紅葉の西上州の山・二題 

(2004/10/23、群馬県甘楽郡、長野県佐久市)


荒船山らしき山を初めて見たのは何処の山頂からだっただろう、佐久の御座山か、あるいは西上州奥部の諏訪山あたりからだったかもしれない。写真やガイドブックでおなじみの頂上台地を長く伸ばしたその山姿も自分が見たときは眺める方向が違っていたため平凡な山の姿だったのだろう、正確に同定も出来なかったと覚えている。紅葉がやや進んでいた前回の甲府近郊の山歩きから2週間、西上州の山は今が盛りに近いない。たけなわの秋に燃える山麓から、写真でよく見るあの大岸壁をもって立ち上がる荒船山を見てみたいという思いが高まった。

下仁田インターをおり国道254号を西へ向かう。前方に鹿岳がバナナを二本、地面に突き刺したようかのごとく岩峰を持ち上げている。このあたり、同じ西上州とはいえ山が急峻に迫り谷あいに家が重なりあい身を寄せ合うかのような独特の山里の風情に溢れる神流側に沿った谷の眺めに較べ、ずいぶんと広々として開放感がある。道も広く交通量も多い。

(山麓から荒船山の岸壁・艫岩を見た。紅葉の
山肌から忽然と立ち上がる巨大な岩の塊を前に
体が動かなかった。)

市野萱を過ぎてやや進むと、全く唐突に荒船山が現れた。標高差にして軽く200mはあろうかという巨大な岸壁・艫岩。朝の日を浴びて逆光気味に屹立するその岩はまるで目の前に倒れ掛かってきそうだ。あの岸壁を登るわけではもちろんないが今から裏から回ってあの岩の上まで行くのか、とは緊張と興奮が溢れてくるではないか。艫岩とは船の艫からとった名なのだろうが成程それはまさしく巨大な船である。見れば見るほど、惚れ惚れとするような存在感だ。

内山峠は登山者の車に溢れていた。観光バスを仕立てた旅行社の登山ツアーまでも来ている。静寂の秋を味わおうと思っていたがややがっかりだ。計画通りここに自転車をデポして、さっさと佐久平に向けて下りていく。長野県側の荒船不動付近に駐車して荒船山に登り内山峠から自転車で戻ってくるという周回コースを予定していた。

内山大橋を前に荒船不動方面への道が分岐する地点に駐車して、ゆっくりと歩き始める。荒船不動の駐車場には数台の他県ナンバーが停まっているだけだった。内山峠に比べこちらはひっそりとしている。大型台風が日本列島を横断したのは二日前のことだったがこのあたりもかなり荒れたのだろう。未だに山肌からは多くの水が流れ出ており倒木や落ち葉も水分をたっぷりと含んでまるで湿地の態をなしている。沢の水量も半端ではない。ナイロンのトレッキングシューズでは荷が重かったかもしれない。熊に注意の看板を見て首から下げているホイッスルと腰につけたカウベルを確認する。台風が多いせいか食糧不足に悩む熊が里に出没するという、今年何度も聞くそのニュースは北陸地方だけのものではないだろう。そんな事を考えると何でわざわざそんな所へ時間と金をかけ来たのか、全く自分が不思議に思えてしまう。

沢に沿った緩い登りであるが足元が悪く思ったよりも時間がかかる。見通しの聞かないところでは不安が募りホイッスルを何度も吹き咳払いをする。しかし轟々と流れる沢音にそれもかき消されてしまう。びくびくしながら高度を稼いでいく。

紅葉は思ったとおりの進み具合だった。右手に見える兜岩も赤く焼けている。緩やかに沢床を離れていくともう稜線は近かった。星尾峠。道志の立野峠にも似た小さな切通しがいかにも峠らしさを感じさせる。ここで東に進路を変える。荒船山の最高峰・経塚山の懐まであと少し。しかし見通しは相変わらず悪く時折ホイッスルを交え咳払いを交える。と、物音とともに前方に気配を感じた。回り込む登山道の先にちらりと人影が見えた。先行者に追いついたようだ。あぁ、ホイッスルなど吹いて、しっかり聞かれたことだろう。夫婦であろう50歳代の二人組、恥ずかしくて追い抜く際も挨拶もそこそこにわざとらしい咳払いしながら通過した。

頂上台地まで登るとあとは急登わずかで荒船山の最高峰・経塚山の山頂だった。葉を落として風通しのよくなった雑木林のさなか、小さく細長い平地に石祠と三角点が立っている。ザックをおろすと汗で濡れた背中に信州側から吹き付ける冷たい西風に思わず身が縮んだ。もう空気の冷たい季節になっていたのか。秋も気づけばすっかり深くなり、足早に冬が来るのだろう。普段会社と自宅の往復だけの生活をしていると季節感とはほぼ無縁の生活となってしまう。山に来てこうして過ぎて行く季節を改めて感じたならば、貴重な日々をいかに不感症に無為に過ごしていたかが恨めしくもある。

アマチュア無線・50MHzを開局する。久々に山に持ってきた自作のトランシーバーにダイポールをつなげた。電源を入れるがあまり入感してこない。やはりロケは良くないようだ。関東平野も遠いようであまりよく呼ばれない。それでも40分程度の運用で10局と交信できれば良いだろう。下山にかかると先ほどの内山峠からの観光バス軍団だろうか、30人ー40人程度の集団が登ってきた。登り優先ということで待機していてもラチがあかない。それにこんな大群があの広いとはいえない山頂に収まりきれるものか。

何とかやり過ごすと先ほどの星尾峠からの分岐となりここを直進していく。荒船山の山頂は遠めには甲板の様に見えるが実際は笹と雑木林の快適な散歩道が紅葉の中に続いていた。足の向くままのんびりと歩いていく。こんな山上の平地に不思議なほど豊かな水量の沢を渡りしばらくいくと避難小屋がありその先が艫岩の頂上部だった。下を覗くがばっさりと何もない。垂直に切れ落ちている、200mはあるという大岸壁だ。腰が引けて安全圏に戻る。視界を遠くに投げると目の前には神津牧場が広くその奥には浅間山が裾野を広げていた。つい最近大規模噴火を起こしたその山頂部は、残念ながら笠雲の中に隠れていた。

下山は内山峠に向けて、のんびりと歩く。艫岩の西端から下りる事になるのだがそれほど顕著な下りではない。岩稜っぽい箇所をわずかに過ぎるとあとはアップダウンのある雑木林の静かな縦走路を辿るだけだった。時折樹林の切れ目がありそこから振り向いて艫岩を確認する。横斜め下方向から仰いでいることになるがやはり敬服すべき素晴らしい大岸壁だった。艫岩というだけあって本当に荒海を走る巨大な船の艫そのものの素晴らしい岸壁。あの舳先に立って荒海のように重なり合う西上州から信州の山を漕いだのか、と思うとこの岸壁ももはや親しみ深く、恋しくすら思えるのだった。

内山峠に出て自転車に跨り駐車地点まで下りていく。下山後の火照った体に刺すように冷涼な風はやはり秋盛りの信州の高原のものだった。

(内山峠への下山路から・艫岩を眺める) (紅葉の絨毯を踏んで歩いた) (澄んだ秋空に色彩が鮮やかだった)


* * * *

下山した時点で13:30、まだ時間があると、予定通りもう一山稼ぐ。下仁田駅南東部の稲含山へ。数年前の 山と無線・御荷鉾高原フェスティバル の二日目に登りたいと思っていた山で、ガイドブックの写真で見るその素晴らしい山姿に憧れの思いが強かった。それに林道が上までついているので歩行時間も短いときている。ついでの一山には持ってこいだった。

下仁田駅裏手の清流荘の脇からぐいぐい林道で高度を稼いでいく。舗装から簡易舗装へ、そして未舗装路となった。登りついた鳥居峠。時間も遅く、さびた重機が一台放置されている寂しい峠の広場、見上げると稲含山が目の前にあった。紅葉で真っ赤の山だ・・。が、ここから見る限り高度差がまだありそうでエアリアマップの示すように本当に30分で登れるものだろうか不安だ。今2時40分、往復一時間弱に山頂での無線運用をいれて下山は4時前か。どんなものか。見渡す周りには何のひと気もなく正直今から独りでの入山は怖かった。熊に遭わぬか。薄暗い樹林帯を熊と夕闇への恐れを持って歩くのか。不安感、寂寥感、今日は偵察だけとして帰るか、とも迷う。えぃ、いいや、滅多に来られない群馬の山だ。何を迷っている、行くだけさ。

やけくそ気味に荒れた枝林道を登っていくと数分で広場となりそこに赤鳥居があった。熊に注意 との看板を前に心臓が再び早鐘のようにひきつる。今年の七月奥秩父で初めて熊に遭遇して以来、山で熊に遭うということは決して絵空事ではないと思いが強かった。出会い頭に気をつけさえすれば、とも思うが食料難という今年はそもそもその出会い頭の可能性も多いだろう・・・。不安を押し退け鳥居を抜ける。杉林の中の急登で、さすがにもうその中は薄暗い。木の階段を追われるように登ると明るい雑木林へ。紅葉のさなかの道。心が晴れるが今度は足元に転がるドングリをみて、これを狙って熊が来るのではないか、とますます不安が大きい。

(鳥居峠から稲含山展望) (稲含山では大展望が我が手に) (那須集落から、
野武士のような
稲含山を見る)

道は階段のついた急登で息が上がる。かつて転落事故があったとかで鎖やフェンスなども現れる。ガードレールに守られた薄暗く切り立った北面をトラバースするように回り込んで一登りすると山頂の肩で、そこにはこんな山の上によくぞ、と思うほど立派な神社が立っていた。稲含神社。稲のつく山の名は豊作を願う山麓の山岳信仰によるものだと何処かの本で読んだことがあるが、ここ稲含山も毎年5月3日には豊作を祈る農耕祭でにぎわうという。秋の午後遅く、静寂の中紅葉を浴びながらひっそりと立つ収穫の神に軽く頭を下げて、すぐ裏手に続く山頂へ足を早めた。

素晴らしい展望に声も出なかった。さすがに顕著な独立峰だ。山頂は360度何も妨げるものが無い。四周ぐるりと大観が我が手にあった。東西南北、遥かに山また山。西にはつい先ほどその舳先の先端に立った荒船山がいまや遠く離れて再び山の大海に漕ぎ出す機を窺っているではないか。北には妙義山がいかめしい刃を誇示している。北東には藤岡から高崎の市街が見えその果てに赤城山が悠然と立っていた。南東には数年前の晩秋に登ったみかぼ山から赤久縄山が意外な程近く居並んでいる。こうして眺める展望の中に幾つかでも自分がその山頂を踏んだ山がある事が言い様もなく嬉しい。汗をぬぐうまもなくただ興奮に身を任せるその数分間は全くの幸せといえた。

無線運用。430MHz-FMで手短にポイントを稼いで名残惜しい山頂を下山する。と、再び熊の不安。口から出任せの口笛で自分を励ましながら早足で下山して鳥居峠に戻りつく。靴紐をほどいて一安心。山頂の興奮は素晴らしかったが、結局不安感は最後まで払拭できなかった。

林道を甘楽町方面に下りながら時折振り返り稲含山の姿を確認する。やや下って路肩に車を停める。こうして見るとごつごつと盛り上がってなかなか無骨な山だ。両肩に筋肉をたっぷりとつけた剛の者、といった趣。山肌を走る送電線が邪魔ではあるが、立派なその姿に目が吸いつけられたままだ。林道などなく下からひなびた山道を辿って登ったならさぞや満足の山であろうと、自分がその恩恵を受けたことをすっかり忘れてしまいその山姿を眺めていた。

* * * *

所沢ICから谷原交差点までいつものごとく渋滞してはいたが上信道から関越道を通り2時間半で横浜まで戻れれば上出来と言えるだろう。荒くれた山の海を波頭を立てて航海する巨大な船、そして紅葉で赤い鎧を被った無骨な野武士。独りの山は熊への不安感に終始つきまとわれたが紅葉をシャワーの様に浴びることが出来た。秋・盛りの西上州の山・二山。満喫した思いをかみしめての帰路は幸福であった。

(終わり)


コースタイム

荒船山: 内山大橋下・荒船不動方面分岐点9:10-荒船不動9:40/45-星尾峠10:15-稜線10:26-経塚山(荒船山最高峰)10:35/11:30-艫岩12:00/12:13-内山峠13:15-(自転車)-内山大橋下・荒船不動方面分岐点13:30

稲含山: 鳥居峠広場14:45-稲含山15:18/15:25-鳥居峠広場15:45

 
荒船山ルート図 稲含山ルート図

ルート図はハンディGPSで取得したデータログをカシミール3Dに転送、同ソフト付属の地図上に展開したもの。


アマチュア無線運用の記録

荒船山(経塚山) 1423m 長野県佐久市・群馬県甘楽郡下仁田町:50MHzSSB運用,10局交信,自作SSB/CW機(4W)+釣竿ダイポール
稲含山 1370m、群馬県甘楽郡下仁田町:430MHzFM運用、2局交信、ICOM IC-T81+ホイップ


(戻る) (ホーム)