お疲れ山行・矢平山 

(2004/5/30 山梨県南都留郡秋山村)


高尾から笹子峠までのJR中央線沿いの山のメジャーどころはだいたい歩き、また相模湖駅から甲斐大和駅までの各駅の間も山歩きで自分の歩いた足跡がほぼつながっていたが、梁川駅と四方津駅の間は足跡が途絶えていた。この両駅の間には2.5万分の1地形図にその山名が記載されているピークがなかったのが最大の理由なのだが、先日三省堂から発売された「日本山名事典」にはこの間にある矢平山の名前が正式に記載されており、ようやくこのピークが山として認定(?)された感がある。これを機会に行ってみようと思い立った。

(寺下峠直下から見る矢平山は立派な
三角形だった。あれに登るとは嬉しい。)
(藪尾根に「花を添えてくれた」鮮やかなツツジ)
Nikon Coolpix775

中央線梁川駅でおりる。この駅を利用したのは倉岳山から立野峠を歩いた時以来となるのでかれこれ10年近くぶりとなる。数える程の人しか降りなかった小さな無人駅は当時のままだった。

強い日差しだ。しかもこのむっとした気温は五月のものとはとても思えない。国道20号線にそってしばらく東に歩く。早くも汗が流れてきた。車の往来が激しく全体にやや煤けてくすんだ感じの街道を進み郵便局の横から国道を外れ里道にはいる。持参した昭文社のエアリアマップに記載されていない新しい橋が桂川にかかっていた。急な里道を登り民宿の前を通る。民宿を過ぎてすぐの山の斜面に藪に埋もれた口がぽっかりと開いていた。看板があり入山口だ。

ほの暗い山の中にはいる。山中は涼しいかと思っていたがこの天気、そんな訳もなくただ湿気でむっとする。沢沿いの登山道。集落の簡易水道設備があるのだろう、ゴムホースに沿って先へ進む。蜘蛛の巣がしきりにかかってくる。この季節の低山はこんな感じか・・辛いな。

水道設備の採水場を過ぎると沢も細くなってきた。やがてつづら折れで沢を離れていく。暗い谷の中だが振り返る後方が明るい。小さな鞍部に登りついた。右手に向かって平坦な道を少し行くが再び新しい谷にそうようになる。このあたりはなかなか複雑な地形だ。日差しのない暗い植林帯の中の登り、湿気があり息があがる。ブランクのある山のせいか登るのが辛い。蜘蛛の巣は相変わらずで手で払いのける事も徒労に思えてくる。沢を離れて再びつづら折れを迎えた。黄色と黒のクレナモロープがややザレた斜面にかかっている。それを伝って登っていくと小さな小尾根上に辿り着く。このあたりから薄暗い植林帯から光溢れる雑木林の中をいくようになった。雑木林は風通しさえも良いように思え気分が安らいでくる。谷をはさんだ対面にはこれから登る矢平山が立っている。三角形の綺麗な姿で、低山とはいえ登る山が立派だとなかなか嬉しい。

寺下峠着。倉岳山から高柄山へと続く前道志の主脈稜線に出た事になる。待ちわびた休憩。暑さと湿気のせいだろう、ここまで決してきつい登りではなかったがなかなか辛いものがあった。したたる汗をぬぐう。頭の芯がぼーっとしている。ペットボトルのお茶は一口のつもりが二口になりそれが三口になった。背中から相変わらず湯気が上がっているのを実感する。

ここから先、主稜線は快適か、と想像していたがそうではなかった。藪が相変わらず深く登山道を覆っていた。そこに蜘蛛の巣。不快の極み。両手を前に体をガードするようにして進んでいく。がそんな中にツツジが緑一色の山の中に鮮やかな朱を添えているのはなかなか心を癒してくれる光景で、藪でほの暗い足元に散った朱の花びらが思いの外明るさを添えていた。それを見て上を仰げばまだ草いきれが深い。妙に水っぽい汗が流れてくる。文句を言っても仕方がない。頑張ろう。

一旦小ピークに向けて登り始めるがピークは踏まずにやや巻いていきいよいよ矢平山への登りとなった。どんな小さな山にもかならず一箇所は汗をかかせてくれる箇所が出てくるものだが、露岩混じりの中を手足を使って直登していくこの標高差150mが今回の山行のそれだろう。急だがその分高度は稼いでいく。程なく山頂の一角に登りついてやや東に進むとそこに三角点と山頂標識があった。

着いた・・・。ザックを下ろすと急に肩が軽くなり自分の体のような気がしない。ぐーっと頭が後ろに引っ張られるような錯覚を覚えたまらずに倒木に座り込んだ。喉がからからだ。こんな中でビールを飲んでいいものか、でもこの暑さ、たまらずに、高尾の駅で買ってきた缶ビールを開けごくりと飲むと喉を焼く感覚と同時に頭がくらくらしてきた。

しばらくは何もする気がしなかった。帽子を団扇かわりに扇いでいるとやや落ち着いてきた。気温やブランクのせいにするのも簡単だが、やはり年齢とトレーニング不足なのだろう・・。山は定期的に登っていないとやはり思ったように体が動かない。

汗が引いてようやく無線運用をする気がわいてきた。手短にダイポールをセットして自作の4Wトランシーバをつないだ。この無線機も山に持ち運んで運用するのは約半年ぶりとなる。CQを出し始めると思いのほかに呼ばれる。山梨県南都留郡秋山村移動とは関東の50メガマンにしてみれば珍しいところでも何でもないのだがパイルとなり、各局に感謝の限り。山頂から無線運用をして呼ばれて興奮する、という山岳移動運用の醍醐味を久々に味わう。

旧・大地峠までは植林帯の中を下りていく。この程度の標高の、しかも里から近い山では杉や檜の無粋な人工林から逃れることはできない。小さな鞍部の旧・大地峠から直進して甚之函山を往復する。倒木を跨いでの藪分けを強いられる。植林帯の中下草も奔放に伸びているが手入れが不十分な人工林は大抵こんな風になるのだろう。そこを7、8分もたどると薄暗い中に木製の山名標識が打ち付けられていた。

(今回のルート図。ハンディGPSで取得したデータを
カシミール3Dを用い同ソフト付属地図上に展開したもの)

檜林の冴えないピーク。手短に無線運用。ハンディ機を取り出して1200MHzを試みるがCQは空振りで仕方なく430MHzに移るとやはり相手局も多い。430MHzバンド特有のラグチューペースでの交信になるところだが、移動運用でそのペースにつきあうのは50MHzマンの自分としては苦しいものがあった。ここは50MHzスタイルのショートQSOを心がけた。相手局には少し申し訳なかったかもしれない。

旧・大地峠に戻る。樹林の合間から真新しい車道がすぐ稜線直下まで伸びているのがかいま見えた。高柄山に向かって檜の稜線を歩く。真新しいその林道に向かって尾根道は徐々に高度を下げていくが、交わる事無く四方津駅へのコースが分岐した。新・大地峠だ。ここからはゆったりとした斜度の尾根道となった。植林と雑木林が混在する道でたんたんと下りていくだけだ。

長い下りが終わるとぽっかりと集落に出た。とたんに舗装路が照り返し頭の中が真っ白になった。くらくらとして足が崩れそうになった。いやになるほど暑い。そして明るい。消耗した思いで歩いていくと水道水を流しっぱなしの民家の軒先に目がいった。金盥にたっぷり溜った水を目に無意識に手が伸びた。盥の水を思い切り頭にかけた。蒸れた髪の毛にじわりと冷気が染みて目が覚めた。ひと心地ついた。

ようやくの思いで四方津駅に着く。自販機で冷えた飲み物を求め一息。待つ間もなくやってきた中央線・立川行き。駅の階段をようやくの思いで登降してなだれこむ。ガンガン冷房の効いた車両は空いており、自分でも情けないほど放電し疲れ果てて座り込んでしまった。

途切れていた山歩きの足跡をつなぐという目的は果たせたが、ずいぶんと冴えない一日だった。慌てなくとも晩秋から早春にかけて歩いたならきっともっと良い印象を得た山だったかもしれない。しかし登りたいと思ったときに行かないとまた次にいつその気になるかもわからない、そんな意味では矢平山にはちょっと気の毒だったかもしれないけれど今回行ってよかったのかもしれない。

車内の冷房にようやく体がなじんですこし生気が戻ってきた。まったく波に乗ることが出来なかった今日一日。仕事も楽ではなく土曜日は疲れをとるために一日が終わってしまう。山に行く「やる気」が出てくるのは日曜日だが、それも明日以降始まる新たな一週間の事を考えるとどこへやら。 ・・・今以上に頻繁に山へ行くことは多分出来ないだろう。体力も30歳代とは違ってきている。楽しいはずの山歩きにも暗い影が多い・・。

真夏の山さながらの緑の車窓風景をみながら、電車は小仏トンネルに吸い込まれていった。

(終わり)

(コースタイム: 梁川駅8:52-入山口9:17-寺下峠10:30/10:35-矢平山・アマチュア無線運用11:05/12:40-旧大地峠12:50-甚之函山・アマチュア無線運用12:58/13:13-旧大地峠13:20-林道への下降点(階段)13:27-川合集落14:23-四方津駅14:50)


アマチュア無線運用の記録

矢平山 860m 山梨県南都留郡秋山村 50MHzSSB運用 30局交信 自作SSB/CWトランシーバー(4W)+釣竿ダイポール
甚之函山 810m 山梨県南都留郡秋山村 430MHzFM運用 3局交信 STANDARD C710 + 付属ホイップ


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