マッターホルンを巡る山旅へ - 欧州最後の夏山 

 (2010/8/8-13、スイス)


ツール・ド・モンブラン。仏語表記のTour de Mont-Blancの頭文字をとってTMBと略称される、モンブラン山群の周りをトレッキングするあのすばらしいトレッキングルートをSさん(JI1TLL局)と共にしてから早くも2年が経過しようとしていた。2005年に欧州に転勤した自分だが、時は2010年、はや転勤後5年が経過、正式な辞令などはないが、海外転勤の通常の任期からも、もうそろそろ日本への帰任が予想されるようになってきた。更には風の噂に自分もそろそろ帰任では、という話すら時折聞こえ始めていた。となると心残りがあった。自分が欧州に住んでいる間にもう一度アルプスへ行ってみたい。ベルナーオーバーランド、モンブラン地区は歩いた。後はヴァリス。なんとか歩きたい。マッターホルンを見てみたい。来夏まで欧州に居られるだろうか。この夏を逃すと、多分ヨーロッパアルプスは遠くなってしまうだろう。そんな焦りにも似た予感におされ、夏休みを前に再びSさんにご一緒して頂けぬか打診してみた。Sさんご自身も歩き残したマッターホルン界隈のトレッキングには興味十分であり、マイレージの無料航空券ポイントは潤沢との事。あとは日程調整だけ、と目処が立った。

行程に付きメールでやり取りを重ねる。ハット・トゥ・ハットのTMBとは違い、今回はツェルマット周辺に滞在していくつかのコースを歩くことになるだろう。魅力的なコースに事欠かないが、リフトを使うものの自分の足で踏めるピークらしいピークを踏むこと。出来る限りツェルマットの街には泊まらない事。マッターホルンのお膝元まで行くこと、をコンセプトとして以下の計画となった。

初日 : パリから鉄路でツェルマットへ移動
2日目 : オーバーロートホルン(3415m)登頂。そのまま氷河地帯まで下りてフルーエヒュッテ(フルアルプ小屋)で泊。
3日目 : フルーエヒュッテからグリンジゼー、グリュンゼーといった氷河湖をめぐりながらゴルナーグラート鉄道のリッフェルアルプ駅までアルプのトレッキング。そのままツェルマットに下りてマッターホルンのお膝元、シュバルツゼーまでゴンドラで上がり宿泊。
4日目 :シュバルツゼーをベースに、一般登山者が上がれるマッターホルンの最高地点であるヘルンリ小屋往復
5日目 : シュバルツゼーからツムット経由でツェルマットへ下山。マッターホルン北壁展望とアルプのルート。ツェルマット泊。
6日目 : ツェルマットからパリへ戻る。

という濃密な行程案が出来上がった。

* * * *

8月7日、2年前のTMB山行の時と同じようにSさんをパリ、シャルル・ド・ゴール空港に出迎える。今回Sさんは2年前の山行用にパリで買われたミレーのザックを背負ってゲートから出てきた。日本から遠く離れたこんな地で再び会えるとは、再会を喜ぶ。今日はパリの自分のアパートにお泊り頂き明日早朝のTGVでスイスのローザンヌ経由でツェルマット入りだ。近所の韓国料理店で夕食を摂りパワーをつけて明日に備えた。

(パリ・リヨン駅はいつものように旅行客で一杯だ。) (ツェルマットの町並はスイスの典型的な観光地だ) (アルペンホルン八重奏)

8月8日

2年前のTMBのアプローチと同じ様に地下鉄でパリ・リヨン駅へ。パリのターミナル駅は行き先によって異なっており、フランス南部やイタリア、スイスなどの東方面への国際列車はパリ市東端のリヨン駅からの出発となる。ローザンヌ行きのTGVは定刻どおり発車。

列車はパリを出るとすぐに専用線に入りイル・ド・フランス南東部の大平原の中を快走する。時速300kmは超えているだろう。TGV専用路線はフランス南部に向けて延伸しているが目指すローザンヌは東の方向。故、じきに専用軌道から一般路線に下りて巡航速度がやや落ちる。先週サイクリングで走ったブルゴーニュのブドウ畑が左右に緩やかに広がる。二日間にわたるそのサイクリングの終着点であったモンバール駅も、TGVはあっというまに通り過ぎる。車内の売店に行ってみると旅行会社のバッチを胸につけた日本人団体客がコーヒーを買うのに苦戦している。話し掛けてみると沖縄からの観光ツアーだという。一昔前はヨーロッパのツアー観光といえばバスで走り回るというものだったと思うが最近は旅行代理店も色々ヴァリエーションを増やしている。TGVに乗るのがこのツアーの目玉の一つでもあるようだ。彼らは今日はスイスの世界遺産の街、ベルンまでとの由。

列車は丘陵地を分け入り分水嶺をトンネルで超えるとブルゴーニュの中心都市・ディジョン。ここからはジュラ山地の丘陵地となり国境をいつしか超えてゆるやかにスイスに入り込む。

ローザンヌ駅は2年前のTMBで使ったジュネーブ駅と違いパスポートコントロールがない。このあたりに一貫性がなくよくわからないが、陸続きの欧州でパスポートコントロールをするのも実質意味がないだろう。あらかじめ調べていたブリーク行きの列車は隣のホームからの発車だった。レマン湖沿いにモントレー、マルティニを走るこの列車は2年前のTMBからの帰りにシャモニーから国境を越えてきて乗った路線でもある。今日はツェルマットまでの移動。なかなかアプローチが長い。車窓を流れる風景は同じでも、駅名表示が、ある地点からフランス語表記からドイツ語表記に変わった。マルチ言語国家、スイスを実感する。すれ違う列車は両端に制御客車、動力車たる電気機関車が編成の真ん中に連結されている、という鉄道ファンが見ると唸ってしまう、日本では見ることの出来ない編成の列車だった。スイスの鉄道は面白い。

フィスプ(VISP)でスイス国鉄と別れツェルマットまでは私鉄のBVZ鉄道。丁度我々が入山する数週間前に事故を起こした氷河急行がそのまま入線してくるのは余りいい気がしない。列車はラックレールを交えて単線の急傾斜をぐいぐい登っていく。途中の交換駅では木作りの駅舎、花壇に飾られた窓、ピリリと笛を鳴らす駅員、と鉄道模型のシーナリィにしたいような風景がなんともアルプスらしい。

終着駅のツェルマットは思っていたよりもずっと小さな村であった。谷に挟まれた地形からグリンデルワルトに近いものを想像していたが、谷の規模も集落の規模も一回りコンパクトだ。が、観光客の数はグリンデルワルトと変わらない。人でごった返す目抜き通り、村全体が少し忙しい感じだ。「こんなところなんですね」、と話しながら目を上に転ずる。と、とてつもなく大きなシルエットがいきなり目に飛び込んできた。マッターホルン。写真では何度も見ていたおなじみの山ではあるが生で見るとものすごい存在感だ。おー、Sさんと二人して顔を見合わせてしまう。一度は生の目で見てみたいと思っていた山が、いきなり出現した。予想はしていたもののちょっと不意打ちに近いその演出には言葉も出ない。これから 3日間、じっくりその姿を拝見させていただけそうだ。

予約していたホテルは通りを少し離れていて喧騒が届かないのはラッキーだった。ホテルというよりもレストランが経営しているB&Bである。隣が高級ホテルで、その庭でアルペンホルンの演奏をしている。隣の安B&BのテラスからSさんとそれを眺めるのは痛快だ。明後日のシュバルツゼーまでのゴンドラ駅下見もかねて村はずれまで歩いて、谷の果てにマッターホルンを望むレストランに入り夕食とする。日が落ちると肌寒いくらいで、それでも飽きずにマッターホルンを眺める。アーベントロートを狙うSさんは何度も露出を変えてシャッター音を響かせていた。

8月9日

今日はオーバーロ−トホルンからフルーエヒュッテまで。オーバーロートホルン(3415m)は自分の足で踏むピークとはいえ実は下のウンターロートホルン(3103m)まではケーブルカーとロープウェーで行くことになる。もっともウンターロートホルンから一旦鞍部(フルックジーのコル、2981m)まで下るので自分の足で稼ぐ高度は400m強となる。とはいえ、いきなり3103mまでロープウェーで上がってしまうので高度になれるのが大変だろう。 ツェルマット駅(標高1603m)から少し離れた駅から地下ケーブルカーで一気にスネガ(2288m)まで上がる。ツェルマットでは遥かに高く望んでいたマッターホルンの眺めがここでは目の高さになった。観光客はここまでで後はザック姿の人たちの世界になる。更にロープウェー2本乗り継いでウンターロートホルンへ。ロープウェーのゴンドラには自分たち以外に日本人ハイカーも数人。目の前の岩の固まりが目指すオーバーロートホルンだろう。なかなか高い。靴紐を締めて歩き始める。しばらく下ると鞍部でそこからトラバース気味に登りに転じた。

(これから登るオーバーロートホルン山頂
を展望する)
(オーバーロートホルンへは
岩屑のトレースを登っていく)
(フィンデル氷河の果てにモンテ・ローザ。これが
地球上の眺めなのだろうか。)
(アルプとマッターホルン
の雄大な眺め)

岩くずの登山道だか足元に目を凝らすと小さな花々が美しい。道はトラバース気味の登りから時期にジグザグの九十九折れに転じた。岩屑の足元は滑りやすそうだが意外にしっかりしており歩きやすい。振り返るとマッターホルンが風景画のように適度な大きさで収まっている。ツェルマットから見上げた威圧感はなく周囲の山々と巧く溶け込んでいる。目を左に移すと氷河が悠々と長い。フィンデル氷河だ。日本にはない風景だけに目を奪われる。その奥にゆったりと立つ純白の山。「モンテ・ローザですね」とSさん。氷河と岩が作るその風景はおよそ地球のものとは思えない。アルプスらしい大絶景に登りの苦しさも感じない。

黙々と登っていくとやがて傾斜が緩み指導標が見えた。人々の集う声が聞こえてきてそれとわかるとは、山頂は世界共通でもある。オーバーロートホルン山頂、3415m。自分がこれまで経験した山頂の中では一番高い。アルプスで初めての自分の足で踏んだピークでもある。Sさんとがっちり握手。山頂の反対側は絶壁になっており余り近づく気がしない。朝、ツェルマットの町で昼食用に買ってきたパンを頬張る。渡る風が心地よい。アルプスの風景を心行くまで味わう。

眺めに満足したので下山の途に付く。岩屑の登山道は滑らないかか気を使う。ゆっくりと下りてウンターロートホルンからの鞍部まで歩いて、山頂に地形図のコピーとコンパスを入れたビニールのマップケースを忘れてしまったことに気がついた。いまさら400mも登る気はしない。地形図は原紙をザックに入れてあるから良いがコンパスはもったいなかった。シルバコンパスではあるがそれなりに愛着があったのだ。最近物忘れも多くうっかりの忘れ物も多い。がっかりしてしまう。今頃山頂にいた誰かのお役に立っているかもしれない、と自分を慰める。

ここからあとは眼下の谷へ下りていく。今宵の宿のフルーエヒュッテは標高2607m。まだまだ下りなくてはいけない。だだっ広い岩だらけの斜面を降りていく。冬場はスキーゲレンデなのだろう、ブル道がうねうねと谷に向かってつながっており足任せに下りていく。いくつか尾根を回ると眼下に小さく建物が見えた。フルーエヒュッテだ。ヒュッテのすぐ裏手にはモレーンが堤防のように高まっておりフィンデル氷河がすぐそこまで迫っている。なかなか凄いところに小屋を建てたものだ。

ぐいぐい降りていきヒュッテに到着。小屋に名前を告げるときちんと予約が通じていた。フランス語ないしイタリア訛の英語しか通じなかった一昨年のTMBの山小屋予約は苦労したが今回は全く苦労することなく小屋が予約できた。普通に英語が通じるのはさすがに観光王国スイスだけのことはある。案内された部屋は屋根裏階であるが個室だった。寝具も清潔で素晴らしい。混雑する前に早めにシャワールームを使わせてもらう。結構大きな小屋であるがシャワールームだけは一つしかない。さっぱりすると後はテラスに出てまだまだ明るい夏の日差しに、ビールを飲んで伸びるだけだ。高度もあるしそもそも湿度の少ないヨーロッパの夏は快適そのもの。目の前にはマッターホルンが立っている。なんだか申し訳ないのだが、これ以上の贅沢はちょっと思い浮かばない。Sさんと二人、何も言うことはなかった。
ヨーロッパの小屋の夕食がどれほど楽しみか。一昨年のTMBでさんざん味をしめた我々の期待は大きい。同席した四人組。話し掛けてみると地元スイスの人であった。男女二人づつのパーティで、女性の一人はマッターホルン登頂歴もあるとのこと。「彼女たちのほうが足が強くて、自分たちはついていくだけなんだ」と男性が嬉しそうに話している。スイス人とはいえ彼らはフランス語圏のパーティだ。テーブルに給仕に回ってきた小屋の従業員がドイツ語で話しかけ通じぬとわかると即座にフランス語にスイッチ。我々には最初っから英語で接してくる。四方からドイツ語フランス語が聞こえてくる。このダイナミックな国際感覚がいかにもヨーロッパ・アルプスの小屋の醍醐味だろう。

楽しみにしていたメニュー。ビールを頼み鼻を動かす。来ました来ました。まず最初はカルトッフェル・ズッペだ。ジャガイモのスープとはなるほどさすがにドイツ語圏だけある。胡椒挽を目の前で回して振りかけてくれるなんて街のレストランと変わらないではないか。ジャガイモの粒子の舌触りを感じることの出来る美味しさ。続いては豚肉ソテーのピカタにマッシュルームバターソースのかかったパスタ。こんな料理が山の中で出てくるとは!パスタの茹で加減を求めてはいけないものの濃厚な味わいは山で疲れた身には嬉しい。むろんパンも出てくる。当然のようにデザートで締めくくり、圧倒的なクォリティの夕食にお腹がはちきれそうだ。

部屋に戻ると窓の外、マッターホルンもいつのまにか闇に解けてしまっていた。心地よいベッドに横たわり充実の一日が過ぎていく。

(フルーエヒュッテ(フルアルプ小屋)はいかにも
ヨーロッパの山小屋らしい雰囲気だ)
(風景を見ながら。贅沢です) (部屋からもずっと眺めていた) (ヨーロッパの小屋の食事は楽しみの一つ。)

8月10日。

今日は氷河湖めぐりをしてゴルナーグラート鉄道のリッフェルアルプ駅まで。一旦ツェルマットに下りてゴンドラでシュバルツゼーまで上がる計画。リッフェルアルプ駅は標高2221m。約400mの下り行程だ。小屋の前から少し歩くとすぐに小さな湖が現れた。ステリゼーだ。湖の周りを歩いてみるとマッターホルンが綺麗に湖面に写っている。絵葉書のショットが誰でも取れそうな場所だ。冷たそうな澄んだ水で、湖面を見ると小さな魚の群れがいる。近づいた自分たちをシルエットの変化で感じ取っているのだろうか、湖面に近づくと群れがサーっと動いていく。道に沿ってぐんぐん下りていく。前方にSさんがなにやら動物を発見したようだ。マーモットだ。リス程度のものを想像していたがむしろ日本の狸を一回り大きくさせたくらいの大きさだ。自分の手持ちレンズ(35mmで50mm相当)では狙えない。ロングレンジが狙えるデジタルHDビデオを持つSさんがシャッターを押している。

眼下にアルプが広大に広がる。このあたり一帯も冬は格好のスキーゲレンデになるのだろう。左手に小さな尾根を乗り越えると再び緩く下りながらトラバース気味に下りていく。やがて樹林帯まで降りていく。 眼下の木々の向こうに湖面が光る。グリンジゼーも対面にマッターホルンを望む小さな湖で、湖面の傍にテントが二張り。アルプスの幕営の制約事項を知らないが、こんな所で一夜を過ごすのは快適だろう。

ここからは樹林帯の中、時折車道を歩くような行程になった。アルプスは地形が広大であり、アルプの手入れ、チーズの出作り小屋、スキーゲレンデ、治山工事、といった様々な用途もあるのだろう、車道が意外と標高の高い地点まで伸びているのだ。しばらく歩くとフィンデル氷河の末端から流れ来る沢を渡る。渡り終えてしばらく進みとグリュンゼー。樹林帯に囲まれた静かな湖で一服。ここまで来るとリッフェルアルプ駅は近いだろう。Sさんがしきりに時計を気にしている。時間に余裕があれば、このまま鉄道でツェルマットに下山するのではなく、一旦この鉄道の上の終点であるゴルナーグラートまで上がってしまおう、という案なのだ。今晩はツェルマット泊まりではなく、ツェルマットから再びゴンドラでシュバルツゼーまで上った山小屋に泊まるので、ツェルマットからシュバルツゼーまでのゴンドラの最終に間に合わなくてはいけない。逆算してゴルナーグラートまで往復する時間はあるのか?この調子だとOKだろう。少し急ぎ足で樹林帯をトラバースすると、リッフェルアルプ駅。クレジットカードで切符を買っていると丁度いい具合にツェルマットから電車が登ってきた。我々を乗せてすぐに電車がラックレールを軋ませて急勾配を登っていく。

2,3度大きなカーブで回りながら上っていくと森林限界を超えてすぐに電車は広大なアルプの一角に躍り出た。ここまで来るとさすがにマッターホルンが大迫力だ。豪華な山岳ホテルのあるリッフェルベルグ駅を超えて更に上っていくととうとう終点のゴルナーグラート。標高3090mで胸のすく眺めが広がる。もちろんトレッキング姿の人よりも一般観光客のほうが多い。人だかりがしているが近づくとアイベックスの親子が岩の上に立っているではないか。信じられないような急斜面を滑落もせずに軽快にトラバースしていく。四足でなぜあんなことが可能なのだろうか。終着駅すぐ上の建物はホテルも兼ねており、なかなか予約が取りづらいホテルとして有名だ。展望台まで上がりそこのレストランで昼食とする。山小屋でコストパフォーマンスの高い食事を取ってきた自分たちには余り目を惹く食事ではないがそれでも観光地価格を払ってマッターホルンを望むテラスでくつろいだ。

(ステリゼーから望むマッターホルン。
余りにも絵葉書的。)
(ゴルナーグラートは登山鉄道の終着駅。) (ラクレットも量が多いとね・・)

このあたりから自分としては、イヤーな感じが足に伝わってきた。太もも上部、いわゆる大腿四頭筋が痛くなってきたのだ。ここは下山に酷使する筋肉。20歳代、30歳代では複数泊の縦走でもしない限りなんともなかったこの筋肉が 40歳代にはいったころから簡単な山歩きでも下山後翌日から痛みが残るようになっていた。一昨年のTMBでもこの筋肉の痛みで最終日の行程では歩みが遅くなりSさんにずいぶんと迷惑をかけてしまったのだが、それが再び襲ってきたようだ。こうならぬよう5月あたりから週末は自宅近所の森のウォーキングを欠かさなかったのだがダメか。昨晩もフルーエヒュッテで入念にストレッチングしてクールダウンしたつもりだったが、やはりダメか。今回はSさんにわざわざ日本からバンテリンコーワを買ってきてもらったのだがそれでもダメか。昨日のオーバーロートホルンからは確かに1000m近く下ったのだから仕方ないのだろうか。しかし1000mって、丹沢の大倉尾根よりも少ない標高差だ。がっかりしてしまう。

展望台の少し高みまで行こう、というSさんの提案に乗る気もおきぬほど足が急速に痛くなってきた。あっという間に筋肉がこわばってきたのだ。あー、やってしまった。また迷惑をかけてしまう。明日明後日もゴールデンコースなのだが、困ったものだ。Sさんに不調の意を告げる。今日のところは後は鉄道で下山、そしてそのままゴンドラで入山だけ。今晩ゆっくり休んで明日以降に備えよう。

ゴルナーグラートからツェルマットまで鉄道で降りる。街中を南端まで移動してゴンドラ乗り場へ。最終ゴンドラには余裕で間に合う。再び海抜2583mまで、一気に機動力を利用して上っていく。

今宵の宿、シュバルツゼーホテルはゴンドラ下り場のすぐ隣だった。目の前にはマッターホルンが大きい。観光客がマッターホルンに近づける一番近い場所にある宿泊設備と言ってよいだろう。ホテルとは名乗っているが山中にあり、規模は大きくない。日本的に言うとヒュッテ、といったところか。予約はここでも無事に通っていた。これから2泊お世話になります。予約時にわざわざ指定しただけあってマッターホルンを望む部屋があてがわれた。目の前から山頂が倒れこんできそうでもある。テラスにベンチがあるので出てみると隣室も日本人だった。 50歳代と思える大阪の男性で先ほどヘルンリ小屋から下山してきたとの事。「なかなか大変でしたよ」と疲れた顔で暮れ行くマッターホルンを眺めている。さて自分は、どうやら明日のヘルンリ小屋往復はどうも無理っぽそうだ。今日は個室に湯船まであるのでお湯を張ってみるか。風呂で少しは良くなるか。

さて今夜の食事は何だろうと期待する。レストランから良い香りがする。チーズのこげる匂いだ。これはたまらん。ドイツ人パーティの隣のテーブルに座るとウェイターが溶けたチーズを持ってきて皿にこそぎ落としていく。目の前には茹でたジャガイモのみ。なるほどラクレットですか。これはビールというより赤ワインだろう。チーズにジャガイモを絡める。うーんこれは美味い。やはりチーズが良いのだ。ワインとチーズ、しばらくは大腿四頭筋の痛みは忘れて幸せを味わう。しかし付け合せにジャガイモだけだと、さすがに美味いのだが飽きてくる。あと日本人の胃にはやはりヘビィなメニューでもあるのだろう。だんだんとペースが落ちてくる。残念ながら今夜のメニューは期待したがこれだけであった。やや拍子抜けしたが一応郷土料理を食べられたわけで、まぁ立派なもてなしメニューだったと理解する。


8月11日

起床するがやはり筋肉痛は治っていなかった。昨晩塗りたくったバンテリンも効果なし。ヒュッテの階段を下りるのも一苦労だ。蟹歩きでは万事休す。これではまともに歩けない。残念だがヘルンリ小屋は諦める。Sさん申し訳ありません。「ではちょっと行って来ます」、とSさんがザックを背負って山肌に消えていく。目の上のマッターホルンは今日も良い眺めだ。目を凝らすと彼方にヘルンリ小屋もみえる。今ならSさんに追いつける。いや自分の今の足ではやはり無理だろう。山を見に行って、近づける一番奥までいけないのは残念だった。こういう山行もあるのだろう。悔しくて仕方ないが自業自得なのだ。

シュバルツゼーがすぐ下にあるようなので行ってみる。静かな湖だ。傍らに立つ小さな礼拝堂が心やすらぐ。少し下が草原になっておりよく見るとワタスゲが咲き乱れている。草原に横たわりMP3プレーヤーでグルダの演奏する平均律を聴く。対位旋律の浮かび上がらせ方が見事でしばらく没頭する。左右の手で組み立てられるこの音の膨らみは、アルプスの、山と谷が作る立体的な風景に通じるものがある。持ってきた開高健の文庫本を読む。何もしない一日もあっという間に過ぎていく。こういう時間の使い方も、良いだろう。ヨーロッパに住み始めてもう5年が過ぎた。あっという間だったが、こうして念願のアルプスにも何度か来る事が出来て言う事もない。

いつしか夕方になりヘルンリ小屋往復から戻ってきたSさんを出迎えた。写真を見せてもらいながらお話を聞く。ヘルンリ小屋はここから見上げるととても上るのが大変そうだが実はそれほどでもない。難所は特にありません、とのSさんの言葉に羨ましい気持ち、そしてやはり悔しさを感じてしまう。

夕食は今度はきちんと前菜が出てくる。サーモンのマリネに焼いた海老。メインはブラウンソースのポークソテーに俵型のハッシュブラウンがついてくる。これまたとても美味しいが、動いていない今日の自分にはややカロリー過剰というところだった。

8月12日

足の調子は大分良い。これなら予定通りツムット経由で下山も出来よう。2日間お世話になったシュバルツゼーホテルを出発。ここからゴンドラはクラインマッターホルンまで行っているので、試しに乗ってみる。ゴンドラが高度を上げるにつれヘリンリ稜が目の高さに見えてくる。なるほど、一度登ってあとは比較的平坦なのか。そして小屋の下で一気に急登か。またいつか、行くチャンスがあるかもしれない。

ゴンドラでトロッケナーシュテークまで上がってみるが雲の中で天気が悪い。ここからガンディックヒュッテ(3029m)までのトレッキングルートが手短なのだこの調子ではただの苦行だろう。諦めてゴンドラ駅に戻る。が、この上、氷河でスキーが出来るのだろう、スキーヤーが何人かゴンドラで上がってくる。ヨーロッパアルプスの遊び方は本当に懐が深い。再びシュバルツゼーまで戻り、ツムットへの下山ルートに入った。

緩やかに下っていくと目の下に広々とした草原帯が現れてくる。スタッフェルアルプだ。道はゆったりとしており、筋肉痛はまだ残っているがステッキを使えば何とか下りていける。下りるにつれてガスが晴れてきた。マッターホルンの北壁が大迫力で頭の上から降ってきた。見慣れた三角錐ではなく、ただの壁である。垂直の、巨大な壁だ。道は壁の下を大きく下りていく。やがて小さな湿原帯に出る。ツムットの谷底が見渡せるようになってきた。更に下りるとカラマツが点在しはじまる。森林限界まで下りてきた。ツムットの谷間の淵で道はゆっくりとUターンするとやがて民家が現れてきた。スタッフェルの村落だ。少し進むと小奇麗なレストランがありここで昼食をとることにする。カラマツの上にマッターホルン北壁が垂直に屹立している、絶好のビューポイントだった。

ヴァイス・ビールがメニューにあったので迷わず注文。ラガーも良いが小麦上面発酵の独特の香りはたまらない。頼んだ料理はTagesmenu。「本日の定食」である。出てきたのはハッシュブラウンの上にソテーしたベーコン、目玉焼き。その上からバジルのソースがかかっているもの。隣に座った日本人おばさん組はなかなかかしましくなんだか滅多やたらに品数を注文している。さすがにウェイトレスのお姉さんが、「そんなに食べられませんよ」と注意している。

スタッフェルアルプから先は車道歩きとなった。ダム湖の堰堤で対岸に渡り返してしばらくおりていくとツムットの村落。ネズミ返しのある家が並ぶ好ましい雰囲気の古い村だが、その中に雰囲気のよさそうなヒュッテ風のレストランが並ぶ。ここから先は淡々とおりていき、やがてツェルマットの村はずれに出た。

今晩はここで宿泊。予約してあったホテルは村のメインストリートに面しておりやや騒々しい。少し時間があるので山岳博物館を見学する。さすがにグルメ旅ばかりで胃が疲れてきたので夕食はスーパーで買ってきたカップ麺とフルーツだけとする。ホテルのテラスに出てSさんと夕食。自分としてはヘルンリ稜を歩けなかったのは残念だが、雨にあうこともなく予定通りのコースをすべてこなすことができた。山行終了を祝うビールが美味しかった。

(ホテルから望む朝のマッターホルン) (広大なスタッフェルアルプを下りていく) (北壁を望む素敵なランチ) (静かなツムットの村)


8月13日

今日はパリに戻るだけだ。フィスプからローザンヌへ。往路をそのまま戻っていく。ツェルマット発の電車を早めたのでローザンヌの街で2時間ほど余裕が出来た。いうまでもなくレマン湖沿いのこの美しい街を観光するための予定変更だ。ローザンヌ駅から地下鉄で中心地へ。丘の上に教会があり、小さな町を一望できる。街を一周して駅に戻り、TGVでパリに戻る。15区のアパートに一度戻ってから夕食はパリ2区のサンタンヌ通りまで出た。ラーメン屋・日本の中華料理店などがひしめく通りでSさんとリラックスする。

長いようだった1週間の山も、終わってしまった。一応、非常に入門者的なコースではあるが、グリンデルワルトからアイガー・ユングフラウ周辺、ツール・ド・モンブラン、そしてツェルマット・マッターホルンをめぐる山、とヨーロッパアルプスの有名どころを何年かかけて回ることが出来た。ヨーロッパのアルプスなんて自分には縁も時間もないだろう、と思ってはいたが転勤という良いチャンスを得て、かつ、ともに歩いていただけたSさんのおかげで、楽しく味わうことが出来た。冒頭に書いたとおり自分自身、もう来年の夏までヨーロッパに居る事は多分ないだろう。本当に良い経験が出来た。

8月14日

今日の夕方の便でSさんは日本に帰国。何処か半日ほど行くところを探す。オルセー美術館、ゴッホ終焉の地であるオーヴェル・シュル・オワーズ、空港とは逆方向になるが世界遺産のフォンテーヌブロウ・・いろいろ行き場はあるがSさんの希望はモネの家で有名なジヴェルニーの観光だった。自宅から車で1時間半程度。ノルマンディーのこの小さな村はいつものとおり静かだった。有名な「睡蓮」のモチーフとなった緑豊かな庭園と、モネのコレクションであった広重や歌麿の浮世絵には改めて目を奪われる。

ジヴェルニーからシャルル・ド・ゴール空港までも渋滞もなくSさんを無事に空港までお送りすることが出来た。たぶんSさんに次回会うときにはもう自分も正式帰国しているのではないか、そんな予感の中、Sさんをお送りする。Sさんどうもありがとうございました。

楽しかった一週間も終わってしまった。あれほど悔しい思いをさせてくれた足の筋肉痛もなんだか治まったようだ。パリ15区のアパートに帰る途中、ハンドルを握りながら心の中に少し寂しさが残っていた。長いようで短かったヨーロッパ駐在もあと少しで終わりだろう。先駆けてこの4月には子供の学校のこともあり家族は既に日本に帰国している。楽しみにしていた山行も終わってしまった。欧州最後の夏山であろう。 ヨーロッパの8月中旬は日本の9月末のような季節感がある。太陽も少し弱くなり、強かった夏の生命力がかろうじて陰影を残して街の中に漂っている、なんだか少し気だるく、そして脆さも感じさせるような、そんな透明な空気。・・・・それは、長いようで短かった5年間だった。

走りなれたパリの環状高速道路もがら空きで、バカンス帰りのベルギーナンバーのキャンピングカーが反対車線をすれ違っていく。セーヌ川を渡り終えて高速を下りて、ひと気のない我がアパートに戻るのであった。

(2010年8月8-13日)


コース概念図 8月9日、10日  コース概念図 8月11-13日


 コース概念図はS氏(JI1TLL局)作成のものを同氏のご厚意により掲載させてもらいました。


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