憧れの遠い頂へ 平ケ岳 

 (2015年9月20日、21日、新潟県魚沼市)


平ケ岳は遠い山であった。初めてその山頂を見たのはGWに登った至仏山からだったと思う。鳩待峠からひとしきり汗をかいて山スキーでようやく登りついた至仏山の山頂で、目前の燧ケ岳の眺めもさることながら、北に大きく裾を引く山が印象的だった。燧ケ岳のように分かりやすい山ではなく、むしろその山頂を同定するのも難しいような、白銀の山並みの向こうに立つ大きな高まりとでもいうピークだった。平ケ岳には尾瀬ケ原に幕営して機動力のあるテレマークスキーで往復すると言う、うろ覚えの山スキーガイドの記事が思わず頭に浮かぶ。あのピークへスキーで往復することができるのか。でもそれは尾瀬ヶ原から往復 10時間を越えるという心技体揃った経験者コースという記載であった。

むろん平ケ岳はスキーで行くのはまさにバリエーションの極みであり、通常は奥只見湖の鷹ノ巣から片道10kmを越えるピストンルートが一般的と紹介されている。山中に小屋の類は一切なく日帰りでは12時間近い行動という。そんなに歩く事はかなわない。いつしか自の中ではまず行くことのない遠い山として位置づけられてしまった。

燧ケ岳、そして会津駒ケ岳。その後GWにテレマークスキーで登ったこれらの山々から、相変わらず平ケ岳は遠く、大きな存在感を示していた。あの山にいつか行く日はあるのだろうか、半ば諦めをこめた目で遠い白銀の山を見つめたのだった。

* * *

(稜線に上がってから初めて遠望できる平ケ岳の山頂(右奥)) (山頂の一角・池ノ岳の高層湿原から、雲をまとった平ケ岳山頂を見る)

今年の秋はシルバーウィークという、およそ聞きなれない大型連休が予定されていた。日程に余裕のあるこの連休であれば、なんとか平ケ岳が狙えぬか、という思いがわいてくる。足の遅い自分には日帰りは無理だ。むしろテント泊を前提に、じっくりと登ってやろう。不安は水場。尾根上にあると言う二箇所の水場は秋には枯れていることが多いと言う。山頂直下に沢水があるという情報もネットでは散見されたがどんなものか。まぁ水がないとしても、食事に水を使わないメニューであれば2リットルあれば足りるだろう。出来る限りの軽量グッズをセレクトしザックに詰め込む。ザックは山道具もさることながら不安感で膨らんでいる。水はあるのか、この荷物で歩ききれるか。まぁ、行くしかない。稜線に何でもござれの小屋が点在する北アルプスの縦走とは訳が違う。ハットハットの距離が長い南アルプスですらそれでも小屋がある。一方ここは一旦入山したら下りるまで頼るものは自分以外に何もない。駄目なら戻ろう、と考えて気を楽にするしかなかった。

平ケ岳登山口の鷹ノ巣は遠い。横浜から奥只見湖外れのこの地に行くには関越道小出からシルバーラインか、あるいは会津の檜枝岐経由か。檜枝岐はいかにも遠かった。山に登る前に疲れそうだ。かくして小出経由のルートとし9月19日夜、悲壮感に近い不安を心に残したまま自宅を出た。

途中塩沢石打SAで仮眠。気温は13度しかない。これでは2000m越えの稜線は氷点下かもしれない。軽量化の為にフリースを持ってこなかった事をひどく後悔する。しかしもう進むしかない。奥只見シルバーラインは、こんな山中によくも作った、と呆れるような長いトンネルだった。辛うじて盲腸のように飛び出た枝道から外に出るとそこはもう銀山平、奥只見湖の最上流だ。わずか一時間でとんでもない秘境に来てしまった気がする。もう後には引けない。鷹ノ巣まで延々と行きつ戻りつ湖岸を走る。一年の半分は雪に没するであろうこの道。よくもこんなところに道を作ったものだ。鷹ノ巣には静四郎小屋という山小屋があり、平ケ岳登山口はその1kmほど先であった。

渓流釣りと山屋が半々だろうか、広場に停まった車はざっと40−50台近い。さすが百名山だけはある。辛うじて駐車スペースを見つける。思ったよりアプローチに手間取って、登り始めは8:45となった。平ケ岳にこの時間から登り始める人はいないかもしれない。しんがりか。まぁ行くしかない。ロケットブースターに点火して宇宙に飛び立つ飛行士はこんな気分なのだろうか。こちらも半ばやけくそ気味に歩き始める。先は長い。ゆっくり行こう。

沢を越えると登り始めから一気に尾根に取り付く。「痩せ尾根注意」という看板が示すとおり、登り始めてからすぐにブッシュを抜け出して左右が切れ落ちた尾根となった。アプローチからこんな尾根とは初めての経験だ。馬の背状の尾根が愚直なまでに一気に稜線目がけて突き上げている。時折トラロープがぶら下がる尾根道は、左右が切れているとはいえ足元の幅は広いので岩稜歩きのような不安感は感じない。それでも時折幅1mほどの、スパッと落ちた蟻の門渡りのような箇所が出てくる。幸いに上空はガスっていて直射日光にあぶられなくて住む。北側の谷から冷涼な風が吹き上げてきて一心地つく。

尾根の上部になり早くも下山者に出会う。足はランニングシューズ、そして小さなザック。トレランだ。もう山頂に行ってきたのか、と信じられない。10キロを越えたザックに喘ぐこちらははやくも足がつりそうだ。とても同じ人間に思えない。斜度が緩んでようやく稜線に登りついた。下台倉山、1604m。10:55、2時間強か。一息入れる。貴重な水には手を出す気がしない。幸いに喉も渇いていない。軽食を口にして歩き始める。ここからは台倉山1695m、そして1700m級の稜線をひたすら歩き池の岳山頂直下で約300mを登りきり山頂湿原の一角という。そこまでが長い。3時間は頑張らなくてはいけない。

左手に燧ケ岳が見えるが肝心の山頂は雲の中に隠れたままだ。日当たりの良い稜線と、その西側の薄暗い樹林帯を交互に辿るルートだ。樹林帯の道はぬかるんでおりひどく歩きずらい。時折稜線に飛び出ると明るさに目が眩む。トレランの下山者は既に5,6人すれ違った。そして早くも小型ザックの普通の登山者も下り始めてきた。もう11時半が近い。当たり前か。こちらは完全に足が出来上がってしまい先に進むのが辛い。やや登り台倉山。11:54分。ここまで50分か。とここで大ザックでへばりきっている単独行がいた。歳は自分に近い。仙台から来たという。山頂でテント、やはり水が不安で3リットル担いでいると言う。自分も2リットルで足りるか、ふと不安になる。軽く挨拶をして先に進む。しんがりではなくなったのでやや気が楽になる。とここで大ザックの下山者にすれ違う。テントだ。水場について質問する。と、山頂直下のテント場は沢に面しており、これが豊富に流れているという。ネットではこの沢の存在は分かっていたがその水量が不安だった。これで気がスーッと楽になった。彼によるとすれ違った幕営登山者は自分で5パーティ目だという。どうやら山頂一人ぼっちはなさそうだ。少しホッとする。

大倉清水の水場は涸れているという情報だったのでこれは無視する。コメツガの深い林の中を木道がずっと敷かれている。標高差は殆どないがひたすら長い。白沢清水は小さな沸き水だが泥っぽくなかなか水を汲む気にはならない。ここで幕営二人パーティと遭遇。群馬から来たと言うかれらはこの水を汲み沸かしカップ麺を食べていた。コメツガの林を飛び出ると目の前に一気にせり上がる山肌が見えた。ガスに巻かれてその全貌は明らかではないが、地形図を見るまでもなくこれが山頂一角への胸突き八丁であった。標高差300mとは思えぬ、ひとしきりの絶壁に見えた。参った、完全に足が出来上がっている。コレを今から登ると思うとくらくらしてきた。さすがにあれほどいた下山者ももういない。ゆっくりと、殆ど絶望的な思いで登り始める。ガスが晴れると遥か上に先ほどの二人パーティが登っていた。ため息しか出ない。

一歩一歩登って行く。にわかに風が強まって、それがとても心地よい。この風で凧のように山頂まで舞い上がれたらさぞや楽であろう。テン場に水があると知り気にせずペットボトルに手が伸びる。長い長い1時間半だった。ふと頭を上げるともうその先に登りは無かった。ツガの林をぬけると展望が一転した。あっと思わず声が出た。そこには無数の池塘が広がっていた。薄いガスの中誰もいない池塘群がシーンとしている。その透明な水面は軽くさざなみが立っておりその果てに草紅葉の原が広がっていた。その先で風景はガスに溶け込んでおり、それはこの世のものとも思えぬ幻想的で寂寥感に満ち溢れた風景だった。この世にこんな風景があったのか。確かに写真で知っていた眺めとはいえ、およそ現実離れしている。高貴というべきか、触れてはいけないものと言うべきか。山上にこれか。苦労をしたご褒美とはいえこれは出来すぎていた。ザックをおろしそこに座り込んで、私は動くことが出来なかった。

ここから目指す平ケ岳まではまだ1km以上、一旦下りまた100m以上登る事になる。肝心の山頂は濃いガスで見ることが出来ない。もう足が言うことを利かない。山頂は明日にしてまずはテント。テン場まで玉子石方面への木道を辿る。やや下ると左手下に浅い谷が広がる。これが沢なのだろう。果たしてテント場が眼下に見えた。4,5張りほど張ってある。木道を下りると思ったより小さなテント場で、そこは木の板が敷かれた休憩広場であった。先ほどの二人パーティが丁度テントを張り終えたところだった。

辛うじて一張りのスペースを探し出しテントを張る。なるほど目の前は沢で、心地よく流れている。水量も豊富だ。すくって飲むとキーンとして冷たく美味い。持ってきた缶ビールを沈める。もう今日はこれ以上歩かない。テントの中で横たわる。6時間弱か、我ながら何とか歩くことができた。

夕方になり、カメラだけ手にして玉子石まで歩いてみる。0.7kmの看板とは別に思ったより遠い。途中で、中の岐からの登山道を合わせる。これが、皇太子ルートと呼ばれる平ケ岳の裏登山道か。なんでも皇太子が登るために整備したルートとの事で、鷹ノ巣の小屋に泊まると中の岐林道をつめて登山口まで乗せてくれると言う。完全予約の秘密ルート。3時間で登れるルートと言うことだが、確かにこんな苦労をしなくても、お手軽に登れるのは残念ながら事実なのだった。しかし自分は表ルートにこだわりたかった。至仏から、燧から、会津駒から、遥かに仰いだ平ケ岳は遠い山だったし、遠い山であって欲しかった。少しだけ良い気分で玉子石に到着。これまた写真でよく見る風景そのものだった。

テン場の面々は、流石に表ルートのテントにこだわっただけある山の好きな連中ばかりだった。隣の若い単独行は一見無口そうだが話し始めると人なつっこく山の経験を感じさせる。幌尻岳夜間登山で熊の気配を感じたと言う。隣の大阪から来た老夫婦は今日この平ケ岳で百名山99山目、明後日会津駒を登って満願成就ということだ。群馬の二人ずれも四季折々の山を歩いていると言う。もう独りの単独行は、浦佐からバスで奥只見ダム、そして観光船で渡り鷹ノ巣へ出て登ってきたと言う。静かながらもなにか執念を感じさせるものがあった。

水が豊富なので夕食のメニューも水を使うものに変更。沢水で冷えたビール、そして沢水でウィスキーの水割りへと進む。疲労と、満足と、酒の酔いで、混迷としてきた素敵な山の一夜であった。

(稜線へは狭い尾根で
一気に突き上げる)
(下台倉山からの稜線は明るい尾根と暗い
樹林帯の道が交互に現れた)
(山頂台地、池ノ岳に登りつくと突如視界が
開け、高層湿原が目の前広がった)
(奇岩・玉子石まではテント場から片道15分
程度。湿原の広がる静かな場所だった)


* * *

快晴だがテントは夜露でびしょ濡れだった。ジッパーを開けると頭上のオリオン座と衝突しそうになって度肝を抜かれた。数多の星が輝き、これは山の夜の醍醐味だ。朝5時、待ちわびた様に隣のテントからヘッ電をつけて歩き始める音。自分も慌ててサブザックを手にテントを出る。ツガの林をゆっくりと登る。林をぬけると草紅葉の原で丁度朝日がガスの中から出てくるところだった。燧ケ岳がシルエットでそれとわかる。その左手から一気に赤い珠がするすると上がってくる。その光に草紅葉についた雫がきらきら輝くが一瞬にしてガスが太陽を覆いつくす。サーッと流れるガスの粒子は生き物のようで、自分はその粒子の中を泳ぐようにして歩いて行く。山頂一体は木道が広くなっておりそこには先行していた周りのテント組み。よく見ると昨日の疲れ果てていた仙台からの単独行もいた。彼は遅くなってから池の岳の木道にテントを張ったと言う。

山頂三角点は10mほど入った林の中だった。記念撮影をして、ここで一仕事。ハンディ機を取り出しRH770をつけてワッチするが誰も居ない。まだ朝6時前だ。しばらく空振りCQが続く。軽量化という事でVX3を持ってきたのだが電池がへたっているのか、早くも表示の残量がなくなってきた。どうもこのリグはイマイチ相性が悪い。北ア・笠ケ岳でもすぐにへたってしまった。そもそもこんな小さなリグにガム電池ではさもありなんか。使い慣れたアルインコDJ-S57をもって来るべきだったと後悔する。ここまで来て無線ゼロとなると後悔しきれない。果たして諦めかけたところで杉並区から声がかかった。レポート52、しっかりと飛んでいた。こんな早朝にありがとうございました。

テント場に戻り朝食。早くも群馬パーティが出発して行く。自分も大阪から来た99山目老夫婦に遅れること10分、朝7時半に出発した。

往路を戻るだけとはいえ帰りも長かった。池の岳直下の300mの下りで足に来る。下台倉山までの平地移動も呆れるほど長い。昨日は感じなかった小さなアップダウンもたまらない。1時間おきにとる休憩のたび、ペットボトルの水がどんどん減って行く。下台倉山からの痩せ尾根の下りは、ほとんど気力のみで下ったというべきか、一歩一歩の下りで汗が滴り落ちて行く。

12時半、駐車場着。下りもしっかり5時間かかった。最後の2時間の痩せ尾根までに至るまで足は完全に放電していた。歩きすぎてか、尻の穴の周りにマタヅレ?ができたようでひりひりして痛い。最後はもう一歩も歩きたくなかった。丁度車で出発するところの大阪の老夫婦に手を振って自分も出発する。

銀山平にあった源泉かけ流しの湯という看板に吸い込まれる。ゆっくりと湯に浸かり足をマッサージする。長いルートだった。でも何とか歩くことが出来た。およそこの世のものとは思えぬ荘厳とすら言えたあの山頂湿原は何だったのだろう。テント場であったあの気の置けぬ人々との楽しいひと時。山頂の楽園。苦労したがゆえの楽園。40歳台ならまだしも、50を越えた自分にこんなことが出来たということが何よりも嬉しかった。遥かだった平ケ岳。憧れの頂だった平ケ岳。足跡を残すことは出来たもののやはり自分には平ケ岳は遠い山だったし、今後も遠い山であり続けるのだろう。

(平ケ岳山頂で朝日を迎えた。燧ケ岳の
左からするすると昇ってきた)
(平ケ岳山頂は小さな切り開きだった) (お世話になったテント場。沢の前の木道
に5張りの小さな「我が家」。)
(蟻の門渡りのような稜線を下りて行く。
先行する2名が豆粒のようだった)


鷹ノ巣登山口8:45−下台倉山10:56/11:05−台倉山11:54/12:05−台倉清水12:13-白沢清水12:55/13:04−池ノ岳14:25/30−テント場14:45 - 玉子石往復
テント場5:00−平ケ岳5:25/6:10−テント場6:30/7:30−白沢清水8:35/8:40−台倉山9:25/9:40−下台倉山10:30/10:40−鷹ノ巣登山口12:30


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