充実した山、笠ケ岳 

 (2013年8月13日-15日、岐阜県高山市)


(緑の谷にヤナギランがポツン
と色を添えていた。)
(雪渓の冷たい水がとうとうと
流れる秩父沢。)

岐阜県側の新穂高温泉に車を停めてのコース、当初は3泊4日で鷲羽・水晶まで狙うという意欲的な計画だったが、山行直前にそんなに歩けるだろう か?と自問自答して2泊3日で笠ケ岳だけを狙うと言うコースに変更した。新穂高温泉から小池新道で稜線に上がり笠ケ岳まで南下。笠を往復して笠新道で新穂高温泉に戻る。折角の夏山に笠ケ岳一峰のみで終えるのか?ちょっともったい気もするが、現実にルート図を見るとこれでも結構歩き甲斐がありそうだった。

8月13日、自宅を3時に出るも新穂高温泉は朝9時をまわってしまう。やはり上高地の裏側、いくら安房峠を抜けるトンネルが出来たとはいえ遠い。登山者の車で鈴なりの中小さなスペースを見つけ何とか駐車する。5分も歩くとゲートがありその脇に登山ポストがあった。9:20、歩き始める。林道はペースが快調。左上には笠ケ岳の稜線が高い。朝とはいえ充分強い夏の日差しにその頂稜部は白く輝き山麓の緑とのコントラストが濃い。明日にはあの稜線を歩いているはずだ。なにかそれがひどく現実離れした風景として目に映る。

10:26、わさび平小屋。スイカがおいしそうだがまだ歩き始めたばかりだ。しばらく緩やかに登る単調な林道をたんたんと歩く。登山道分岐近く、ヤナギランが緑の谷の風景の中ぽっかりと赤く浮かびあがっている。さてここからは登山道だ。頻繁に下山者とすれ違う。11:50、秩父沢で一本立てる。雪渓の尻がすぐそこまで来ておりさすがに水は冷たくゴクゴクと喉を鳴らして沢水を飲む。さて未だ長丁場だ。今日の予定は双六小屋。先行パーティを追い抜く速度で登ってきてはいるがやはり双六までは距離がある。双六小屋を狙ったのはテント場があるからなのだが、ここでコースタイムを勘案しながら登ると、どう頑張っても双六小屋は17時をまわりそうだ。さてどうしよう・・・。ルートはトラバースに転じて鏡平に向けて沢をつめはじめた。

14:00、鏡平小屋到着。ここで見てはいけないものを見てしまった。小屋のひさしにゆれる「生ビール」の幟。こいつの前に戦意は見事に消失。その瞬間に足の疲労を実感、だらだらと生ビール、そして素泊まり6K円になだれこんでしまった。(鏡平小屋はテント禁止) ただこれは正解で、夕刻にアーベントロート燃える槍ケ岳が鏡平の池に写りこむという素晴らしい眺めを得ることが出来た。

8月14日、鏡平小屋発5:50。ここから稜線までの一時間は朝一から結構きつい登りだ。コバイケイソウ、トリカブトなどが早朝の山霧の中に揺れている。朝日にきらきら草葉の水分が輝く。朝の冷気で汗はかかないのがありがたい。7:00前、稜線に上がる。すぐ隣にまだ雪田が残っており冷気が心地よい。弓折岳山頂方面に進むと初めて前方に伸びる尾根の容貌が目に収まる。あのはるか前方の高まりが笠ケ岳だろうか。地図を見ると、どうもあれは抜戸岳のようだ。となると今日目指す笠ケ岳はあの裏なのか。「おー!!」 声にならない唸りだけだ。 とにかくあそこまではまず歩くのか。その先更に笠までも遠い。身震いが起きる。

オオノマ乗越まで一旦大きく下がりオオノマ岳へ上り返し。早くも辛い。昨日の元気はどこへ?ここから秩父平に向けて再び降下。ここから見る抜戸岳の尾根がとにかく大きい。そして遠い。もはやがっかりとしてくる。秩父平9:18、迷わず進むとここからは雪渓に沿った登りで涼しいのが唯一の救いだ。滑りやすい雪の中、ステップがついているが注意しないと踏み抜きもある。喉がからからで力が出ない。稜線に上がったら大休止だ・・。ツーっと額を流れた汗が目に入る。辛い。首にかけたタオルで汗をぬぐう。ようやく稜線に登り付く。ここで一服、飛騨側の谷から心地よい風が吹き上がってきた。帽子を取ってしばらくは放心状態だ。ペットボトルのお茶を飲み塩分補給飴を口にする。ここからコースタイムでは笠ケ岳まであと2時間程度とあるが本当だろうか?15分近く休んでも余り動く気がしない。

気を取り直してまだまだ続く登り坂へ。10時15分、稜線の上り坂も果てた。ここが秩父岩だろう。とここで前方に始めて目指す笠ケ岳が姿を現した。石塀のように、屏風のように長く伸びた稜線、その長さにもたまげたが何よりもその果てに一気にぐいぐいと盛り上がるピークには圧倒的な力がこもっているではないか。しかもそれは決して威圧的ではなくむしろその対極、優美な盛り上がりなのだ。なんと言う山なのだ。あそこにこれから行くのかと思うと鳥肌が立ってきた。

呆気に取られてしばらくは動く気にならない。ようやく気を取り直してカラダを反対にすると大きな谷を隔てて黒部五郎岳が立派だ。その奥に大きいのは薬師岳に違いない。どちらも北アの中では憧れのピークだ。いつの日か歩いてみたいという思いがわいてくる。

 (冷涼な空気の中鏡平の小屋を出る。

(双六岳への稜線が近づいてきた) (秩父平から稜線への雪渓の登りは
辛かった)
(黒部五郎、薬師岳を遠望する)
(稜線にて。遥かなる笠の金字塔
に声も出なかった)
(笠山頂への急登から歩いてきた
稜線。飛騨側からガスが湧いてきた)
(思ったより狭かった笠ケ岳の山頂) (笠山頂を望むテント場。小屋は遠い
が雪渓の水場は近い)

ここからは常に笠ケ岳をみながらの歩行となる。前方の笠のピーク、でかい。ますますでかい。そしてまだまだ遠い。ただ歩くしかない。 痺れがきそうな山だ。じりじりと夏の日が容赦なく照り付けてきて今朝と腕の色が違うことに気付く。タオルで汗をぬぐうと一瞬視界の先の笠ケ岳が遠ざかる。しばらくはほぼ平坦な登山道なのだがすっかりエネルギーを使ってしまい、抜戸岳はパスすることにする。稜線の左側に雪渓が連続し、そこを抜けた風が冷却風となって心地よい。最後の登りに転じて、心の中にはもう笠が岳山荘のビールだけが浮かんできた。おそるべしビールの吸引力。この先か。この先か。それらしい小ピークを越える。ガレ場だ。ハイマツが風に揺れている。上り詰めると、ついに来た。12:30、テント場だった。が肝心の小屋は未だゴーロの上に高い。キャンプ客には不便な小屋のようだ。とりあえずまずはテントを設営して、サブザックに水筒をつめて幕営申請に小屋まで。河原のようなガレ場を石えお選びながら10分は登る事になる。ここで待望のビール。汗ばんだ体だがビールで一服していると体が急に冷えてきた。ここまではずっと行動食ばかりだったので食事らしい食事をまだ取っていなかった。小屋で牛丼を頼む。

さて足は疲れたが山頂は登れるうちに登っておこう。ガレの散る登山道を笠の山頂へ向けて登りはじめる。稜線から見上げていた距離感と実際は違うもので山頂までは思ったよりもずっと近く、13:40、祠の立つ狭い広場に立った。すぐ先に三角点と山頂標識。遠めに見たのとは大違いのとても小さな、控えめと言ってもよい山頂だった。今朝にその姿を遠望して、こうして午後遅くに山頂に立てる とは感無量だった。ハンディ機を取り出して430MHzでCQを出すと富山は氷見市の局が呼んできた。笠ケ岳のCQは珍しいですね、と言われる。

小屋で缶ビールを仕入れてテント場に戻り凱旋将軍の気分で再び一杯。最高だ。すぐそばの雪渓の尻がこのテント場の水場だ。豊富な水量に水はいうまでもなく冷たくて美味しい。テントに入りごろりと横たわる。今日はもう何もしなくてはいいと思うと嬉しいものだ。いつも思うがテントサイドの時間の流れは悠久だ。何をすることもなくボーっとしていてもよし、ただただ酒に酔うもよし。昼寝もよいもんだ。そうして少しづつ、あれほど過酷に強烈だった夏の日も傾きだし湧き上がってきたガスの中に隠れてしまう。するとすーっと冷え込んできてブルッと震えが来る。フリースを着てテントの外に出ると気の早いパーティがもう夕食の準備をしている。まだ16時だろう、自分はもう少しのんびりしよう。なんといっても今日はもう何もしなくていいのだから・・・。

8月15日、今日は下山のみ。06:00、テント一式収納、歩き始める。ガスの朝だ。昨日笠のピークを踏んでおいて正解だった。往路には余り記憶に残らなかった大きな岩の割れ目をくぐる。抜戸岩だ。何処かでこんな岩があったな。そうか、南アルプス茶臼小屋の手前の竹内門か。そんなことを一人考えながら淡々と歩く。ここで笠新道の分岐。6:50、振り返る笠ケ岳が朝霧にほの赤い。さてここからが下降点か。なんだか素晴らしい稜線を離れるのは少し寂しい。ハイマツの中5分ほどガレの急坂を登る。稜線に上がりきるとあとは一気に下りるだけだ。ガスがその裾にゆるくかかった笠ケ岳が言いようも無く立派に立っている。それは文字通り笠をかぶった、立派な金字塔だった。あの頂に立ったとはにわかには信じられない。

笠新道は標高差1500mを一気に下る急坂コースだ。ぐいぐいと高度を下げていく。杓子平は心地よいカールでここから仰ぐ笠も高度間に溢れ素晴らしい。早いテンポで歩いてくる外国人パーティに先を譲ります。双六小屋から歩いてきたと言うニュー ジーランド人2名。カサガダケは良い山だね、と、彼らも楽しんだ様子。杓子平の縁でもう一度名残惜しく笠ケ岳のピークを仰ぎ見る。この先はもう見えなくなるだろう。ここで軽装の男女二人が下から登ってきた。雨具と水しか入っていなさそうなアタックザック。今日中に笠ケ岳を日帰りすると言う。いろいろな人が居るものだ。7:50、靴紐を締めなおして歩き始める。

さてこの先はもう苦行としか言いようの無い下り坂が続くのみだった。難所は一切無いルートなのだがとにかく下る。ひたすら歩く、という辛いコースでもうふらふらだ。足の速い下山者にどんどん追い越される。が自分も先を行く人を追い越す。更に行くと追い越した人が休んでいる。今度はこちらが一服していると追い越した人に追い越される。なんとなくこうして何人も顔馴染みになってしまう。お互いにげんなりとした顔だ。それでも眼下の谷はぐんぐん近づいてきて、10:50、ようやく林道に下り立ったときはもう敗残兵のようだった。終わった、とうとう下りてきた。林道出合いにあるこんこんと流れる水場で水がぶ飲み。そして頭を水につけ、日焼けした腕を水につける。しばらくは放心して歩くことが出来なかった。前後してこの下り坂で知り合った”同僚達”が下りてくる。お互い挨拶を交わす。自然に「ご苦労様」と口に出る、そんなコースだった。

徒歩10分上流に歩いて往路に見たわさび平小屋まで行ってスイカでも食べようか、という考えが浮かんでいたのだが、もうとても歩く気がしなかった。あとは惰性で、ややひきずるように歩いて車を停めた新穂高温泉を目指す。12:02、駐車スペースに戻ってきた。

へとへとで車に戻り石のようなザックをおろした。夏の日差しが無慈悲に照りつける、じりじりと暑い谷間だ。新穂高温泉・中崎山荘で湯につかり汗を流してから横浜に戻る。今日はそう言えば諏訪湖の花火大会があるという。中央道は混みそうだ。またどうせ笹子トンネル手前からも大渋滞だろう。げんなりするが山の余韻を反芻しながら運転すれば飽きることはないだろう。

(抜戸岳手前から振り返る笠ケ岳。雲の笠をまとったその
姿は雄大で毅然としていた)
(秩父平から笠ケ岳を望む。この先下山すると、深い谷
からはこの立派な姿を望むことは出来なくなる。)


* * * *

腕が真っ赤に日焼けして、そして何枚同じアングルで笠が岳の写真を撮ったか分からぬ山歩きだった。この山は、北アルプスの連嶺の中からはぽつんと 離れた場所で孤高の存在感。そして山頂へは遠くてきつい。その存在感とアプローチの長さはまるで南アルプス南部の山のようで、すっかり虜になってしまった。

今回の山では稜線からドコモのスマホが良く使え、山仲間のSさん(JI1TLL局)には2度ほど小屋、テント場から実況レポートができた。「笠新道はきついのでマイペースで下りてください」 というアドバイスありがたく頂戴する。また天気予報もスマホは有効で、自分が山を始めた頃からギアの進化は比較にならないと改めて感じた次第。

鷲羽・水晶岳まで足を伸ばそうと言う当初計画からは縮小された、笠ケ岳だけにフォーカスした山行となったが、自分には充分すぎる、素晴らしい山だった。遠大な稜線の果てにすっきりと気高く立っていた笠ケ岳の姿を忘れることはないだろう。


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