霧ケ峰・車山 

(1997/9/20、21、長野県諏訪市)


家族旅行で霧ケ峰へ。強清水で高原散策。長女が走り回る中二女をおんぶして歩く。4歳の長女と生後4ヶ月の二女。私達もいつのまにか2人の子持となった。妻と歩きながらそんな事を実感する。

まだ九月だというのに1500メートルの高原はすでに晩秋の趣。人気のまばらな観光地は少し寂しい。閑散とした土産物屋でとうもろこしなどを食べる。広々とした高原を冷涼な風が渡り追われるように車に戻る。宿とした美女平の貸別荘は朝晩ともによく冷え、ストーブの厄介となった。生後4ヶ月の娘も特に風邪を引くこともなく安心する。

翌日はスキーリフト利用で車山へ。リフトを降りるともはや車山の山頂だ。ガスっていたが一瞬晴れると眼下の諏訪盆地が大パノラマだった。深田久弥著の「霧ケ峰の一夏」の面影を探そうにも山腹を走るビーナスラインが余りにも邪魔で残念だった。山登りを始めるまではそんな事を思ったこともなかったのだが。かつては素晴らしい展望にビーナスラインの素晴らしを讃歌したものだが。山の世界をわずかでも知って、観光地と呼ばれる場所への興味の急速な減少を止めることができない。悲しむことか喜ぶことか。車道のない昔日の霧ケ峰を想像する。果てしなく広がる風景、人工造営物のない世界・・。目をつぶり深田久弥が描いた高原風景を頭に浮かべる。押し合うように揉み合うように霧が流れる高原だという。一夏をそんな霧が峰に逗留し秋の長雨のあと緑色の高原から狐色の高原に様変わりした様を前に、そこに感じたのは哀愁だったと書いている。今そこにいく事が出来たら、今そんな気持ちの起伏を山の風景を前に味わえたのなら、どんなにか素晴らしいことだろう・・・。

車山から降りてきて、観光地の極みとも言える白樺湖による。目的もなく大きな音量で流れる音楽が自分を現実にひきずり戻してくれた。市価の1.5倍はあろうかという高い昼食をとって帰途に着いた。

1997/9/20 強清水散策
1997/9/21 車山スキー場−車山・アマチュア無線−車山スキー場


アマチュア無線運用の記録

車山 1925m 長野県諏訪市 mizuhoMX-6S+ダイポール 5局交信


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