とんでもなかった湯ノ沢峠スキー山行 

(2003/3/9、山梨県東山梨郡大和村)


ひょんなことからテレマークスキーを購入した。野山を自由に軽快に歩き、滑る、というバックカントリースキーには以前から興味があったがもとよりゲレンデスキーはパラレルが何とかできる程度の腕前でしかなかった。それもとてもう10年以上前の話だ。出来るというより出来たというべきだろう。また当時でさえゲレンデ外を試しに走ると深い雪にスキーをとられて転倒の連続だった。その時思った、やはりスキーはゲレンデに限ると。ところが山歩きを覚えて10年、雪化粧をした近郊の山々を歩くにつれ、スキーで歩いてみたいな、という思いが数年来積もっていたのだった。なだらかな雪原を、尾根を、スキーを履いて漫歩したらさぞや楽しかろう。当時のオフゲレンデで味わった苦い思い出はとうに消えていたのだった。

思ったより安かったこともあって殆ど衝動買いで買ったテレマーク。早速10年ぶりともいえるスキー場で練習。板の裏に施されたステップカットのお陰で登りは楽勝だった。ぐいぐい登れる。板も軽く踵が上がるのもとても軽快で独特の感触が足に伝わった。これは凄い! が、その喜びも下りでは敢え無く粉砕した。テレマークは踵を固定しないので、全くスキーの操作が出来なかった。ボーゲンすら上手く出来ないのはがっかりだった。10年のブランクはあるとは言ってもゲレンデでこのていたらく、実際のオフゲレンデではとてもこうはいかないのは目に見えていた。しかしそんな事実もバックカントリースキーへの誘惑の前には数週間で忘れしまった。好天に恵まれた3月9日、スキーを車に載せて早朝に家を出た。

JI1TLL・須崎さんが以前に書かれていた山梨県、笹子峠北方の大蔵高丸・湯ノ沢峠までの林道をテレマークで登ったという記事が頭に残っていた。本当は北八ケ岳あたりに行ってみたかったがまずは近場の湯ノ沢峠をめざしてみよう。ゲレンデではなく自然の中で使ってこそのスキーなのだ。低気圧が金曜日に通過した事もあって山には雪が豊富にあるだろう。林道を何処まで車で登れるかが行程の楽さを決めてくれよう。

笹子トンネルを抜けて天目山温泉の方に向かう。景徳院を越えて快適なのぼり道だ。除雪もされている。立派な天目山温泉の先で道は分岐していた。右へ、湯ノ沢峠を目指して登っていく。一部凍結しているが我が愛車はものともせずに突破していく。ノーマルタイヤの四駆だがたいしたもんだ。分岐があり、湯ノ沢峠へ向かう登山道がここからわかれるようだ。立派な指導標も立っている。

しばらくは轍がしっかりついているので快適に登っていくが時々ハンドルが取られる。気をつけなくては。そういえば須崎さんの湯ノ沢峠スキー山行記には峠で雪でスタックして放置されてていた2台の車の事がかかれていたっけ。確かに、間抜けな話だ。四駆を過信しては駄目だぜ。

道は大きく右に曲がり東屋があった。高圧鉄塔が頭上を通っているので須崎さんが車で入ったのはここまでだろう。方向転換できそうな薄い雪で一部舗装が見えている。この先は轍がなかったとあったが今回はまだあるので試しに進んでみよう。

(やった・・・!もう押しても引いても
どうしようもなかった・・・)

北斜面になったこともあり急に積雪が増えた。あれ・・まずいな。しばらくいくとにわかに轍が深くなって車が不審な動きをし始めた。まずい、と思うまもなく轍を外れて深雪に突っ込んでしまった。あ!やった!

ギアをバックに入れてもLにしてもタイヤはむなしく空転するのみだった。ドクドクと心臓が高まっているのがわかる。外に出ると四つのタイヤはむなしくも10cm以上も雪に深く埋もれていた。人の事なんか、とても言えない!わが身に間抜けな話が降りかかってきたのは事実だった。

さてどうしよう。外に出て押してみる。動くわけがなかった。緊張で体の力が抜けてしまった。落ち着こう。まだ朝8時だ。しかしこの心臓の鼓動・・・ガクガクと早鐘のように震えている。腹の底から力がなく、朝食の食べ残しを放り込む。もしかしたら山で遭難でもしたらやはりこんな気分を味わうのかもしれない、と変なことが頭に浮かぶ。とにかく、四駆を過信した自分が馬鹿だった。そもそもノーマルタイヤで、チェーンもつけていない。それに改めてこうなってみると、スコップすら持っていないではないか!結局雪道の準備すらしていないお粗末なドライバーだ!。

ジャッキアップしてみよう。その下に車にあったダンボールを敷いてみる。しかし緊張と不安も手伝ってかジャッキアップすらおぼつかない。なんとか敷き詰めてバックしてみる。タイヤと雪道の間でむなしく滑ったダンボールが散らばったのみだった。

もう本当に打つ手はないのか。携帯だ、JAFを呼ぼう。しかしアンテナは立たなかった。北岳がこれ以上はないというくらい素晴らしい姿を見せているのに肝心の甲府盆地の波を捉えなかった。430もまったく無感だった。もっとも20cmもないホイップアンテナではさもありなん。

刻々と時間だけがすぎていく。今日はもうテレマークで湯ノ沢峠に行くなんて無理だろうなぁ、あぁ東屋で止めとけばよかった。いや、まずは下界に下りるしかない。そしてJAFを呼ぼう。あと半月、雪がなくなるまで放置などこんな道のど真ん中ではしておけないだろう。それに回収に来るのも大変だ。そうだ、テレマークがあるではないか! これで下りれば早いだろう。そう考えて板を下ろして靴を履き替えた。スパッツをつけて、最悪半月車を放置することも念頭において必要なものを全部ザックにつめてそれを背負う。

滑走だ・・・!早く下りて助けをよばなくては。道は殆ど傾斜がなくてするりするりと滑っていける。しかし轍が厄介で、片足のスキーがそちらに落ちるとただでさえ効かない制動がますますきかなくなる。あえなく転倒。ついでにつき指もする。いいよ、なんでもあれだ。時折携帯の感度を確認するが基本的に下りていくのだから感度が良くなるはずがなかった。しかしなんて馬鹿なことをしたのだろう。それにJAFだってスーパーマンではない。現場までいけても敢え無く撤退もあるかもしれない。そうしたら半月放置だ。情けないなぁ、みっともないなぁ。ここえきて変に人目が気になる。

あいかわらず轍に足をとられて転倒。轍以外も表面は固まっているが下はグズグズでブスブスと板が潜る。こんな斜面でどうしてボーゲンしようと言うのだろう、股の間にストックを指して体重をかけるストック制動も試みるが、却って速度が出るように思える。止まる方法はただ一つ。転倒しかない。

何してるんだよ・・・、これがお前のやりたいバックカントリースキーかよ。雪でスタックした無謀ドライバー、今度はスキーの猿真似で全く先に進めない。雪だるまのようになりながらそれでも下りてくると今度は急坂となりとても技術のレベルを超えていた。諦めて板を脱いだ。ザックにくくりつける。とても楽だ・・。テレマークブーツもプラスチックではなく革靴にして良かった。脱いでも皮の登山靴と全く同じ感じで歩ける。

(轍のついた林道の滑走は決して楽しいものではなかった・・・。)

すぐに湯ノ沢峠への登山道の分岐だった。ちょうどそこへ一台の練馬ナンバーの四駆が止まっていて三人がまさにスパッツをはいているところだった。軽く挨拶をして訳を話すと、彼らも此処までの登りで若干進退きわまる個所があったとのことだった。自分のより背の低いステーションワゴンタイプの四駆だ。そうだろう。

ここで人にあったことでずいぶんと気持ちがおちついた。あとは淡々とアスファルト露出個所の増えてきた道をひたすら歩いて天目山温泉をめざす。1時間はかかるだろう・・。

* * * *

温泉でJAFを呼ぶ。天目山温泉はまだ新しい湯のようで湯上りに赤ら顔の湯客がひどく現実離れしているように思えた。きっかり1時間後にJAFの救援車がやってきた。それに乗り込んで再び登っていく。トルクの塊のようなJAFのトラックは一発で情けない我が愛車を引っ張り出してしまった。寡黙なJAFの運転手氏に恥ずかしさと、感謝の思いが絶えなかった。

* * * *

まだ2時半だがもう疲れ果てていた。結局今日は何しに笹子くんだりまで来たのだろう。嫌になるくらい真っ青な空が今日ほど憎らしい日はない。完全に雪道をなめていた、といえばその通りだった。正直自分は車の運転は下手糞だし、それにしてももう少しまともな判断がほしかった。それにスキーは全くお荷物だった。滑るより歩いたほうが早かったのではないか。いや、そうではないよ、ちょっとは滑れたよ。それに轍の段差が10cm以上もあって固まっている雪なんてそうは滑れないよ・・・。

山に登った訳でもないのに、手足は痛いし、疲れている。ジャッキアップのせいか、転倒か、転倒のリカバリーもずいぶんと普段使わない筋肉を使うからそのせいか。それでも自分には憧れがある。ブナの林の中を雪を踏んでスキーで進むという憧れ。それは数多の入門書のプロの滑った写真であるとはわかっていても少しはそれを味わってみたい。こんな目にも会いながらももう一度、雪のあるうちに何処かへ行ってみたいものだ。

山行の達成感がまったくないまま、疲れた体でハンドルを握り笹子トンネルを抜けた。こんなこともあるよ・・。慰めるしかない。この時間なら中央高速もまだすいているだろう事が今日の最後の収穫だった。

(終わり)


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