森の果て、幽寂境へ - 和名倉山

(2004/7/18,19、埼玉県秩父郡大滝村)


昔の伐採に使われたのか、錆びたワイヤーが地面に半ば朽ちて埋まっている。日の届かぬ深いシラビソの林が続く。枝を払い倒木を越える。何処へ続くだろう、か細い踏跡。ただ歩く。黙々と歩く。時折森を抜けると露岩の尾根だ。開いた展望に尾根を吹く風。明るい気持ちになるがそれも束の間、再び暗い樹林帯。ここまで、誰にも会わない。誰か居ないか。路面に残る曖昧なビブラムの靴跡は何時、誰が残したのだろう。ガサッと物音。ビクッとして振り返る。大きな雄鹿が悠然と林の中を走り去っていく。山だ・・・。

(目指す山頂はまだ遠かった。そこは年来の宿題のピークだった。
西仙波から和名倉山遠望)
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森閑とした空気、その重圧につぶされそうだ。人に、会いたい。古びた靴跡の主に会えないか。独りは不安だ。普段は静けさを、山の深みを味わいたくて独りで山に行きたいと願う自分。実際に来てみると寂しくて怖くて仕方がない自分。微動だにしない森を前に自分は余りに小さい。単独行とは自己との対話・・・自分の存在を見つめる時間。

突然向こうに気配を感じた。一瞬身構える。わざとらしく咳をする。あぁやった、人だ。向こうから2人パーティがやってきた。安堵が広がる。向こうも驚いた様子で、「今日はじめて人にあった」と言っている。軽装で山頂を往復してきた彼ら。この先にはもう誰も居ない、と言う。・・・そうか、この先、本当に独りになるのか。山頂付近にでも誰か幕営の人でもいるか、と密かに期待していたが、それは叶わぬ話なのか。

一瞬にして変わった落胆。ザックが一段と重く感じられた。代わり映えのしない深い林は気が滅入ってくるばかりだ。尾根が小広くなると踏跡もやや乱れてきた。地形図を見て目当てをつける。赤テープをみつけた。ゆっくりと登りへ転じていく。

小広く伐採された斜面の下部を横断する。と再びほの暗いシラベの中に導かれた。伐採跡と立ち枯れの混じる樹林帯、曖昧な踏後に戸惑いながら赤テープを追って歩みを進めると重厚な林の中へ吸い込まれる。苔蒸した倒木。それがまるでここまでの世界と更なる深い世界とを分かつかのように行く手を妨げている。またいで進む。くぐって進む。自分に向かって木々が倒れ掛かってくるような錯覚。この深林・・・一切の物音も吸い込んでしまいそうな密度。圧倒的な森の気配。身を包む不安、そして厳粛な思い。

とそこにぽっかりと3m四方程度の切り開きがあった。質素な山名標と三角点。まぎれもない、そこが山頂だった。窒息しそうなほど濃密な樹林の中。飾り気のない簡素さ。陽射しも届かぬその静寂の地。時が止まったかのような。横溢する深山の気。来た。来れた。ついに踏んだぞ。念願のそのピークを・・・。

ザックを下ろし倒木に腰を下ろした。自分のたてていた全ての物音がすーっと回りに吸い込まれていく。無音。と同時に静けさの向こうからぐわーっと森の持つ音が圧倒的な速度で自分を包みこんできた。それはまるで食器にラップをかけるように。ぴたりと自分に密着するように。苦しくて身動きが出来ないほどに。風、揺れる原生林、はぜる枝、鳥の声、満ち溢れる動物の気配、密度の高い、山の音・・・。

ここが憧れていたあのピークだったのか。この苔蒸して鬱蒼とした、原始の気配すら感じさせる猫額の地が年来の宿題だったのか。喜びより、満足より、不安と畏れが大きかった。ここで、これから一夜を過ごすのか・・。ここで寝なくてはいけないのか。怖かった。逃げたかった。誰も居ない、こんなひと気のない地でどうして独りで過ごせよう・・。いや、それを楽しみに来たのだろう。静かなピークで山の一夜を過ごすのは、自分の楽しみではなかったのか・・。

自然の持つざわめきの音も慣れてしまえば、森閑とした寂境だ。一夜を何処で借りようか。少し手前の伐採跡でも良いかもしれない。でもあのあたりは動物の気配がとても濃かった。ここも似たようなものだが・・。えぃ、いいや・・。三角点のすぐ横に半ばやけくそ気味にテントを張る。が、中に潜り込むと意外に心が落ち着いてきた。テントの中に横たわり山の気配に身をゆだねていると、不安感の向こうから改めて包み込んでくるのは、やはり長く気になっていたその山頂にようやく立てたという満足感だった。

* * * *

奥秩父の地図を眺め、何度か歩くうちに気になってくる山がある。主脈縦走路からぽつんと離れた個所に居座る2000m峰、和名倉山だ。市販のハイキング地図にはそこに至るコースは破線表示になっている。奥秩父最奥の寂峰、踏跡なきコースを辿る訪れる人も稀な秘峰・・・。いくつかのガイドブックの中に、この山はそんな形で紹介されていることが多い。寂峰、秘峰・・・。好奇心と旅心を湧かせるには充分だった。こうして和名倉山はかなり以前から自分の中では気になる山ではあったが実際の山行に結びつかなかったのは何故だろう。シャクナゲの時期が登山適期という。だが六月は梅雨もありなかなか山には行けないものだ。五月連休も他の山に行ってしまいなかなか順番が回ってこない。いや、順番が来ないのではなかった。後回しにしているのだ。入山者も少ないというその山に入り、ひと気のない山頂に独りで泊まるというのがやはり不安なのだ。理由は簡単だった。こうして和名倉は気になるもののなかなか行けない、宿題の山となって年月が過ぎてきた。

七月の梅雨明け直後の連休、越後の山を予定したが直前に新潟県を集中豪雨が襲い、登山どころではない状況となった。山行数日前に急遽行き先を物色するはめになった。東北も長野も全体的に天気が悪いという予報だった。晴れは関東地方しかない。不意に和名倉が候補として上がってきた。天気を気にしなくてすむ山梨・埼玉の山だ。登山口までのアクセスも楽でもってこいだった。夏と言うことで藪っぽいことを懸念したが、なんとかなるだろう。独りの山とはいえ、誰か人くらいるだろう。楽観的に、考えた。

* * * *

三ノ瀬集落の民宿・みはらしで車を停める。他に良い駐車スペースも見つからず二日で1000円の駐車料を払うことにする。民宿の小母さんは自分の大きなザックをみて「和名倉でテント?」と聞いてくる。なかなか勘が鋭い。もっともここ三ノ瀬まで自家用車で入ってくる登山者はその行き先は唐松尾山か和名倉山のどちらかだろう。

10:40、幕営装備で重いザックを背負う。将監小屋までは軽トラックが上がるので登山道というより林道と呼ぶべき立派な道を歩くことになる。そのおかげもあり思ったより早く目の前に竜喰山から飛竜山へ続く奥秩父主脈稜線が近づいてきた。前方から首輪をつけた良く吼える犬が小走りにやって来た。将監小屋の飼い犬だった。12:10、将監小屋到着。この小屋に来たのは9年前の五月連休以来という事になる。その時はもっと湿って薄暗いイメージを持ったのだが、青いトタン張りのその小屋には夏の光と風が小屋の中まで射し込み心地よさそうだった。いかにも奥秩父らしい、飾り気のない小屋だった。ここでコンビニ弁当を使う。どくどくと流れる豊富な水場で喉を潤す。この小屋の最大の売りはこの冷たくて美味い水だろう。幕営のための水1.5リットルを補充するとにわかにザックが重くなった。12:40、ため息を残してゆっくりと将監峠まで登っていく。

奥秩父主脈縦走路に出て西へ進む。牛王院平で道なりに北に向け進む。足元に遭難碑を見た。「XX大学WV部 ○○君、昭和49年5 月1日、享年18歳、ここに眠る」・・・。将監小屋まであとわずかのこの地で息を引き取った18歳の青年。生きていれば社会の中核として頑張っている年代だろう。故人とそのご両親の無念を思う。そんな自分とてこうして独りで、余り人の行かない山に行こうとしている。家族の顔を思い浮かべずにはいられなかった。無事に、行って帰ってこなくては。

13:08、山の神戸。ここから右手に分岐するのが和名倉山へのピストン登山道だ。真新しい白い立て看板があった。「白石山(和名倉山)へのコースは未整備です。遭難事故が多発していますので入山者は十分ご注意ください。」とある。いよいよだ。

しばらくはクマザサの生い茂るトラバース道だ。唐松尾山から東へそして北東へ東仙波へと伸びる唐松尾山主尾根の南面を横切っているのだ。笹はなるほど深く足元が谷にむけ傾いているので歩きにくい。踏跡は見えなくなるほどではない。が中に倒木や木の根などが隠れている。半袖の腕に笹がこすれて痒い。長袖を着てくるべきだったかもしれない。唐松尾山主尾根が高度を下げてくると踏跡はそれを反対側に乗越す。丁度そこは笹が広がり右手に展望も良い。今度は1940mピークを右手にしたトラバースに転じた訳だ。倒木が行く手を遮るが笹もなく歩きやすい道だ。

1940m峰を巻き終えると再び笹の鞍部でそこは先ほどの乗越地点と風景が変わらない。まるでデジャ・ヴのようだ。右手前方が地形図上の1974mピーク・リンの峰だろう。その東に小雲取のピークを従えた雲取山を視認する。リンの峰を右手にして巻くと緩く下り小さな鞍部。仙波のタルだ。ここは今までのような笹原ではなく灌木がうるさい尾根の鞍部でゆっくりする気もわかない。そのまま通過すると小枝の茂った煩わしい尾根の登りに転じた。西仙波への登りである。ここで行く手を遮るような小枝の藪となるがどうと言うことも無く通過出来る。

(笹原の登りを歩く。東仙波へ向けて。)

西仙波1983mピークは尖塔状の岩峰で、ここから初めて行く手に目指す和名倉山がその全貌を明らかにした。それは山と言うよりも鯨の背中のような姿で、ゆったりとしている。奥秩父の重鎮の名に恥じることもない立派な姿だ。真ん中の最高点がそのピークなのだろう。ただその前に長々と尾根が続いている。あれをこれから辿っていくのだ。まだ長い。まだ遠い。遠大な山という感が大きい。あそこまで、あと、どのくらい時間がかかるのだろう。ピンと来ない。

崩れやすい岩の足元に注意しながら尖塔を下りると一転して笹の原に導かれた。これを登り切ると東仙波の山頂だろう。山ノ神戸から1時間20分。思っていたよりも快調だ。ザックを下ろし一本立てる。海抜2003mのその頂はテントも数張は張れそうな快適な草付きで南に開いた展望はこれまで歩いてきたコースも俯瞰できる。6,7年前に仲間と雪を踏んで立った飛竜山がことのほか立派にそびえているのが嬉しい。ラムレーズンのたっぷり入ったフルーツケーキを一口頬張る。陽射しは強いが標高のおかげか冷涼な風に汗がすーっと引いていく。しかしひと気がここまで全くない。静かな山は望むところだがあまりに寂しいのも不安になる。孤独を求めてもやはりどこかで社会とのつながりが欲しいのだ。

14:30、先もまだ読めないので休みもほどほどにしてザックを担いだ。奥秩父らしい薄暗い樹林帯を下りていくと展望が開け開放的な笹の中の登りに転じた。焼小屋ノ頭1990mへの登りだ。木々もないここは風の通りがよく緩い登りで足が進んだ。ここからはシラベの林と露岩の尾根が交互に現れるコースとなる。西面の深い谷をへて見る対面は唐松尾山から雁坂嶺に続く奥秩父主脈だろう。露岩地帯では思わずこの深い谷へ吸い込まれそうな気もしてしまいそうだが足元は悪くない。吹上の頭1990m峰は気づかずに巻いてしまった。ここまで踏跡は明瞭で迷う心配は全くない。再び樹林帯が深くなってきた。一本の尾根なので道を外す事はないだろうが慎重に赤テープを拾っていく。と、突然物音がした。びくっとすると鹿が走っていく。このあたりからにわかに動物の気配が強い。

枝を払い、くぐりながら更に進むと前方から二人パーティがやってきた。今日この和名倉への道で初めて出会った登山者だ。むこうも同じ事を言っている。彼らがここまで最初で最後のパーティという。お互いの健闘にエールを送って別れる。さりげない顔をしていたつもりだが、この先、もう誰も居ないということがわかり落胆が大きかった。自分の後から誰か登ってこない限り、あるいはこの先の秩父湖方面からの廃道化した古い登山道跡を登ってくるエキスパートでも居ない限り、今日は山頂に一人っきりになる事が確定した。

八百平は笹のある小広い原だが満ち溢れる動物の気配にのんびりどころか逃げ出したくなるような寂境だ。二重山稜のようなその地からやや下がり川又への分岐を示す指導標。そしていよいよ和名倉山の、あの鯨の背中に向かって登り始めた。シラベの深い林だが獣道がそこら中に走っている。テープを追いながら垂れてくる汗をぬぐう。小さなアップダウンの続くここまでの長い歩きもあり腿の筋肉が張ってきた。あと少し、頑張るしかない。

二瀬分岐の小さな指導標を見て直角に、真東に向けて進行方向を変えた。地形図どおりだ。あとはこれを行けば千代蔵ノ休場と呼ばれる草原が目の前に広がり、そして再び密林に潜りわずかで山頂、のはずだ。見飽きた感のある地形図を握り、気合を入れた。

* * * *

テントの中でボーっとしていると、やはり山頂を踏む事が出来たことに対する満足がわいてくる。もっとも明日、今日の道を迷わずに戻れるだろうか、いや、不安箇所はなかっただろう・・そんな自問自答もわいてくる。

そんな不安を絶つかのようにアマチュア無線・50MHzの運用を行う。ピコ6と釣竿のダイポールという設備。CQを出すと北関東の局がポツポツと呼んで来る。いくら海抜2036mあるとはいえ雲取山の奥というその深い位置からではロケがあまりよくないのかもしれない。横浜のローカル局に呼ばれためしにアンテナの向きを南に変えると今度は良く呼ばれ始めた。ワッチ局の少ないこの時間帯としては上出来だろう。

ただでさえ薄暗いその山頂がますます暗くなってきた。追われるように無線設備を撤収して夕飯の支度だ。缶ビールで独りの乾杯。レトルトご飯にレトルト牛丼をぶっかけて闇に落ちていくこの山頂をただ眺めていた。

* * * *

鹿の鳴き声と強い風の音に何度か目が覚める。まだ夜9時だ。再び眠る。風は高いところでかなり強く唸っているが深い原生林のさなかのここに伝わるのは音と梢のざわめきのみだ。目をつむる。なかなか時が進まないような気がする。自分を中心にして半径数キロメートルは、誰もこの周りには居ないだろう。テントの周囲の物音に妙に敏感になってしまう。早く寝つかなくては・・。

テントをリズミカルに打つ雨音を夢うつつに聞いた。やがてそれはパラパラと不規則で大小の混じった音に変わった。雨は止んだが枝から滴が落ちているのだろう。テントの中から顔を出す。漆黒の樹林の中、その木々のシルエットがぼーっと浮かんでくる。重なり合った樹木の向こう側に日の光が曖昧に、ぼんぼりのように淡く回りの空気を滲ませていた。ようやく原生林のさなかに朝を迎えることが出来たようだった。

暖かいレモンティーをいれてゆっくりと体が覚醒していく。今日は昨日のあの行程を間違えること無く辿って戻れば良いのだ。どうってことないさ・・。ラジオの電源を入れる。NHKはこの時間帯は宗教講話。チューニングダイヤルを回すと演歌が聞こえてきた。その妙にのんびりとした調子に心が安らいできた。パンとチーズの朝食を終える。ラジオの電源を落とすとしーんとした静寂のさなかだ。不安に包まれた一夜も過ぎてしまえば充実の思いに変わっていく。 気が重かった独りっきりの山頂の一夜も、過ぎてしまえば何ともなかったように感じる。肩の荷がおりてすーっとして良い気分だ。

濡れたテントを撤収していく。息の詰まりそうなこの原生林のさなかにもようやく朝の強い光が細い線となって差し込んできた。今日も快晴のようだ。

さて、戻ろう。憧れのこの頂を踏んだ自分にとって、次に成すべき事は無事に戻ることだ・・。ザックを背負う。名残惜しいこの幽玄の猫額の地に別れを告げて重なり合った原生林の中を数歩進む。ややあって振り返ると密生する樹林の中にもうどこがあの山頂の切り開きなのか判別が出来なかった。

* * * *

(和名倉山頂は密林の中) (焼小屋ノ頭から東仙波) (将監小屋は水が豊富)

帰路もやはり長かった。薄暗い樹林帯から見晴らしの良い露岩帯に出ると明暗の差に目が慣れない。滝川の谷の対面に長く伸びる甲武信岳から雁坂嶺の稜線が朝日を浴びて克明に立ち上がっていた。

足早に進んでいく。似たような光景の中を歩くだけだ。焼小屋ノ頭まで来て東仙波と対面した。左手に飛竜山、右手に唐松尾山が立っている。そういえばいつだったか唐松尾山の山頂ででも幕営したことがあった。あの時もやはり独りで夜を迎える事に強い不安を感じ、一夜明けて満ち足りた充実感を味わったことを思い出す。あれから山を歩く事、回数は重ねたが、山に対する憧れと畏れは自分の中で変わる事はない。

東仙波の山頂で一本立てていると鈴の音がかすかに聞こえてきた。西仙波から、今日初めて見る登山者がやってきた。単独行。ややあって夫婦連れ。まだ朝の7 時半なのだ。これから和名倉を目指す登山者があと来ることだろう。ここから先はまた人に会うことが出来そうだ。心の中に安心感が広がり、同時に今日の山もほぼ終わったという満足をおぼえた。

西仙波の岩の上に立って振り返る。森の果てにゆっくりと横たわる和名倉山のピーク。風景そのものは昨日のものとなんら変わる事は無い。しかしその山頂を踏んだ今となっては体があの山の気配を覚えている。あの山の匂いを覚えている。そのことがこの眺めに対しての想いをより深いものしてくれているのだ・・・。

林を越えて森の中。重なり合う原生林の中に幽寂の地があった。誰も居ない深閑としたその地は決して無音ではなく、山の音に満ちていた。むせるような山の香りに溢れていた。そんな地で一夜を過ごしこうして離れて遠く眺める。再びその山頂を踏む事は当分ないことだろう。その代わりに記憶の中に長く深い印象とともにとどまり続けることだろう。心の中に遠かった遥かな山、そこを踏むことが出来た。きびすを返して下界を目指す、そんな自分の足取りは軽かった。


(終わり)

追記:

とうとう、熊に遭遇した。 和名倉山へのコースから奥秩父主脈縦走路に出てほっとしてからわずか 10分程度。将監峠のカヤトの雛壇状の原まであと20、30m近くの場所で、ただならぬ気配を感じる。思わず足を止めて前を伺う。10m程先の縦走路を黒い塊がモサモサと歩いている。熊だ!

サーッと心臓が高まる。が、同時に、思った以上に遥かに冷静な自分に驚く。「あっ、熊だ。熊が、居る。静かに、やり過ごせばいいんだ・・・。」一瞬写真すら撮ろうと思ったがさすがに物音が立つかと危惧する。相手は自分にまったく気づいた風もなくクマザサを数束口にくわえたまま悠然と縦走路を横切って秩父側の谷へ姿を消していった。

どうしよう、あの箇所を通らないと帰れない。数分間、様子を見る。もう、居ない。ザックにつけていた熊避けの鈴を思い切り手で鳴らしながら、口には呼子をくわえピーピーならしながら、熊の居た地点を走りぬけ縦走路を駆け下りて将監峠のカヤトの原を駆け下りた。将監小屋の屋根が見えて、小屋の軒に飛び込んだ。小屋番は三ノ瀬へ下りたようで無人の小屋。でも文明の香りの持つ安心さ。

和名倉山への山深い往復路ではなく一般縦走路で熊に遭うとは予想もしていなかったことだけに驚いた。もっとも獣の気配が濃かった和名倉山を歩いてきただけあって神経がずっと張り詰めていたのだろう。そのおかげで、思ったより焦らなかったのかもしれない。体長は、多分1.5mくらいだろうか。森の王者とはいえモソモソ歩くその姿は、可愛らしくもあった、といえるのは無事に戻ってきたからだろう。三ノ瀬の民宿「みはらし」の話では、将監峠の周りではこれまでも何度か熊が目撃されているとの事。

熊を見て、なんとなく 元服したような、不思議でいて、やや満たされた思いがしている。


コースタイム
2004/7/17 三ノ瀬民宿 みはらし10:40-牛王院下分岐11:10-将監小屋12:10/12:40-牛王院平13:00-山ノ神戸・奥秩父縦走路分岐13:08-東仙波14:25/14:30-八百平15:19-川俣分岐15:28-和名倉山(白石山)16:00

2004/7/18 和名倉山(白石山)5:45-八百平6:18-東仙波7:03/7:30-山ノ神戸・奥秩父縦走路分岐8:40-(熊に遭遇8:55)-将監小屋9:00/9:25-牛王院下分岐10:10-三ノ瀬民宿 みはらし10:33

GPSデータ(片道分):オドメータ 11.3Km、MovingTime 3時間50分、StopTime 1時間35分、Moving Average 2.9Km/H

今回のルート: ハンディGPSにて取得したデータをカシミール3Dにリンクさせ同ソフト付属の地図に展開したもの。
白石山とは和名倉山の別名。


アマチュア無線運用の記録

和名倉山 (白石山) 2036m : 50MHzSSB運用 Mizuho MX-6S+釣竿ダイポール、10局交信
東仙波 2003m : 430MHzFM STANDARD C710+ホイップ、1局交信


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