燧ケ岳スキー行 

 (2011/4/30、福島県南会津郡桧枝岐村)


塩原温泉のはずれの空き地で車中泊をした翌朝、県境を越えて会津へ。中山峠を抜けて桧枝岐村の集落を向かう。桧枝岐の中心地を抜け七入に向かう途中、目の前高く白銀の山が目に飛び込んでで。あれが燧ケ岳だ。高い。とても遠い存在に見える。あのピークにこれから数時間後に立てるのだろうかと考えると武者震いと気が遠くなるような倦怠感に包まれた。もっともこれから林道で一気に高度を稼ぐのだ。自分で稼がなくてはいけない標高差自体は900m位だ。この山のためのウォーミングアップを兼ねて3月に富士山の寄生火山ピークへのスキー登山を2回ほど行ってきた。その標高差は700m程度だったから標高差自体にさしたる変わりはない。いけるはずだ。

(シールを貼った板は魔法のようだ) (木の根元、融雪の穴に気をつけながら登っていく)

七入で開放された夜間ゲートを抜けると一気に車は九十九折で上っていく。燧ケ岳のスキー登山のベースはこの先の御池で除雪はここまで。雪解け水で川のような林道をぐいぐい登っていく。上り詰めると行き止まりで除雪の重機が休んでいた。その奥に立派な国民宿舎がありここが御池だ。その隣にぐるりと雪の壁に囲まれた駐車場があり早くも車は半分程度埋まっている。もちろんバックカントリー好きな連中ばかりだろう。

はやる気持ちを抑えて装備の準備。今回はピークハントしたら滑降してくるだけなので滑り重視のカービング板を持ってくる予定だったがそれ用のシールの調子がいまひとつで、急遽セミカービングのフィッシャーのステップカット板の出番となった。ただしこの板は滅法軽くまた更に3ピンビンディングをつけているので機動性は抜群だ。

板にシールを貼る。首に高度計をぶら下げて高度値修正。コンパスを地形図にあてがい磁北線にリングを回すと準備はOKだ。GPSも複数の衛星を一気に捕捉した。さぁ行こう。出発ではいつもながら無事行けるのか、という不安感と抑えきれない興奮が体を包む。あぁこれだから山スキーはやめられない。複雑な思いを顔に出さずに、さりげなく、行こう。雪の壁の奥にトレースがあった。壁を登るともうそこは一面のバックカントリーだ。テントが一張り。こんな所をベースに当たり一帯を滑るのはパラダイスだろう。ここから燧のピークまで、どうルートを取ろうか。2万5千分の1図を広げる破線を目で追うとまずは数百メートルほど西へ、御池田代の縁を回って南に尾根に乗るようだ。

シールが却って邪魔な平地歩行が続く。雪原に出るがこれが御池田代だろう。尾根に上るのに組みし易そうな場所を探す。登りを嫌って谷に分け入ると自滅するだけだ。問題先送りは通用しない。ここ、と決めて斜面をトラバース気味に這い上がっていく。シールが心地よく効いてぐいぐい登る。魔法の様でもある。一気に20メートルほど高度を上げると尾根に上がった。左手の林間から3人組のスキーヤーが登ってきた。駐車場からここまで直登できたか、ちょっと遠回りしたのかもしれない。緩い斜度が続くが眼前に雪の壁が迫ってきた。地形図によると等高線が密に詰まった、標高差100mの壁である。ブナの林の中ライン取りの見当をつけながら登りに取り付いた。小刻みな登りを強いられる。シールを全面に効かす事などとても出来ず、エッジ頼みの斜面が続く。木の根元は雪解けで深い穴になっており落ち込まないようにとドキドキするがメンテしていないエッジなので心配だ。春のザラメとはいえこの時間帯は雪面はまだ凍っている。エッジってやはり研がなくては駄目だなと思うが実地でも反省しても何の役にも立たない。足の裏にムズムズする感覚が走る。万一足を外したら5.6メートル下のブナに激突か。ぶつかるなら細い木のほうがいいかな、などと考えながら足を運ぶ。テンポも上がらずに苦しい。尾根の上で一緒になった3人組もなかなか苦戦しているようで、他人の不幸で慰められるのは山スキーならではだろうか。

目を凝らし少しでも登りやすそうなラインを探して方向転換していく。キックターンが巧くないので苦戦する。汗が垂れてサングラスを濡らす。しかし今は登りで目一杯だがこれを降りるのも自分には荷が重いかもしれない。少し傾斜が緩んできた。ほっとするが高度計の針は広沢田代まで未だ100mの標高差を示している。少し登りやすくなった斜面にシールを全面にこすりつけるように、摺り足の調子で登っていく。ブナの中にツガが混じるようになると登ったか、という実感がわいてきた。折れたツガの枝を踏みしめて更に高度を稼ぐとようやく空が近い。

傾斜が緩みだだっ広い雪原に飛び出した。広沢田代だ。疲れ果てて木の根元にザックを下ろし、板を外してそこに座り込んだ。海抜1750m。ここまで標高差250mをこなしたことになる。サングラスをはずし汗をぬぐう。ペットボトルのお茶をごくごくと喉に流し込む。たまらなく美味しい。この先、熊沢田代まで再び標高差200mの壁がある。そして熊沢田代からは標高差400mを一気に稼ぐだけだ。最初の250mの登高でこのさまだから、果たしてこれから600mも登れるのか。途中敗退してもいいよな、と自分を慰めると気が楽になった。

広沢田代は広い雪原でステップカットの機動力が生かされそうなシーンだが、全くシールが邪魔くさい。目を凝らすと目の前の壁を蟻の様に何人もが登っているのが見えた。あれは勘弁させてもらいたい。地形図に目を凝らすと東側に尾根が張り出しておりいくらか等高線の密度が薄いではないか。これを利用しない手はないだろう。多くのトレースに別れを告げて雪原の縁を東に向けて進路変更する。雪原の果てから登りが始まったが目論見どおり思ったほど急な斜面ではない。しめしめと先をすすむもやはり急な斜面。慎重にエッジワークをして高度を稼ぐと尾根に乗った。滑落の恐れがなくなりほっと一安心。が、トレースは皆無で歩くたびにスキーのトップが雪面に潜ってしまう。これでは摺り足もないだろう、なかなか楽をさせてくれない。

しばらく無心に登ると斜度が緩み前方に雪原が、そしてその先に山頂が忽然と出現した。おー、燧ケ岳だ。もう幾らもない様にも見えるがまだまだなのだろう。眼下の雪原が熊沢田代で、ここまでは少し下ることになる。面倒なのでシールをつけたままで当然幾らも滑らない。

登りきって再びお茶を補給。ついでに「薄皮アンパン」を一つ口に入れて気合を入れた。この先はシラビソの疎林帯で、山頂まで本当に一本調子の大斜面の登りが待っているだけだった。こんなに多くのスキーヤーが入山していたのか、と思うほど、数十人が思い思いに斜面に取り付いていた。さすがに雪も緩み始めてシールが効きにくくなってきた。しかも悪いことに朝の青空もいつしか消えて、時折粒の大きな雨が落ちてくる。辛い登りが続く。クライムサポートを立ててただ登る。上りながら10数えたら空を見よう。そしてまた10。30まで進んだら1分ほど息を整えるか。そんなことを考えながらただ登るのみ。いつしか30数えての休止ではなく10毎の休止となる。ただ前後の皆さんも同様なのか、皆なかなか進まない。それでも一歩一歩。この大斜面の全員が遅々としながらも思い思いにただ一点、山頂ににじり寄っていくその様は、産卵で砂浜をめざすウミガメの様でもある。下を見ると思いのほか高度を稼いでいて眩暈を起こしそうだ。今度こそ足を外すとこの大斜面を一気に滑落だろう。今度はストッパーはない。しかしここを帰りは滑走するのだが自分に滑れるか。えい、そんなことは後の話だ。まずは、産卵だ。

(熊沢田代へのきつい壁を稜線伝いに乗っ越して肩に出る。
と目の前に燧ケ岳の山頂が飛び出した。)

滑落を恐れてコースを西側のシラビソの疎林帯に取った。ここなら転んでもすぐに止まるだろう。かろうじて雪面から頭を出しているだけの枝が、救いの神に思えてくる。

無限に思えた登りも果てはある。とうとう登りが尽きて山頂の一角まで登り付いた。と尾瀬沼方面から強烈な風が吹いてくる。やった、きたぞ。声が風に流されて飛んでいく。山頂は前方の10mくらいの雪壁の上だろう。板を外してブーツの先端を雪に蹴り込んで登っていく。とうとう山頂だった。標高2346m。天気は良くないが、登ってきた。双耳峰の燧ケ岳、ここは三角点ピークの俎板クラだが、最高点はお隣の柴安クラ。ただ両者の間には50mほどの鞍部がありその先柴安クラへのトレースは傍目には見えない。三角点峰で良しとするか。

目の前に尾瀬ヶ原が縦に伸びてその先に至仏山が大きい。あのピークから尾瀬ヶ原までの滑走も楽しかったっけ。目の前に遠かった燧ケ岳に今回自分のようなへっぴりスキーヤーでもこうしてようやく登ることができたと思うと感動もひとしおだ。至仏山と尾瀬ヶ原から右手に稜線を眼でたどると平ケ岳が大きい。尾瀬ヶ原から平ケ岳を歩くのは残雪期のスキーヤーのみが味わえる名コースと言われている。憧れるが、自分の足前では無理だろう。目を転ずると会津駒ケ岳にも手が届きそうだ。こちらもスキー向きの山と言われるが来年にでも行ってみようか。山岳展望の楽しみは尽きない。

岩の陰に回ると嘘のように風がなかった。さぁ一仕事残っている。スキーストックをツガの枝を使って50MHzのワイヤーダイポールを手短に張ってピコ6をつなぐ。電源を入れるが1エリアの移動局の了解度が低い。この程度のアンテナは仕方ないだろう。釣竿でもっと上に上げれば違うだろうが。時間に追われてCQを出すと山形の鶴岡市からガツンと呼ばれた。続いて小千谷市。これで思い残すこともない。

スキーデポ地まで戻ってシールをはがす。さぁここからは降りるだけだ。まずはこの壁。そして熊沢、広沢田代からの壁を自分の技術でこなせるのか。不安だらけだが一つずつ問題をこなすしかない。ワックスを軽く塗ってから靴のバックルを締めこんだ。ヨシ、と気合を入れて滑り出す。巨大な斜面が目の遥か下まで広がったが気後れしては駄目だ。雪は程よいザラメで滑ってみると思ったより遥かに滑りやすい雪であった。ターンを決めると心地よく板が回ってくれる。もちろんこんな斜面ではテレマークターンは出来ない。アルペンのシュテムが効果的だ。なんだそれなら山スキーで臨めば良いだろう、とも言われそうだが気分だけでも軽快なテレマークでありたい。それに踵ホールドが必要なほどのシビアな山を滑っているわけでもないのだ。

心地よい滑走だがステップカット板特有のブーンという音と軽い振動が足から届く。少し引っかかる感覚。ウロコが多少の抵抗にはなってしまうのだ。登って降りるだけ、という今回のようなコースにはやはり板も滑り重視のものが良いだろう。

あれほど苦労した斜面も一気に降りて熊沢田代まではあっという間だった。斜面もこの程度であればワンステップ・テレマークターンが心地よい。熊沢田代を渡り終えて少し登るが、こんなときはシールなしでもある程度登れるステップカット板がありがたい。

このあたりから雨が本格的に降ってきた。少し焦り気味になり結果的に短絡的なコースを選んでしまったようだ。緩い尾根を遠回りしきれずに急な壁の上に出てしまった。しかたなくここを降りる。短いながらもターンが出来そうにない。奥の手の横滑り。が雪が腐って巧くいかない。階段下降を交えて下りていく。斜面がU字型にえぐれており下りずらい事この上ない。思ったより時間が経ってくる。と先ほど抜いたつぼ足で下山していた登山者パーティ上から追いついてきた。つぼ足と同じペースとは情けない。なんとか難所を越えて再び滑り始める。広沢田代を渡り終えると再び急斜面。このあたりで足がいう事を聞かなくなり始めターンの最後で何度か転倒してしまった。滑落を恐れると腰が引ける。コースを慎重に取りながらブナの林を縫っていく。

壁を抜けると気が抜けてしまった。ブナ林を抜けると一気に駐車場の除雪の壁の上に飛び出した。

あぁ、何とか無事に下りてきた。下山は雨に当たられやや焦り気味に下りてきてしまった。綺麗なターンを描こうなんて思っていたが全く歯が立たなかった。それでも燧ケ岳のスキー山行も無事終了。登りにてこずったこと、下りも急斜面に足がすくんだこと、など残念だった点も多い。しかし下界から望んだ遥かに気高かかった白銀のピークを我が足で踏むことが出来て、やはり満足感もとても大きい。コースタイムでは登り3時間45分、下り1時間。下手糞ながらもそれなりにスキーには機動力がある。

ゴールデンウィーク。山はザラメ雪の季節。ザラメ雪であればバックカントリーとはいえ自分のような足前でも何とか滑る事ができる。降雪の心配もほとんどなく、自分でも何とかスキー登山が楽しめる貴重な時期でもある。春のバックカントリースキー。アプローチの山麓の春景色と雪の山が作る風景も素晴らしい。散々苦しみ山頂を踏み、転びまわりながらも山麓に降りてくる。装備を外し登頂の喜びに満ちた気だるい体に、清冽な雪解け水の音と緩んだ空気の柔らかさが届く。鼻をくすぐる春の香り。雪の山を味わったからこそ感じる高雅な香り。あとはひなびたお湯が待っているだろう。

あー、一年中この季節だと良いのだけど。まだまだスキーで登りたい山は数えきれない。毎年2山程度スキー登山が出来たとしてもあと何回登れるだろう。山スキーをしていると本当に時間が惜しいと強く感じてしまう。

桧枝岐村に下り、いくつかある公営温泉から一番最初に現れた「燧の湯」へ。静かな山の湯を味わい、桧枝岐村名物の「裁ち蕎麦」を味わってから横浜に戻る。幸せな一日は、本当にあっという間に終わってしまった。自宅まであと約300kmのドライブだが、スキーの喜びの余韻を反芻していれば、あっという間であろう。

2011年4月30日、  御池駐車場7:45-広沢田代9:00-熊沢田代9:50-山頂の肩11:20-燧ケ岳山頂(俎クラ)11:30/12:15-熊沢田代12:30-広沢田代12:50-御池駐車場13:15  


(今回のルート図。ハンディGPSで取得したログをカシミール3Dにて展開。同本付属の地形図に展開したもの)

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