残雪の奥秩父を歩いて−金峰山 

 (1998/5/2,3、長野県南佐久郡、山梨県甲府市)


五月の連休の山は奥秩父のピークから50メガで、それも自作の1Wトランシーバで思う存分運用する、という痛快な構想が頭の中をよぎっていた。奥秩父といっても雲取山から雁坂あたりではなく最奥部の甲武信岳・金峰山あたりから出たかった。雲取山から甲武信岳までは歩いている。が金峰山はまだ登った事がなく登行欲にかれらる。国師・北奥千丈岳とからめれば奥秩父の最高峰を廻る事になり自分にはかなり満足の行く山行になるはずだった。又夏場と違い大弛峠を越える林道が雪でまだ通行止めのこの時期、金峰から出る無線局も少なかろう。春先の2500m峰からの50メガ無線運用はパイルアップ間違いなし。無線運用の成功も確約されたようなものだ。長野県側の廻り目平に車を置き金峰山から大弛小屋・国師、北奥千丈岳を回るのはどうだろう。

* * * *

ファミリーキャンパーで賑わう廻り目平キャンプ場をあとに西股沢沿いに歩く。明るく開放的な河原から前方には漆黒の森林が待ち受けている、その明暗の様はいよいよ奥秩父へ入るぞという緊張と期待を呼ぶ。森林の上部は濃白の霧で隠れている。天気予報ではここ数日で前線の通過を予想していたがどんなものか。
(深い森の中にミルク色のガスが
流れてきた)

中の沢と砂洗沢の分岐から沢沿いの本格的な登山道になりいよいよ樹林帯だ。昼なお暗い森林帯にやがてガスが漂い始めなんともいえない濃密な空気に包まれていく。風が強く吹き始め同時に雨つぶてがぱらぱら吹き付けてきた。日程的に選択肢がなかったとはいえやはり良くない天気の中を承知で出てきたのが良くなかったのだろうか。標高2100メートルあたりから行く手に残雪が現れはじめた。風はやがて猛烈なものとなる。森が風にどよめく。この濃い樹林の中ですらこの風なのだ。稜線に上がればどうなるのだろう。残雪は緩くときどきズボッと踏み抜く。注意深く足をすすめながらも黙々と進む。風が唸りつぶてが叩き付ける。折角来たのにこんな天気とは。これでは金峰の山頂での無線運用どころか今日は金峰山小屋で停滞とすべきだろうか。暗澹たる気持ちが漂う。

わずかな急登の後は緩い登りがかなり続く。まだら模様だった積雪もしっかりとしたものに変わってくる。樹林帯の合間から金峰山小屋が見えようやくほっとした。小屋は閑散としていたがこういう天候では要塞のようで安心出来る。缶ジュースやポットに入った暖かいお茶を無料で飲ませてくれる。確かこの小屋は交通事故で急逝した小屋の主人、その息子と娘が遺志を継いでやっている小屋と聞く。そのくだんの娘さんだろうか、若い女性の小屋番が屈託なく話し掛けてくる。窓の外は強風で荒れ放題だしこんな小屋で備え付けの蔵書などを読みながらのんびりと一泊するのも悪くない、と迷うがまだ12時だ。天候は明日も悪そうだしなんとか今日のうちに山頂での無線運用をしなくてはいけない。自分に鞭うち小屋番に挨拶し小屋を出た。

森林が途絶えたここからは風で飛ばされているせいか雪もない。累々とした岩の中を登っていく。視界は5、6メートルといったところでガスから浮かび上がる岩の赤ペンキが頼りだ。しかし5月のこの時期に森林限界を超えた山に登っているとは、大丈夫だろうか、我ながらよくもこんな事をしているものだ・・。この風の中では無線運用は無理か・・、いやワイヤーダイポールならなんとかいけるだろう・・。

ようやく山頂に着くといきなり稜線の向こう、甲州側から猛烈な風。四方八方から吹かれる。まっすぐ立っていられない。山頂標識が揺れている。憧れの金峰の山頂にこんな形で会う事になるのはいかにも残念だ。

さてこんな中で無線運用は可能か、いややらなくては・・・。少し東側に進みようやく見つけた岩陰に隠れ非常用ワイヤーダイポールをハイマツの上に絡ませて置いた。ハイマツが風に翻弄されダイポールのビニル線を雨滴が伝う。自作トランシーバーからCQを出しても呼ばれず時間にも追い立てられ3局呼んでQRTとする。今まで散々交信し尽くしているローカル局のJK1RGAが三浦市の岩堂山から出ていたが取ってもらえない。アンテナの向きを替えたりしてみるがとうとうとって貰えず仕舞いだった。彼ならコールサインの一部でもコピーしてくれればすべて分かってもらえるという自信があったがやはり地表からの高さもほとんどなく雨風に翻弄されるアンテナではこんなものだろうか。もう少し良くてもいいはずだ。奥秩父奥部からのQRV・尽きぬパイルアップのはずがとんでもない。物事は必ずしも思うようには行かない・・。

なにか大きな敗北感に包まれ無線道具一式を収納する。こんなものただの無用の長物、重しでしかない・・。無線運用にこだわらなければもっと軽い荷物で柔軟なスケジュールをこなせるはずだろう。又無線にしても50メガではなく他のバンドにすれば装備も軽くなるだろうが・・でも出来るだけ50にこだわっていたい。

この天気では早く出発しなければ。ここからは只でさえ薄暗い樹林帯の中のコースこの天候で余計暗くなるのはいやだ。せきたてられたように歩き出す。しばらく行くと樹林帯に入り残雪は約5、60センチ。ふと金峰の山頂で無線運用だけに頭をとられて五丈岩すら見なかった自分に気がついた。大きな忘れ物! 何という事だろう怒りすらわいてくる。無線も山もうまくいかない・・。なんたるざま。何しに重いザックを担いで来たのだろう・・。
(樹林帯に入ると再び残雪の世界となった)

樹林帯の中はまだ雪の世界だ。唸る風に森林が踊り地が揺れる。薄暗い中トレースを辿り歩く。風に飛ばされて来る霧の白い粒子と残雪でコースは時折判然としない。雪は柔らかくザックザックと踵から雪面に足を踏み入れる。が時折ツルツルに凍ったバーンも出現し要注意だ。ため息をつくとゴアのカッパのフードが風にはためき飛ばされた。

強く、弱く大型の生き物の息吹のように吹く風。誰か居ないものか・・。この樹林帯は不安を呼ぶ。独り歩きは気楽さを満喫する気分と不安と寂しさに追い立てられる気分が交互に訪れる。しばらく歩くと前方に大型のザックを背負った単独行に追いついた。ブルーのザックカバーがはためいている。ほっとして「こんにちは」と声をかけるが彼は返事を返すとも頷くとも分らぬほど口を動かしただけだった。こんな中もっと大きな声を出してくれればお互いに安心するのでは、とも思う。スパッツを直している彼を追い抜く。雪は相変らずで時折足が潜ってしまう。樹林の下りで凍結箇所が連続し見事にバーンに足を取られ尻餅をつく。

短いガレに取り付いた。雪はない。風の唸りが何かの唄のようにも聞こえる。どうやらあの上が朝日岳らしい。さっきから腹が減ったのか足が思うように出て行かないのに気づいていた。ザックを担いで歩いていると思いのほかに空腹に襲われる。そこで握り飯でもほおばれば効果てきめんだろうが今は食料はあいにくザックの中だ。止まってザックを開ける行為がなぜかもどかしく、ダラダラとガレを登りきった。朝日岳だった。

ああ結構長いなぁ。この風と心細さ、まだ続くのだろうか・・。

もう16時も近くなり風と霧の森林はますます鬱蒼としてくる。一休みしていると先程の単独行が追い越していった。無言だ。奥秩父の、この暗い森林は人の心も暗くさせるのだろうか・・。何かに追われるように雪に足を踏み入れ彼の足跡を追う。踏み跡がほの暗い雪原に乱れている箇所がある。目を凝らすが自分の前には踏み跡があるのかよく分からない。この道で良いのだろうか?心臓がドクドクなる。こんな森で道を失ったら大変だろう・・、いやこの道は尾根の上を真っ直ぐに進んでいる、稜線を忠実にたどればいいはずだ。折れた木々を跨ぎ枝をくぐれば再び踏み跡がありほっとする。

ようやく前方が開け大弛峠に着いたのが分かると緊張が解けた。大弛小屋の扉を開ける。とても長く感じられたこの2時間だった・・。  

* * * *

(やっと着いた・・大弛小屋)

小屋は土間の廊下の左右に長細い擦り切れた絨毯張りの板間。同宿は10人程度。あまり暖かくない薪ストーブ。小屋には人工衛星を利用した公衆電話が設置されている。室内は薄暗いがじきに目が慣れた。自炊組は私のほかに中年夫婦一組。彼らは明日は雁坂小屋、明後日は雲取まで歩くという。この連休を利用しての増富からの奥秩父全山縦走。私が明日は国師一帯を巡った後は廻目平へ下山するだけである旨言うと、彼らはこんな休みにそんな短コースはもったいない、といった驚きの顔となった。小屋のストーブはずらりと濡れた雨具や靴が取り囲む。先程の夫婦ともう一組の夫婦が火を囲み話し合っている。どちらも山歴が長いらしく、どこどこの岩場では・・、冬の北アルプスでは・・、若い頃のカモシカ山行・・、そんな経験談に花が咲いている。まだ冬の名残を残すこの時期の奥秩父は経験の豊富な者だけの世界なのだろうか・・。山歴の浅い自分はとても横に座るのが居辛く思われ、シュラフに戻りジッパーをしめた。隙間風が感じられ天井を叩く雨音は一層大きくなった。自分が来たのは間違えだったのだろうか・・・、でものんびりと山を歩いてもいいだろう。自分は奥秩父の森を楽しみ 、雪の尾根道を味わい、憧れの峰々で無線をしたかった。山の楽しみかたは人それぞれのはずだし、自分は明日ぐるっと周って下山すればよいのだ・・。

眠りは決して深くなく時折目が覚める。小屋の屋根と窓を叩く雨音は大きい。ヒュルヒュルと風が回っているようだった。これでは明朝も好天は期待出来まい。4時半に完全に目が覚め、シュラフにもぐったままイヤフォンをしてラジオを聞いてみる。大阪の放送局が強く入る。長距離トラック対象の深夜放送。NHKは宗教談話。ようやく見つけた天気予報だと関東地方をまさに今日前線が通過するらしい。この時点で今日の予定を変更することに決定。雨の中では無線運用も出来ないので国師岳・北奥千丈岳は諦め、今日はこのまままっすぐ林道歩きで廻り目平に下りよう。

周りの人々は三々五々起床し準備を始める。ヘッドランプの光が行き交う。雁坂小屋へ、甲武信小屋へ、目的のしっかりした人たちの行動はテキパキとしている。今日は下りるだけで時間の制約の無い私は全く気合が入らない。小屋番が朝食を告げ、皆今日の行程は長いんだから早めに出なさいよ、と呼びかける。しかし外は雨も風も唸りとても行動にふさわしい天気にも思えない。皆今日一日悪天候なのは分かっているはずなのに準備に余念が無い。ふと山ってこれでいいのだろうか・・、という思いが浮ぶ。もちろん限られたスケジュールで皆来ているのだから予定通りこなしたいだろう。もっともこの季節の奥秩父の登山者は皆エキスパートのようだから問題無いのだろうか・・?停滞するほどの困難はもはや待ち受けていないのかもしれない。単に私はまっすぐ下山するという今日の行動の決定を正当化するためのみの悪天候をかさにきているのだろうか・・?

良く分らない。が、なにやら取残された気分になり追われるように朝飯を作り小屋を出た。最後の宿泊客を見送る小屋。カッパのフードが風に揺れリズミカルに雨粒に打たれる。自分はもしかしたら山は余り好きでないのかもしれない。無線が出来ないというだけで一時間で行けるピークを諦めるのだから。

何しにここへきたんだろう・・、いやただ数時間予定を早めて下りるだけだ・・、そんな自問自答をしながら振切るように峠を後にした。長野県側に下りる林道はまだ雪が深く残っておりザックザックと踏み歩く。林道の端っこは雪解け水が雨と交じり勢い良く流れていく。ゴアのカッパに着いた水滴がツツーと流れ落ちた。

しばらくは視界のきかない雨雲の中を歩いている感じだったがじきに雲が晴れ小雨となる。いつしか足元の雪はなくなっていた。雲を抜け高度はだいぶ下がったようだ。振り返ると深い森に霧雲がかかり煙っている。なんという息吹を感じさせる風景だろう。森は緑と黒の混じった渋い色調でそこにミルク色の霧が混じる。霧はゆっくりと動きながら、霧の流れ去った奥には更に黒い木々が現れてくる。自分の歩いている林道は深い傷痕を山肌に残しはしているものの目を転じればまだまだ森は深い。グレイトフォレスト、そんな言葉が口に漏れた。

じきにオフロードバイク、四駆などにすれ違うようになる。下界は近いのだろう。大弛小屋で同宿したパーティは今ごろ長い主脈縦走路を歩いているのだろうか。雨はどんなものか・・。自分は思っていた事の全てを今回やる事が出来なかったけど、また機会はいつでもあるに違いない。何よりも奥秩父の残雪を歩き、森を感じたのだからそれでいいのではないか。今後も自分は自分の興味のおもむくまま、自分のレベルに合った山を焦らずに歩いていけばいいのではないだろうか・・。

頭の中には早くも次の奥秩父山行計画がいくつか浮び上がる。今度こそ無線運用を成功させ山歩きもより満足してみたい・・。一旦晴れたように思えた雨雲は再び濃くなり見上げる黒い森はますます暗い色調に変っていく。再び落ちはじめた雨粒を感じながらザックを背負い直す。もう廻り目平は目と鼻の距離のはずだった。

(終り)

(コース:廻り目平8:10−金峰山小屋11:55/12:40−金峰山・アマチュア無線運用13:00/14:10−朝日岳15:15/15:20−大弛小屋・泊16:25/6:50−廻り目平9:45、金峰山標高2599m)

(本記事は山岳移動通信「山と無線」31号へ投稿したものを転載しました。)

アマチュア無線運用の記録

金峰山

長野県南佐久郡川上村、2599m
1998/5/2移動 移動者:7M3LKF
自作SSBトランシーバ(1W)
ワイヤーダイポール
3局交信 (50MHzSSB)
最長距離交信: 群馬県勢多郡 JE2OBD/1
森林限界を超えた山頂なので立ち木等はなくいつも風が強い山頂と聞く。移動時は霧雨と猛烈な風の中で非常用ワイヤーダイポールでの運用となり、とても不本意な結果に終ってしまった。

次回こそゲインのあるアンテナでトライしてみたい。

(写真撮影中もじっと立っているのが辛いほど強い風に見舞われた山頂。)

Copyright : 7M3LKF, 1998/8/6


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