに・・。ため息が出てしまう・・。

(秋の山麓で過ごした一日)

懐かしの元・通学路を車で走る。流れ去る風景に明確な記憶がある。昔はここをバスで通い、そしてバイクで走った。あいつやこいつ、懐かしい仲間たちの顔が、声が、姿が、違和感なく思い出される。自分がそうであるように、皆もう腹の出たおっさんや、髪が薄くなりつつあるおっさんだろう・・。

桜並木の簡易舗装の急坂を詰めると小さな駐車スペースがあってそこから木の階段が雑木林の中に続いているのが見えた。車を停めて子供たちと手を取ってゆっくりと階段を上る。妻はどんぐりを拾いながらのんびりペース。子供たちは手を振りほどいて数歩走っては立ち止まり、アリの巣を見つけたといっては喜んでいる。おーい転ぶなよ、と言っても聞かずに滑りやすい坂道を登ったり下りたりしている。

雑木林の階段道を7、8分歩くと無粋なコンクリートの階段に変わり、すぐに山頂だった。もちろんこれでは山頂に来たという気はまったくしない。がそれでも展望は東方面にそれなりにあるようだ。反対側に目を向けると懐かしの学校の建物が雑木林ごしに立っている。正門とその奥にチャペルが見える・・。どこのガイドブックにものっていないようなこんな小さな丘なのだがそれでもハイカーがいるようで先客の中年女性が七沢温泉への道を聞いてくる。見れば小さなパンフレットを手にしている。大方厚木市か小田急あたりが発行しているのだろう。わざわざ電車・バスを乗り継いで来るところでもないように思うが、もちろん森林浴ウォークといった向きには良いだろう。

アマチュア無線・50MHZを運用する。いつもなら「XX山移動」とアナウンスするのだがさすがにこれでは言えまい。それでも逗子市に移動しているJG1OPH、箱根駒ケ岳から7M1XPRとローカル各局につながる。、JI1TLLが呼んできて話し込む。近くネパールへトレッキングに行くという。7局交信。次に電信でCQを出してみる。呼ばれたとしても相手のコールサインは取れるだろうか、不安である。一局からなら大丈夫だろうが重なってコールされたらどんなものか・・。ツートツート・ツーツートツー・・。誰も呼んでこない。又トライ。駄目だ。まぁいいだろう・・。内心少しほっとして電源を落して無線設備をザックにしまう。

妻と子供たちは少し離れたところで弁当を食べたり走り回ったりしている。それを見ながら大きく伸びをして仰向けになってみる。素肌に触れた地面からやや湿った冷やりとした土の感じが伝わる。雲が多く秋晴れとはいえない空だ。

そういえば17、8年前、このすぐ下のトンネルを抜けては学校へ通った日々、一体30歳も後半を迎えようとする自分と、その家族の姿なぞ想像出来ただろうか・・。はじめて親元を離れて一人で過ごしはじめたあの頃は、毎日の新鮮さと、仲間と居る事の楽しさ、それが全てだった。夜遅くまで友人の部屋になだれこみそのまま飲み明かす事もあった。昼夜逆転のような日々でありながらも毎日がそれとなく過ぎていった。何をするでもない、目的意識もない、そんなノンポリ学生の教科書のような生活ではあったが、それなりに将来のことや自分はかくあるべきだろうか、といったことにも思いを馳せたかもしれない。そして心の片隅にはまだ見ぬ素敵な女性への憧れ、そしていつかはそんな素晴らしい彼女と結婚するのだろう・・そんな漠然としたものへの想い・・。

そんな事を考えていた昔の私と、今こうして妻とともにウルサイ子供たち2人と歩く私。その両者が同一なのか違うのか・・。それにだいたいここにいるコワイ重鎮のような女性(!)が果たしてまだ見ぬ素敵な人だったというのかどうか・・。それらは決して分らないけど、でも多分そうなのだろう・・。とにかくはっきりしている事は月日が経ったという事、それにこれからもどんどん経っていくという事なのだ。

こうして野山に連れ出してもそれは自分の楽しみを半ば押し付けていることになるのかもしれない。いつまでこんな自分勝手なわがままが家族に通じるものだろう・・。それはよくわかっているがまあもう少し甘えさせてもらおうか。いづれは父親と一緒に出かけるなんてダサくて嫌だ、と娘たちに言われる時がくるのだろうから・・。

さあ頑張ろうぜ・・。何をどう頑張るのか、よくわからなかったが妙に力が湧いてくる。「おーい、柿もぎに行こうぜー」立ち上がって妻と子供たちの方へ向かった。伸ばした手の先にぎゅっと握った娘の手のひらの暖かい体温を感じながら、もう三年近く顔を見ていない学生時代の仲間たちと久々に会おうか、などと考えた。皆どのくらい髪が薄くなったか、腹が出たか、皺が増えたか、愉快な笑い声とともに楽しい一時を過ごしたい・・。それはあっというまに過ぎ去ったこの17,8年のギャップを一瞬にして埋め、平穏な毎日の中に隠れている素晴らしさを改めて実感させてくれるに違いない・・。

ハンドルを握り2,3分も走ると高松山のトンネルから出てくる懐かしの通学路に飛び出した。この道を左折してして十数分も走れば愛川町に着くことだろう。ここ数週間ずっと引きずっていた風邪もようやく直るような気がしていた。


(終り)

アマチュア無線運用の記録

高松山 (147m、神奈川県厚木市)

50MHzSSB運用、7局交信、最長距離:群馬県勢多郡    
設備:自作SSB/CWトランシーバ(出力4w)+釣竿デルタループアンテナ

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