相模湖嵐山でニューイヤーパーティ 

(神奈川県津久井郡、2004/1/2)


毎年正月二日は地元のアマチュア無線仲間と近郊の低山に登りアマチュア無線運用を行っている。アマチュア無線にとっては恒例のニューイヤーQSOパーティ(NYP)参加のためだ。今年も恒例どおり7K3EUT・塩田氏とともに山に向かおう・・、楽しい正月の行事なのだ。塩田氏は昨年からアマチュア無線の山岳移動を始められ月1,2度のハイペースでハイキングと無線運用を楽しまれていた。自分のアクティビティは下がる一方だが、塩田氏の活躍は羨ましいほどだった。そんな塩田氏に加え今回はここ数年間何度も山をご一緒してもらってきたJI1TLL・須崎氏にも同行いただけることになった。須崎氏と歩いた山々はどれも記憶の中に鮮明だ。雪を踏んだ奥秩父・飛竜山、真っ白な袈裟丸山を仰いだ安蘇・鳴神山、1500mの標高差にあえいだ安部奥・七面山、興奮の絶えなかった霧ケ峰スキーツアー・・、残雪の南アルプス・鳳凰・・、そんな同氏も先年から仕事の都合で横浜を遠く離れ転勤されてしまった。帰省で横浜に戻られてきた数少ないチャンスでもある。

行き先はとても手短ということで相模湖南部の嵐山に決定。標高406mの小さな山だ。高尾山稜と石老山に挟まれた地形からは電波の飛びはよくなさそうだったが事前に地形シミュレーションソフトで見ると相模川の谷に沿って関東平野には展望が開いているようだが。

相模川ダムの脇に車をとめ嵐山登山道に踏み出した。ここは東海自然歩道でもある。しばらくは杉の林のなかをジグザグに登る。いきなりのこの急坂は結構こたえる。がそれもしばらくでやや傾斜が緩み尾根に乗った。西方面の展望が樹林越しに望める。落ち葉を踏んでさらの登る。低い山でも、どんな山でもそれなりにきつい箇所を用意してくれているが、嵐山の場合はやはり登り始め10分といったところだろうか。山は小さいのでじきに空が広がってきた。

山頂はテレビの中継アンテナなどが立ちひとけが多い。神社にお参りをすます。神社の置くには相模湖ピクニックランドの観覧車が見える。ひとけはあるが里山ではあたりまえのことだし、静かでなかなか雰囲気は良い。

(相模湖を望む) (山頂は日差しが暖かかった)

塩田氏がさっそくアンテナを設営しはじめた。2エレメントのビームアンテナで、せいぜいワイヤーのループアンテナしか山では使わない自分にはすばらしい本格設備でもある。50MHzSSBを運用し始めた塩田氏からすこし離れて自分は1200MHzのFMを運用する。3局と交信できるがそれ以上は続かない。マイクロウェーブはロケーションが物を言う。この調子ではあまりシミュレーション通りのロケは期待できそうにない。

塩田氏も結構呼ばれずに苦戦しているようだった。それでも丁寧に、楽しそうに運用しているのを見るとこちらも嬉しい。自分自身は最近無線運用への関心が昔と変わり何局かと交信できれば満足するようになってしまった事もあり、あとは少し50メガを運用できれば満足だ。

マットを敷いて塩田氏の横にごろ寝する。雑木林の山頂なので日差しは良い。ぽかぽかとしてきた。須崎氏は430MHzFMで山岳移動局と交信した後、年季の入った50MHz-AMのトランシーバを取り出した。RJX-601は同氏の開局の際の無線機だそうだ。

規定の局数と交信を終えた塩田氏に代わり50メガを運用する。やはり余り呼ばれない。ロケは悪いのだろう。思わずトランシーバーの出力つまみに手が伸びる。交信・運用技術不足を出力で補おうという、あいかわらずの短絡的思考だ。代わって須崎氏が50メガ-AMの運用を始めた。同氏にとってはNYPは開局バンド・モードの50MHz-AMで運用することがテーマとの事で、満足そうだった。”Calling CQ 6m phone, and standing-by" というCQの出し方も自分は新鮮に聞こえた。"phone"とつけるのがAMとしてのアイデンティティなのだろう。

昼食を終えてのんびりとする。数人のハイカーが登ってきただけの、静かな山だ。西方面は中央線沿線の御馴染みの山々が続く。大室山の奥に見えていた富士山はもう逆光で隠れてしまった。眼下の中央高速の上り車線がはやくも渋滞している。そろそろ、我々も下山の時間だろう。

あっけなくダムの横に下りる。自分にとっては、山に登ることも、山頂で無線をすることも楽しい。が、なによりも、同じ趣味を持つ仲間と楽しいひと時を過ごすことが出来る、そんなことが嬉しい。電波の飛びは悪かったが、それは自分にとってははあまり重要ではなかった。今回もいつもと同じく満足の行く山だった、と楽しい気持ちの帰りの車中だった。


(終わり)


(戻る) (ホーム)