冬の丹沢を歩いた一月の日

1995/1/13,14、神奈川県秦野市)


(傾きかけた日に今日自分の歩いてきた表尾根が
燃えるように浮かび上がった。)

MINOX GT-E 35mmF2.8、F8AE、-2/3EV補正

山を歩き始めてからしばらくは殆どの山行を私はY氏と供にしていた。Y氏は会社の一年先輩であったがかねてから東京暮しに疑問を感じていた事と自分の新しい可能性を見つけたい、という思いが強く、会社がここのところの不景気により好条件の提示と供に希望退職を全社員に募ったのを機会に会社を辞めていた。それから彼らはザック一つを背負ってユーラシア大陸へのバックパッカーとなり先日ようやく帰国、郷里での就職活動をはじめた所だった。私は彼のそんな気負いの無い決断や行動力に感嘆し、そして憧れた。そもそもY氏自体が自分の感覚ですべてを決めるという感性と行動力をもっており、それに私は大きく惹かれていた。だから彼去りし後の山は寂しかったし、逆に傷心旅行の感すらあった。そんな彼が友人達に会う為に上京してくるという。これを機会に山に行こうという想いは自然と沸きあがっていた。

* * * *

ヤビツ峠までバスに乗り歩き始める。富士見山荘への緩い下りの舗装路では道が凍っており登山靴でもづるづる滑っていく始末で厄介この上ない。仕方なく路肩を歩く。向こうから野犬の群れが数匹やってきた。捨てられたペットが野生化したのか、いずれにせよ怖い。

それにしても氏との10ケ月ぶりの山行。心踊る。氏と歩き始めたらすぐに身も心も10ケ月前に戻ってしまう。前は山行前日には必ずY氏のアパートの近くの最寄駅のハンバーガショップなどで山行の打ち合わせをしていたっけ・・。

冷たい寒気の入った日で、それに風も強い。幾多のハンググライダが舞う空の下何度歩いても厳しい表尾根。必ず三の塔あたりで足がつるのは歩き方のせいだけだろうか?Y氏も長期の渡航から戻って日も浅く疲れ気味と見えて、お互いにペースは遅い。まあ昔から自分はこうだったしY氏はそれにあわせてくれていた。

烏尾山、行者岳と幾つかの小ピークを超えていくがなんのなんの、なかなか辛い。書策小屋まで来たが一服だ。つい先月も歩いたコースなのに、回数をこなせば楽になるものでもないようだ。

Y氏の足には見慣れぬ黒い靴が履かれておりきけばドイツで買ったローバーの登山靴との事。日本を離れるときに履いていったローバーのトレッキングシューズをスペインで盗まれて、代わりをドイツで買ったとの由。波乱に満ちたいろいろあった旅なのだろう・・。彼が過ごした10ケ月と比べて自分のそれとの間には比較にならない大きな差があるように思えてしまい、なにやら自分の平穏さが恥ずかしい・・。

相変わらずアップダウンで辛い表尾根にもゴールはあるもので、最後の登りをこなすと塔ノ岳だった。

のんびり歩いてきたがそれにしてもまだ14:30だ。もう今日はこれ以上何もしない。今から一晩小屋でゆっくり、と思うととても嬉しい。尊仏山荘に泊まるのは約2年ぶりとなる。小屋の宿泊客は11人と少なく2人で1部屋をあてがわれ大満足。こう泊り客が少ないと食事付きの客も自炊客も同じ時間帯で食事が取れる。と、40歳くらいの男が一人小屋の中に入ってきた。街着姿だ。夕闇せまる山頂で、連れの犬を見失ったので探し回っていると言う。ここでは見なかったか?と聞いてくる。しばらく彼は山頂付近を行ったり来たりしている。小屋番がもう危険なので宿泊を勧めていたが彼はこれを固辞、それでは、と小屋番が申し出た懐中電灯の携帯も断り犬を捜しながら何処かへ去ってしまった。ここは真冬の山だと言うのに色々な人が居るものだ。小屋番が言うには山小屋とは言っても別に拘束力があるわけでもなくあくまでもその行動は登山客に依存するものとの事。聞けば当たり前の話ではあるが・・。それにしても彼は街着で、どうしてこんな所まで登って来たのだろう・・。ここは犬連れの散歩という感覚で来る山では決してない。
(久々の友との語らい。飲んで笑えばいつでも
タイムスリップするのだ・・。尊仏山荘にて)

MINOX GTE 35mmF2.8, F11AE, +1/3EV補正

小屋のガラス窓が赤から群青色に変わって行く。彼の行く末は心配でもあるが何が出来るわけでもない。Y氏と久びさ宴。缶ビールを肴に10ヶ月ぶりの話に花が咲いた。ゴーッという頼もしいストーブの音に懐かしい友の顔。小屋の窓が水蒸気で曇る。もう何も、言う事が無かった。

* * * *

凍える寒さの山頂で朝日を望むと又布団が待っている。僕らは何を急ぐわけでもない。今日は下りるだけなのだから。

みんなが出払った山小屋で早くも小屋番が箒がけを始め出したのを機に小屋を出た。山頂はカチカチに凍っており冬の朝の感が強い。

鍋割山へのブナの稜線はとても静かだ。お互い口数は少ないもののY氏が後ろを歩いている事は確かな事で、それがとても嬉しい。独りの山とは違う、心の中に余裕があって、こころなしか風景にもふくらみのある山歩きだ。

凍った小径の中物音がすれば目の前を鹿のつがいが軽快に走り去っていった。雪こそまだ無いが、この稜線が白く包まれるのにはそう時間がかからないことだろう・・。

鍋割山でアマチュア無線・50MHzを運用する。がCQを出しても誰にも呼ばれないし呼ぶほうに回っても誰にもピックアップして貰えない。同行のY氏のこともあり余り引っ張るわけにもいかない。仕方なく一局も交信できぬまま閉局となった。「同軸線の接触不良じゃないの?」とY氏。実は彼はJL1のコールサインを高校生の時持っていたのだった。彼の洞察力は何時も正しい。何処かが悪いのだろう。諦める。

下山は初めてのコースを楽しみたく鍋割峠から寄に下りる事にした。沢沿いの下山路はあまり踏まれていないのか荒れ気味で何度も鹿よけ柵をくぐりながら高度を下げて行く。すれ違う人も無く表丹沢にもこんな静かなエリアがあったのか、と思う。

淡々と下りていくとやがてキャンプ場となり山麓に着いた。数十分でバス停のある寄集落だった。

* * * *

小田急の新松田駅の食堂でビールと餃子というのはいつかY氏と早春の西丹沢山行から下山した時と同じパターンだ。とても久しぶりに山歩きの楽しさを満喫したように思う。が、楽しかった冬の丹沢を歩いた一月の日はこうして終わってしまう。これでY氏はまた郷里へ戻って行く。また何時かこんな機会はあるよ、と思いながらも、山歩きの終わりはやはり一抹の寂しさが残った。


追記 :余談だが下山後数日間は新聞の神奈川県欄に「丹沢で中年男性行方不明」の記事が出てはいないか気になったが、特に無かった。

ヤビツ峠−富士見橋10:00−二の塔−三の塔11:00/11:10−書策小屋12:00/12:30−塔ノ岳、尊仏山荘(泊)14:30/8:30−鍋割山9:40/10:10−鍋割峠−寄コシバ沢−稲郷−寄12:45


Copyright:7M3LKF、Y..Zushi2000/6/13


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