会心の根子岳スキー行 

(2005/2/12、長野県須坂市、小県郡真田町)


山を始めたころ自分にとって雪のある山は遠い存在だった。雑木林の続く和やかな尾根道をゆっくりと歩きたい、そんな単純な想いで山の世界に足を踏み入れた自分には、雪の山は遭難と直結した危険な別世界でしかなかった。

(樹氷の稜線をスキーで歩く。
目指す山頂まであとどの位
だろう。スキーでの山は自分に
新しくそして胸躍る楽しさを
見出させてくれたように思う。)

しかしそれから年月が経ち、そんな自分でもいつしか雪の山の持つ美しさ、そこを歩くときに感じる身も心も躍るような快感を知ってしまった。もちろんそれは近郊の低山であり決してザイル・ピッケルの要る本格的なものではない。それでもザクザクと雪面に軽アイゼンを食い込ませ、冷たい空気にすすり出る鼻水をグローブでぬぐいながらも一歩一歩高度を稼ぐと、そこには別世界が待っている。雪のついたブナやミズナラ、その中に伸びる白い尾根、そしてなによりも吸い込まれていきそうにすら思われる青空の深遠。これを知ってしまったらもうそこからは離れることが出来なかった。当初感じていた危険な思いをもちろん忘れたわけではない。しかしそれを冒してまでも出かけたい、という魅力にそれは満ちていた。

そんな山をいくつか繰り返していくうちに、雪の稜線をスキーで歩き、滑ってみたいという思いを感じるようになったのは当然かもしれなかった。たいして上手くもなかったゲレンデスキーではあったが当時から林の中のオフピステには興味もあったような気がする。歩き中心のバックカントリーならできるだろう、誰に推されることも無くテレマークスキー一式を購入して待ち焦がれていた白銀のフィールドへと足を踏み入れたのは数年前のことだった。

こうして少し味わった山スキーではあるが、やはりそこには期待通りの痺れる様な楽しさが待っていた。どんな小さな一日の山でも出発から帰着まで自分の日常にはない世界を自分で決めたコースで歩く。そこには未知の風景があり登頂の喜びと下山の充足がある。そして僅かかもしれないが未知の危険も待っているのだろう。その意味で山歩き自体が小さな冒険旅行と言える。乾いた日常に窒息しそうな自分はささやかな冒険に飢えている。小さなアドベンチャーを経て自分は呼吸をして心臓が動くことを実感する。

そんな冒険に旅行の手段としてのスキーが加わるのだ。白い別世界をスキーで歩くのだ。通常の歩行ではなくスキー滑降が必要であり、しかも対象となるフィールドはもはや低山歩きの域を逸脱した世界。ああなんという冒険。怖くなくてなんだろう。渦巻く大きな不安感。腹がむずむずするような恐怖感。どうやってこの恐怖心とみんな戦っているのだろう。自分には想像もつかない。仲間が居るから?きっとそうだろう。技術があるから?もちろんそうだろう。どちらもない自分はどうすればよいのか。そう、行かないのが一番だ。でもその先に待つうずくような期待があるのだ。ガイドブックと地形図を見て夢想するだけでは満足できなかった。誘惑を断つことは出来なかった。

* * * *

上信道の甘楽PAで仮眠後、妙義山を前に見て西へ向かって走り出す。すぐ手前に稲含山が量感たっぷりに迫り、さらにその奥遥かには荒船山の岸壁がスマートに立っている。3ヶ月前に登った両峰との再会を懐かしみながら長野県に入ると佐久平は明るいものの肝心の上信国境の山々はその裾までが見えるのみで中腹から上は暗いガスの中に消えているではないか。今から登る根子岳はもちろんあのガスの中になる。どうしたものか、気が重い。

上信国境地帯の根子岳は豪雪にならなく山容も柔和であるために昔から山スキーのクラシックルートとして有名だ。ネットでの山スキー記事やいくつかのガイドブックを見るにつれ、これならば自分にも行けそうだ、と狙っていた山だ。3連休の中日を狙ってアタックしに来た。

雪がちらつきだした。菅平湖の下でチェーンを履く。入山ポイントとなる峰の原スキー場では結構な降雪となった。根子岳の山頂は当然見ることも出来ず、視界は数百メートルくらいだろうか。ただそれもあの暗いガスの中まで登っていくともっと悪くなるだろう。青年の家までとりあえず走ってみる。車道の終点は峰の原スキー場のトップでもありゲレンデを滑走するスキーヤーが見えた。今から行こうとする世界は安全の保証されたゲレンデではなく自然そのもののバックカントリー、こんな天気で本当にいけるものか。不安が大きい。えぃこのままゲレンデで滑るだけにしようか。何のために高い高速代とガソリン代をかけてここまで来たのか。それに一人っきりのゲレンデスキーなぞ全く楽しくもない。

車に座ったまま進退窮まって考えていると横に停まっていたワゴンから二人連れが出てきた。ザックを担ぎ板にシールを貼っている。ゲレンデスキーヤーではなかった。テレマーカーと山スキーヤーの2人連れのパーティだった。

「天気は悪いけど、まぁ行ける所まで行きますよ。風がないからまだ良いほうですよ。」

テレマーカーは屈託がなかった。このコースにかなり慣れている様子だった。山スキーヤを促してゆっくりと向こうへ歩き始める彼らを目で追った。

そうか、ゼロか一だけけではない。俺も行ってみるか。駄目だったら戻れば良いし、それに今日は三連休の中日だ、入山者は多いことだろう。安全と自分が思える範囲内でやってみればよいのだ。

急にやる気が出てきた。ガスストーブで湯を沸かす。手早くシールを貼ってザックをまとめる。マップケースに入れた2.5万分の1図を首から下げる。コンパスで進行方向をセットしてGPSもONにする。高度計を現在地点にセットする。沸いた湯をテルモスに注ぎレモネードの粉を多めに入れると準備完了となった。

乾いていた土に急速に水分が吸い込まれていくような気分の激変、高揚感。ケーブルビンディングを閉じる手が震える。バチンとレバーをセットして、さぁ出発だ。

(薄暗い空の下雪の樹が立っていた)

青年の家を回りこんでわずかな林を抜けるとゴルフ場のクラブハウスで、その向こうに抜けるのに手間取ったが北側を回りこむと一気に広大な雪の海の中に躍り出た。無雪期にはゴルフ場のグリーンとなるのだろう、今は立ち木の点在する白一色の世界。先ほどの二人がつけたのであろう一条のシュプールを追って軽い雪を踏んでいく。シールが良く効いて登りがたやすい。軽く上がる踵と同じくらいに身が、心が軽い。これだよ、この躍動感。雪の中という非日常の世界に泳ぎだすように飛び出すこの感覚。自分はこれに痺れているのだ・・・。右手から二人連れのテレマーカーがやってきた。細板に革靴の二人は夫婦だろうか、息が合った様子でハイペースで登っていく。挨拶がてら笑顔が飛んできた。そうだよ、笑って当然さ。下手糞テレマーカーの自分も歩くスピードは遅いが気分の弾みだけは負けていないぜ・・。

気づけば右手前方から何人ものスキーヤーが歩いてくる。そうか、菅平スキー場のトップから続くコースに合流したのか。はたしてそこにはツアー標識が立っていた。標高1650m。時間は10:20。出だしのクラブハウスを抜けるのに道に迷った事を除けばここまで30分弱、思ったよりも早い。

5,6人パーティと前後しながら登っていく。山スキービンディングの立てるカチリカチリという規則的でメカニカルな音だけが無音に近い山の中に聞こえてくる。こちらもヒールピースのクライムサポートを登高ポジションにセットした。足が楽になる。このあたりからペースが乗ってきた。GPSを取り出して予め登録しておいた避難小屋の地点を探る。あと70mか。と頭を上げたらガスの先に建物が見えた。もう避難小屋まで来たのだ。ここまで一時間弱。乗ってきたペースを崩すのがいやで小屋に一瞥をくれてペースを維持した。

視界が一段と悪くなった。しかし数十メートルごとに現れるツアー標識の看板と、先達者のシール跡にもはや不安感は消えていた。黙々と登るだけ。テレマークは足指の付け根までが板に固定されているので登りは板に体重を乗せやすいような気がする。傾斜はややきつくなったようだ。しかしシールは相変わらず絶好調で頭を真っ白にしても高度だけは稼いでいく。ふと後ろを振り向くと駐車場で先行していった二人組みが下から登ってくる。何処で抜いたのだろう。小屋で一本立てていたのかもしれない。テレマーカーのほうは余裕があり山スキーヤーにライン取りを指示している。かなり経験豊富なようだ。一方の山スキーヤーは結構バテているようで苦労している感じが伝わる。とはいってももちろん自分よりはしっかりとした登りだ。こちらも、頑張らなくては。再び足を進めまる

雪は柔らかく先行者のスキーのトレースの上を歩くと楽だがパウダーの中をラッセルするのは結構きつい。とにかく、登るしかない。ガスはますます濃くなり、指導標を見つけるのもままならなくなってきた。しかし不思議と恐怖感がわかない。GPSを取り出して山頂までの距離を探る。まだまだだ。快調に思えていた歩みもこの辺りからペースが落ちてきた。数歩進んでは一息、そんな感じで登っていく。二人連れも同じペースで前後していく。

更に登っていくがこのあたりでノックダウンとなってきた。足が前に出ない。立ったまま目をぎゅっと閉じて空を仰いでみる。肩で息をすると楽だがぐるーっと頭が回る感覚に目を開けると体の水平が取れない。シャリバテもあるのだろうが山頂まであと少し。それを励みにずるずると歩き出す。

傾斜が緩むとちょっとした平地だ。えっと思い高度計を見るともう海抜2100mを超えている。そうか、ここが根子岳ヘリスキーのランディングポイントだろう。もうここまで登ってきたのか。今日のこの天気ではヘリは飛んでこないだろう。ここまでのコースは深い雪が続きオフピステ状態だった。ここ一週間あたりの上信地区の天気はずっとチェックしていたが曇天と雪続きだった。圧雪車が全く入っていないのはそのせいでヘリスキーがなかったであろうからか、であれば天候に感謝しなくてはなるまい。今日もお陰でヘリスキーに会うことも無い。静かな山はこのガスのお陰だ。

先方から軍隊のような行列で30人くらいのスノーシューのツアー登山隊がやってきた。胸に旅行会社のバッチをつけている。知り合い同士でもなく技量も体力も異なっているであろう集団を纏め上げるツアー責任者は大変な事だろう。大半が高齢者で前だけを見て周りに注意が届いていないようだ。おっかなびっくり歩いているように見える。

行軍とすれ違うともうここからは登りがほとんど無かった.。 このあたりから樹氷が大きく、まるで写真で見た蔵王のモンスターのようだ。それが薄暗いガスの中からぬっと出てくる。額に当たる何かが固い。よく見ると前髪が固く凍っていた。手袋で氷をつぶそうとするが上手くいかない。毛糸の帽子の表面も軽く固まっていた。クライムサポートを元に戻してゆっくりと行くのだ。モンスターの合間を縫ってほぼ平地を歩く。もう、近いはずだ。先ほどの二人組も前後する。慣れた風のテレマーカーが励ましてくれる。

大きな壁が目の前に現れてここはシールでも登れそうにない。先行するテレマーカーに見習って雪壁を階段登高でクリアしていいく。が、カービングの板ではエッジをうまく雪面に食い込ます事が出来ない。初体験のカービング板だからか?それにシールの幅もこの板にぴったりとフィットさせてきた訳でもなく、スキーのセンターでは両エッジがともにシールでほぼ隠れていた。やはりエッジは出したほうがよかったか。何とか登りきるともうそこは頂上の一角で、ガスの向こうに祠が見えた。

あぁやった、ついにここまで登って来れたぞ。あの二人のお陰だ。駐車場に彼らがいなかったらゲレンデを敗北者の気分で数回滑っただけだっただろう。ここまでの登りのペースもなかなか維持出来なかったかもしれない。先を行く二人組には感謝あるのみだ。

(避難小屋は立派な造りだった) (樹氷モンスターの中を) (山頂。登頂の喜びがあった)

根子岳、標高2207m。三年前の秋晴れの中に登った懐かしの山頂だ。ピークには10人くらいか。テレマーカと山スキーヤーが半々くらいだ。こんな天候ででも山キチはやはり多い。祠の前で記念写真を撮ってもらう。魔法瓶からホットレモネードをいれて一息。バターのたっぷり入ったワッフルがとても美味い。あぁとにかくここまで。なんとかここまで。山麓のゴルフ場から2時間半。標高差700mとはまぁ自分にしては頑張ったものだ・・。

とはいえ登頂の充実感がさほどこみ上げてこないのは下山への心配があるからだとわかっていた。あまり上手くないスキーなのだ。ピーッとシールを剥いで、さぁ行きますか。モンスターの中を滑りだす。シールでの滑らない感覚がまだ体に残っているせいか妙に良く板が滑るような気がする。横浜の登山道具店で埃を浴びていた特価品のダイナスターのカービング板の初滑りだ。今までのステップカット付細板テレマークとは違うはずだが・・。

先ほどの雪の壁はエッジングと横滑りで切り抜けた。あとは直滑降、と、樹氷の根元の窪みにスキーが取られて転倒。先が思いやられる。

わずかな登り。逆ハの字で登りきるがやはりこういうシーンではステップカット細板の右に出るものは無いだろう。あっという間にヘリスキーのランディングポイントでそのまま滑る。苦労した登り斜面がグンと遠ざかる。とはいえ登りの疲れからかもう足が言う事を利かずに、テレマークターンなどとても出来なかった。無茶苦茶なシュテムとパラレルもどきで滑っていく。横滑りは疲れた足には有効だが斜度がある程度必要だ。ガスは相変わらず濃くゴーグル越しの雪面の状況が良く見えない。そのせいか時折深みに突っ込んでコケてしまう。が、柔らかい雪なので痛くも無い。カービング全盛の今となっては決して太くは無いだろうがやはりトップが103mmもあるカービング板はこのような非整地には強く、いい加減な扱いでも板が回ってくれる。細板ではこうはいかないだろう。それぞれ向き不向きがある。

足が疲れて数十メートル毎にとまって足を休める。腿の筋肉が張って屈伸も利かない。避難小屋はあっという間で、もうここまでくれば安心、と一本立てる。小屋は頑丈でシャッターが一部腐ってはいたが、非常用の薪とストーブもあり一夜を過ごせそうだ。5,6人の山スキーヤーが食事を取っており、ここでようやく心の緊張が解けた。

ここからは傾斜も緩くもう大丈夫。今日の山の成功を確信する。怪しげなテレマークターンで降りていく。そろそろこのツアーコースともお別れだろう。適当な所で菅平スキー場へと続くシュプールと別れ右手にゴルフ場へのパウダーゾーンへと進む。傾斜が緩く板は進まない。が、重さを感じさせない雪は気持ちいいものだ。

柔らかな起伏の雪原と化したゴルフ場を抜けて無事青年の家に戻ってきた。心から湧き上がる満足の笑みを抑える事が出来ない。やったやった、小さくつぶやきながら車に戻る。無事に行けたなぁ、まさに会心の山だった。しかし残念な事に隣に停まっていた品川ナンバーのワゴンはもう居なかった。下で諦めることも無く山に入り、視界の無いガスの中、時折浮かび上がってくるツアースキーの指導標とガスの中に見え隠れする二人の姿に励まされて登ってこれたようなものだった。下山して是非お礼を言いたかった。が自分の下手糞スキーのせいかもう二人の車は出発した後だった。それが心残りだった・・・。

* * * *

中年になって覚えた遊びは馬鹿みたいに深みにはまってしまうと聞いたことがある。決して安全な世界ではないと知りながら魔力のようにそこに惹きつけられてしまう自分。安くも無いバックカントリーのアイテムを揃え、加速度的に増えていく2.5万分の1地形図や山のガイドブックを見て、家族はどう思っているのだろう。平日は腐りきった目で意思の無い棒切れのように会社に行って帰ってくるだけの人が週末近くになるとやる気に満ちてくるのを見て何を感じているのだろう。でも新しくそろえた道具を眺め、ガイドを眺め、地形図の中から未知の山を想像するのが楽しくって仕方が無い。出発直前の自分は、自分でもはっきりとわかるほど緊張しきっている。その山の難易度が自分にとって高ければ高いほど緊張と不安が大きい。その余り目の前の風景や家族の顔など、何を見ても上の空で、それはまるで実体のない積み木の世界のようにも思える。しかし実際に一歩踏み出すと心はもう飛躍してまう。そして一山終えて下山をしたとき、実体の無かった空虚な世界はもう重量感に溢れた現実の世界に戻っている。そうして家族に下山の連絡を入れるとあとはもう家に戻るだけだ。心をよぎるのは素晴らしかった今日の山。一枚一枚のシーン。体を包む疲労感すら楽しいと思える経験。それが嬉しくて仕方なかった。それが楽しくてたまらなかった。

菅平から関越練馬までの3時間、満たされた想いに浸りながらの3時間はいつものようにあっという間だった。

(下山していくと視界が開けてきた) (ゴルフ場は広い雪原だった) (満足の下山)
(今回のルート図。ハンディGPSで取得したログをカシミール3Dを用いて
同ソフト付属地図上に展開したもの。)



コースタイム: 青年の家9:40-クラブハウス前9:55−菅平奥ダヴォスゲレンデからのツアーコース合流10:20-避難小屋10:40-標高2100mヘリスキーランディングスポット11:40-根子岳12:10/12:25-避難小屋13:07/13:35-青年の家14:00

スキー装備 : Dynastar Agyl6 162cm + ロッテフェラー 赤チリ(20mmカーブ)、SCARPA T3

(終わり)


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