憧れの雲上スカイラインを行く − 白根三山 

 (1994/7/29-31、山梨県中巨摩郡、静岡県静岡市、山梨県南巨摩郡)


旅立ちの朝は目覚ましの助けもなく目が覚める。緊張感が心の中にあり、いつもと違う自分だ。始発電車に乗るため家を4:00に出る。最寄りの駅まで30分歩くつもりだったが運よくタクシーが通りかかる。夏とはいえまだ暗い。

1年前にその計画を意識し、今日、ようやく出発である。あの山に登るのだ。一年間想い続けたあの素晴らしいシルエットの山に。そして又、二泊三日の、自分にとっては初めての一泊以上の山行の幕開けでもある。

始発を乗り継いで甲府へ。甲府から女性4人組とタクシー相乗りで登山口へ。途中、峠のトンネルを抜けるとふと前面に大きくあの山の姿が飛び込んできた。圧倒的に大きく、そして高い。立ちはだかっている。見上げる首が痛い。真っ青な夏空の下で森林限界を越えたこの3000メートルのスカイラインは白く輝き、鋭利な刃物を思わせる。触れてはいけないもの、近寄りがたいものといった雰囲気だ。予定では明日あの尾根を縦走するのだ。鳥肌が立ってきた。   
(朝の粒子に光が拡散した。
赤が朱に、そして黄に。)

写真:MINOX GTE 絞り8、-2EV

* * *

3000mのスカイラインで迎える朝日。かなたに赤い珠がまったく不意に上ってきた。初めに黒い闇が明るく染まり始めた。と待つまもなくそれは現れ、全く速い速度で上がってきた。朝の空気の細かな水滴にその光が拡散して、赤が朱に、朱が黄色にと滲んでいく。今日はどうやら霧らしい。

完全に朝が来た。昨日の好天が嘘のように今日は霧が重い。岩稜を一歩づつ登りながらも天気の回復を思ったがそれは徒労であった。しかし不思議だった。濃い霧で何の視界も得られないというのに、その山頂に立った時、私は目頭にこみ上げてくる熱いものを抑えられなかった。感極まり、胸の奥が熱い。眼前に広がるはずだった大パノラマは霧に隠れているというのに。

やった。来た。とうとう来た。

何度も呟く。どうしたことか涙が溢れた。南アルプス、北岳。富士に次ぐ日本第二の高峰、標高海抜3192.4m。丁度一年前に初めてこの山の姿を谷向こうの鳳凰三山から見て以来その余りにも美しい姿が頭を離れた事は一度もなかった。大樺沢の雪渓と、そそりたつバットレスの岸壁の上に、綺麗に尖ったその山頂はこの世の物とは思えない程神々しかったのだ。

以来北岳は私の裡で理想となった。一目惚れだ。丹沢から、雲取から、大菩薩から、私は必ずこの素晴らしい山頂を探し、そして探し当てた。北岳を想い続けてのこの一年は短かかった。

霧と小雨のせいで髪の毛がしっとりとしている。気づけばかなり時が経っている。2回目の南アルプス、初めての3000メートルの稜線は霧に包まれた旅になりそうであった。     

* * *

広河原から二俣までは大樺沢に沿って登る。振り返ると昨年歩いた鳳凰三山が目線の高さに近づいている。地蔵岳のオベリスクがそれと判る。二俣で昼食。雪渓の尻近くに陣取る。冷やりと冷気が漂い気持ち良い。岩登りのメッカといわれるバットレスが眼前である。垂直に近い、とてつもない岸壁だ。ポリタンに雪渓の滴を溜める。美味しい。脳天までしびれるような冷たさ・・。

二俣からは急登だ。ミソガワソウだろうか、可憐な紫の花が一面咲き乱れる斜面をただ登る。踏み出す一歩毎に額から汗の滴が落ちる。ダケカンバの中に道は続く。見上げる空が広くなってきた。潅木帯はやがてまばらとなり、森林限界を超えた。稜線に上がる。いい風だ。森林限界を超えた山からの眺めは凡そ非日常的だ。見渡す展望の、その果ては無い。砂礫に座り込む。向かいに仙丈岳の大きな裾野だ。ただその山頂部だけは雲の中である。鳳凰からの去年も山頂は見れなかった。この女王は恥ずかしがり屋のようだ。ゆっくりと歩く。ここから北岳の肩の小屋までは楽だった。

ハイマツの中にいい具合に風を避けられそうな窪地があり、テントを張る。小屋で買ったビールを開け、食事の支度。霧が出てきた。牛飯を蒸らす間テントから外を眺める。霧がますます濃く、ハイマツがその粒子の中に沈んでいく。ずっと憧れた、3000mの稜線にいる実感が湧いてきた。     

* * *

北岳から間ノ岳へ向かう。岩稜の下りは結構急で、又北岳山荘方面から山頂をめざす登山者も多く、気の抜けないルートだ。路を外すとガレが下へ転がり落ちていく。八本歯のコルへの分岐を過ぎると傾斜が緩くなる。小広い尾根だが、霧に沈み展望は全くきかない。晴れていればその根張りの大きさでは日本一といわれる間ノ岳が正面に大きい筈だ。遭難防止の鐘の音が鳴り渡る。北岳山荘到着。公衆電話があり、妻に電話してみる。娘は元気との事、嬉しい。小屋番の話では土曜日の今日は小屋は大混雑が予想され、一畳に三人のスペースとの事。凄い話だ。

中白根、間ノ岳とおおらかな岩稜歩きが続く。ハクサンチドリの赤紫、ハクサンイチゲの白、とお花畑が広がり、これで展望さえ良ければと何度も思う。人だかりがしているので寄ってみれば雷鳥の家族である。微笑しい親鳥に子鳥の姿は家にいる妻と子を思い出させる。家族を家においてこうして一人気ままに出かけて申し訳ない、と思う。無事戻らねば、と強く思う。

崩れ易い岩稜を巻く路を三点確保と唱えながら歩く。すり鉢状に右手に野呂川源流への谷が深く落ちている。すぐ後ろでガラガラーッと岩が崩れ落ちる音がしハッとして振り返る。さっきすれ違ったパーティは大事だろうか・・・。彼らの声が聞こえほっとする。

(農鳥小屋から間ノ岳を望む)

時折混じる小雨で、カッパを脱いだり、着たりと忙しい。間ノ岳山頂は全く感慨なく通り過ぎる。これでも日本第四の高峰である。塩見岳への尾根を分け、農鳥小屋方面へと路をとる。人気が全く無くなり、だだっ広い斜面を独り下りる。誰もいない。歩く自分の足音以外は何も聞こえない。静寂。全く独りだ。一瞬霧が引いた。いきなり目の前に展望が広がった。農鳥小屋が遥か下にある。そして眼前に大きく西農鳥岳。大井川の源頭部にあたる谷がグッと深い。右手にあるはずの塩見岳は霧に隠れたままだ。荒川三山も見えない。いまひとつ心が晴れないまま農鳥小屋まで下りる。小屋手前で一瞬右に何か光ったような気がし、よく見れば仙塩尾根の熊の平小屋であった。

まだ正午前だというのにもう六時間近く歩いている。かなり疲れている。少し早いがここでテントを張るべきか、それとも大門沢小屋まで行くべきか悩む。テント場を覗いてみると狭い岩尾根にへばりつくようで、いい気分がしない。あと四、五時間か、大門沢まで歩く事を決意する。そう決めれば気分が少し楽になった。      

* * * 

西農鳥岳への登りもきつい。一歩毎に数を数えながらただ登る。山頂は狭いが平らで、座りこみフランスパン、サラミとチーズをかじる。紅茶のティーバックを水に浸して口に頬張ると口中に苦みが広がり、頭がスッキリとした。

西農鳥岳から農鳥岳までは稜線の南斜面を巻く路で、嫌な岩場が続く。農鳥岳山頂で雨足が激しくなり、休みもそこそこで歩き続ける。大門沢下降点までは広陵とした台地状の場所を歩く。疲れきっているはずなのに、不思議と足がよく進む。体内にターボエンジンでもついたかのように、グイグイ歩ける。意識とは別に勝手に足が動く。このままグイグイ歩くと、霧の粒の中に溶け込んでしまいそうだ。これがよく言われるウォーキング・ハイなのかもしれない。

家族の事、今まで一緒に山を共にし今は世界旅行中のY氏の安否、そしてもう次に行く山はどこにしようか、などいろいろな事が頭の中を巡る。話しかける相手のいない独り旅は独りで自問自答などする訳で、飽きる事もない。

下降点から大門沢小屋への下りは、その余りの急降下故、出発前から最も懸念していた箇所である。とうとう展望に恵まれる事のなかった3000mの稜線から別れるのは寂しかったが仕方ない。降り始める。なるほどきつい下りだ。一歩一歩足を下ろすが、接地のショックで頭から一歩毎に汗が滴り落ちる。ぬかるみの中かなり厄介だ。標高2900mあたりから1700mの小屋まで一気に降りるのである。

左手から大門沢の源流の滝の音が大きくなってくる。沢水にありつける事だけを思いながら、モーローとしてきた体に鞭を打つ。目の前に河原が広がった時、無意識にザックをかなぐり捨て、沢水に手を延ばしていた。ゴクゴク、ひたすら飲む。間をおかず1リットル近く飲み干したかもしれない。いくらでも喉に入っていく。冷たくて旨いのだ。まさに甘露だ。続いて水を頭にかける。生き返る。

河原出合から小屋までは40分くらいか、なかなか着かないのでイライラする。ようやく小屋に着いた。テントを張る気力はもうどこにも残っておらず、自炊泊まりの手続きをして、板の間にシュラフを広げて、横たわった。体の芯がズキズキとして虫の息だ。食事を作らねば、と思うが食欲が湧かず、ややあって蜜柑のカンズメを買う。流水で冷えたそれは甘く、蜜柑のシロップ漬けがこんなに旨いものだったのか、と思う。汁を一滴も残さずに飲む。そうめんをゆでて暖かいつけ汁をこしらえる。疲れきった体にはこれもとても美味だった。      

* * *

目が覚めたが体が動かない。朝4:00。なんとか外に出てみる。大門沢の沢音がゴウゴウと響く。星が広がり今日は好天のようだ。脚が自分のものでないような感覚。こんな調子で今日、山麓の奈良田まで4時間以上も歩けるのか不安だが、食事をとり出発する。

沢沿いに歩く。歩きがぎくしゃくとして、後から来た人に路を譲る。前方に大きな富士のシルエットだ。いかにも南アルプスらしい深い林の中、今日が最終日とゆっくり歩く。やがて吊橋が現れ、横に発電所の取水所がある。急に人里っぽくなった。昨日から抜きつ抜かれつの夫婦連れと、あぁもう下りてきましたねぇ。なんか寂しいですねぇ。と交わす。そうなのだ、背後には農鳥から広河内岳への3000mの稜線が白く輝いているのだ。自分が昨日、霧の中ひたすら歩いたあの尾根が、今日は雲一つない。残念ではある、一日行程がずれていれば、大展望の尾根歩きだったのに。しかしあの尾根はやはり立派だ。大きな眺めだ。憧れのスカイライン、雲の上だった。あそこを歩いたなんて夢のようでもある。よく歩いたなぁ・・・。

路はやがて車道に飛び出し、本当に終わった。もう一度振り返る。屏風のように山々が立っている。憧れの頂、霧の岩稜、可憐な花々、雷鳥の家族、展望にこそ恵まれなかったものの妙に満ち足りた気分となり、口笛を吹きながら舗装された林道を歩く。シューベルトの「グレイト」を適当なメロディで吹きながら、振り返る。山よありがとう、さようなら。今度はいい展望も下さい。      

* * *

奈良田の集落で町営温泉に入り、うなる。ビールを飲み干し、真新しいTシャツに着替え、脚こそ痛いものの涼しい気分でバスに乗る。身延線の列車、南アルプスは何処かと目をこらしてみるが遠景は見えない。座りなおして素晴らしくもあっという間だった数日間を思う。流れる車窓には風にゆらぐ草々がかかり、それは盛夏を思わせた。数日間は脚が棒になったままだろうが、それは決して嫌な気分ではない事は良く分かっていた。      

(終わり)

コースタイム
1994/7/29 (金) 広河原 9:30 −二俣 12:00/12:45 −小太郎尾根分岐 14:35/14:50 − 北岳肩の小屋 15:40
1994/7/30 (土) 肩の小屋 5:30 −北岳 6:15/6:40 −北岳山荘 7:20/7:40 −間ノ岳 9:30 −農鳥小屋 10:40/11:00 −西農鳥岳 11:45/12:05 −農鳥岳 12:50 −大門沢下降点 13:30 −大門沢出合 15:30/15:45 −大門沢小屋 16:30
1994/7/31 (日) 大門沢小屋 5:30 −大コモリ沢出合6:45 −下山口8:00 −奈良田 8:40 −奈良田発 10:00(山梨交通バス)、身延発 12:16 (JR 急行富士川)

標高
北岳3192m、間ノ岳3189m、農鳥岳3051m


Copyright:7M3LKF,Y.Zushi,2000/3/31


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