しばらくのお別れへ - 白馬岳 

(2005年8月5日、6日、7日、長野県北安曇郡、富山県下新川郡、新潟県糸魚川市)


それはいかにも山の天気らしく、どんよりとした入道雲が地面の果てから目の高さへ、そして更に上にぐんぐん盛り上がってきたか、と思うまもなくパラパラと大粒の雨が降ってきた。テントのフライシートを打つ雨音が心地よく響いてくる。目の前にひろがる雲上の池も急な雨つぶてに驚いたのか白く波立ち霞んでしまったかのようだ。吹き込まぬようにテントのジッパーを締めて再び銀マットに横たわると心地よい眠気にまたもや包まれてしまった。隣のKさんも気持ちよさそうに眠っている。とりもなおさずぐっと飲み干した無事到着祝いの缶ビールも効いているのだろう。隣の高校生パーティのテントからは女学生の流行歌を歌う楽しそうな声が聞こえてくる。うつらうつらしているうちに夕立はやがて止み再び起き上がりテントを開ける。とそこには雨が一切の汚れを洗い流したかのような、肌理の細かい濾過紙で空気を何度も何度も濾過した後のような、透明で混じりけがなく不意に触れれば切れてしまいそうな、そんな硬質の空気。 そして輪郭と陰影のはっきりした風景が広がっていた。間違いなくそこはやはり森林限界を超えた海抜2500mの雲上の別天地であり、汗を流し登りを稼いだ者だけが得ることの出きる世界だった。あぁ、山に来たなぁ、という幸福感がゆっくりと押し寄せてきたひと時でもあった。

* * * *

自分の海外転勤による離日まであと1ヶ月となっていた。ヨーロッパへ転勤、という内示をされたときに最初に頭に浮かんだ事は、家族の事や年老いた両親の事もあったが、まずは「あぁこれで日本の山とも山スキーともしばらくはサヨナラだな」という事であった。もとより低山主体で難度の低い山ばかり歩いてきた自分にとっては、山は別れを惜しむほどの付き合い方をしてきた相手ではなかった。それにせよ山頂でのアマチュア無線運用の楽しみにとりつかれ月に1,2回の山岳移動運用をなんとか続けてきたこともあり、いつしか山歩きは週末のなくてはならない行事となっていた。またここ数年来熱中していたバックカントリーツアースキー、これも残雪期限定でかつ難度の低いコース専門ではあったが、これもそう簡単には出来なくなってしまうだろう。ヨーロッパの自分の赴任地に日本のような「日帰りできる気軽な低山」が豊富にあるとも思えず、かつヨーロッパアルプスは距離的に離れており、素人の自分にはそれらは「見る山」であって「自分が登れる山」ではないだろう。スキーとて同様、素人がシールを貼って踏める山頂がある訳もあるまい。

そんな事で寂しくもあったが、一方離日の日は着実に近づいてきており気ぜわしい中で、夏山の計画だけがぽっかりと決まらぬまま残っていた。任地へのフライトもハムフェアの翌週、8月の最終日の便をすでに予約してあった。

さて、夏山をどうしたものか。これから数年は日本の山ともお別れかな、と思うとやはりここは夏山らしいアルプス級のダイナミックな山を歩いてみたいものだ。となるとやはり恒例の南アルプスだろうか。ここ7,8年はご無沙汰している北岳にでも行くのも悪くないか、いや、まだ歩いたことのない光岳にも行ってみたい。いや、早川尾根はどうだろう、と考えていたところいつものKさん(JK1RGA局)から「白馬岳には行ったことがあるの?」と声がかかった。白馬どころか、実は北アルプス自体に全く行った事がなかった。これまで自分の夏山と言えば南アルプスであった。南アルプスの持つその地味で渋い重厚さに惹かれてしまってからは、先鋭的で豪華かつ人気のあるというイメージの北アルプスには変な反発を感じなんとなく足が向かなかったのだ。とはいえ実はそれだけ興味もあったのだろう、行き先にもちろん異存はなく、また最後の夏山にKさんにご一緒して頂けるとは望外の喜びでもあった。

行程はKさんの提案で夜行列車「ムーンライト信州」の利用となった。快速扱いで特急料金がいらず青春18キップが使えるのだ。帰りも鈍行でのんびりと戻るわけで言う事なしだ。キップの手配など何から何までKさんにやっていただいてしまい申し訳ない。

8月12日、まもなく日付が変わろうとする時刻。蒸し暑く立っているだけで汗ばむ八王子駅のホームでKさんと無事合流、程なくして滑り込んできた「ムーンライト信州」の車上の人となる。昔の「あずさ」の車両でやや老朽化が目立つが指定席なのはありがたい。

大糸線に入ってから、大町、穂高、と何度か目が覚めたが割とぐっすり眠っていたような気がする。白馬駅到着。でかいザックの山姿の人、ボストンバックにテニスラケット片手の人、輪行袋をかかえた自転車旅の人、などがぞろぞろと駅に降り立つ。まだ頭の芯がボーッとしているがこれが夜行列車の味なのだろう。

栂池行きのバスの時間まで若干時間がある。とここでザックを改めて検分していたKさんが「いけねー、コッヘルを家に忘れて来ちゃったよ」と声を上げた。出発前にザックを整理して、結果入れるつもりの品をうっかりと玄関などに置き忘れてしまうことは自分にも良くあることだ。夜行列車客目当てに早朝から開いている駅前広場の土産物屋や観光協会、はたまた駅事務所までコッヘルや鍋を売っていないか、譲ってくれないか片っ端から声をかけてみるがどこもNG。観光地のコンビニもさすがに鍋の需要はないのか置いていないが、代わりにアルミホイル鍋の冷凍うどんが目に入った。これならうどんを食べた後もコッヘルとして使えるだろう。二枚あれば山の調理には問題あるまい。良い物が手に入ったね、と大喜びでバスに飛び乗った。

栂池スキー場でバスを降りる。夏のスキー場は独特の空虚感に満ち溢れなにか物悲しささえ感じさせるほどだ。はやくもじりじりと照りつけ始めた夏の太陽から逃れるようにゴンドラ乗り場へと急ぐ。栂池に来たのは初めてだがゴンドラの距離が長いことに驚いた。眼下に広がる大規模なゲレンデは冬が着たら是非おいでよと誘っているかのようだ。ここは滑り甲斐のあるスキー場だろう。長いことゲレンデスキーからは遠ざかっていた自分だがここ数年はバックカントリーのツアースキーに年甲斐もなくはまってしまっている。栂池はバックカントリースキーの聖地としても知られておりテレマーカーも多いという。

ゴンドラを降りて今度はロープウェーに乗り換える。栂の林が黒い絨毯となって目の下を流れていく。山歩きと呼ばれる世界に足を踏み入れた20歳代後期に比べて明らかに気力も体力も衰えてしまった今となっては、こうして文明の利器で高度を稼ぐことがその罪悪感とは裏腹に全くありがたい。ロープウェーを降りるとそこには瀟洒な山小屋風のレストラン・売店が2軒立っている。栂池自然園がこのすぐ先にあるのだ。こんな上部にまで小屋があるとは栂池は思いのほか懐が深いようだ。「昔はここまでバスで登ったんだよなー」、とKさん。日差しはきついが標高がある分空気はやはり肌に心地よい程度に涼しい。7:55、靴紐を締めなおしゆっくりと登り始める。今日のゴールは白馬大池だから、のんびりと行きましょう。

(波立つ湖面に風を感じる。白馬大池。)

深い栂の林の中を一歩一歩登っていく。夜行で来たこと、一気にここまでロープウェーで上って来たこともあるのか、全く体が重くて仕方がなかった。Kさんも同様のようで、お互いに数歩登っては一息いれている。焦る必要はないがもどかしいものだ。照りつける太陽はまったく容赦がなく、それを浴びて蒸発してくる濡れた山肌の匂いと、早くも乾き始めた緑の下草のむせるような匂いが体を包む。夏山の樹林帯独特のこの匂いも気だるさを増長してくれる。

銀名水と名のついた水場までなんとか辿り着くとザックをずり下ろし座り込んだ。8:55だ。湯気が背中から上がっているのを感じる。やはり山は苦しい。しばらく休んでいると空気が冷たいせいもあるのか楽になってくる。ちょろちょろ流れる水は冷たく美味い。しかしポリタンをここで満たすとザックが一段と重くなった。言葉も出ない。ゆるりゆるりとザックが左右に揺れるのに任せ上体もフラフラしながら登っていく。歩き始めの一時間はいつも辛いものだが今日はいつも以上だ。

辛いと足元に払う注意も希薄となる。ぼーっとして木の根に脚を取られて滑る。こういう事でますます疲れが増えるものでしっかりと歩かなければいけない。林層もいつしか栂からダケカンバに移行してきて高度が上がってきた事を実感する。といってもまだ標高は2000mをわずかに超えたあたりで、この辺からすでに潅木帯になるとはやはり南アルプスとは違う。これでは森林限界も低いのだろう。だましだまし進んでいくと傾斜はやや緩み、一歩一歩登っていく。汗が滴り首にしたタオルで顔を一拭い。もはや目の高さと変わらないようになってきたダケカンバ帯の中つづら折れで稼ぐ。ペースを落として歩いているので多少は楽でもある。しばらく頑張ると頭上の空が広くなった。と思うとひょっこりと広闊な原の片隅に出た。9:40、天狗原だった。

ここまでは楽勝と思っていたが思いのほか辛かった。目の前には白馬乗鞍岳が壁のように立っていてこのままあれを登るのかと思うと気が重く、時間は早いがここで昼食にしようと即座にKさんと合意した。木道のうえにどっかと腰を下ろしそのままひっくり返ると気持ちが良い。しばらくは動く気もしない。ストーブに火を入れて調達したばかりの冷凍銀カップうどんを載せる。これもなかなかの重量物で、これを平らげたら少しはザックも軽くなろう。目の前の白馬乗鞍を超えた向こう側が白馬大池だから、あとこれを越えるだけだ。焦る事もないだろう。

どちらも疲れているのか、歩きましょうか、となかなか声が出ない。改めて自分の体力の無さを感じるが、夜行で来ているせいもあるのだろう、と自分を慰める。それでも頑張ってザックを背負い木道を乗鞍岳へ向けて進む。

池塘の点在する高層湿原の天狗原はやや乾いていはいるが高山らしさを満喫するにはもってこいの場所だろう。紫の可憐な花に目が行った。アヤメだ。先月歩いた富士山近郊の石割山の稜線でも咲き乱れていたのを思い出す。

登山道は大きな岩がごろごろとした急登で一息かかされる。下山パーティも目立ち始め渋滞する。手を突き登っていく箇所もある。振り返るとはや天狗原が箱庭のように眼下に広がる。さらに高度を稼ぐと雪田が目の前に現れた。長さは100m程度だろうか。雪田を外してまき気味に歩く人が多いが、涼しそうなので雪の上のトレースを踏んだ。たいした斜度ではなく軽アイゼンも不要だろう。

雪田を上りきるともうそこは白馬乗鞍岳の頂上の一角だ。とりあえずこれ以上のアルバイトは今日は無いのだと思うとホッとする。山頂ケルンはここから数百メートルほど先に進む事になる。水平移動になると背中のザックが妙に軽く感じられるから現金なものだ。11:40、山頂到着。眠くて仕方なくザックをおろしゴロリとすると冷たい岩の感覚が背中に心地よい。小さな羽虫がぶんぶん飛び回るのが面倒くさいがスーッと眠りに落ちていきそうだ。ややあってKさんも到着。山ランのポイントを稼いでから先へ進む。

前方に静かな湖が遠望できた。大池だ。あれが今日の目的地。心に余裕が出来て写真を撮りながら気ままに降りていく。先行するKさんの赤いザックが点になってしまったが焦ることもない。池に向けてのゆるやかな下り道は岩を選んでの道でもある。水面には小さなさざ波が立っていた。水面を漂う風は冷涼で心地よい。澄んだ山上湖のその奥には白馬の主稜線へと続く尾根が続いておりかしこに残雪が見られた。まさに山上の楽園とでもいうべき光景であった。

* * * *

隣の高校生のテントはさすがに朝が早い。3時過ぎにはごそごそと始まった。お疲れ中年サラリーマンのこちらのテントはまだまだ眠りの中であるが、それでも山岳会出身のKさんは機敏に行動する。素早くストーブで湯を沸かし始めた。寝ぼけ眼の自分はシュラフに身を突っ込んだまま動く事もできない。

砂糖たっぷりの熱い紅茶を入れると自分も目が覚めた。気合でシュラフ類をザックに収納していく。予定では今日は白馬岳まで達して、そのまま白馬鑓ケ岳まで縦走。天狗山荘で幕営というものだ。

「こうすればいいんだよ」と、荷物を出したテントの中でストーブを空焚きすると朝露で濡れたテント生地がぐんぐん乾いていく。成る程さすがにKさんは色々と山の知恵を持っている。フライまでは無理にせよ少しでも乾くとありがたいものだ。朝露が取れきれずフライは生乾きのままのテントを入れるとやはりザックが一段と重くなった。縦走では日が経つごとに食料が減りザックも軽くなっていくはずだがそうはならないのは何故だろう。

5:30、別天地のような山上湖、お花畑に囲まれた大池小屋のテント場を後にする。残雪を左手に見ながら稜線をゆるゆると登っていくとはや大池は左手に小さい。道は朝露で濡れているが吹く風は冷涼で心地よい。自分の場合代謝が悪いのか指がむくんでパンパンに張った感じがするのも山の朝の特徴だ。歩くにつれそれが消えていくのも分かっている。御馴染みの夏山の1ページでもある。

風が出てきた。ガスが北の方角から流れてきてあっという間に稜線を包み込んでいく。首を上げて見上げる黒い空には雲が何かにせかされているかのように流されていきそれもガスに消えてしまった。帽子を取り額に流れる汗を拭うとガスの粒子がすぐに首や顔にまとわりついた。今日は余り良い天気ではないようだ。

道はまだまだ登りが続き、ハイマツ帯の中をゆっくりとじわじわ登って行く。小蓮華山を過ぎると傾斜は緩んだがガスが深くなり展望もなくなった。Kさんと、お互い無言のままただ歩くだけだ。

未だ続く登りにいささか辟易して頭を落としたまま腕組みをしてゆっくり登っていく。岩と砂礫の混じった山肌、足元にゆれる紫のイワギキョウが可憐だ。斜面一帯に稜線の風に揺れながら咲き乱れている。その群生につられて足を少し進めてみると岩だなの先は急峻なルンゼをなして落ち込んでおり、そこから白いガスが風とともにヒュウヒュウと舞い上がってくるのだった。

雪倉岳から朝日岳への長い稜線がガスの晴れ間から右手に広がった。深い山陵のスカイラインのその果ては見えなかった。一瞬の出来事で再びガスがその風景を閉ざしてしまった。でも心の中には今の風景が強く残っている。あの長い稜線に道が、縦走路が続いているのかと思うと気が遠くなるような憧れがこみ上げてくる。縦走、ロマンティックさに溢れたなんという素敵な言葉だろう。未知なる道。かなたへ続く道。そこを歩いて辿る。未知なる世界への探訪だ。自分は縦走と言う言葉に惹かれて山を歩いているのかもしれない。

ここまでくれば北アルプスの主稜線まではもう一息だった。ガスを抜けると右手に先ほど垣間見た雪倉岳からの縦走路が近づいてきた。8:50、三国平。ここから目指す白馬岳山頂まではあと少しだ。

9:40、白馬岳山頂、2932m。自分にとっては初めての北アルプスのメジャーピークとなる。
「着いたよー、山頂!ご苦労様!」ややあって登りついたKさんと登頂祝いの握手が自然と出た。展望はあいにく全く無くひゅうひゅうと風に乗ってガスが流れじっとしていると寒いだけだ。岩陰に隠れてアマチュア無線運用。開局以来出来る限り50MHzにこだわっての山頂運用を続けてきたが、今回は144/430のハンディ機を持参しただけだった。二人用テントを背負った上に50MHz用の装備を持つ事への重量の問題、それにいくら3000m級山岳とはいえ0エリア深部、いや殆ど9エリアに位置するこの場所からのSSBでの1WQRP運用では票田となる関東平野への電波の飛び方はどうなのだろう、そう考えた末にピコ6も釣竿もダイポールも、ザックの中身から残念ながら外した、というのが実体だった。

慣れぬバンド・モードでの山岳移動ではあまり局数を稼ごうと言う気もおこってこなかった。これが50MHzだったらな、と悔しい気持ちもするが仕方ない。それでも当方のコールの後ポータブルでの移動山岳名をアナウンスするのはやはり誇らしい気持ちがする。地元富山や長野の局と交信成立。最後に同じく北アに移動していた山ランメンバーのJL3VOGと交信して閉局とする。

(朝露に濡れたイワギキョウ)  (縦走とは見知らぬ世界への扉を
開くことだ。雪倉岳・朝日岳方面の
稜線を展望する。)

無線運用さえ終えてしまえば寒風吹きすさぶ山頂に長居は無用だ。Kさんともに荷物をまとめ縦走路を南下する。ガレた下りを少し下るとガスの中から建物の影が出てきてそれが白馬山荘だった。

こんな稜線に良く立てたな、と思うほどそれは呆れるほどに大きな山小屋だった。山小屋というよりは山岳ホテルとよぶべきだろう、公称収容人数1500人もあながち嘘ではあるまい。日本最大の規模との由だ。南アルプスでは絶対に考えられない規模の小屋でもある。別棟のレストランは瀟洒で山のサロンといった感じもする。北アの小屋は至れり尽くせりとは聞いていたがこのような要塞のような設備が山頂直下の稜線上にあるとは、いくら写真では見ていたとはいえにわかには信じがたかったが、やはり事実だった。ハイ・シーズンはこの小屋も満員になる事があるとすればやはり北アの人気は素晴らしいのだろう。

ちょうど良い時間なのでここで昼食とする。ストーブを出して湯を沸かす。トイレを借りに中に入ると未だ時間が早いのか小屋の中も閑散としている。板張りの廊下が長く続きまるでどこかの寺の渡り廊下を歩いているような気がした。

ここでKさんとこれからの行程について話す。「天気も冴えないしこれ以上先に進まず下の村営小屋のテント場で今日はストップしない?」、とKさん。確かに今日はまだ11時を回ったばかりで昼前ではあるがここまでの稜線行でいささか疲れてしまったのは事実で、今後この中を白馬鑓まで歩き天狗山荘を目指しても余り面白みは無いかもしれない。むしろこれで当面日本の夏山とも、Kさんとの山歩きもなくなる、と思うと、ガツガツ歩く事よりもテント場でゆっくり停滞したい、という気持ちが急速に大きくなった。それにいずれにせよ白馬鑓まで行っても明日は鑓温泉経由で猿倉へ下山するだけなので、それであればここから明日大雪渓で猿倉へ降りてもあまり変わるまい。フレキシブルに出来るのが山仲間との山行の利点でもある。

そう決めるとあとは早い。相変わらずガスで見通しは利かないが、テント場のある白馬岳頂上宿舎(村営山荘)はここからすぐのはずだ。もう先が見えると現金なものでガレを上手く踏みながら降りていくと、これまた規模の大きな村営小屋がガスの中に立っていた。

テント場は小屋の裏だった。ちょうど白馬鑓への主脈縦走路がテント場のすぐ裏手を小さな崖をなして通っており、このテント場は小屋と縦走路に挟まれた窪地ということになる。「確か昔はここはゴミ捨て場だったと思うなぁ」とニヤニヤしながらKさん。確かに小屋の裏手の、窪んでやや湿っぽいこの場所はゴミ捨て場であっても不思議ではない。余り気持ちの良いテント場とは言えない。強いて言えば窪地になっているので風の影響は受ける事がないだろう・・・。先客テントはすでに20,30張り、張る場所を物色するのに一苦労だ。

南アルプスでは経験した事もない、駐車場のように混みあったテント場も初めての経験だ。スペースを確保しテントを何とか貼るとあとはビールを飲むだけだ。小屋でビールを調達。プッシュと栓を開けKさんと乾杯、喉を鳴らして陶然としていると今度はテント場の中に「揚げたてコロッケいかがですかぁ」と小屋のバイト学生が売り歩きに来た。なるほど何でもありだ。もちろん頂きます。こんな山上でテントから動かずして揚げたてのフライ物が食べられるのもカルチャーショックではあった。

午後を回ってだいぶ経つのだろう、ややあって定期便のごとく小さな夕立がやってきた。テントの中ではそれを気にする事も無く二本目の缶ビール片手にKさんと四方山話。山も無線も経験の豊かなKさんの話は聞いているだけで楽しい。雨音はやや強くなったがテントの中は別天地だ。気づけば自分もKさんも雨音を聞きながら眠ってしまったようだ。

これでしばらく日本の山も歩かなくなるな、と改めて考える。

旅先の京都の書店で佐古清隆さんの書かれた「ひとりぼっちの山歩き」(山と渓谷社)を偶然手にしたことから始まった自分の山歩き。山歩きの持つ旅心、未知なる世界を尾根伝いに歩いていく、という行為。それは自分にとってはまさに未知への旅であり、まだ知らぬものへの想像を掻き立ててくれた。自分はずいぶんとそれに惹かれたものだ。これまでも別にたいした山を歩いてきたわけではなかったが、これまた佐古さん同様に山頂でのアマチュア無線運用をかねた山歩きは自分にとっては最大限の楽しみであった。どんなにか週末が待ち遠しかった事だろう。こうして知り合いも無く独りで歩き始めた山ではあるが、山歩きにアマチュア無線という二足のわらじを持つ特異な世界の中では同好の士を得るのも時間の問題だった。

Kさんと山を歩くようになったきっかけは何だったのだろう。自分がアマチュア無線を開局した1994年、やはり物珍しく楽しい事もあり毎晩のように自宅から50メガでCQを出していたものだが、同じ市内に住むKさんはそんなラグチューを通じて知り合った「6mマンのローカル局」という事なのだろうか、その出会いは今では余り覚えていない。ローカルラグチューの話題も山の話が多かったのだろうか、山を知って間もなかった自分には様々な見知らぬ世界を知るきっかけとなったものだろう。またちょうどその時期にKさんご自身も若干の休止時期を経て50メガでの山岳移動をアクティブに再開された時期であったと記憶する。Kさんはかつては職場山岳会で岩をも含むかなり広範囲な山歩きをされていた事もあり、またアマチュア無線家としても開局20年、いつしか自分にとっては頼りになる山と無線のOMというべき存在であった。ともに初めて歩いた山は確か秩父の両神山で、白井差の小屋に泊まり翌朝、今は廃道となった沢沿いのコースを辿って紅葉で真っ赤な山頂に至った事を覚えている。

そして時同じころ山岳移動運用の同好の氏が集う「山と無線」誌の仲間に入れていただき更なる知己を得て、自分の山と無線の世界は飛躍的に広がり今に至っている・・・・、パラパラ鳴る雨音を聞き半ばうつらうつらしながらそんな記憶をゆっくりと手繰っていった。

「晴れたみたいだよ」 というKさんの声に目が覚めた。カメラを手にしてあわててテントの外に出てみる。裏手の縦走路に駆け上がってみて驚いた。あれほど深かったガスはもはやその片鱗すらなく、雨が洗い落としてくれたかのような透明な空気に包まれたスケールの豊かな山岳展望が広がっていた。

何よりも目の前に先ほどその山頂を踏んだ白馬岳が颯爽と立ってることだった。山頂すぐ下にハーモニカのように横たわる白馬岳山荘が目障りでもあるが、右肩上がりの尖った山頂はなかなか格好いいではないか。自分の踏んだ山頂が良い形をしているのを見るのはやはり気持ちよい。目を左に転ずるとごつごつとした旭岳で肩にべっとりと雪田が残っている。よく見るとそこをぽつんと豆粒のような単独行がこちらに向け歩いている。このコースは地図によるとはるか谷底の黒部川・祖母屋温泉から上がってくる長くエスケープのできないコースでもある。そんな厳しいコースを先ほどの夕立の中もいとわず歩いてきたのか、と思うと、豆粒のように小さい見知らぬ彼に対して言いようも無い感情がわいてくる。

背後には、本来であれば今日歩くはずだった杓子・白馬鑓の二山が大きく立っている。なかなかボリューム豊かで、夕立の中あれを歩くのは大変だった事だろうと考える。

澄んだ午後の風景に満ち足りて、稜線を少し杓子岳のほうまで歩いてみる。色とりどりのテントの花が眼下に豆粒のように咲き、胸いっぱいに吸い込む空気のなんと言う美味しいことか。

飽きるまで稜線を眺めて風に吹かれる。これ以上の幸せは、やはり、思い浮かばなかった。

(白馬岳を望む) (旭岳はごつごつとした重量感に溢れる) (杓子・白馬鑓を見る)

* * * *

今日は下山のみで気が軽い。当初は大雪渓を下りる予定にしていなかったこともあり雪渓歩きの軽アイゼンを持ってこなかったのだが村営山荘でレンタルすることが出来た。

そこここの残雪から流れ出る雪解け水が登山道の端に小川のようになっている。濡れて歩きにくい岩の道を下りていく。たちどころに右手裏の杓子岳が高くなっていき一気に高度を下げていく実感がわく。カールのような小広い地形の脇に道がついているが一面お花畑が見事だ。じきに夜明け前から登りはじめたのか稜線を目指す登山者にもすれ違うようになった。急降下はまだまだ続き左右には岩の岸壁が立ちはだかっている。この岸壁がもし崩れたらこの登山道などひとたまりも無いだろう、と思うと腹の中がむずむずしてくる。そんな危機感を感じながらの道は足元の可憐な花々が唯一の目の慰みと言ったところか、いずれにせよこのコースを登りに使うのは遠慮したいものだ。

やや下ると避難小屋が建っていた。比較的新しいのか中は立派なものだ。小屋の裏手には沢が流れており水は豊富だが、増水によってはやや危なかしい立地でもある。ここまでちょうど1時間。一本立てて再び歩き始める。

小屋の下をしばらく歩き大雪渓へ。雪渓のその幅は30から50m、ところによっては100mはあるだろうか、左右を岩の大伽藍に囲まれたなか、思ったより急な斜度だ。さすがに"大"を名乗っているだけあり北岳の雪渓とは規模も長さも違う。滑りやすそうだったが意外に足元はしっかりとしており必ずしも軽アイゼンが必要なほどでもなかった。

たんたんと大雪渓を下りていく。以前ジョギング中に痛めた左膝が痛み出した。長い下り坂が来るときまって痛むのだから困り者だ。予め巻いてあったサポーターをもう一度きつく締めなおす。時折左右の岸壁からゴロゴロという音が谷にこだまして聞こえてくる。岩の谷の下山では落石が日常的なのだろうか。雪渓の狭い部分では遭遇したくないものだ。

雪渓歩きの良い点と言えば雪の冷気から暑さを余り感じなくてすむという点があるだろう。首にかけたタオルで昨日までは散々顔を拭ったが今日はそれも出番が無い。このあたりまで来ると登山者が行列をなして登ってくる。夜行列車と始発バスで来たら丁度今ぐらいの時間になるのかもしれない。白馬岳の人気のほどがわかる。

長かった大雪渓も斜度が緩んでくるとその終わりは近かった。雪の上から沢の右岸にガレを踏んで上がりこむとそこからは良く踏まれた土の登山道だった。9:10、白馬尻小屋。もうこれで今回の山行のその殆どの行程が終わった。あとは林道を歩き猿倉に行くまでだ。

猿倉からはタクシー相乗りで白馬駅まで戻る。上りの大糸線までは未だ時間があり駅のそばのホテルで山旅の汗を流す。涼しかった稜線も下界に戻るとさすがに暑く照りつける日差しはまだ盛夏のものだ。露天風呂からはさっきまでそこを歩いた白馬の稜線が思ったよりもずっと高く立ちはだかり、あぁあれを歩いたのか、と思うとやはり感慨が深い。杓子と白馬鑓はスキップしたので当初の行程案よりは縮小となったが、非日常的ではある高山帯を縦走し、テント場ではじっくりと過ごすことが出来た。また何よりもKさんとの山旅も、また自分にとっては当面最後となるであろう夏山をこうして無事に終えることが出来たのが何よりも嬉しかった。

* * * *

松本で一旦乗り換えて、各駅停車の中央線は眠たそうな午後の諏訪盆地をゴトゴトと走って行く。Kさんとこうして缶ビールを傾けながら揺られる各駅停車の旅も、なんと素晴らしい事だろう。固いクロスシートに揺られ窓の外に目をやれば旧知の山も車窓をゆっくりと流れていく。南には雪の山頂から大きな展望を得られた入笠山が、北には数年前にSさん(JI1TLL局)とやはりテレマークスキーで逍遥した霧ヶ峰が車窓の奥に立っている。ある秋の日にやはりKさんと燃えるようなカラマツの紅葉の下を歩いた雁が腹はあの頂だろうか?そして更に揺られればKさん、Sさんと供に残雪期に歩き、出来たばかりの南アルプス市のサービスでパイルを浴びた鳳凰の観音岳が車窓の奥に高くその姿を現してくる。

素晴らしい山の仲間、無線の仲間を得て、こうしてわずかながらではあるがいくつかの山に自分の足跡を残してくることが出来た。旅先で偶然手にした書で知らぬ世界を知ることが出来た。しばらくそんな世界から離れることはなんと寂しいことだろう。でもそれも数年であるとすればそれは長い期間ではあるまい。そして再び旧友にあったなら、新ためてその素晴らしさに目を見張ることになること、間違いない。高低を問わず季節に応じて異なる美しさを見せる日本の山々とその田園風景はいつも自分に新鮮な感動を与えてくれるのだから。

さぁ、家に帰ったら転勤のパッキング類も終えなくてはならない。あとは離日までカレンダーも数週間を残すのみ。やる事を終えた今、あとは頭の切り替えだ。今回の山の計画から具体的なアレンジまですべてやっていただいたKさんには感謝の念も耐えない。次またいつこのように山をご一緒させて頂けるかわからないが、その機会を楽しみに取っておこう。

笹子トンネルを抜け列車が笹子川の谷に入ると旧知の友が谷の左右に居並びはじめた。旅立ちを前にして、しばらくのお別れとなる彼らのその姿を忘れぬよう目に焼き付けてから、硬い列車のシートに深く座りなおした。

(テント場から見上げると宵の夏雲が
赤く燃えていた。大池にて)
(大雪渓へ下りていく。杓子岳方面の
岩峰が険しい表情を見せていた。)
(大雪渓は長くしばし
落石の音もした)
(白馬駅からは各駅停車に揺られる。
のんびりとした旅は素晴らしい。)

(終わり)

2005年8月5日 
ロープウェー駅8:00-栂池山荘8:10-水場9:00-天狗原9:40/10:30-乗鞍岳11:40/12:30-大池山荘13:00

2005年8月6日 
白馬大池山荘5:30-小蓮華山7:30/8:10-三国平8:50-白馬岳9:40/10:20-白馬山荘10:35/11:05-テント場11:30

2005年8月7日
白馬村営山荘5:50-避難小屋7:07-雪渓上部7:37-白馬尻小屋9:00-猿倉10:00


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