三浦の丘陵 

 (2006/12/15)


バスの車窓から眺めるすべての風景が懐かしかった。車道の交通量は多くひっきりなしにバスや乗用車が行き交う。小さなバイクも走ってくる。生け垣の民家の隣には昼間から明かりを放つコンビニエンストアが軒を並べその隣には自動販売機がある。バスを降り交通量の多い車道から逃れるように、地図を片手に簡易舗装の道を辿り始めると道はほどなく登りの傾斜となった。登りがきつくなるに連れ側溝を流れる水の勢いが強くなった。少しむせる焚き火の煙に顔をあげると雑木林がはやゆっくりと目の前に近づいてきた。生活居住区と山林の間に明瞭な境も無く、かえってその密着した雑然さが妙に心地よく感じられるのはそれがやはり懐かしい日本の風景、愛すべき里山風景だからだ。

前後をともに歩くのは昔からの山と無線の仲間だ。歩く彼らの後姿も、話し方も、話し声も、まるで長い間のブランクを感じさせる事も無くごく普通に目に入り耳に聞こえる。

(三浦アルプス稜線から浦賀水道を見る)

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仕事で日本を離れてはや1年以上が経過していた。新たに住み始めたヨーロッパの国は日本と並ぶほどの経済力を持つ国とはいえその国土には豊かな林と森が溢れ時間の流れが日本とはまるで違っていた。街からハイウェイに乗って郊外に出るのはわけないことだ。10分も走ると四周ぐるりに広がるのは広大な地平線と、点在する森、そして教会の尖塔とその周りに小さく固まる集落・・・あとはそれを包みこむ静寂の層。欧州随一といわれるあの大河の川べりを歩いてみよう。緑の中をまっすぐ続く遊歩道はどこまで続くのかその果てが見えない。そんな道を着飾った老夫婦がゆっくりとあるいていく。その横を上背があり無駄のない女性ジョガーが姿勢よく走り去っていく。物音に驚いたのか茂みの中から飛び出したのは野ウサギで慌てふためいた跳躍で森の奥へ去っていく。なるほど森は日本の様な広葉樹の雑木林は見る事が無く背の高い針葉樹が密集したもので、冬などは透徹した空気を突き破るように屹立する森の木々が却って痛々しい。それでもそれはヨーロッパ北部の持つ重厚さを示す風景として自分には好ましいものだった。

この国の人々は実直で素朴。無駄なものにはお金を使わず、一見野暮ったいほどの堅実さだが、そんな生活観も暮らしぶりも自分には好ましく、わずか一年半の生活とはいえ思いのほか自分にとって快適な生活が送れている・・・・。

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年末の12月に久々に日本に帰国する機会があった。出張とはいえ一日空いた日があったのでローカル仲間三人とともに地元横浜の近郊の丘陵を歩く事が出来た。待ち合わせた地元の駅から横須賀線経由で三浦半島を目指す。目的の駅からバスに乗り換えのんびりと目指したのは好事家から三浦アルプスと名づけられた三浦半島基部を東西に横断する稜線だった。

バスの中から眺める無秩序な街並みと山麓近くなった暢気な里の風景を眺めながら心の中にたとえようも無い懐かしさがこみ上げてくるのを感じていた。ヨーロッパの持つ冷たく透明な重厚さとは全く正反対の温かみすら感じさせる里山の眺め。これに親しみを感じるのはやはりそれが今まで長く接してきた日本の野山だからに違いなかった。

山はなかなか手ごわかった。200mの丘陵とあなどるべからず、多くの里山の例に逆らわずこの丘陵にも仕事道や細い踏み跡が縦横に巡っており、山慣れたはずの我らローカルをしても容易に道を外してしまった。竹林を抜け密度の濃い林を歩くうちに北東に向かうはずがいつか真西に向かって歩いていたのだ。規模の小さな里山は必要以上に読図に気をつける必要がある。小さな分岐に戻りアップダウンで登りついたピークは畠山(205m)であるがそこにはなんの標識も無かった。遠景に浦賀の海が眺められる。ここから三浦アルプスの主稜線までも小さな枝道が分岐しておりそれらは時として不明瞭でも有り、我らパーティはその各所で読図という停滞を余儀なくさせられた。登山道は低山とはいえそれなりにアップダウンがありなかなかのアルバイトだ。取り囲む林は雑木林とはいえアオキなどの常緑樹林帯でそれは温暖な三浦を感じさせるものだった。またブッシュの中から現れる柱石には"昭和十六年海軍省設置"と彫られており、そこが軍港横須賀の裏山である事も実感させられた。

田浦の梅林から上がってくる三浦アルプスの主稜線に合流した時には思いのほか手厳しい山に四人とも疲れていしまい浦賀水道を眺めながらため息を付く始末だった。自分にしてみれば持参した2万5千分の1地形図の一体何処に自分がいるのか、大体の場所の目処はつくが、確信がもてない事が妙に不快でもあった。ちょうど通りかかった単独行と話してみると彼はこの山域を歩くのに1万分の1地形図を持参していた。見せてもらったその地図には様々な尾根と谷にラインペンが引かれておりこの山域の複雑さが見て取れる。彼に行くべき方向と道の具合を確認して4人とも重い腰を上げた。乳頭山への道には中尾根への分岐もあった。当然2万5千分の1地図には登山道表記もない道で、やはり1万分の1図が活躍しようというものだろう。

(今回のルート図。カシミール3Dと同ソフト
付属地図使用。データ提供7K3EUT塩田氏)

三浦アルプスは田浦から葉山町の浅元山(118m)を結ぶ稜線でその北部には森戸川の谷が広く広がっている。以前二子山・阿部倉山を歩くのに森戸川を遡った事があるが森戸川周辺には人口密集地の鎌倉・逗子・横須賀地区にしては信じられないほどの広さの自然が残っているのに驚いた事がある。ちょうど今度は森戸川渓谷を右手に見ながらの縦走となった。

道は相変らず薮っぽく、覆いかぶさる笹を手で払い、ぬかるんで歩きにくい急登に喘いだ。当初の目論見ではこの稜線を終点の浅元山まで歩く予定だったがもはや気力も萎えた四人には荷が重すぎた。適当なところで縦走を打ち切り容易に里に下りられるのもこれまた里山の持つ別の顔である。手書きの小さな指導標に導かれ下山につく。とはいえ濡れてぬかるんだ登山道に足をとられ転倒・滑落したりして我々は最後まで苦戦した。雑然さとのんびりさの同居するバス通りまで下りてきてようやく安堵の息を大きくつくのであった。

下山して我々が直行したのは夕闇迫る逗子の街・裏通りにある一杯飲み屋だった。とりもなおさずビールの大瓶が運ばれてきて獲れたての三浦の海産物で乾杯とする。立ち飲みに近い簡素な飲み屋だが海のある街は食べ物が美味い。烏賊と大根の煮付けに舌づつみを打ちながら話しの花が咲く。いやー、キツイ山だったね・・・。こんな山で転倒・滑落は笑い話にもならないねー、と山中の気息奄々とした四人とはうって変わり笑いが溢れる。その根底には山を楽しんだという満足感がある。自分の場合はそこに久々の日本を感じたという思いも加わっている。勝手知ったる気の置けない仲間と山、そして酒。下山後の山がこれほど楽しいのも久しぶりだった。

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長く履き古した登山靴が自分の足型に完全にフィットするかのように、日本の風景が、日本の社会が何の抵抗も無く自分に入り込んでくるのが嬉しかった。石畳の道路にてはがれた石を上手くはめ込んで修復している人を見たときに自分は「あぁいかにもヨーロッパに来た」、という想いをえたが、自分にとって日本の里山はそんな石畳の様なものという気がする。

山と里が入り混じり、整然さが無く無秩序。雑然と猥雑さ。だけどこの温かみはなんだろう。ヨーロッパの自分の住む国の持つ重厚さと素朴さにすっかり慣れ親しんだ自分ではあるがやはりそこには我がホームグラウンドという動かせない事実があった。海外に居る事によって初めて自分の国の事を改まった目で見る事が出来るのかもしれない。そんな目で見た自分の国が思いのほか素晴らしく、なによりも労せず自分にフィットすることが嬉しかった。

さぁ明日は再び何千キロも西へ向かうのだ。そこに待つ自然と人々もこれまた自分には既に懐かしく親しめるものとなってきている。そしてまた何時の日か日本に戻り、当然の様に再び里山を楽しむのだろう。毎日こうして無事に生き、過ごしている事がなにかとても素晴らしい事と感じられた久々の母国であった。


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