塩見岳、遥か

(1996/8/9-12、山梨県中巨摩郡、静岡県静岡市、長野県上伊那郡)


「山と無線」、次号の発刊に向けて寄せられてきた編集長からの葉書には”次回の特集、とっておきの移動運用山頂”とある。とっておきの移動運用山頂とは思い出深い山頂の運用という事だろうか・・。今まで自分が登り無線運用した山頂の数など少なくて話にもならぬが、”思い出深い”といえばそんな少ない山頂の中でも更に少ない3000m峰での運用が挙げられるかもしれない。山自体の非日常性に加え体験する電波の飛びも凡そ日ごろの想像を超えるものがあった。そこで数年前の記憶をたどりある夏の素晴らしかった山歩きを振り返ってみようと思う。

* * * *

塩見岳を初めて見たのは北岳の山頂からだった。数年間毎夏南アルプスの北部に通ううちに徐々に周りの山の名前がわかるようになってきたのだった。北岳山頂からの山岳展望は素晴らしかった。とりわけ目を奪ったのは間ノ岳の右手に遥かにそびえる南アルプス中部・南部の3000m峰達だった。塩見、悪沢、赤石、といったジャイアンツが重なり合うように居並び、実際それは痺れを覚えるような光景だった。

なかでも塩見岳は一番手前に御椀を伏せたような半円形の盛り上がりを見せてそびえている。その山容に何となく親しみを覚え、自分にも行けるのではないか・・、そんな気がした。あの山頂に立ちアマチュア無線・50メガの運用をしたいものだ。

さて実際塩見岳に行くにはどうしたら良いだろうか・・。広河原から入山するとして無理の無い線は初日に北岳周辺の小屋、翌日は北岳から間ノ岳を越えて熊の平小屋。3日目にようやく塩見岳に立ち塩見小屋か三伏峠小屋、そして翌日下山といったところか。3泊4日の長い行程となりそうだ。もちろんアマチュア無線の運用を幾つかのピークでこなしながらの縦走になる。装備、コース検討と全てにわたり入念な計画が必要だった。

なんとなく行ければ、というその時の想いも年が変わり又夏が近づくにつれ徐々に本格化してきた。コース計画、食糧計画、装備全般にと計画を煮詰めていく。北岳、間ノ岳、そして塩見岳。テント泊で3000m峰3座を縦走する大行程だ。そんな長い行程、本当に歩けるのかな、という不安もある。が行くしかない。さぁ行くぞ。後は山行を待つだけとなった。

* * * *

1・8月9日:

いよいよ1年間あたためた計画の実行だ。朝一番の横浜線で八王子に出て甲府を目指す。が中央線下りの普通列車は途中動いたり止まったりを繰り返し一向に進まない。聞けば未明にあった地震の影響で中央線のダイヤが大乱れとの事だ。これは上手くないな・・。予定では今日5時間半の歩行をこなし北岳肩の小屋まで上がるつもりなのだが・・。

いらいらするが相変わらず遅々として列車は進まない。肩の小屋が無理とすれば白根御池小屋泊りか、最悪は広河原山荘か・・。頭の中で代替案を忙しく考える。長丁場なので初日からの計画変更はキツイ。でも焦ってもどうしようもない。まぁ出たとこ勝負だ・・。

甲府到着10時20分。結局当初の予定よりも2時間半遅れだ。ここから手っ取り早いのは相方を見つけて広河原までタクシー相乗りだが目の前に広河原行きのバスがまさに出発せんとしている。バスは足が遅いがええい、ままよ!乗ってしまえ。

結局広河原到着は12時をまわっていた。登山センターに登山計画書を提出し午後12:30、吊り橋を渡り歩きはじめる。さてこの時間から歩きはじめて稜線まで、肩の小屋まで歩けるものか・・。広河原の標高が1530m、予定地の肩の小屋は標高3020m。標高差約1500m、コースタイム5時間半。単純計算で肩の小屋着は午後6時をまわるだろう。しかしこの時期夜7時近くまで明るいので稜線にさえ上がれば大丈夫ではないか・・。いやいや山の鉄則は早着き、早出だ。白根御池小屋泊まりならせいぜい3時間、無理はない。が翌日に草滑りの急登をこなしてからが長丁場だ。

肩の小屋を目指してみよう。一度歩いた事のあるコースなのであながち不案内ではない。それに途中時間切れでもテントを何処かに張らせてもらおう。

そう決心すると気が軽くなり白根御池小屋への分岐をあっさり見送る。大樺沢沿いの傾斜の緩い道が二俣まで続く。何度も歩いた事があるのでさすがに風景には親しみがある。途中大きなガレ場がありそこは沢を対岸に渡り登っていく。昨年は直進コースに通行止めの標識が無く気づかずに直進しガレ場を横切って登ったのだったが今年はしっかり通せんぼをしてある。沢を渡りかえすと二俣の巨岩が行く手に望めるようになった。途中行き倒れた風のシカの遺骸を見る。風向きが変わるとかなり臭う。

さすがに時間が時間なので登っていくパーティは少ない。それでも二俣に着いた時点では7、8パーティが休んでおり仲間を見つけた気がしてホッとする。午後14:40だ。8月も中旬ということもあるのか雪渓は例年よりかなり痩せているようだ。雪渓の水をポリタンにつめる。キィーンと冷たい。ここで休んでいた何パーティかはそのまま直進して八本歯のコルを目指して去っていく。彼らは今日は北岳山荘までだろうか、とすると彼らの到着も夕方遅くなる事だろう・・。さあてと、こちらは右俣コースで肩の小屋まで。標高差は約800m。コースタイムにして3時間。

二俣からの急登は地図上では等高線がみっちり詰まり急坂を想像するが、実際は道も歩きやすく又、高山植物が豊富に咲くコースのおかげかあまり疲れない。途中で単独行氏を追い抜く。追越しざま言葉を交わす。
(ダケカンバ林を抜け出すと
寂しいほど美しい斜面に出た)

「まだ先は長いですねぇ・・」
「いやー頑張りましょう」

更に進むと更に3人づれのパーティ。どうやら自分とこの2組がしんがりではないだろうか・・。

ダケカンバの林をつづら折れで登っていく。暫く登るとダケカンバ帯を抜け出しまだらな潅木の中にシナノキンバイだろうか可憐な黄色い花が咲き乱れる雄大な斜面に出た。なんという壮大さだろう・・。目指す稜線はまだ頭上に障壁のごとく高く、目を左に転じればバットレスが圧倒的な迫力で屹立している。西斜面を登るコースなので傾きかけた陽の光が目指す遥か上方の稜線から向かい側の尾根やバットレスの上部などを明るく照らすのだがこの斜面は刻々と薄暗くなっていく。残照の作る明暗のコントラストの中沈みゆく目の前の大きな斜面・・、それは寂しいほど広く、無限の美しさに溢れている・・・。

標高も2500mを越えており素晴らしい涼風が稜線上部から吹いてくる。明らかに森林限界を抜けたようだった。迫りくる夕方に追われるように稜線を目指す。じきに白根御池小屋からの草すべりコースをあわせるとほどなく稜線だった。眼前に広がるであろう仙丈岳から甲斐駒方面の大パノラマを期待したがもう薄いガスがかかっておりそれはお預けだ。ああ、やった。ここまでじりじりと焦ったがとにかく登ってきたぞ。日もまだ明るく一安心。

誰も居ない稜線を一人歩く。風が時折吹き付ける。それ以外は静かだ。後ろも前もひとけはない。夕暮れ迫る稜線にポツンと独り。ゆっくりと進むとやがて目の上に肩の小屋が見えてきた。

午後18:10、肩の小屋着。テントを張りながら、今年も又北岳に又来れた、と感極まった。北岳は山を始めてから最も憧れていた頂だった。3度目の北岳。感動はいつも変わらない・・。テントから顔を出し夕飯の支度。立ちのぼる夕餉の匂いとビール片手にともかく無事にここまで来たという安堵感と気楽さをゆっくりと噛みしめた。

2・8月10日:

夜間一雨あったようだが3000mの稜線に素晴らしい朝が訪れた。はやる気持ちでテント一式を撤収する。朝の出発にはいつもどうしても時間がかかりがちでここは自分に号令を掛けながらやるしかない。

AM6:00、重いザックを背負い北岳山頂までの岩礫にとりついた。今日は予定では熊の平小屋まででここから三峰岳まではまさに雲上のスカイライン歩きが満喫できるはずだ。又北岳と間の岳では50メガ運用も待っている。期待に足が速まる。

早くも頂上でご来光を迎えた人々が下山にかかっており岩場で短い渋滞が連続する。一昨年初めての北岳でここを歩いた時は淡いガスの中で結局展望は得られなかったのだ。それが今日はすばらしい快晴で気分は否応にも高まろうというものだ。

ガラガラの道をペイントを追って高度を稼げばやがて頭上からせせらぎのように流れたきた人々の声が大きなざわめきとなり、一登りで北岳絶頂3192mだった。

期せずして涙が込上げてきてしまった。ああやった。又登ってきたぞ。北岳の頂を踏んだぞ・・。込みあげてくる。なんでだろう、初めての登頂でもないので山頂では純粋に満足感だけが訪れるものと思っていのだが・・。恥かしくて人に顔をあわせないように顔をそむけてザックを下ろした。でもそんな必要は無用のようだった。山頂にははちきれんばかりの笑顔ばかりが充満していた。涙なんかちっとも恥かしくない・・。

さてここで待望のアマチュア無線・50メガの運用。山頂の端っこに陣取りストックを立てそこにロッド式ダイポールアンテナをつなげた。無線機はミズホのピコ6で、出力1Wにダイポールとはアマチュア無線の教科書にでも出てきそうなベーシックな組み合せだ。まだ6時だからさすがにEスポは出ていまい。電源ON。とたんに59オーバーの信号が乱れ入ってくる。関東はもとより中京や関西からの電波。そして四国からも。数百キロ彼方からの地上波が全方向から強烈に入感してくるこの感覚はアルプスの3000m峰ならではの醍醐味だろう。数局に声をかけてCQを出し始めるとすぐに猛烈に呼ばれはじめた。50メガの夏場は朝が早い。冬と違い夏は移動局が多いしEスポやスキャッタなどの異常伝播を期待して固定局も早朝からワッチを開始するのだ。絶えまなくパイルアップが続く。一局強烈に呼んでくる局がいて誰かと思えばJS1MLQ川田さんだ。強いはずだ、鳳凰山系の辻山からだ。目の前に大きく居並ぶ鳳凰。川田さんも楽しんでいるに違いない。

2分間で1局と好調ペースで1時間、北アルプスに移動していたJQ1TQP田中さんとの交信で切上げ間ノ岳へ向う。北岳山荘への急な岩場の下りも無線の素晴らしい運用結果を心地よく反芻しているうちに通り過ぎてしまった。

* * * *
(北岳が左手に甲斐駒を従え
尖塔の様に聳えている。)
(行く手に間ノ岳が膨大な
山容を示していた)

中白根から間ノ岳へも素晴らしい稜線行が続く。前方に立つ間ノ岳はまさに膨大な岩の塊といった感じで歩いても歩いてもその山頂が見えてこない。振り返れば北岳が今や素晴らしい尖塔となって聳えている。ふと見覚えのあるザックの人に追いついた。追越しざま見れば彼は昨日大樺沢二俣からの登りで言葉を交した単独行の人だった。「いやーすばらしいですねぇ」どちらからもなく声を掛ける。こんな眺め、初めて見ましたよ・・と彼は人なつっこい笑顔を浮かべる。彼は昨日は結局肩の小屋には最後のチェックインだったらしい。夕闇迫る稜線でかなり焦りを感じたとの事。それは私も同様だった。

彼と前後しながらのんびり歩く。初めての南アルプス、彼は白根三山の縦走だという。道は間ノ岳へ向けて確実に高度を稼いでいく。中白根を越える。右手には終始仙丈岳が大きく裾野をのばし目を楽しませてくれる。いつぞや登りつくとも知れなかった道もここで終りで間ノ岳山頂だった。眼前には西農鳥岳から農鳥岳、そして右前方遥かにお椀を伏せた塩見岳、と、全く新しいパノラマが新たに広がった。遥か彼方まで、地平線目いっぱいに広がる山並。その果てがなかった。それは山の絨毯だった。

「 うーん、すごいですねぇ・・」
「でかいですねぇ・・」
「・・・」

ここで再び50メガの運用。彼も私の近くにゆっくりと腰掛けた。機材をセットする。先程と同様に電波が飛び込んでくる。小さなピコ6のボディがビリビリと震える感じだ。正午を回ったというのに幸いにもまだEスポは開いていないようで北岳と同様にスリリングな交信が続く。

一息ついていると彼が遠慮がちに話し掛けてくる。無線ですか・・。いい趣味ですね。そういう彼の膝の上には小さなスケッチブックがのっており北岳の精緻なデッサンが描かれていた。無線を切り上げのんびり話をする。彼はスケッチをしながら歩くのが楽しみで山を歩いているという。

「こんな高い山に来るのは初めてなんですよ。でも来て良かったです。」
「僕もおっかなびっくり歩いていますよ。無線をするのが楽しみで・・」

少しガスが出てきたようだった。仙丈岳もうっすらと消えかかっている。午後もだいぶまわってきたのだ。楽しい一時ではあるがもうそろそろ時間だ。行かなくては。まだ先は長い。彼は今日は農鳥小屋までだという。

「それでは・・」、どちらからともなく声を掛けた。

「お気をつけて。」
「又何処かで・・」

小さく一礼をして彼は南へ、私は西へ。

お互い名前も語らなかった・・。又何処かで、などと言っても又会うあてもないのに・・。少し歩いて振り返ってみる。しばらく歩いてもう一度。稜線の上で小さくなった彼もまたこちらを見ているようだった。お互い、いい山旅を・・。少し、寂しかった。

* * * *

熊の平小屋は原生林の中だった。テント場は小屋から少し離れている。豊富な流水は冷たく、旨い。小屋で買った缶ビールを飲みながらテントから頭を出し空を眺める。原生林は重厚で木々が頭の上に倒れてきそうな錯覚を覚えた。

眠りは深くはなく時折目が覚める。夜半濡れたテントを開ければ満天の星空に人工衛星がかなりの速度で軌跡をつけていく。気温は約7、8度。ジッパーを閉めて再びシュラフに潜った。

3.8月11日 :
(展望が開けると長大な尾根の向こう、
朝の斜光に塩見岳が立った。)
MINOX GT-E35mmF2.8 絞りF11AE、-1EV補正

明けて5時5分、まだ薄暗い樹林帯の中塩見をめざす。小屋からしばらく進めば小さな岩峰に登りつき展望が開けた。行く手に朝の斜光に塩見岳が立派だ。長く伸びる仙塩尾根の果て、思いのほか遠くに聳えている。今日あそこまで行けるのだろうか。振り返ると仙丈ケ岳、三峰岳から間ノ岳、そして西農鳥岳がぐるりと立っている。右手には雲海から中央アルプス、そしてひとり乗鞍、やや離れて北アルプスの雄峰群が立っている。槍ケ岳がそれと判る。

しばらく進むと路は再び樹林帯に潜り込んだ。高度的に森林限界と樹林帯の丁度境目あたりなのか木々の密度は深くなったり浅くなったりする。樹林の合間から夏の朝日が強烈に差し込み一瞬目が眩む。

歩くがなかなか樹林帯を抜け出さない。今朝垣間見た塩見岳までの仙塩尾根の長大さ。本当に距離を詰めているのだろうか・・。塩見岳、遥か。という感が強かった。

昨日の彼は元気だろうか・・、今は多分西農鳥岳あたりでのんびりとスケッチでもしているかもしれない。こちらはまだ樹林帯の中だ。

短くも急な上り道の果てに空がぽっかり開いていた。上り詰めると森林限界を抜け出しAM7:50、そこが北荒川岳だった。

塩見岳が大迫力だった。その大きさにようやく長い仙塩尾根をほぼ踏破した実感が湧いてきた。かなりの標高差で落ち込んでいる垂直のバットレスは北岳のそれと変わらない。遠目にはお椀を伏せたように見える親しみやすい山容はもうそこにはなく、只圧倒的な質感で立っている岩壁があるだけだった。登山道はその左縁をいく筈だ。

あれを、登るのか。

ブルリと震えがくる。気分が萎えないようにフランスパンとチーズで軽く腹ごしらえをする。

北荒川岳の山頂では無線を予定していたので機材をセットしワッチしてみる。バズ音が聞こえバンド中がブンブン唸っている。遠く北海道や九州の局を呼ぶ関東地方の局の信号が聞こえてくる。Eスポが開いているのだった。あぁこれは駄目だ。折角山の上に来てもEスポが開いてしまうとこちらは全く相手にされなくなる。普段交信できないエリアが短時間に強力に開くので皆山岳移動局どころではない・・。固定局は現金だ。

仕方なくこちらも空振りCQを連発していた岐阜県中津川市移動の知り合い局に声をかけるだけとして先を急いだ。

* * * *

北荒川岳のテント場を過ぎて小さなお花畑を抜けるといよいよ塩見の肩に取り付いた。雪投沢源頭部をやり過ごしてからは一途な登り。先行するパ−ティが見上げる遥か上に豆粒となっている。手がかり足がかりのない急角度な滑りやすい砂礫路で、気を抜いてズルりといくとバットレスの奈落の底へ落ち込んでしまいそうだ。蟻地獄を登っていくような感じがする。恐い・・。頭の中で警鐘がゴンゴン鳴り響く。

靴のフリクションに注意を払いながら直射日光の元登る。滑りはせぬか・・。冷や汗。辛い。あまりに一本調子な道。一歩一歩ひたすら登る。届きそうで届かぬ塩見の頂。じりじりと焦り。

塩見の頂がようやく近づき、遥か左手に蝙蝠岳を見た時ようやく頂上の一角に着いたとほっとする。実際の頂上はまだ先だがここで滑りやすい砂礫道は終わり岩陵歩きとなる。

よく見ると狭い岩の上に人々が鈴なりだった。11時25分、大きく岩をまわり込んで塩見岳3047mの山頂。肩に取り付いた9:40から1時間45分、長かった・・。東峰と西峰が小さな吊尾根で結ばれている山頂は細く狭い。向かいに深い谷が広がりその奥に悪沢岳や千枚岳等が望めるはずだったが生憎と薄くガスが出てきて遠望は利かなかった。何とかスペースをみつけここで又50メガの電源を入れる。JF2HBH堤さんが小仙丈岳から出ていた。昨日の川田さんといいこの限られた山域に自分も含め3人も仲間が居るとは、皆好きだなぁ・・、などと一人笑ってしまう。がバンドの方は相変わらずEスポが強く交信の成果は期待できない。しかし憧れだったあのお椀にとうとう登りつき、無線をやっているとは感無量だった。入山して3日目にようやく着いた。遥かなる峰、塩見岳の山頂だった。

* * * *

さて今日はどうしようか・・。まだPM12:30だ。この先塩見小屋で幕営するか三伏峠まで頑張るか。最終日の行程は短い方がありがたい。塩川土場からのバス便も便利とは言い難い。予定通り三伏峠までいってみるか。

塩見岳からの下りは急なガレ場が続きイヤな感じだ。一歩間違えば大井川源流の深い谷へ落ちていきそうだ。先行するT医大ワンゲル部の4人組みパーティが大きなキスリングが岩角にぶつかるのか通過に手間取っている。

塩見小屋で軽く休憩をとりそのまま進む。ぐいぐい高度を下げていき再び樹林帯に潜り込んだ。今回のコースで再び森林限界を超える事は、もうあるまい。

今日はもう8時間近く歩いているだけにさすがに歩くのが嫌になってきた。シラビソの原生林は深く暗く、時折倒木も交え奥秩父のそれを思わせる。やがて木々を縫って濃いガスが漂い始める。暗い気持ちになり、ザックは重く疲れ切りもうこれぽっちも歩きたくない。長い、長いトレイル。薄暗い原生林の中、独り。

体力がないなぁ、もうクタクタだ・・。でもとにかく歩かなくちゃ。ゆるゆると登ると本谷山山頂で、そこには先行していたT医大WVパーティが4人、足を伸ばし空を見上げ休んでいた。アルミの背負子に四角い灯油缶、その上にキスリングがずっしりと乗っかっている。彼らは明日は荒川岳から千枚小屋。そして二軒小屋から転付峠越えで早川町へ抜けるという。敢えて手近な椹島へ下山しないで転付峠を目指す、というところに彼らの若さ、山への想いを見たような気がする。

学生生活をワンゲル部などで過ごすのも悪くなかったかもしれない。自分は4年間を漫然と過ごしてしまった様にも思う。無限にあった自由な時間。どう過ごそうと1日24時間の長さは皆に平等だった。勿論素晴らしい仲間たちに出会い青春の悩みや楽しさを分かちあった。その4年間は自分の中で永遠のものではあるものの、一つの事に打ち込んでいたとすればそれはそれでとても素晴らしい事だっただろう。学生は無為徒食こそがいいのさ、などと仲間と言い合いながら実は打ち込むものが見つけられなかっただけで若さのエネルギーをいたづらに消費していただけかもしれない、そんな事をザックにもたれかかり空を眺めている彼ら4人を見ながら考えた・・。

樹林帯は相変わらず深く長く気が滅入る。が三伏小屋への分岐を見送り三伏山に立てばもうガスの中から人の歓談が流れてきて三伏峠小屋までは一投足だった。

* * * *

PM17:10三伏峠小屋。疲れきりテントを張る気力を失い、素泊まりを申し込み板の間にシュラフを広げ横たわる。体の芯がズキズキとする感じで甘いフルーツ缶詰がとても美味しい。ゆっくりと夕食をとる。夜間にその激しさに夜空が白むような猛烈な夕立となり、テントをやめたのは正解だった。

4・8月12日:

最終日。朝4:55、夜明け前に小屋を出て急坂をストック片手に下りる。深い原生林帯のせいか冷んやりと湿気がある。1000m近い高低差を一気に詰めていく急な下りだ。林相は重厚でまさにこれぞ南アルプス、という感じがする。南アルプスといえば漆黒、そして遠大、重厚、無限。まさにその真っ只中を歩ききった4日間だった。

樹林ごしに塩川の流れの音が聞こえはじめ、河原に立った。一番バスには充分間に合う。心地よい沢音の中歩くうちにもうすっかり高くなった山々の向こうから目も眩むような太陽が顔をだし青空が広がった。

AM7:57塩川小屋。豊富な流水でシャツを濡らし汗をふく。終った。やがて小さなバスがやってきて、満ち足りた気分で揺られて伊那大島駅に出た。

* * * *

初めて乗る飯田線は小刻みに駅に止まりながら蛇行を繰り返す。遠景の南アルプスが近づいたり遠ざかったりする。待望だった3000m峰3座での無線運用は満喫出来たり出来なかったり。でもあのスリリングな地上波での交信はやはり高峰ならではの醍醐味で低山のそれとは違う・・。が、何よりも先年見た塩見岳を翌年目指し、長い行程の末に無事に歩ききったという事が素晴らしいように思う。やれば出来る、そんな当たり前の充実感を自分は普段の生活の中で余りにも忘れているような気がする。

南アルプスは初めてだったというあのスケッチの大好きな彼ももう今や下山し素晴らしい夏山の余韻に満ちた気持ちで山旅の成果のスケッチ帖をめくっているに違いない。あの学生ワンゲル部の4人組みは今ごろ荒川岳を目指しこれぞ南アルプスとでもいうような深い原生林帯の稜線を進み続けている事だろう。そして自分も今安堵感と充足感に満ち帰路についている。日常の中に無い何かを無意識に求めて、あるいは熱病のようにたぎる山への想いを胸に、皆山に登りそして下りてくる・・。

車窓の向うの南アルプスはもう遠く、各々のピークの名も判らない。奥深い塩見岳の姿など前衛の山にでも上るか、遠く離れた別の高山にでも登らぬ限りとても望めないだろう。長いアプローチの果ての山頂。塩見岳、遥か。でも又何時か、何処かでお目にかかりましょう。

夏の陽におだやかな伊那谷の風景を眺めながらゆっくりと伸びをして、揺れる車内の固い座席に座り直した。

(終り)


コースタイム:
−1996/8/9、広河原12:30−御池小屋分岐12:50−二俣14:40/15:05−稜線17:30/17:40−肩の小屋18:10
−1996/8/10、肩の小屋6:00−北岳・アマチュア無線6:40/8:25−北岳山荘9:25/10:05−中白根10:50/11:10−間ノ岳・アマチュア無線12:30/13:50−三峰岳14:25/13:35−三国平15:25−熊の平小屋16:00
−1996/8/11、熊の平小屋5:05−北荒川岳・アマチュア無線7:50/8:30−雪投沢源頭9:40/9:45−北俣岳10:30/10:40−塩見岳・アマチュア無線11:25/12:30−塩見小屋13:30/13:55−本谷山15:40/15:50−三伏小屋分岐16:15−三伏山16:50/16:55−三伏峠小屋17:10
−1996/8/12、三伏峠小屋4:55−鳥倉林道分岐5:15−水場6:15/6:35−塩川出合7:10−塩川土場7:57


アマチュア無線運用の記録
北岳  3192m
山梨県中巨摩郡
無線機:ミズホPICO6、ダイポール
30局交信(50MHzSSB)
最長距離交信:神戸市灘区JE3PAK/3
標高3192mは日本第二の高峰。個人的には山に登りはじめて最も憧れていた頂なので何度登っても素晴らしい感動が味わえる。山頂は細長く決して広くない。展望も電波の飛びもは当然の事ながら申し分ない。

自分にとってはこれからも何度も繰り返して登りたい山頂。最高の満足がそこにある。
間ノ岳 
3189m
山梨県中巨摩郡
静岡県静岡市
長野県上伊那郡
無線機:ミズホPICO6、ダイポール
12局交信(50MHzSSB)
最長距離交信:大阪府岸和田市JF3XWM/3
北岳と並び白根三山を形成する。標高は日本第4位。鋭角的な北岳の山姿に比してこちらは巨大な岩の固まりがどっしりと鎮座している感じだ。山頂も同様でだだっ広い岩の原、という感じだ。地図的には山梨・長野・静岡の3県で運用が行える。

言うまでもなく電波の飛びは素晴らしい。
北荒川岳 2697m
静岡県静岡市
長野県上伊那郡
無線機:ミズホPICO6、ダイポール
1局交信(50MHzSSB)
岐阜県中津川市JE2FWF/2
仙丈岳から派生し塩見岳まで延々と続く長大な仙塩尾根。その長い尾根場の一ピーク。これといって顕著な高まりでもないのであまり山頂という感じ魅しない。実際標高もぱっとしない。

ただ塩見岳の勇姿を眺めるのにはもってこいだ。目の前に素晴らし姿が仰げる。
塩見岳 3046m
静岡県静岡市
長野県上伊那郡
無線機:ミズホPICO6、ダイポール
5局交信(50MHzSSB)
最長距離交信:三重県一志郡JE2CHS/2
北岳を中心とした南アルプス北部と悪沢や赤石などの南アルプス南部とのジョイント部に位置する南アルプス中部の3000m峰。膨大な南アルプスのほぼ中央、といえるかもしれない。お椀を伏せたような形は3000m峰にしては可愛らしく親しみやすい。なによりも覚えやすい形だ。

電波の飛びが期待出来るが残念ながら自分が運用した時はEスポで、満足の行かない結果となった。


(本文章は同人誌「山岳移動通信 山と無線32号」に掲載したものを転載致しました。)

Copyright : 7M3LKF, Y.Zushi, 1999/2/16


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