聖地・八甲田に遊ぶ 

(2005/4/28-5/1、青森県青森市)


2005年のゴールデンウィークの山は山スキーの出来る山にしよう、そんな事を決めガイドブックを物色し始めたのはまだ1月の頃であった。数年前に須崎さん(JI1TLL)にご一緒頂いて霧ケ峰でのバックカントリースキーを楽しんでからというもの、熱しやすく冷めやすい自分にしては珍しく今回は冷めることなくバックカントリーへの想いがつきないでいる。今シーズンもすでに諏訪の入笠山を皮切りに菅平の根子岳、福島・白河の鎌房山、長野市の飯縄山、そして上越国境の神楽ケ峰と初心者でも山頂を踏める山をセレクトしながらスキー行を重ねてきた。そんなシーズンの締めくくりに満喫できるスキーをしたかった。

前年の五月連休にやはりスキーで登った至仏山、その山頂から遠望した平ケ岳へのスキー行の想いが尽きなかった。が尾瀬ケ原・山の鼻にベーステントを張りスキーの機動力をフル活用した上での一日のピストン行程、しかもルートファインディング要素も高く、山深くエスケープのない深部への山行は考えるだけでも尻込みがした。雪の海へ一人漕ぎ出すようなものだ。スキーを使った山旅としては興味深いがやはり敷居が高すぎる。代案として浮上したのが東北の山だった。八甲田、八幡平、月山、鳥海、岩木山、いずれも春の山スキーのピークとして有名だが、滑降技術に自信のない自分としては滑降よりもワンデリングにウェイトを置いたエリアに目が向いた。八甲田が目的地となったのはこうした流れからだった。ネックは東北の山には何の土地勘もないこと、そもそもそのピークすら見たことがない。いきなり山麓まで移動してきてさぁこれが八甲田ですと言われてもピンとも来まいが、そこは割り切るしかない。それでも地形図を買い込んでガイドブックを何度も読んでいるうちに自分ながら頭の中に未知の山々に対するイメージが出来つつあった。

(十和田・酸ヶ湯へのバス)

八甲田は最高峰・大岳や高田大岳・小岳を中心とした北八甲田と、周遊道路を挟んで南側の櫛ケ峰・駒ケ峯を中心とした南八甲田に分類される。前者の山々はいずれも円錐形の顕著なピークでありスキーの楽しみ方もダウンヒル主体のものになるのに対し、後者は全体になだらかな高原を歩くものでスキーもワンデリング主体のものとなる。最高峰の大岳は外せないが、興味の中心はやはり南八甲田だ。

移動は安上がりな高速バスを使おう。とても横浜から青森まで一人運転していく気にはなれない。東京駅22:30発のラフォーレ号のチケットを購入。酸ヶ湯温泉に定着キャンプとし、装備、食料計画をつめていく。肝心のスキー板は縦方向よりも横方向への移動が主体となる八甲田ゆえシールなしでもある程度登れるステップカットの板の方が機動力があるだろうと考え、フィッシャーの細板をケースに入れる。幕営装備は5月とは言え雪上キャンプ、シュラフもダウンの冬物が必要だ。今回は定住形キャンプなのでガスランタンでも持っていけば夜には読書も楽しめよう。ランタン、そして文庫本数冊もザックに放り込む。MP3プレーヤーで好きな音楽を聴くのも悪くない。ガスカートリッジも新規調達・・・こうして定住装備をいいことにザックは加速度的に膨れ上がり夏山縦走よりもはるかに重たいザックが仕上がった。これにスキーを担いで東京駅まで行く事を考えただけで、もう一仕事終えたという気がしてくる。

* * * *

もうすっかり春も盛りという4月28日の夜、この人スキーを担いで何処に行くのだろう、という冷ややかな視線を浴びながら東京駅に向かう。帰省客、バックパッカー、あらゆる人でごった返す東京駅八重洲口の長距離バス乗り場から、JR東北バスに乗りこみ北へ向けて出発した。

佐野、蔵王とトイレ休憩を挟みながらバスは一路北上する。次に停まったのは紫波SAで寝ぼけ眼にいったい此処は何処だろうと考える。紫波、知らない地名だ。東北道のパンフレットに目をやると盛岡まであとわずかのところであった。あぁ随分遠くまで来たな、そう思いながら再び目を閉じる。次に目が覚めるともう高速道のまわりにも斑雪が残り対向車線を走る車もまばらだった。ぱっと見でかなり北上したことがわかる。はたして運転手が終点・青森駅を告げるまでに間がなかった。

窓越しに初めて見る北の街は腐って汚れた春の雪がそこここに残りなにか少しくたびれた感じが漂っていた。雪解け道で跳ね上げがバスの窓にこびりついているせいもあるだろう。4月29日朝7時半、バスを降りると空気がピンと冷たく目が覚める。駅前とはいえ人々もどこかのんびりとした雰囲気が漂う。ねぶた祭りの持つ勇壮なイメージはなくおおらかな感じだ。あぁ本州最北までやってきた、そんな実感が妙にわいてきた一瞬であった。

青森駅から酸ヶ湯温泉へ走るバスは酸ヶ湯から更に奥入瀬・十和田湖へと青森の著名観光地を総なめにしていくゴールデンコースで、乗客はスキーを担いだ同好の士以外にも当然ながら街着の観光客なども多い。10分も南下すると早くも周囲は全面雪の中でエンジンをふかしながらぐいぐいとバスは登っていく。遠くに岩木山が悠然と立っているのに目が行った。独立峰で素晴らしい風格だ。あの山頂からもスキーで山麓まで滑り降りることが出来るのだが自分の滑降技術ではちょっと怖気づいてしまった。せっかくの機会だし足を伸ばしたかったがまたいつかチャンスがあるだろう。

ゲレンデスキーヤーで賑わうロープウェーのかかる八甲田スキー場入り口を通り過ぎると酸ヶ湯までは近い。バスを降りると硫黄の臭いが鼻をうった。写真で見ていたとおりに酸ヶ湯温泉の宿が雪に埋もれるようにして立っていた。昨今の秘湯ブームもあってか山の湯といっても観光客にあふれている。そして溢れているのはスキーヤーも同様で、ゲレンデスキーヤーもいるにはいるが多くが大ザックに手にする板は山スキー板とテレマーク板、バックカントリースキーの聖地にきたか、という気が漂ってきてほっとする。多くはこの宿に泊まるのであろう、別棟のプレハブ小屋には宅急便が常駐し、各自別送した装備をここでピックアップしているようだった。

さて今回の宿をどこにしようか。ザックと板を担ぎなおしゆっくりと物色がてら歩き始める。毎晩湯を貰いに行くつもりなので遠いのは不便だが、かといって温泉宿が見える場所と言うのもつまらない。車道を5分ほど歩いて山に登ると上手い具合に風当たりの少なさそうな場所を見つけることが出来た。ブナが適当な間隔で生えていて和む場所だ。ここを今回の宿としよう、ザックをおろしてテントを設営する。車道からは近いが思いのほか静かなのは雪が音を吸い込んでいるからだろう。雪上ではペグが刺さらない。フライシートの張り綱の先にビニール紐を結びつけその先に20cmほどの木の枝を結ぶ。スキー板の尻で雪を堀りそこに先ほどの紐の先端の木の枝を放り込み上から雪で踏みしめていく。小さいながらも堅牢な我が家が出来上がった。

銀マットを引き横になると夜行の疲れもあってか眠くなってくるが、今日は大岳を踏む予定なのだ。サブザックに装備をまとめテレマークブーツに履き替える。コンパスを取り出し磁北線にコンパスを重ねあわせる。第一目標の仙人岱方向にコンパスを向け磁北線を回転盤に重ね合わせた。現在高度は920m、高度計をセット、GPSの電源も入れる。5つ以上の衛星信号を瞬時にキャプチャーした。板にシールを貼る。こうした一連の作業が楽しくて仕方がない。同時に緊張が高まってくる。3ピンビンディングのレバーをぐっと押すとカチリと手ごたえがあった。リーシュの金具をブーツのD環にセット。準備OK、さぁ行きますか。

板が軽い。このところスキーと言えば太目のカービング板ばかり使っていたので随分と足が楽に感じる。ビンディングがケーブル式よりも軽いのも手伝っているだろう。ブナの林の中は無数のトレースがついておりあまり気にせず登っていく。シールも絶好調で心地よく雪を噛んでいるようだ。斜度が高まってくると足への負担が増えてくる。心配はご無用。クライムサポートがついている。サポートワイヤーを指で引き上げると登りが急に楽になった。

しばらく無心で登っていく。雪は腐るでもなく溶けるでもなく適度に堅く歩きやすい。幾多ものブナの木々が自分の周りをゆっくりと流れていく。あぁこの感覚。苦しいながらも登りが楽しいのも山スキーの面白いところだ。もっともこのような緩やかな斜度だからもあろう。目の前には大きなピークが聳えていて目指すコースはこの山腹を右手にトラバースしていくべきだろう、そう考えていると後ろから二人の山スキーヤーが登ってきた。わき目もふらずペースも速い。そして疑いもなく右手ではなくやや左手に向けてコース取りをしている。仙人岱避難小屋へはそちらの方向ではないはずだが、妙に確信に満ちた彼らのコース取りにつられてしまい自分も彼らのトレースを追った。やがて斜度はますます強くなる。この方向では仙人岱ではなく大岳の斜面にダイレクトで取り付くことは必須で、果たして彼らはそう行こうとしているのだろう。と思ったら彼らも地図を取り出して思案し始めた。そういうことか、やはり最初から思ったとおり進むべきだった。向きを変えるが結構登ったこともあり斜度がそれなりにありトラバースも嫌な感じだ。樹林帯の中なので滑落してもたかがしれているがそれでも緊張する。先ほどは軽くてありがたいと思った細板だが太くて短いカービング板に比べ寸法が長いのでこういう時は却って苦労する。しかもテレマーク板は踵がフリーなので自分の技量ではトラバース時に板の後部へ上手く力を伝達できない。不安定な状況で腰が引けると急に怖くなった。と思ったらそのまま足がすべり4,5メートルほどの下のブナの木に激突した。しばらくは心臓が高まってリカバリーが出来なかった。

(地獄沢は樋状で風の通り道だった。) (仙人岱から八甲田大岳。自分には壁に思えた。)

気を取り直して歩き始める。林を抜けると無木立の斜面に出た。春の雪なので雪崩は余りないとは思うがここのトラバースは緊張する。ミスコース気味なのでトレースもない。現在地は把握できているので問題はあるまい。尾根と沢の入り組んだ地形を横切っていくと大きな樋状の沢に滑り込んだ。地獄沢だ。これが正規のコースでツアー標識看板もある。気ままに歩いたこともあってかちょっと遠回りしたようだ。

地獄沢には無数のトレース、シュプール、スノーシューの跡があり心強い。周囲の林相もブナからオオシラビソに変わってきた。標高が上がってきている。風が強く、硫黄の臭いがそれにつられて流れてくる。大岳と硫黄岳に挟まれたこの樋状の沢は高さを稼ぐにつれますます狭まってきて最後は喉のようになってきた。そのせいか背面からの風がますます強くなり体がぐいぐいと押される。登りなのでありがたいがストックで体勢を整える必要があるほどだ。飛ばされそうな毛糸の帽子を押さえる。とにかく、一歩一歩進むのみ。

シュルシュルという風の音でよく判らないが沢水らしい音がする。やや登るとそこは雪がなく清冽な沢がブッシュの下を這うように流れていた。もう先はなくこれを越せば広大な仙人岱の雪原が待っていることは容易に想像がついた。板を外し歩きづらい潅木の中を足場を選んで登っていく。豊富な雪解け水が足元をかすめて走り去っていく。わずか数十メートルも進むと思わず歓声が出た。喉を抜け出したそこはもう原の一角で見渡す限りの雪原の中にオオシラビソが気ままに突き出ている。大岳は左手に大きく立ちはだかり、正面には小岳が初めて視界に入ってきた。右に目を転じ目を凝らすと原のかなたに小屋が見えた。仙人岱避難小屋だ。とにかくここまで登ってこられた。

はやる気持ちでスキーを履いて小屋を目指す。小屋の周りにはスキーが乱立していた。暖かそうな小屋だ。重たい引き戸を開けるとサングラスが曇った。活気がある。目が慣れると10人以上の人々が上気した顔で昼食タイムだった。薪もストーブもあるこの小屋は寝床が二段になっていて実に快適な夜を過ごせそうだ。ここまで独りでもくもくと来たせいか安堵感が大きい。湯を沸かしながら青森駅のコンビニで仕入れたつぶれたお握りにぱくつく。暖かいスープにひと心地ついた。

ここまで別にバリエーションコースを歩いたわけでもなく、ミスコースはあったものの山スキーのクラシックルートを歩いただけだ。だけどこの達成感はなんだろう。おっかなびっくりの山スキーが自分に与えてくれる感動はいつも新鮮だ。慣れた人には当たり前のコースも自分には常に冒険でありそれがこの溢れる思いに結びついているのだろう。スキーで山に登る事、それは少しかじっても味わいつくすことのできない奥の深い世界のようだ。

さてここから大岳へ。一応来た以上は八甲田の最高峰を踏んでおきたい。斜面を良く見るがここからはまるで雪の壁のように立ちはだかっている。標高差は約300mか。ちょっと自信がなかった。自分の技術ではキツイかもしれない。しかもカービング板ならまだなんとかなるだろうがこの細くて跳ねっかえりの強いダブルキャンバーの細板であの斜面を降りてくるのは自分にはまず出来ないだろう。太板を持って来ればよかったか、とことの時ばかりはそう思うが仕方がない。安全第一、ここからはツボ足だ。

雪は適度にしまっておりスノーシューもないが問題ない。ザクザクと雪原を横切り大岳への登りに取り付いた。等高線が密になった典型的な円錐形ピークで転ぶと一気に滑り台を落ちていくのだろう。アイゼンを持ってくるべきだったか・・。高度感に不安を感じ左手に回り込み雪から顔を出しているハイマツのブッシュの裾を登っていく。ここなら転んでもとまるだろう。

振り返ると仙人岱はずっと下で小屋が豆粒だ。風が猛烈に強くなってきてそのせいかもう雪がなかった。夏道にでて山頂を踏む。真っ青な空に雲が猛烈な速さで後ろに飛んでいく。まるでプラネタリウムの中にいるようで天が丸い。その先も青く黒いがあれは海だろうか・・・空と海が分明でなかった。そうだ、津軽海峡だ。更にその先にボーっと霞んでいるのは北海道に違いない。遥か、遠くまで、北の山まで登ってきた。山に惹かれなければ自分がこんなところに来る事はまずなかっただろう。

じっとしていられない風に我を取り戻した。三角点に手を置いてから風に背中を向けてFT-60を取り出した。144MHzFMの開局だ。CQ一発でコールがあった。7J7のプリフィクスは三沢基地の関係者だろう、日本語がとても上手くVU10000を目指しているとは驚いた。交信に満足して下山する。滑落しないように踵からテレマークブーツを踏み込んで降りていく。小屋に戻るともう誰も居なくシュラフが数組小屋の隅に丸まっていた。

さぁ下山だ。滑降だ。ここからなら自分の技術と装備でも問題あるまい。雪解けの小沢を慎重に超えてから再びビンディングを閉めた。地獄沢を快適に降りていく。振り子のような沢なので回転もやりやすい。スノーシューの単独行が登ってきた。挨拶が風に流される。テレマークターンも下手糞ながら決まるが調子に乗っていると後ろ足がとられ転倒してしまった。後ろ足にいかに力強く乗れるかがテレマークの難しいところで、自分はどうしても後ろ足が逃げてしまう。前後にずらした両足の真ん中に体重がどうしても乗らないのは姿勢が悪いからとは判ってはいるのだが思うとおりにいってくれない。

まぁ安全第一でとにかく転ばずに降りることだ。沢を適当なところで左手に見送り尾根の末端のひだを超えていく。ブナの林の中の快適なツリーランとなった。胸が高鳴っているのを自覚する。ほどなくして目の前に池と車道が現れた。地獄沼だからやや南よりに降りたことになる。しかし下りはあっけなかった。仙人岱避難小屋から道草して滑って40分。テント場から仙人岱避難小屋までのシール登高が2時間弱かかったのだからやはりスキーは機動力が違う。板を外して振り返ると地獄沢の左奥に大岳が気高く立っていた。それはついさっきあの山頂を踏んだとは思えぬほどの高さだった。

(大岳の山頂まであとわずかだ) (大岳山頂。風が強く雪はもう無かった) (下山した地獄沼から大岳展望)

* * * *

酸ヶ湯の千人風呂は駅の観光ポスターで見たまさにそのままの湯だった。混浴といえ女性は少なく大半はおっさんばかりだ。湯につかる。アーッともオェーッともヴーッともつかぬ、文字に表記できない唸りが自然に口から漏れてきた。ジンジンと猛烈にしみる。湯は乳白色で湯船につかると首から下は何も見えない。濃厚な硫黄泉のかけ流しとはなんと贅沢な。体の芯まで温まる。湯なのか汗なのか目がしょっぱい。これこれ、これが バックカントリースキーと温泉の醍醐味なんだよなぁ・・。

酸ヶ湯は湯治客用に食料品と生活用品の売店もある。まさにテント生活をしてください、とでも言っているかのよう場所だ。ビールときゅうりの漬物を調達してテントに戻る。プッシュとビールを開けると即座に酩酊してきてもう何も言うことがなかった。

* * * *

雪上のベッドは寝心地満点でシュラフも暖かく非常に良く眠れた。11時間以上眠ったかもしれない。もう8時が近い。テントを開けると待っているのは今日もスキーだ。楽しくて仕方がない。湯を沸かしレモンティーを飲みながら身支度を整える。

4月30日、今日はいよいよメインの南八甲田だ。まずは笠松峠まで、酸ヶ湯からのバスは朝10時なのでのんびり出来るが上手くいけばタクシーでもつかまえられるかもしれない。スキーを肩にして酸ヶ湯のバス停に降りていくと同じ目論見のパーティがいた。横浜から来たという5,6人の山スキーのパーティと相乗りで笠松峠を目指す。車道から右手の雪原に上がるとこれまた広大な原が広がっていた。目指すは櫛ケ峰、駒ケ峯。

今日も板が軽く感じられる。コンパスを目指す方向に向け磁北線をに回転盤をあわせる。ガスって居たら行動不能となるような広大さだ。幸いに今日の天候は申し分がない。シールを貼ったスキーはもう魔法の足とも言えシュッシュッと快調に足が伸びる。やや遅れて歩き始めた相乗りのパーティは東よりのコースを歩いているようだ。それを左目で見ながらスキーを伸ばす。時折オオシラビソが顔を出す雪の海を漕いでいく、といった感覚か。シュプールやトレースは無数にありどれがあっているのか迷うが首から下げたコンパスが明快に自分の進むべき方向を示している。自分の進行方向はあっている。

雪原の末端まで来るとゆっくりと高度を稼ぎ始めた。オオシラビソの林の中、歩きやすい斜度が続いている。ヒールピースのクライムサポートをセットして好調に登っていく。木々の根元は雪が溶けて穴になっているので落ち込まないように注意が必要だ。四肢をここまで無心に動かせて頭の中がからっぽになる経験はそうはない。額の汗がツーと流れてサングラスを濡らした。振り返ると昨日登った大岳、それに並んで小岳と高田大岳が仲良く並んでいる。高田大岳は大岳と殆ど背の高さが変わらずに、あのピークも踏めばよかった、という思いもしてくる。

斜度が強まってきた。左手には大きな谷が広がってそこに見事なロングターンのシュプールが残っていた。よし、これを登れば地形図上の1167m地点のはずだ。しかしあの谷を登ることはむずかしいだろう。右手に進むが胸突きの登りとなった。スキーを履いては難しいように感じそれを外してザックにくくりつける。キックステップとストックで一歩づつ登っていく。振り返ると先ほどのパーティがちょうど登りにかかったところで、彼らはしっかりスキーのまま登ってきている。やや落胆したが自分の腕前はこんなもんだろう。安全に登るのだ・・。

何とか壁を登りきるとまた歩きやすい緩斜面が待っていた。ここが1167m地点のはずだ。ザックのショルダーベルトにつけたGPSを取り出すとはたしてドンピシャリ。絶好の有視界に助けられているがここまで狙い通りに歩けると嬉しい。次の目標は駒ケ峯、地形図を広げコンパスをセットしなおす。OKだ。さぁこれで何処のコースを取ろうと自分の勝手。気ままにオオシラビソの林を縫っての登りが続く。実に楽しい。やがて林が途切れもう稜線の一角にあがったようだ。稜線といっても顕著な尾根があるわけではなくただもう広大な雪原が運動場のように広がっているだけだ。振り返ると左から大岳・小岳・高田大岳の3峰が並んでいる。昨日立った大岳の山頂をこうして眺められて嬉しい。行く手を見ればこの先にもまだ高まりが続いておりあれが駒ケ峯から猿倉岳に続く南八甲田の主稜線だろう。駒ヶ峰はまだ右手方面なので進路を右に変えながら更に登っていく。もう却ってクライムサポートが邪魔になるほどの緩やかなスロープだ。サポートを収納してただただ歩いていく。鯨の背中のような頂上稜線の一角、目指す駒ケ峯までもう少しか。透明な空気と青いというより黒い空で距離感がつかめない。この開放感!やはり南八甲田は期待通りだ。

(笠松峠は広大な南八甲田への入口だ) (シールを貼ったスキーは魔法の足だ) (北八甲田主峰群、左から大岳、小岳、高田大岳)

更に進むといつか正規のコースを示す赤布が枝からぶら下がっているのにも出くわした。オオシラビソが気まぐれに立つ中をもう視界は果てしなく広がって何も言うことがない。自分が本当に歩いているのか、はたまた風景が自分を置いてきぼりにして後ろにゆっくりあとずさっているのかさっぱりわからない。ただ確実に目の前に見える無木立の三角形のピークがゆっくりと近づいてくる。あれが、駒ケ峯だ。目を凝らすと山頂には何人も居るではないか。皆、好きだなぁー、まったくスキモノだよ皆さん。

最後の登りは腹が減った事も手伝ってか辛かった。振り返ると高田大岳が大きい。頑張ってなんとか登りついた駒ヶ峯1416m。この先南八甲田の最高峰・櫛ケ峰が見えるが思いのほか遠い。ここまでで満ち足りてしまった。10人以上のスキーヤーがのんびり憩うこの山頂でゆっくりするのも悪くない。山頂のみんな知らないもの同士、それでも交わす顔は皆満面の笑みだった。

木立があって風もない山頂に初夏とも言える真っ白な日差しが降り注ぎ、天を仰ぐと黒いとしか言いようのない青空。目の前には雄大な北八甲田の山々。目を転じれば乗鞍岳や赤倉岳がまるで手招きしているかのように純白の斜面を見せている。その奥に見える黒いカタマリは十和田湖だろう。缶ビールを飲みながら、酔ってしまった。たかだか一本のビールに?いや、この素晴らしさに。

猿倉温泉を目指すという5,6人パーティーが先行して出発していく。自分もこのまま笠松峠に戻るのではなく猿倉温泉を考えていた。始点と終点が違う方がやはり山旅気分が盛り上がろうというものだ。再び地形図を広げコンパスをセットしなおす。シールを剥いで、さぁ行こう。

あっという間に駒ケ峯の斜面を滑り降りる。ザラメでとても滑りやすい。平坦になりここから猿倉岳1354mまでは緩い上り下りを交えた尾根上を行く事になる。軽快なステップカットテレマーク板の本領がこんな場所で発揮されようものだ。先行パーティは全員が山スキーだったようでこの緩い登りに開脚登高の跡が雪面に残っているがこの板はその程度の斜面はものともしない。下手糞な自分が扱ってもスイスイと登っていく。やはりこの板は大正解だった。

小ピークを越えていく。色褪せたツアースキー標識がオオシラビソの枝にくくりついている。古くから多くの山スキーヤーがここを歩いたのか。そんな中に仲間入りさせてもらえるとは光栄だ。

オオシラビソの茂みを抜けるとまた緩く下り次のピークが猿倉岳1353m峰だ。山頂をやや北よりにまくと眼下に大パノラマが広がった。東に広大に十和田市から三沢市方面の展望が限りない。目指す猿倉温泉は北東の方向。標高差500mの滑降。目を凝らすとそれらしい建物もはるか眼下の谷間の底に見える。その手前を先ほどのパーティが豆粒のようになって降りていくのが見えた。  
     
さぁあそこに、いくのだ。高度計とコンパスをセットしなおして、行くぞ・・・。オオシラビソがまだらに生えるなんと言う素晴らしい斜面だろう。スキーの腕前には全く自信がないがそれでも適度な斜度と格好なザラメはスキーが上手くなったかのような錯覚を味わせてくれる。それでは、とテレマークターンをトライするとまぁなんとかなる。やった、と思うと転倒・・・。こんな大斜面に、誰も居ない。シュプールもない。滑りながら、笑い声が絶えない。余りの痛快さに、大きな声で笑いとも歓声ともつかぬものが腹を揺るがせて口から漏れる。なんという快感。なんという爽快さ、なんという幸福。なんという・・・。

一気に滑り降りるのがもったいない。斜面に対して愛着があった。ターンごとに斜面を舐めるように降りていく。しかし、これ以上の楽しみは、ちょっと思いつかない。

林層がオオシラビソからブナに変わってきた。高度が下がったのだろう。ブナの林の中を滑る、自分が山スキーに持っていた憧れのシーンがまさにここにあったのだ・・。ゆっくりと滑って猿倉温泉はもうすぐ下のはずだ。樹林ごしに温泉の建物がみえた。どうおりるか。尾根の末端まで行くとガレ印が地形図に描かれている。これはまずい。適当な所で沢に滑り込みむ。がやはり急な崖となりわずか10m程度だが板を外す。沢を滑って厚さ3mはあろうかというスノーブリッジをこえて猿倉温泉到着。先ほどの先行パーティと挨拶を交わす。日差しがはっきりとしており雪解け水が清冽に沢に流れ込むここはもう春の気が横溢している。

板を外す、そんな行為が妙に嬉しい。日差しが強くゴアを脱ぎシャツ一枚になる。ザックをもどかしくあけて喉に流し込む水の美味い事!サングラスを外すと目が開けていられないほどだ。テレマークブーツを脱ぐと靴下から湯気が上がった。ごろりと建物のコンクリートの床に仰向けになる。冷たいコンクリートが火照った体に冷やりと気持ちがいい。体の節々が音を立てる。

猿倉温泉のバス停までスキーを肩にのんびりと歩く。車道との境はまだ5mはあろうかという雪の壁だ。しかしその裾からはしきりに雪解けの冷たそうな水が流れ出てアスファルトを濡らしていた。水はやがて集まり速い流れとなりそれが車道の切れ目から沢に向かって音を立てて流れ込んでいる。沢は轟々と音を立てて流れその色はあくまで深く黒かった。雪から突き出ている木の枝はもうすっかり乾いており蕾がそこに膨らむ予兆に満ちていた。除雪の雪壁が低くなり視界が広がるとあれほど多かったオオシラビソももうここでは勢力を失い、かわりに勢力を伸ばしているブナが暖かな日差しを浴びてその複雑な陰を穏やかな雪の原に落としていた。なによりも山頂と違い自分を包み込む空気の硬さが違う。・・・もう5月なのだ。

今日一日は一体なんだったんだろう。スキーを履いて山に登り、尾根を辿り、滑り降りてきただけ。文字にするとわずか30字にも満たない。しかしこの思いは文字には収まりきらない。自分にこんな事が出来るとも思っていなかったし、まるで今日の出来事が何処か別の世界で起きた事のようにも思えてしまう。夢中で山に登り別世界に触れた。下山したら暖かな季節が待っていた。何にお礼をいい、感謝をすればよいのか良く分からないことがひどくもどかしかった。

(駒ヶ峯山頂から南、十和田湖方面) (猿倉岳から下山路俯瞰、さぁ滑降だ・・) (下山して、春)

* * * *

酸ヶ湯に戻る。今日は長湯をしてやろう。声にならない唸りを上げて湯船に沈む。体中がひりひりするがやはり普段使わぬ運動を全身に強いていたのだろう、体が湯に溶けていきそうにも感じる。一日を遊びつくしたような気がする。傘松峠から猿倉温泉までの風景が映画のコマの様に脳裏に浮かぶ。絶好の天気に恵まれた事もある。スケールの大きな風景に触れ何事もなく思っていた通りにツアーできた事がとにかく嬉しかった。

缶ビールを片手にふらふらとテントに戻る。コッヘルにコメを入れ水を注ぎ火をつける。二本目の缶ビール、そして缶チューハイへ。酔いが心地よい。テントのフライシート越しに西の稜線の裾が長く朱に燃えていたが、やがて色が滲んで濃紺に変わっていき、それにつれてテントの周りのブナのシルエットが曖昧となる。気づけば風景が黒く溶けてしまった。急に出てきた風がさざなみのように雪面を舐めるとそれが思いのほか冷たい空気の流れとなり、湯上りの肌が少し縮み上がった。明るく射してきた月を感じランタンを消すと驚くほど静かで明るい山の夜だった。

* * * *

5月1日。もう帰る日になってしまった。予定の2コースを無事に終えたので一応はもう残すものもない。とはいえ甘かった。三日間も楽しめば充分だろうと思っていたがそうではなかった。まだ、遊び足りない。たっぷり時間が取れればもっと長く滞在してみるのも良いだろう。今回の2コースはいわば定番でもあり北と南をあわせた八甲田には他にもいくつもスキーツアールートがある。フィールドは広大で無限ともいえる。無数のルートを辿り骨休めに一日テントの中で読書をする日があっても良いだろう。テント生活は気楽でしかも生活費は最低限で済む。何も気にせず遊びに没頭できる別天地とも言える。素晴らしい湯もある。

バスの時間まで、時間の許す範囲でスキーを履いて登っていく。恥ずかしながら足腰が痛く、とはいえやはりこの程度が良かったのかもしれない。ギクシャクした体をなんとかおさえてブナの林を気持ちよく滑走してテントに戻る。これから大岳を目指して登ってくるスキーパーティといくつも行き会う。山はやはりいい。人々を惹きつけてやまないものがある。彼らがこれから味わうであろう感動がうらやましい。スキーのつける無数のトレースを目で追って名残惜しくテントを撤収した。

最後の仙人風呂に入り湯上りのビールに唸っているとバスの時間だ。別天地のようだった八甲田。山ヤの、山スキーヤーの、温泉好きの聖地とも言える春の八甲田。また何年か後に来る事になるだろう。青森の街で食べようと考えていた新鮮な海鮮を心に浮かべ目を閉じるが疲労と満ち足りた思いが混じりあい心はどうしても八甲田の白いフィールドへ舞い戻ってしまう。気が付けばいつしかもうバスは山岳地帯を抜けておだやかな雪の林の中を走っていた。汚れたバスのフロントガラス越しに青森の街がかすんで見えてきた。

山行日 :2005年4月28日-5月1日

4月29日 :酸ヶ湯温泉テント場 10:50 - ミスコースで戻る 11:32 - 地獄沢 12:00 - 仙人岱避難小屋12:40 / 12:55 - 大岳 13:40/14:00 - 仙人岱避難小屋 14:30 - 地獄沼 15:10 - 酸ヶ湯温泉テント場 15:25
4月30日 :笠松峠 9:50 - 1167m地点 10:40 - 駒ケ峯 12:17/12:45 - 猿倉岳 13:10/13:15 - 猿倉温泉 14:00

(快適だった山の宿) (山の夜は楽し) (酸ヶ湯温泉) (青森の海鮮市場)

コース図  

(Handy GPSで取得したログをカシミール3Dでダウンロード、同ソフト付属地形図上に軌跡を展開したもの)

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