春の雪と雲取山 − 友との別れを意識して 

 (1994/4/8,9、山梨県北都留郡)


”CQ,CQ...こちらはジュリエット...ポータブルワン、東京都西多摩郡雲取山山頂移動、CQ,CQ,CQ...”

愛用の6mのリグのスイッチを入れると移動局の声が飛び込んできた。さすがに山岳移動、SSBのノイズもものともしない強力な電波だ。

雲取山、と聞いて反射的にマイクを握っていた。あの山の山頂に居る人なら誰とでも話がしたい。眺めはどうか、気温はどうか、そして・・・今幸せな気分か?あの山の山頂に立つ人は皆幸せに違いないのだ。そんな人と話しがしたい。PTTを押す手に力が入った。

雲取山、とても好きな山だ。嬉しさと、少し寂しい思い出に包まれたあの山。友とあの頂に立ち雄大なパノラマを眺めたのはもう一年も前の話だ。四月だというのに新雪に覆われた頂は静かで、そして美しかった。

  * * * *


1・雲取山頂銀世界 :
(踏み跡の無い白い稜線を歩けば
大菩薩の奥に富士が立っていた)

前夜のマイナス20度の寒気団が一夜にして回りの風景を変えた。踏み跡の無い吹けば飛ぶような軽い粉雪の雪原を登る。小雲取への急坂を登りきると山頂はすぐそこにあった。風が冷たい。3度目の雲取山山頂は一面の銀世界だった。

さっきまで雲の上に立っていた純白の富士は隠れてしまったが、眼下に雪化粧した奥多摩の山並が重なり合う。お隣の飛竜山は雲の中だが向かいに大菩薩から小金沢の連嶺が大きい。上空は快晴に近い。我々3人と時折吹く風以外は誰もいない。白一色の山頂。静寂。そして大展望。幸福感に包まれる。こんな贅沢がこの世にあるのか、と思う。

   * * * *

山頂避難小屋のベンチでY氏がアンパンを美味しそうに食べている。考えてみると彼とは色々な処へ旅をしてきた。バイクで、時にはMTBで。単車にテントを積み共に走った信州路。波音の絶えない冬の海辺で、朝もやの幻想的な湖岸でのキャンプ、そして登山。笹原と森野寂しい縦走路を二人で辿った小金沢連嶺。明けゆく関東平野の美しさに言葉を失った晩秋の丹沢縦走。過去2度の雲取山もすべて彼と登ってきた。会社の1年先輩にあたるY氏といつからこうして旅を始めたのか、良く覚えていない。それはとても昔だったような気もするし割りと最近だったような気もする。

自分は独り旅は好きな方だろう。気楽で、時に寂しくもある豊かな時間だ。しかしY氏との旅も独りとは違った楽しさだ。Y氏と同じ時を過ごす事が楽しいのだ。大げさかもしれないが彼の人格に、行動に触れられる事が楽しみで旅をしてきた、と思う。そして彼に頼り、時に甘える事も嬉しい事だった。なるべくY氏の世界に足を入れないつもりではあったが私の我儘から彼には随分と迷惑をかけていたかもしれない。彼にはきっと私は旅の良いパートナーではなっかたかもしれない。

そんなY氏との旅も、山行も、今回でしばらくはおあずけになる。3月末で会社を辞めたY氏は間もなく東京を去る。暫く海外を旅した後、きっと東京ではなく、郷里の広島に戻るという。次に彼に会える日はいつだろうか、彼と旅する日はいつだろうか、その思いで寂しかったこの数ケ月であった。

2・友の笑顔、豊かな時間 : 

今までY氏との山行で小屋泊まりの経験はなかった。又、自分自身も小屋でゆっくり過ごした、という経験はない。そんな事もあり今回のY氏の送別山行は居心地の良い小屋でゆっくりしたい、という思いが強かった。折りも折り、私、Y氏ともに懇意にしているTさんから山行の誘いがあった。Tさん夫妻は奥多摩・七つ石小屋の主人の人柄に魅かれ何度も通っているという。T夫妻、Y氏と私の4人山行、行く先は鴨沢から七つ石経由で雲取山へ、とすぐに決まった。

鴨沢から入山する。雲取山に登る為10ケ月前にY氏と辿った登山路だ。記憶を辿りながら歩く。畑、廃屋、植林帯、そして原生林が次々と現れる。幕営装備がないせいか前よりは多少楽に登れるようだ。路も急傾斜がなく、あくまで優しい。Tさん夫妻が今晩のおかずに、と道みち野草を摘む。甘草、と云うそうだ。途中1時間のランチタイムを挟み計4時間で七つ石小屋に到着した。午後1時半。今日はもうこれ以上どこにも行かない。何もしない。のんびりするのだ。

小屋は開いているものの金曜日のせいか残念ながら主人は不在であった。4人でストーブを囲み薪をくべる。4人だけの小屋だ。酒が開けられる。

Tさんの御主人は北アルプスで山小屋の小屋番をされている、との事。山に登って35年、雷の話、熊の話、自身の小屋番としての経験、困った登山者の話、仲間割れしたパーティの話、宿泊客が美人女性1人だけだった時の気持ち、など話はつきない。

パチン、と時々薪がはぜる。火だ。赤い炎がなんと優しいことか。すすけたストーブだがこれのおかげで部屋が、そして心が暖まるのだ。Tさんの御主人が、小屋の斜面に生えていた蕗を摘んできた。サッと油で炒め塩を振る。口中一杯ほろ苦みが広がる。美味しい。山の味だ。自然の味だ。いつしか小屋の外には白い霧が広がる。又薪がはぜる。話が尽きてもストーブの炎を見ているだけで良いのだ。Tさん夫妻が自作のオカリナを演奏して下さる。高音・低音パートに分かれての演奏。夫婦ならではの息の合った演奏。何て素敵な夫婦だろう、と思う。時がゆっくりと流れているようだ。いつか薄暗くなり石油ランプを灯す。トイレで小屋の外に出るとヒョウが降っている。一面真っ白だ。小屋から夫妻のオカリナが聞こえてくる。酒に、火に、ゆったりとした時の流れに酔う、何と満たされた時間だろう。こんな時を過ごせる自分の何と幸せな事か。会社で仕事をしている私と、山でのんびりする私。やはり山で過ごす時間は楽しい。自分の時間の大切さ。横を見るとY氏も笑い、楽しそうだ。あぁ良かった。来て良かった。Y氏の笑顔にますます嬉しくなる。

布団の中にシュラフを入れ潜り込む。明日は雲取山だ。ジッパーをしめドローコードを引くと眠りに落ちる迄に間がなかった。

3・春の雪 :

春だというのに雪が一晩降ったのだ。快晴だが約20センチの積雪。多雪が想像される日原方面への縦走は諦め、荷をここに置いたまま雲取山への往復とする。Tさんは小屋に残るとの事で3人で山頂を目指す。一夜にしての積雪に夏道は埋まり、ルートを外さぬよう巻き道を緊張しながら歩く。石尾根に出た。足跡は無い。まだだれもこのルートを歩いていないのだ。
(一晩たてば銀世界。春だというのに)

  * * * *

小屋には11時頃に戻る。Tさんが笹のお茶を作って待っていてくれた。小屋の裏から摘み取った笹の葉をゆでたお茶はほろ苦い。昨夜は不在だった小屋の御主人も麓から登ってこられた。柔らかな笑顔を浮かべた御主人だ。

丁寧な御主人の見送りを後に下山の途につく。春の雪は少し寂しい。暖かくなった地面の温度に雪はたまらず溶けていくのだ。あれほどの銀世界ももうまだらとなっている。

春。雪を溶かす春。新芽を呼ぶ春。水も空気もこれから日に日にもっと暖かくなってくるだろう。でもその暖かさも私には少し寂しい。のどかな春の山麓風景も私には少し寂しい。人は皆個人・個人。少し寂しいけど皆それぞれの道があり、そしてそれを歩むのだ。春は始まりの季節でもあるのだ。歩かなければ。先はまだまだだし、それは喜びに溢れているに違いないのだ。

往路に使った鴨沢道を降りる。高度を下げるに従っていつしか春の雪の名残のぬかるみも消え乾いた道となる。向かいに大きかった三頭山も気づけば前衛の鹿倉尾根に隠れてしまった。あと小1時間も歩けば鴨沢の集落に着く事は確かだった。

  * * * *

Y氏がいなくなってから私は独りで山を歩き始めた。北岳、奥秩父、と憧れていた山域を次々と歩いた。非常時を考えアマチュア無線局も開局した。山頂での6メートルSSBの移動運用は楽しいものだった。やはり独り歩きは気楽でいいなぁ、と改めて認識もした。しかしやはりどこか寂しかった。今までは遅いペースで歩く私の数歩後をY氏がかならづついてきてくれた。無言で歩いていても後ろにY氏がいる事は確かだった。今でも時々後ろを振り向く。Y氏がいるのではないか、と。しかし後ろにはもうY氏はいなかった。自分の歩いてきた路がただ延びているだけだった。

先日電話が鳴り受話器をあげれば”広島で無事就職したよ”、というY氏の声が弾んでいた。”就職難でなかなか苦労したけど運がよかったよ・・・。”

あれから後Y氏はすぐに日本を離れ半年間バックパッカーとしてユーラシア大陸と北アフリカを独り、旅していた。異国のスタンプが押された絵葉書が時折舞い込んできた。そして年末に郷里の広島に帰ったのだった。

東京と広島、両者の丁度中間あたりとなる北アルプスでも毎夏休暇をあわせて旅しよう、と約束して受話器を置いた。再会し、旅をし、笑い、そして別れ際は又一抹の寂しさに包まれる事だろう。でもいい。自分にとっての雲取山が毎夏増えてゆくのだ。美しく、楽しく、そして少し寂しい雲取山が。

  * * * *

”CQ,CQ..”呼び出しはまだ続いている。”セブン・マイクスリー・リマ・キロ・フォクストロット”、不必要に力んでします。”リマ・キロ・フォクストロット局どうぞ” やった一発で取ってくれた。”了解、ジュリエット・・・”、私の声が弾む。雲取山の空気がスピーカーから漂ってくるのをはっきりと感じた。

(終り)


(コース : 鴨沢9:25、七つ石小屋13:25、翌日小屋発7:00、雲取山山頂着9:00山頂発9:30、小屋着11:00、小屋発13:30、鴨沢着15:30、雲取山標高2017m)


(本記事は同人誌”山岳移動通信 山と無線” 23 号 - 1995/5/30 への投稿記事です。)

Copyright : 7M3LKF, 1997/10/15


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