八ケ岳縦走、満たされた二日間 

(2003/8/29,30、長野県茅野市)


(硫黄岳から目の前に赤岳が飛び込んできた。
手前に横岳の岩稜がいかにも気難しそうに
並んでいた。)

今年は異常な冷夏で8月に入っても夏空を仰いだ日々は数日もなく、肝心のお盆休みも雨ばかりで山に行けずじまいでした。天気予報と睨めっこしながら迎える8月最後の週末も前線が日本列島を縦断するように覆っています。でも予報そのものは雨ではない様子、これをのがすと「夏山」も来年までお預けです。山の天気の心配はありますがなかば強引に出発です。

5月に鳳凰から眺めためた八ケ岳へ行こうと考えます。いつも気になってはいましたが登らずにきていた山です。どうせならピストンではなく縦走をと考え渋の湯から主峰・赤岳まで。いつもはテント山行なのですが家を出る直前に小屋泊まりの計画に変更します。仕上がったザックの重さが妙に気になったこと、この冷夏で結構冷えるのではないか、といった不安に勝てませんでした。ザックを再パッキングしながら「情けないな・・」という思い。

* * * *

中央線・茅野駅からバスで渋の湯へ。平日という事もあり10数人のみのバスです。降り立った渋の湯にはもうすっかり秋の風が吹いていました。じっとしているともう肌寒い。

バスの同乗者の大半は高年のパーティでリーダーが大きな声で今日の行程をメンバーに説明しています。どうやら彼らはここから行程2時間の黒百合ヒュッテまでの様です。一足先に出発。シラビソやトウヒの混じる深い針葉樹林の中には陽の光もさし込みません。こけむした林床は北八ツらしい。支尾根に登り着くと傾斜はゆるみ直に路は尾根筋からゴロタの沢筋に変わります。もっとも水は流れておらず歩きづらい石が続きます。突然前方に音がしてカモシカが数メートル前を飛び去り藪の中からこちらを窺っています。

石の上を伝うように登っていきます。見上げる空は樹林の切れ間から青い。そこに白い雲がまるで逃げていくかのように駆け足で流れていきます。風が強いのかもしれません。沢の傾斜がゆるみ黒百合ヒュッテ。ひっそりとしています。右手にこれから越えていく天狗岳が尖塔のように尖っています。あれに登るのか・・。

中山峠の上で稜線に出ます。やや登り振り返ると佐久方面への展望が開けます。ふたたびゆっくりと進みます。高度を上げるにつれヒュルヒュルとすさまじい風に遭います。誰もいない稜線をポツンと登っていきます。声が上から風にのって飛んできます。誰かいるな・・。しばらく登ると二人連れが下りてきました。声の主です。ほっとしますがすれちがうと又独り。歩みを止めるとゴウゴウと風がなるので木の陰に隠れます。と地面が揺れています。眩暈かとおもいましたがそうではありません。風で木とその根ごと揺れているのです。はやばやと立ち上がり岩場に手をかけて進みます。岩が冷たい・・。森林限界をこえるともう傍若無人に風が吹き付けまっすぐ歩くこともままならなくなりました。見上げる天狗岳はまだ高い。ですがガスが深くなりその山頂さえも視界から消えました。誰か来ないかな・・そんな思いとは裏腹にガスの粒子が風に吹かれ飛んでくるばかりです。

(雲が駆け足で去っていく。
稜線は風が強いのだろうか・・。)

一歩一歩ふらふらと吹流しのように登っていきます。頂上はまだか・・。一瞬ガスが薄くなり視界が伸びます。まだ山頂の影は高い。あきらめて、登ります。

ボーっとケルンがガスの中から見えてきて天狗岳山頂。視界は3mくらいか。とても西天狗まで足を伸ばす気持ちが湧きません。そうだ、無線運用・・。平日なので迷わず430MHzでCQを出すとすぐに声がかかります。地元・長野の局で外は気温31度との由、そんな下界の様子がひどくのんびりと異次元の話のように聞こえます。

根石岳へのコースは急なガレの下り坂ですがガスが濃いので高度感がありません。根石岳との鞍部あたりで風がますます強く一歩一歩が困難に感じられます。絶えず風の音が聞こえまるで耳鳴りのよう。パタパタパタと軽快な音に我に返ります。風にザックのストラップが弄ばれザックにあたる音・・。天と地がぐるぐる回るような気がして歩みをやめて物陰に隠れます。

誰にも会わない、徹底的に無人のガスの中。ここは八ケ岳、人気の八ケ岳。平日とはいえこれはなんだろう・・。帽子がたまらず飛ばされました。ストッパーで襟についているので風洞実験の筒の中のよろしく帽子がクルクル回ります。鼻水が垂れてきてそのまま鼻の穴を離れ風下へしずくが飛んでいきます。こんなところでただ独り、何をやっているのだろう・・。こんな風に遭ったのは南アルプスの大聖寺平以来です。根石岳への登りに取り付くと嘘のように風が弱まりました。喉のような地形なのか、風の通り道でした。

真っ白な根石岳を通過し、霧の中にボーっと建物が見えました。根石山荘です。予定ではこの先の夏沢峠まで行こうと思っていましたがパタパタとなる発動機の音に強い安堵感を覚えそのまま小屋の引き戸を空けます。同宿は3人連れの中年女性パーティのみ。2階に上がり部屋の隅に横になります。風で小屋が揺れています。小屋番が風呂が沸いたと告げにきたその声に耳を疑いました。水の豊富な小屋とはいえここは風呂があるのです。つかるだけの湯船ですがガスと風の中で冷えた体がゆっくりとほぐされました。2600mの高地で湯につかるとは後にも先にももうないのではないかと考えます。湯上がりのビールに独り乾杯、そういえば今日は自分にとって40回目となる誕生日です。今更目出度くも何もありませんが、襟を正して自炊の夕食。妙に疲れて早々と床に着きました。

* * * *

時折風の音で目がさめます。例のごとく眠りは決して深くありません。夢うつつに家族のことや自分を産んでくれた親のことが浮かびます。人里離れた山の中で誕生日を迎えたからでしょうか・・。そしてまた眠ります。・・・朝5時、小屋の窓から東の空が赤く燃えています。しまった、寝過ごした!天候の好転を考え朝4時に腕時計の目覚ましをかけていましたが寝過ごしました。今日は天気が良さそうです。もっとも昨晩の天気予報では午後から曇り時々雨との予報、のんびりは出来ません。

慌てて朝食を済ませ小屋を飛び出します。シラビソの原生林の中高度を下げて夏沢峠。目の前にはこれから登る硫黄岳が300メートル近い標高差で聳えています。ゆっくりと取り付きます。じきに森林限界を抜けます。爆音が届き眼下にヘリコプターが飛んでいきます。夏沢峠の小屋に物資を上げるようです。目の上には岩礫の大斜面・・。先を行くパーティが空と地肌の境を豆粒の様に進んでいます。ひたすら登っていくその上にケルンが数個動いています。ああ地球が動いている・・・。いや、動いているのは地面ではなく背景の雲でした。頭上の青い空をバックに雲がすごい速さで駆け抜けていくのです。それを見ているともう空に手が届きそう。思わず眩暈がおきそうになり頭を下げ、またゆっくりと登ります。

(天狗岳の登りから佐久方面遠望) (根石岳へ、濃白のガスの中の彷徨) (根石山荘は稜線直下の小屋)



硫黄岳に上り前方に目的である赤岳を初めて望みました。重なり合う岩峰群の奥に立つその峰は両脇をスッとそぎ落としたような、剃刀を逆さまにしたような、圧倒的な存在感で迫っています。今からあれに登るのか・・思わず鳥肌が立ちます。

硫黄岳山荘を越えると岩場が連続します。目指す横岳山頂は指呼の間ですが、その間の直線距離にして数100m位はひたすら続く岩稜です。靴紐を締めなおします。ドキドキと鼓動。カメラを入れたウェストポーチは邪魔になると考え外してザックに入れます。緊張感が漂いますが、一方で妙に便意が高まります。頭の動きと腸の動きは全く無関係のようです。こんな時に、なんだろう・・。我ながら苦笑します。さぁてと・・。カニの横ばいと名づけられた鎖のトラバース、足下には緑が茂り高度感はさほどでもありません。岩の背を越えて稜線の西側に出ます。こちらは下が切れ落ちています。なに、みんな通過している箇所さ、大丈夫・・。慎重に足を運んで再び鎖で岩の背を越えると稜線の東側に戻ります。今度はハシゴです。登り切るとまた鎖場です。一歩一歩抜けていきます。登り切って横岳頂上。やった・・無事通過・・。安堵感にザックをおろして小休止。目指す赤岳がぐんと近くなりました。

ハイマツの上にワイヤーダイポールを張って50メガで1局交信。これで良しとします。それよりも先を急ぎます。昨晩の天気予報では今のこの天気は長くもたないとのこと、まずは赤岳まで。天気の良いうちに・・。

登山道はこの後も岩稜伝いです。コースを示す岩場のペイントは必ずしも明瞭ではなく時折コースを迷い背伸びしてその先を窺います。鎖場が続き岩稜の東側と西側を行きつ戻りつのトラバース、良い気分がしません。鉄ハシゴも連続します。自分の体重で溶接が壊れたら一直線だなぁ、などと思いながら降りては上ります。一枚岩を鎖を頼りに下りていく個所もありますがステップが見当たらず嫌な感じです。八ケ岳なんて所詮アルプスを小さくした山さ、と入山前はたかをくくっていましたがどうやら甘い考えでした。シャリバテを起こしかけていたのでザックを下ろし菓子パンを2つ貪るように食べます。なんのなんの結構きつい。甘く見ては駄目だよ・・・。

(硫黄岳の登り。爆音が響くと眼下を
ヘリコプターが飛んでいった。)
(横岳への稜線からなだらかな硫黄岳を見る。
背後のシルエットは蓼科山だ)

夢中で歩くと眼前に赤岳展望荘、あぁ、難所を越えたようです。ひとしきり休んでいるとやはり寒い。海抜2700mを越えています。目指す赤岳が今や巨大な岩そのものとなって視界から溢れます。とにかく前進あるのみ。

赤岳への最後の登り、ステップのない岩屑の急斜面ですが手足を使って四つんばいのようにして登っていきます。幸い岩屑は靴のソールに良く食い込み滑ることはありません。鎖もありますが思ったよりも足が進みます。見上げる度に山頂が近くなる・・・。

2889mの赤岳頂上。ガスが出ており遠望は望めませんが大満足です。山頂小屋で550円を出費して缶ビール、炭酸が喉を焼きもう言葉が出てきません。時折ガスが晴れ昨日から歩いてきた天狗岳から硫黄岳そして横岳が縦一列にならんでいます。山頂から自分の歩いたコースを眺めるのは気分が良いものです。アマチュア無線、50メガを開局します。CQを出しますが5局のみ。やはり地上近くに張ったワイヤーダイポールではこんなもんでしょう。それでも愛知県辺りから強く呼ばれてさすがに中部山岳地帯の高峰を実感できます。あらためて展望を楽しもうとしますがガスが出ては消え一喜一憂です。堅く引き締まった三角形の山のシルエットを一瞬認めます。甲斐駒だ・・。四ヶ月前に登った鳳凰は見えません。でもそれらのピークから眺めた赤岳の山頂に、今、居る。改めて満足感。

ひとしきり休み後はもう下りるだけ。すっかりリラックスしたいところですが、下りも急斜面に違いないでしょう。心から安心など到底出来ません。

やや下りて編笠岳方面への縦走路を分けます。ここで昨晩小屋で同宿した女性三人組に遭います。今夜は青年小屋だという彼らと別れ、文三郎道へ。鎖場が連続します。この路は積雪時のポピュラールートとの事ですがアイゼンを履いてここを登るのでしょうか・・。とても信じられない話です。岩場の下山路、登ってくる登山者も多く渋滞します。阿弥陀岳への分岐を分けるとあとはぐんぐん下りていきます。滑りやすい小石の路で、歩きずめの疲労も手伝ってかかなり危うい足取りを自覚します。鉄の階段が連続して下り付くと行者小屋。もう戻ってきたという気持ちが大きいです。

ここで1時間近く休みます。たったさっきまでいた横岳から赤岳の稜線が見上げる頭上に大屏風のようですがそれも流れ出したガスに隠れてしまいました。ガスが晴れてもう一度赤岳が顔を出すのを待ちます。一瞬のチャンスで山頂です。もう、行こう。下山の途です。

緩い沢道ですが距離は長い。まだまだ登ってくる入山者とすれ違いただ歩きます。さすがにへばってきます。足に力が入らない。何人かに追い越されます。美濃戸で車道に出ます。バス停のある美濃戸口まであと1時間の林道歩き。今朝からよく歩きました。足の裏が熱く火照ってもうただただ苦痛です。

美濃戸口到着。タオルを濡らし体を拭きます。水筒の水を頭からかけてすきっとします。仕上げに今日二本目の缶ビールを堪能。靴紐をほどいて足を楽にします。無事山行終了、横岳の難所も威圧的だった赤岳もこの二本の足で制覇しました。疲労感に混じりじわじわと達成感。

* * * *

ここしばらく山歩きらしい山からずっと無縁でした。それに入山前には八ケ岳は標高はあるけど規模の小さな山、アルプスのミニチュア版、などど勝手に思っていましたが、実際に歩いた稜線は南アルプスのそれとも劣らずスケール感のある立派な山です。久々に歩いた山。稜線で感じた独りの不安、枯野を歩いているような荒涼とした思い。岩場の緊張感、樹林帯の安堵感、そして沢沿いの下山路の苦痛。実際の風景と頭の中の光景がたえず動く・・。やっぱり山は素晴らしい。それに、きついなりにもやはり縦走は面白い・・・。また、自分独りで過ごす時間は却って自分とその周りのことに思いを馳せることも出来ます。最近そんな機会もなかなかありませんでした。濃密で満たされた二日間だっと、振り返ります。

奮発して乗り込んだスーパーあずさの車中。予報どおり天気は崩れ気味のようで窓ガラスに雨が幾筋もの糸を作り流れていきます。疲労と満足の混じった気持ちで夕闇に落ちていく信濃路を眺めていました。


(終わり)

2003/8/29 渋の湯11:35-黒百合ヒュッテ13:30/13:40−中山峠13:45-天狗岳14:45/15:10−根石岳15:40/15:50−根石山荘16:00

2003/8/30 根石山荘6:00-夏沢峠6:20-硫黄岳7:20-硫黄岳山荘7:25/7:35-横岳8:10/8:30-展望荘9:25/9:40-赤岳10:00/11:05−行者小屋12:20/13:10-美濃戸14:35/14:45−美濃戸口15:30

(横岳を過ぎて更に岩稜を進む。目の前に赤岳が視界から溢れた。
圧倒的な存在感を放つ岩の鋭鋒に身がこわばった。)

Nikon FG-20 Zoom Nikkor 35-70 Fuji Sensia II ASA100

2003/8/29 渋の湯11:35-黒百合ヒュッテ13:30/13:40−中山峠13:45-天狗岳14:45/15:10−根石岳15:40/15:50−根石山荘16:00

2003/8/30 根石山荘6:00-夏沢峠6:20-硫黄岳7:20-硫黄岳山荘7:25/7:35-横岳8:10/8:30-展望荘9:25/9:40-赤岳10:00/11:05−行者小屋12:20/13:10-美濃戸14:35/14:45−美濃戸口15:30


アマチュア無線運用の記録

天狗岳(東天狗)2640m、根石岳2603m、長野県茅野市・430MHzFM運用 STANDARD C710 + モービルホイップ
横岳2829m、赤岳2889m、 長野県茅野市・50MHzSSB運用 MizuhoMX-6S ワイヤーダイポール


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