常念岳から蝶ケ岳へ、久しぶりの日本の夏山 

 (2011年8月9-11日、長野県安曇野市、松本市)


初めからトラブル続きの山だった。乗り遅れてはならぬ、と少し早めの横浜線に乗り込み八王子に着いたのは23時前。今宵は0:40分初の「ムーンライト信州81号」で穂高駅まで。中房温泉から燕岳−常念岳へ、という北アルプス初心者である自分でもなんとか歩けそうなルートを計画していたのだ。ところが到着した八王子駅はなにやら騒然としている。放送を聴くと数十分前に中央線・吉祥寺駅で人身事故があったとの由。これで中央線は上下とも大乱れで、復旧のめども立たないらしい。駅員がしきりに京王線への振り替え乗車を薦めている。聞いても無駄とは思ったが駅員にムーンライトが無事来るか確認する。当然ながら不明。待つしかない。

時間が余ったので一旦駅の外に出る。駅前には若い女の子をナンパする男が何人か。カッコ悪い連中だが一方の女の子も素肌丸出しでつけ睫毛が歩いているような子だ。酔って汗ばんだサラリーマンがナンパ師に肩がぶつかったと文句を付けられている。八王子ってこんな街だったのか?三多摩地区なんて言われていたのはとうの昔でもあるが。

妙に疲れてホームに戻る。ようやく運転再開したようだが一時間以上前の電車が入線して来る。午前0時はとっくに回った。8月9日だ。

ホームに放送が流れ「ムーンライト信州」はまだ新宿で待機中との事。ベンチに腰掛ける。回りには山姿がちらほら。隣に座った男性に慰めあうように話し掛ける。白馬までらしい。蒸し暑く汗がとまらない。結局ムーンライトは定刻を1時間以上遅れ、午前1時45分ごろ入線してきた。車内放送によるとこれでも松本から先は定刻に到着するとの由、穂高は4時53分着と告げている。のんびりベースの運転を特急パターンに変えるのだろう。しかしただでさえ少ない睡眠時間がこれにより更に1時間縮まった。3時間も眠れない。ムーンライトに乗るのは2度目で前回は2005年、白馬岳へKさん(JK1RGA)とご一緒したとき以来だ。

眠りは浅いようで駅に停まるたびに目が覚める。それでも隣席は空いていたので楽が出来た。松本を過ぎて起き上がり準備を始める。4:53、穂高駅には定刻に到着。クリームと赤の国鉄特急色ではないのが残念ではあるが183系も今や珍しくなったのでしっかり写真を撮る。驚いたことに自分と同様に先頭車両にカメラを向ける人4,5名。女性もいる。「鉄ちゃんブームは本当だったのか」と目を疑う。

20人近く下りたようだが最後の方に出ると、タクシー乗り場に人だかりが。昨晩穂高駅北部に局地的集中豪雨があり、なんと中房温泉への道が通行止めらしい。当然バスも来ない。8時に役所の車が状況を見に行くらしい。困った、またもやトラブル。8時とは冗長な。タクシーは一の沢、ヒエ平までは走るという。寝ぼけた頭で考える。ヒエ平はまさに常念岳からの下山地点の予定だった。ヒエ平から常念、燕へ逆回りするか。しかしこの逆ルートは順ルートよりも登りが多く所要時間も長い。燕を諦めるか。替わりに予定になかった蝶ケ岳を回ろうか・・。迷っているうちに即断即決の人達でタクシーは何台も出発していく。よし、蝶だ。自分も意を決し一の沢へ。4人相乗りの面子はすぐに決まり走り出す。隣に座った自分よりやや年上の男性は表銀座縦走予定との事だったが、期せずして常念に登れるとは!と嬉しそうであった。自分も常念に登れないわけではないのだからポジティブに捕らえよう。

(一の沢コース。沢音と木陰に助けられる。)

一の沢・ヒエ平には登山届けの小屋とトイレそして簡単な小屋がある。登山届けにはしっかりと常念−蝶−上高地と書く。これで浮気はなしだ。きりよく6:00、歩き始める。

沢筋のほぼ平坦なコースが続く。沢音が耳に心地よく樹林帯の中は涼しい。これはウォームアップには丁度良い。2泊3日の幕営装備で膨れ上がったザックが肩にずしりと食い込む。久々の日本の夏山。今回は旧くなった感のあるいくつかの山道具を新調してきたのだ。吉祥寺・山幸オリジナルの皮軽登山靴。とても足に馴染んでいるのだがもう履き始めてから20年近く経ってしまった。ソールも既に2回張り替えているが、アイガメとソールの間の中敷がひび割れており山行途中でのソール剥がれを考えると良い気はしない。ご引退願うか。奮発して巣鴨・ゴローの皮軽登山靴を新調。ゴアのブーティ内臓でこれまでの靴より両足で150グラム程度軽い。すでにこの靴で櫛形山で足慣らしは終えているのでばっちりだ。ザックも軽量化。インナーフレームのないアライテントの一本締めザック。35−45リットルで1kgもない。背面パッドを取ってしまえば只のずた袋といった具合で軽いわけだ。

ぴかぴかの登山靴とザックが気恥ずかしいが自分自身も北アルプス素人。しかもしばらく日本に居なかったのだから新人のようなもんだ。見た目新人、気分新人、体力旧人。沢音に包まれて、それでも着実に高度が上がっていく。

昨晩の雨の影響か登山道は水が多く半ば沢状に化している箇所もあるものの登りやすい道だ。沢の左岸をひたすらつめていく。1時間歩いて10分休憩のペース。王滝7:10、エボシ沢7:37。笠原沢8:25。途中休憩しているとヤエスのVX8をザックのポケットに入れた若い男性が登ってきた。「アマチュア無線ですか」と声をかける。人懐こそうな彼はJG1○×△のコールサインを持つ横浜の局だった。日帰りで常念ピストンを狙っているとの由。先行する彼に別れを告げこちらも再び登り始める。ここまで始終流れる沢音も耳に心地よく、木立の中は涼風も吹き道もよく歩きやすい。が、一の沢を右岸に渡り返す手前で樹林帯を抜け出て一気に直射日光の餌食になる。夜行の睡眠不足も手伝ってか、くらくらしてきた。たまらずかろうじて見つけた潅木の茂みで一本立てる。汗が流れる。糖分・塩分補給のタブレットを口に入れる。ポカリスウェットの成分を固めたようなものだ。最近はこの手の、必要なビタミンやミネラルをピンポイントしたサプリが多い。

9:05、胸突き八丁の看板があり覚悟を決める。ここからは九十九折れで沢を高巻いていくようになった。みるみるうちに標高を稼いでいく。常念岳とご対面しているはずだがガスが出ており山頂は見えない。しばらく登って水平道に移ると、最終水場の沢は近い。9:45、最終水場。沢音と冷たい水が心地よい。心行くまで沢水を味わう。先行していたJG1氏もやはりキツイのかここで休憩を取っていた。昨晩仕入れたコンビニおにぎりを一つ平らげるとやる気が出てくる。ここからは再び樹林帯になる。日光が遮られてありがたい。稜線への最後の詰めであるが、草つきの急登を想像していただけにこれは嬉しい誤算だった。10:20、ベンチ跡で10分休憩。休憩ペースは乱れっぱなしだ。ダケカンバ帯にササが混じり始める。やがてハイマツが出現する。先行していたJG1氏が「着きましたよー」と声を出してくれた。やった!稜線に飛び出した。11:00、常念小屋到着。標高差1200mも無事に登ることが出来た。

テント場にザックを置く。体が急に軽くなる。まずは足のストレッチングだ。40歳を越えた頃からだろうか、少しハードに歩くと(特に下山路)必ず両足のモモの上面筋肉、いわゆる太腿四頭筋に筋肉痛を残すようになっていたのだ。昨夏のマッターホルン周辺のトレッキングでも、その2年前のツール・ド・モンブランでも、この筋肉痛で随分と同行していただいたSさん(JI1TLL)には迷惑をかけてしまったものだ。今回は独りなのでその辺りは気楽ではあるが、やはり最終日の下山行程時にこの筋肉痛が出てしまうと下山もままならない。事前にネットで色々ストレッチング方法を調べてみると、太腿四頭筋を伸ばす、その際に大きく息を吐き乳酸を排出すると良いとの事。座ってやる方法、腹ばいになってやる方法等いくつか紹介されている。さて、これで明日以降も無事歩けるだろうか。

小屋で幕営(600円)受け付け。ビールを所望すると缶ビールはないという。ここ数日の夕立などでヘリが上がってこないそうだ。ただし生ビールは豊富にあります、との言葉に一気に800円が飛んでいく。ジョッキとはこれ以上のものもない。ベンチでぐっと一飲み。対面している穂高から槍ケ岳の稜線も頂稜部は雲の中で、大展望は叶わない。しかし、新人、頑張ったではないか。10kg超えのザックで久々の大きな標高差。しかも久々の夏山。オジサンも捨てたものではない。途端に酩酊してくる。今日はもう動かないのだ。酩酊大歓迎だろう。

JG1氏とベンチで昼食。彼も日帰りピストン予定とは言え、肝心の常念のピークが雲の中なのであえてこれからアタックするか、今日泊まって明日朝アタックするか決めかねているようだった。

千鳥足でテントを貼る。テント場はやや傾斜しており余り寝心地は良くなさそうだ。下のほうが平らではあるが泥っぽい地面で、これは夕立でも来たら水溜りだろう。斜面の一番上に設営。このテント(アライテント・エアライズ1)もそろそろ20年選手。今回買い替えの対象にするかと家で試し張りをしてみたら未だコンディションは良好、引退には程遠い。中国製品、100円ショップなどに代表されるちゃちな商品に慣れてしまった自分たちにとって、1990年代の「Made in Japan」の品質は驚異的に思えてくる

夜行寝不足のせいかビールのせいか、ストンとテントの中で寝入ってしまった。夕立か、パラパラと雨音が夢うつつだ。気がつくと17時で夕食の準備。小屋前ベンチで生ビールもう一杯。ガスストーブになかなか着火せずに焦る。ストーブの着火装置も、100円ライターも家では火が飛んだのだが。どうも電子着火方式は弱いようだ。次回に課題だ。小屋までライターを買いに行くと使いかけを一つくれる。これで助かった。夕食は乾麺のうどんを茹でて固形フリーズドライ豚汁で味をつけ更に餅を投入したもの。それに下界から一本持ってきたキュウリ。塩をすりこんでポリポリ齧ると美味い。

小屋前ベンチで同席した何人かの中にJG1氏も居た。今日はここで泊まることに決めたようだ。初対面のもの同士、皆で色々話に花が咲く。ここまでの苦労を共有した連中に分かり合える言葉があるというものか。さすがに標高2500m、夕方は一気に冷えてくる。

夜間もしばらく雨があったようだがたいした降りではなかったのだろう。話し声で目が覚めるとまだ夜23時だ。隣のテントの主が外を歩きながら携帯電話で下界と話しているようだ。聞くともなく聞いているとどうやら彼は女の子を口説いているようだった。「マコちゃん(仮)さー、今山の上なんだよ。マコちゃんの事考えてサー、嬉しいでしょう!嬉しいって言って」云々。おいおい、愛の押し売りかよ。少し酔っているのか彼の口調も執拗である。マコちゃんも可愛そうに。こんな時間、山で電話する奴も信じられないが、その内容も。日本ってこんな国だっけ。あーあーと寝返りを打って再び眠りに落ちる。

8月10日

物音で目が覚める。3時45分。テントを開けるとサーっと冷気が入ってくる。満天の星空。そして早くも常念の大斜面を行くヘッドランプの光。こちらもテント場の上に出て御来光を待つ。振り返ると今回の山で初めて槍ヶ岳の姿が見えた。今日はよい天気のようだ。

5時40分、隣の、恋に悩む若き男性のテントはまだ微動だにしていない。彼の顔を見たかったが仕方ない。さぁ行こう。斜面に取り付くと首を真上に上げてもその山頂は拝めないほどの急登だ。聖平から仰いだ聖岳のような圧倒的な高さがある。ピークまで標高差400m。ただただ登る。眼下に一気に常念小屋が小さくなった。

(常念岳山頂から。穂高から槍ケ岳に
かけての稜線が大迫力だった。)
(常念岳山頂からこれから歩く蝶ケ岳への稜線
を遠望する。随分と、ありそうだ。)

背中の荷も重く、なかなか辛い登りではある。早朝のヘッドランプ組が下山してくる。大きな岩が続き足場を選びながら登る。我慢の急登が続くが、肩に登りつくとようやく100mほど前方にピークが望めた。

7:05、常念岳山頂。小さな祠が鎮座するピークは尖っており狭い。数メートル下りた肩でザックを下した。

槍ケ岳から穂高への稜線が大迫力だ。絵葉書のような文句の付けようのない展望。ランドマークの槍ケ岳は誰でもわかるが、一方自分には穂高連峰はどれが奥穂でどれが涸沢岳で、どれが北穂で、なんて全くわからない。あんなに険しそうな山を自分で歩けるとも思わないし、また正直余り興味もわかない。エアリアマップを広げてようやく各ピークの位置関係がわかった。

一方目を反対に転ずるとうっすらとではあるが富士山が見える。その横に屏風のように長く山々が雲の上に浮かんでいる。大好きな南アルプスだ!甲斐駒、仙丈、北岳、間の岳、塩見、荒川、赤石、そして聖までがずらりと並んでいるではないか。歩いたからこそわかる各山の姿。位置関係。そして各ピークで感じた、頭が痺れるような登頂の感動は未だに記憶に新しい。目を近くに移動させるとこれから歩く常念山脈とその先に蝶ケ岳ヒュッテが一望できる。蝶ケ岳ヒュッテまで、近いと思っていたがこうして見るとなんだか果てしない。なんといっても途中の尾根の落ち込みが大きな落胆を与えてくれる。随分と下らされ、そしてまた登らされるようだ。

夏休みシーズンとはいえ今回は平日の山行なのでお客様には期待できないだろう、と50MHzのリグは持ってこなかった。144/430ハンディで声を出すと地元の松本や少し離れて上田あたりの局が強く入ってくる。山ラン局をメインで呼ぶが応答はなし。誰か入山していようものだが。そうこうしているとJG1氏も登ってきた。昨日ピストンせずに一泊して正解だったようだ。写真を取り合い、8:05、ハムフェアでの再開を約して自分も先を急いだ。

改めて進行方向を睨み、靴紐を締める。地形図では最低鞍部は2420mあたりか。目もくらむような急な斜面を、連なる大きな石を踏んで降りていく。幸い石も滑りずらく道はしっかりしており歩きやすい。新調した軽登山靴のビブラムもがっちり路面を捉えてくれる。

一旦下りきり小さな鞍部。9:32。50mほど登り返して2512mピーク。9:45。思いのほか苦戦した。日差しが強烈でなんだか予想以上に消耗していく。たまらず岩陰を見つけて休憩。陽射しを遮るとやはり空気は冷涼とし、飛騨側から吹いてくる風も心地よい。水を飲みついでにいつもの行動食「薄皮アンパン」を一つ口にする。最低鞍部まで再び岩の中の下降が続く。

下りきるとそこは森林下界との境で、コメツガの林が前方に長くそして高く伸びている。休憩を取ったばかりなのでここはそのまま登り返していく。静かで冷やりとした樹林帯になり、奥秩父か南アルプスか、という気がしてくる。思ったより足が出る。時折ヌタ場だろうか、ぬかるんだ小広場を通過する。10:34、2591mピークに登り付いた。エアリアマップでは常念からここまで1時間50分。自分は10分程度の休みを何度か入れたが2時間半。常念-蝶なんて簡単過ぎる縦走だ、とタカを食っていたのが失敗だった。さらに滅入ったことにこの先に屏風のようにピークが立っているのが目に入る。蝶槍のピーク。等高線を読むと2660m。冗談だろう、あれに登るのか。疲れた。休みたくて仕方ない。が、このピークでは樹林が途切れ猛烈に照り付けられる。この暑さ、朦朧として通り過ぎる。ピークをやや下るとニッコウキスゲの群落に出た。思っていたよりも大形の花で、余り美しくない。この斜面にこの密度。毒々しさすらも感じさせる。すぐに小さな池を通過。そのまま樹林帯に再び入ると冷やりとして気持ちよい。ようやくザックをおろししばらく休む。再びアンパンと水。休憩のたびに飲んできた水も、あと500mlが一本のみ。蝶の小屋まで持つか、心配になってきた。冷たくて美味しい水が縦走路でも得ることの出来ることが多い南アルプスが懐かしい。このあたりから小屋についてから買うビールへの憧れが頭の中で大きく膨らんでくる。そうそう、缶ビール。とにかく、登って、登りついて、プシュだ。

20mほど下りると地形図上にも2462mと記された鞍部へ出た。11:08だ。ヌタ場なのか湿っぽい。一気に蝶槍ピークに向けての登りに転じた。しばらくはシラビソ林の中なので陽があたらずありがたい。林を抜けるとあとは容赦ない登りだった。ただここでも飛騨側から吹く冷涼な風に助けられた。思ったよりも楽に登らさせてくれる。ここをこなせばビールが近い。いつから自分はアル中になったのか。

11:50、とうとう蝶槍ピークに登頂した。今日のゴール、蝶ケ岳ヒュッテがようやくすぐ先に見えてきた。ここからは水平移動だ。2664mの三角点ピークを通過すると前方に小さな二重山稜が出現する。その横を緩く登って12:45、蝶ケ岳到着。思ったより疲れ果てた。気にしていた水も何とか持った。幕営の受付をしてから小屋の裏手に上がる。テント場はやや窪地になっている。京大の山歩きサークルの大型テントの横に自分もテントを張る。小屋で買った缶ビール。プシュっとあけて喉の奥まで流し込んでやる。登りの苦行はビールを旨くするためのお膳立てに違いない。陶然としてくる。こまめに行動食を口にしていたので特に昼食が欲しいとは思わない。ビールがあれば言うことはない。

(ニッコウキスゲの咲き乱れる原を通過する) (鞍部から蝶槍。あそこまで!) (離れて見る常念岳はやはり立派な姿だった。) (テントは気楽な我が家)

テントの中で再び太腿四頭筋のストレッチ。明日の下山時まで、持ちますように。例によって一眠りしてから、テント場裏の山頂に行き430MHzの運用をする。群馬吾妻郡の移動局と安曇野の地元局がすぐに呼んできてくれた。目を北にするとさっき縦走してきた常念岳が前方にとても大きい。我ながら良く登れたな、と感心する。前常念を右手に従えたその姿は、奥聖を右手に従えた聖岳のようでもある。ただし、もっとスマートだ。常念の奥には本来歩くはずだった大天井、燕が重なり合っている。立派な、山々だ。

夕食は小屋で更に調達したビールとアルファ米にフリーズドライのマーボナス。そしてキュウリ。アルファ米は袋がそのまま容器になるという優れもので量もちょうど良い。そういえば今回の山行の前に何軒かの登山道具店で食料を調達したが、自分が日本に居たころにお世話になっていたジフィーズのご飯シリーズも店頭で見かけることはなかった。ドライカレーは美味だったが。アートコーヒの小袋入りレモンティーも、粉末お茶も今はいずこへ。やはり浦島太郎が少し長かったのだろうか。

8月11日

昨晩はかなり風が出てきてテントも揺れたが。よく寝られた。気にしていた脚の筋肉痛も苦にならない。ストレッチングさまさまだ。昨晩から考えていたのが今日の下山路。当初脚の事を考えて高低差の少ない長塀尾根を使って上高地へ出ようと思っていたが、やはり3日間も炎天下を歩いていると下山後の温泉への思いが膨らむ。しかも今日のこの脚の状況であればはまだまだ下山できそうだ。であれば長塀尾根よりも標高差があり等高線も密な三股への下山路を取れるだろう。三股だとタクシーを呼ぶ必要があるが途中で温泉もある。なによりも大糸線豊科駅へ近い。わざわざ上高地まで下りるという積極的な理由が見えなかった。さっそく小屋の壁に書いてあったタクシー会社に電話して一台予約。携帯(ドコモ)メールで家族にルート変更を連絡する。

6:45小屋を出る。三股への下山路はきついものだった。ダケカンバ帯をぐいぐい下りていく。8:14、海抜2000mの看板。地形図どおりここからしばらくは傾斜が緩む。8:33、マメウチ平。海抜1900m。ここから明瞭な尾根に乗り高度を下げていく。9:00、尾根をはずれ東にトラバースに転ずる。力水9:28。冷たい水がどくどくと溢れる水場だ。ここで思う存分水を飲みついでに頭に水をかける。もう先も見えたので10分休む。

9:55、とうとう三股まで降りてきた。指導所があり首からボランティアのIDカードをぶら下げた女性が木陰で読書をしていた。にこにこしながら「ご苦労様。下山届けは要りませんよ」と言う。常念、蝶と2泊3日で縦走してきたと話すと「蝶で泊まったのですか。それはのんびりと歩けて良かったですね」と言われる。そうか、常念・蝶経由下山は1泊コースなのか。そこに2泊かけたからなのだろう。確かに昨日、蝶ケ岳からそのままここまで降りてくることは時間的には可能だったかもしれないが、気力・体力的には無理な話だった・・。のんびり、大歓迎だ。 

タクシーまで30分以上あるので、ここでストレッチングしながら一休みする。今回の山も無事終了。初めから出発が遅れコースも変更、と思ったとおり行かなかった山ではあったが、やはり歩ききれた喜びは大きい。6年ぶりの日本の夏山を満喫をすることが出来た。とはいえ自分の20歳代、30歳代に比べてこのような大型山行をしても感動が昔ほどないように感じるのはなぜだろう。初めて北岳に登ったとき、山頂では湧き上がる感動の涙を抑えることができなかった。それは赤石岳でも、聖岳でも同様だった。今回の常念岳も決して楽な山ではなくスケールも大きかったのだが、涙などこれっぽちも出なかった。縦走中の北アルプス屈指の名峰群の展望にも事欠かさなかった。だけど鳥肌の立つような感動は余り覚えなかった。一峰登り終えたと言う達成感と充実感はあるのだが。

加齢による感受性の低下なのか。昔が美化されているのか。良くはわからない。が、強いて言えば山への思い入れ不足なのかもしれない。今回の常念も、鹿島槍カ岳か、五竜岳か、はたまた薬師岳か、と色々悩んだ末に、道の峻険さ、行程の長さ、といった不安要素を消去法で消していった末に残ったようなものだった。どうしても、常念が良い、と言う決定的な思い入れはなかった。それはなぜ、と言われると困ってしまう。北岳には、とても思い入れがあった。だから登頂の感動は比類なかった。そしてその山頂から南に眺めた塩見岳に対して、そして今度はそこから眺めた荒川岳、赤石岳、聖岳に対して、思い入れは伝播した。更には南関東・山梨の低山を歩けば南アルプスのジャイアンツにはいつでも会える。そうした身近な感覚が北アルプスにはないのだろう。また来夏、今度はどこのピークに登るのかわからないが、それまでに一生懸命山の事を思い込んでいければ、惚れ込んでいければ、また若き日に感じた純粋な感動を感じることが出来るのかもしれない。

蝶ケ岳温泉ホリデー湯までタクシー3000円強。ゆっくり汗を流し豊科駅へ出る。(タクシー相乗り2900円)ここで初めて振り返った背後に、余りにも大きな常念岳のシルエットが目に飛び込んできた。左右の山並みから突出したピーク。その稜線に親しみがわき、そしてそれはやはり、唸るだけの立派な山だった。

そういうことか・・・。  と、残暑厳しいホームに、独り立ちすくんだ。

(登山日2011年8月9-11日)


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