大菩薩から小金沢連嶺を歩く

 

  (1993/9/15,16、山梨県塩山市)


1・大菩薩嶺に登る :

異常な冷夏もいつしか終わり、9月。さて今月はどこに行こうかと考える。東京から近くて、この季節でも自分の力でなんとか登れ、かつ著名な山は・・、選択肢はさしてない。大菩薩だ。中央高速を東京に戻るとき笹子峠方面に立ちはだかる山群。中里介山でもおなじみだ。

地図とくびったけの数日が過ぎる。相変わらずこの時間は楽しい。コースは大菩薩嶺から南へ小金沢連嶺を縦走、途中でキャンプ泊と決定。甲府盆地の東の縁を縦走するわけだ。6月の雲取山以来のY氏との2人パーティが復活する。 


2・安易に山頂へ :

休日の朝の塩山駅。登山者でさぞや一杯だろうと思っていたが降りたのは我々2人以外には数えるほど。どうやら時間が遅すぎたらしい。大菩薩峠のすぐ手前、福ちゃん荘までタクシーに乗る。バスで行くと途中までしか行かず、そこから福ちゃん荘までは2時間半の登山道だが、タクシーは今後の行程の長さを考えての出費だと自分を納得させる。2時間半を金で買うわけだ。

福ちゃん荘から登山道に入る。唐松尾根と呼ばれるこのコースは2056.9メートルの大菩薩嶺の山頂へと直登する急な道、と書いてあったがそれほどでもない。自分の実力が少しはついたのかな、などと嬉しくなってしまう。

森林帯を抜けると草原に出た。花々が咲く急な崖を登りきると主稜線に出た。重いザックをそこに下ろし大菩薩嶺山頂へ往復する。

”もう山頂。どうも盛り上がりにかけるねぇ。” 
”やっぱタクシーを使ったからだろうなぁ。 こんな楽な登山は初めてだなあ。全然有難みのない山頂だねぇ。”
”やっぱ長い尾根を登っていき山頂手前で一泊して、明日は山頂だ、という期待と緊張感が必要ですね。雲取山へのあの長かったアプローチが懐かしいですね。”

などと好き放題並べながら山頂を踏む。勝手にタクシーに乗りながら文句を言われる山頂もかわいそうだ。ムッときているに違いない。


3・人で溢れる大菩薩峠 :

大菩薩嶺からは広い草原の中の縦走路を行く。雲取山の石尾根を思わせる広大なカヤトの原だ。気分は良い。ただ林道の整備工事でもしているのか、下から重機の音が風に乗ってやってくるのが気に入らない。

天気は薄曇。雲取山が見えるか、と期待していたのだが。大菩薩峠までのこの気分の良いプロムナードには老若男女を問わず多くの人々が歩いている。登山者スタイルあり、普通の街着にスニーカーの人あり、手ぶらの人あり、皆自然を満喫して楽しそうだ。成程、このアプローチの短さは家族連れにも持ってこいだろう。旅行代理店のツアー一行の方々も登ってくる。しかし中年の女性が多いのにはビックリしてしまう。同年の男性は一体何をしているのだろう?

雲が下のほうにどんよりと出ており、富士も見えず展望は余り開けない。大菩薩峠、介山荘前にて昼食。介山荘は山小屋というよりも土産物屋という感じだ。ビール、ワイン等を買い込み、そのまま南へ続く縦走路へ足をむけた。ここから先は小金沢連嶺と呼ばれる幾多のピークが重なる縦走路だ。


4・人のいない小金沢連嶺 :
(霧雲が稜線を越えてきた・・。石丸峠から
先は静かで消え入りそうな縦走路・・)

小金沢連嶺の縦走路に入った途端踏み跡は希薄になる。ここから先は山屋の領域なのか、人気もなくなる。倒木と木の根で滑り易い樹林帯の路と、小広い草原とが交互に現れる。石丸峠から先は踏み跡は更に希薄となる。

深いササの中、頼りなさそうな路が細々と続いている。この先にどんな風景が我々を待っているのだろうか?我々の前にここを歩いた人はいるのだろうか? そうならいつ? 薄い靴跡を見ながら考える。

自分は路の持つ魅力に魅せられているのかもしれない。しっかりと、時には希薄になりながら地形に忠実に登降を繰り返す路。ある時はイヤな岩場へ無理矢理と、ある時は湿っぽい樹林帯へ、又ある時は広大な草原へと人を誘う路。ひっきりなしに続く風景の展開・・・。

胸まで届く深い熊笹だ。一見路が無いようだが踏み分けて進む。路無き路を進む、戦車のような気分だ。

さっきから西側から工事の音が聞こえる。音のみならずガスの向こうに大規模な造成地すら見える。地図を見ると大菩薩鉢巻道路(建築中)とある。何なんだこんな山奥に。道路建築、ゴルフ場建築・・、開発の図式が見える。山は喜んでいるのか、悲しんでいるのか。二人して首をかしげる。

倒木と滑り易い路に苦戦しながらも進む。小金沢山、牛奥ノ雁ケ腹摺山と2000メートルに近い尾根を歩く。水場のある草原に出た。眺めも悪くなさそうだし今日はここにテントを張る事にした。結局この縦走路に入ってからすれ違ったのは2人ずれのパーティ一組だけだった。
(朝。雲の上に
南アルプスが)


レトルトの夕食でも野外で食べれば超豪華メニューに変身だ。満天下の星の下で酒を飲む。白鳥座、カシオペア、夏の大三角形、そして天ノ川、元天体少年だったというY氏は詳しい。東の空がボォっと明るいのは東京の街の明かりか。気分良く酔う。

深夜2時尿意を催しテントの外へ出る。深い霧だ。音もなく霧のなかに2張りのテントがぽっかり浮かんでいる。少し寒い。霧の中を泳いでテントに戻った。


5・計画変更、林道にて下山 :

快晴の朝だ。西側の展望が広がる。雲に沈む甲府盆地の向こうに南アルプスが勢揃いしている。7月に行った南アルプスに感動の再会だ。右から三角屋根の甲斐駒ケ岳。隣に仙丈ケ岳。地蔵、観音、薬師と続く鳳凰三山。そして更に左には北岳、間ノ岳、農鳥岳の白峰三山へと続く。登った山あり、すぐそばで眺めた山あり、どれも山の形を見ただけですぐに分かった。嬉しい。しかし北岳の素晴らしさといったら一体何なんだ。南アルプスの連嶺の中でも一際高く気高い。7月に鳳凰三山から見て以来、北岳の素晴らしいシルエットが頭に張り付いて離れない。あの素晴らしい山にいつか登れる日は来るのだろうか・・。白峰三山はいつか縦走してみたいのだ。

釜あげうどんの朝食を済ませ出発。朝露に濡れた熊笹を警戒して上下カッパを着て出たのは正解だった。早速胸までの熊笹だ。カッパはびしょ濡れになる。

突如樹林帯を抜け出しカヤトの原に出た。目の前に大きな富士がすっくと立つ。おぉ、と声にならない声をあげる。言葉を失う崇高さ、とでも言うべきか。広い裾野から山頂まで遮るもの一つ無い端正なピラミッドだ。二人して見とれる。

今日の行程は小金沢連嶺の最後のピーク、黒岳から林道の通じる大峠へ一担降り、雁ケ腹摺山に登り返す。ここは旧500円札の富士山をスケッチした場所だ。そこから金山鉱泉へ下山し大月へ戻る、というもの。しかし黒岳に着いた時点で予定の時間を結構過ぎている。予定通り行けるかな、と思いつつ大峠へ下山する。

人通りは全くなく蜘蛛の糸が先を行く私の顔にからむ。4、5メートルおきにからむ。途中、踏み跡が突然に消滅してしまったのに気づく。どうも路を外してしまったようだ。あせる。尾根路のはずが谷に向かっている。鉄則通りに戻る。と、倒木の向こうに確かな踏み跡が続いていた。

肩までの熊笹地獄のなか予定より大きく遅れて大峠に到着。疲れた。目の前にこれから登ろうとする雁ケ腹摺山が立ちはだかる。あれに登るのは正直言って少々つらい。
(桑西でバス
を待つ。旅の終り
は寅さん気分)

鳩首会談。地図のコースタイムとにらめっこした結果、予定の行程をとれば金山鉱泉着は17:00近くになるだろうと判断。行けなくはない。でもここから林道を歩いて下りれば14:00前にはバス停のある桑西に着くだろう。早めに下りて大月駅前の銭湯でのんびりしませんか、という意見が出る。決定。3時間の林道歩きだ。

真木小金沢林道は山奥にも関わらず舗装工事が進行中だ。こんな山奥の道を舗装してどうしようというのだろうか、この先には集落もない、というのに。昨日の大菩薩鉢巻道路といい、よく分からない。山梨県は一体何処へ行くのだろうか?

堅い舗装道をひたすら歩く。桑西のバス停に着く。次のバスまで1時間近く。のどかな農村のバス停の小屋の中でのんびりする。”寅さんになった気分だ”、とY氏が横でつぶやく。

一番乗りの銭湯。駅でのむビールが美味い。駅弁、立ち食いソバと進み、すっかりいい気分でスカ色の上り普通列車立川行きに乗り込んだ。

   
  * * *


家に帰りベランダでテントを干す。と、なかからモゾモゾと小さな羽虫が出てきた。キャンプ地で入ったのか、ザックの中は窮屈だったろう。空気も汚い横浜だけど頑張って生きてくれよ、とベランダから空へ虫を放った。    

(終り)

                 

(コースタイム:塩山駅9:36、福ちゃん荘10:30、大菩薩嶺山頂11:45、大菩薩峠12:40/13:50、小金沢山15:55、牛奥ノ雁ケ腹摺山16:45、キャンプ地・賽の河原17:15/7:50、黒岳8:50、大峠10:10、桑西14:15)

(標高:大菩薩嶺2056.9m、小金沢山2014.3m、牛奥ノ雁ケ腹摺山1994m、黒岳1987.5m)


Copyright : 7M3LKF, 1997/11/23