銀嶺の南アルプス市へ 

(2003/5/2、3、4、山梨県南アルプス市)


(夜叉神峠から白根三山。素晴らしい不意打ちだった・・)

2003年4月1日に新しく誕生する南アルプス市でのアマチュア無線の新市サービスを兼ねて4月中に鳳凰山系に登りアマチュア無線運用をしようという計画をJI1TLL・須崎さんから聞いたのは3月の霧ケ峰へのスキーツアーに向かう車の中での事だった。自分の中では相変わらず山頂からのアマチュア無線運用は大きな楽しみではあるが、ここ数年は無線のプライオリティよりも登りたい山を重視して山頂からの無線運用は数局の交信でも満足していた。山頂から存分に無線運用するよりも、興味があり行きたい山に登る事が最初にあり、そして無線もできれば良い、というスタンスだった。いきおい登る山も必ずしも無線のロケが良いという訳ではなかった。

しかし、なんと言っても南アルプス市だ。南アルプス市・・・これほど「山屋」の心をくすぐる市の名前もないだろう。南アルプスは自分にとって憧れのつきぬ山々でありその中のピークの幾つかには登ってきたものの、その大きな懐は一向に減る気配も無くいつも自分の中で無限の存在として在る・・そんな憧れの地を冠した新しい市の山からアマチュア無線のサービスをする、それが愉しみでなくてなんだろう。わずかながらの山しか知らない自分にしてこうなのだから須崎さんの今回の計画にかける意気込みと期待はとても良くわかった。また南アルプス市といっても、実際はその名を冠した南アルプスのピークにでも登らない限り一般のアマチュア無線の移動運用という範疇では標高的に二流どころの場所にしか行くことが出来ぬだろう。連なる3000m級クラスのピークを抱える新市にしてみればそれは本望ではあるまい。南アルプスの主峰から新市誕生以来最強の電波を50メガで送り込む、そんな事が冗談抜きで本当に出来そうだという期待感がこの計画を比類ないものにしていた。まさに「山屋」の出番であった。

「山屋」の端くれだとはとうてい恥ずかしくて言えない自分だが、まぁ片足のその半分くらいはそこに足を乗せているかもしれない。足手まといになるかもしれないがその計画に一枚乗らせていただければ、と考え同行を申し込んだ。当然のごとくJK1RGA・河野さんも南アルプスの主峰の一角に登っての南アルプス市からの移動運用には並々ならぬ興味を示された。

しかしそうは言っても残雪期の南アルプスだ。思わず身震いを感じてしまう。名前負けしてしまいそうだ・・。幸いにも過ぐる夏に一度鳳凰は縦走している。古い記憶だが未知の山ではないと言う事実が自分に僅かながらの安堵感を与えてくれていた。岩場などの危険がある山ではなく森林限界直下まで深い樹林帯が続く山だ。時間をかければ、行けるのではないか。

計画を確実な物にするために須埼さんと河野さんは4月の半ばに実際に現地に偵察山行に行かれた。今年は関東地方南部でも実際結構雪が多く自宅から見える丹沢も4月に入っても未だ冠雪しているほどだった。南アルプスの主峰群はこの比ではあるまい。コースタイムと装備計画に大きな影響を与える積雪状況の把握が計画の成否の鍵を握る、そう須埼さんは考えていた。実際の状況を予見する、それが困難なら実際に確認して本番の判断する。岳人としては当然かもしれないが、いつもながらの須埼さんのデータ重視の姿勢には頭が下がった。その結果、稜線の雪は思ったより深く踏み抜きも多発したとの事。雪の状況を考慮して実行は2週間後の5月に入ってからが良かろう、となった。これは自分にとってもありがたかった。というのも4月の始めに不自然な中腰姿勢をとったためか腰を痛めてしまったこからでその後数日間はまっすぐに立つことも出来なくなったからだ。山行日まで2週間。毎日腰に湿布を貼って備えるしかない。

ゴールデンウィークの中日、早朝の横浜をいつもの通り須崎さんと河野さんとともに山梨に向かった。気になる腰はまだ少し痛むが、逆療法の効果もあるかもしれない。

* * * *

夜叉神峠まではさして急ではない登りだが重荷を担いでのウォーミングアップにしてはなかなかこれがきつい。たちどころに息が切れてくる。入山直後の興奮からか色々河野さん・須崎さんに話しかけるが辛い登りにそんな言葉も絶え絶えになりじきに無言となった。落葉松の中を先行する河野さんの赤いザックを見ながら遅れないように登っていくだけだ。三人とも足元はしっかりした登山靴で固めており、更に河野さんと自分はいつ雪の斜面になってもいいようにスパッツを既に履いている。二週間前の偵察山行の時はもう既にこの辺りから残雪が現れたという。今はそんなこともなくヤマブキやニリンソウの交じる斜面をゆっくりと辿るのみだ。目下のところこんな重装備も似つかわしくない。

前回この山を登ったのは10年前の事だった。それは自分にとっての三回目の山行でもあった。単独で歩いた鳳凰三山。初めての南アルプス山行となったあの夏の日、一体ここをどんな気持ちで歩いたのだろうか? 未知の高峰を前に不安に期待が潰されそうになっていたことだけは良く覚えている。とにかく無事全行程を歩けるのだろうか、家に戻れるのだろうか、ただそれだけだった。あれから10年間、自分なりにはぽつりぽつりと山に通っているが、いたずらに回数のみが増えただけで山の技術ひとつとっても何の進歩もない。むしろ衰えたというべきか。中年という言葉をあたかも免罪符のようにしているが単に体力も気力も退化しただけだ・・。ただ山に入る前の期待と興奮、そして不安感は消える事無くいまだに感じる。この気持ちだけは忘れたくはない。

傾斜がじきに緩み道が斜面をまくようになると夜叉神峠は近い。稜線に出てすこし登ると期待していたとはいえ素晴らしい不意打ちが待っていた。崇高な北岳の出迎えだ・・。いつもながら北岳を筆頭とした間ノ岳と農鳥岳のスカイラインは見応えがある。小屋開きしたばかりの夜叉神小屋の前で荷をおろしその気高い稜線を食い入るように眺める。あの3000mの雲上の道を初めて歩いたのもやはり8,9年近く前の話となってしまった。何度か訪れたこともありその尾根の一つ一つの凸凹にすら旧懐の想いがわいた。ふらっと登れる山ではないだけに憧れはいつまでもつきないものだ。2週間前は純白だったいう彼らだがもう斑雪で数日降った雨と高温に推移していた気温の影響だろう。

(苺平を過ぎると残雪が更に深くなった)

重いザックを担ぎなおして歩き出す。やや下るといよいよ急登が始まる。右手の山肌が大きくガレているがあれが大崩の頭であろう、七面山のガレのように規模が大きい。急登も一旦落ち着くと今度は深い林の中をゆっくりと標高を稼いでいくアプローチに転じた。この重厚さはなるほど南アルプスの真骨頂ともいえるだろう。二週間前はこの辺りで積雪が1mを越えており数歩ごとに踏み抜きがあり僅かの距離を稼ぐのに大変苦労したという。今日はまるで嘘のように雪もなく歩くペースも落ちない。野呂川の谷を隔てた北岳方面から心地よい冷涼な風が吹いてきて火照った体に心地よい。

大崩の頭の直下の肩まで登りつく。ここに今回初めての残雪を見た。標高は丁度2000m付近だ。小さく休憩して今度は緩い下りに転じた。鞍部まで下りると再びじっくりとした登りになり残雪が本格的になってきた。しばらくだらだら登りかえし樹林帯を抜け出し視界の伸びる原となる。山火事跡だ。10年前の山行では、樹林帯を抜け出たこの原で容赦ない夏の日差しを浴びて気力・体力がともに萎えてしまったことを思い出した。今日も五月の日差しとは言え何も変わることがない。コース的にも丁度このあたりから体力的にけっこう辛くなってくる箇所だ。ザックを下ろし座り込む。北岳が先ほどとは比較にならないほど立派な姿を見せてくれている。あたり一面には植林したのか自生したのか小さな針葉樹の幼木がとげとげに生えている。以前はこのあたりはもっと山肌が露わでこんなものはなかったと思う。が、なによりも10年の年月が経っている。

河野さん、須崎さんはともかくも、自分もここまで順調に登ってこれている。今のところ足手まといにはなっていないのではないだろうか、それがちょっと嬉しい。振り返ると疎林を縫って北岳・間ノ岳・農鳥岳の奥に畳々と重なり合う銀嶺が目を打った。すごい迫力だ・・。息せききって須崎さんと一座一座同定していく。荒川岳・悪沢岳・赤石岳・・・。忘れようもない自分のスター達、南アルプス南部の雄峰達よ!そのどのピークの記憶も鮮明に自分のなかに残っている。更に自分を興奮させてくれたのはそれら高峰群の左手にやや低く、しかし確然とそびえ立つ双耳峰を見いだしたことだった。笊ケ岳だ。約10ケ月前に踏んだその頂がとても懐かしい。やはり南アルプスは良い。地味ながらその存在感は抜群だ。

消耗を強いられる直射日光を浴びながらゆっくり登ると再び樹林帯の中に潜り込んだ。残雪はこのあたりで1m程だろうか、ときおりズボッと踏み抜くが膝付近までもぐってしまうと足を抜くのも厄介だ。後ろで河野さんも時折「あっ」と声を上げている。

道が平坦になり苺平だ。千頭星山からのコースが合流してくるがもちろん深い雪に埋もれ踏み跡もない。ここから後は南御室小屋に向けて緩やかに下りるのみだ。北斜面となりにわかに増えた残雪を踏みながらシラビソの深林の中をゆっくり下って14:20、南御室小屋。10年前の記憶の通り素朴で飾り気のない小屋だった。

10年前にテントを貼った場所はまだ雪がたっぷり残っていた。それを横目に小屋の扉を開ける。連休であぶれることを危惧して念のためにあらかじめ小屋に予約をしていたがそんな危惧もどうやら杞憂に終わった。「百名山を狙う人々はわざわざ残雪期を選んでまでここ(鳳凰)に来ることもないだろう」と小屋を予約しつつも須崎さんは踏んでいたが、まさにその通りだった。一階にも10人は居るまい。自炊素泊まりの自分たちは屋根裏部屋のような二階に案内された。自分たち3人以外には2人いるだけの、がら空きの小屋だ。日当たりの良い小屋の屋根裏はぽかぽかと暖かい。ゴザ張りの板の上に伸びるとうつらうつらしてきた。幸いに腰もここまで特に痛くもない。念のために湿布を貼っておこう。

ビールを求め河野さんと乾杯。実は河野さんは小屋の予約をしてくれた際にわざわざビールを置いているかも聞いてくれていたので下界で買わずに済んでいた。標高2400mで飲むビールはどこで飲むそれよりも美味しい。陶然として山の夜の楽しみ・夕食タイムだ・・・。高地にも拘らずそれなりにご飯は美味しくたけたのではないだろうか。家で冷凍してきてもってきた鰻の蒲焼きも程よく解凍されており炊き上がったコッヘルの蓋を開けて蒸すことしばらく、リッチな夕飯だ。須崎さんはレトルトハンバーグに加え例によって生卵をザックから取り出した。一方河野さんも嬉しそうに納豆をこね回している。皆それぞれ工夫をこなす山のメシ。そして仕上げに小屋の水場でふんだんに得られる美味しい水でいれる贅沢なコーヒーや紅茶が待っている。

小屋の外でちょっとした人だかりがしている。カモシカがいるという。慌ててサンダルをつっかけ外にでる。恥ずかしながらカモシカを見るのは初めてのことだった。カモシカは余り人を恐れない、と聞いたことがあるがその通りでこちらが近づいても別段驚いた風もないようだ。2m位の距離でじっくり観察するが結構可愛い顔をしている。すらりとした肢体をしてよく「カモシカのような足」と例えるが、現物は意外なことにむしろずんぐりとすらしている。ウシ科というのも頷ける。ただ岩場などでは結構敏捷に動くそうで、カモシカのような足とはそこから来ているのかもしれない。

屋根裏部屋に戻りシュラフにもぐると言うことはない。20:00前には3人とも眠りに落ちていた。

* * * *

5月3日。今日はいよいよ鳳凰の山頂を踏むのだ。そして今回の最大の目的であるアマチュア無線の運用をたっぷり行おうではないか・・。朝の気温に雪も凍結していよう、昨日は出番のなかったアイゼンを念のために装着し、今朝も小屋に遊びに来ていた昨晩のカモシカの見送りを受け、6:50、出発だ。

小屋の裏手にはいきなりの急登が待っている。程よく固まった雪面にアイゼンが小気味よく効いていく。じきに傾斜が緩むと尾根の上を進むようになった。針葉樹の中の雪面に踏み跡は時折乱れるが尾根を外さなければよいだろう。樹の根元は雪が溶けたまま固まっている。丁度食べかけのカップアイスクリームを溶かしてまた凍らせたらこうなるだろう、といった感じに1m程の穴が不自然な固まり方をしている。

8:00、ついに森林限界を超えた。10年前にここで得た感動を今でも明確に覚えている。自分の足で稼いで初めて越えた森林限界。回りを取り囲む非日常的な光景にこんな世界があったのか、という体が震えるような思いを得たのだった。今日も素晴らしい光景が我が手にあった。目の前の北岳はますます崇高に大きく聳え、四周ぐるりと選ばれた山々が雲の上から顔を出していた。

一旦薬師小屋におりて緩く登り返す。すぐに鳳凰三山の最初のピーク、薬師岳。ここでの無線は後回しにしてこの先にある鳳凰の最高峰・観音岳を目指す。雪は稜線上にはすっかりなく北斜面となる甲府盆地側にはまだべっとりと残っていた。ごろごろする岩とハイマツの中を最高所を目指して進んでいく。右手の甲府盆地はぐっと深く落ち込んでいる。そして八ケ岳・蓼科山、遠く御座山、奥秩父の山々などが重なり合う。

(砂払岳で森林限界を超えた。富士が、悠然と待ち
かまえていた。その素晴らしさに言葉が無かった。)
(目前に薬師岳、やや右手に観音岳。鳳凰の主稜線
に登りついた。空が黒く、空気は冷涼だ。)

9:00、観音岳2840mに到着。鳳凰山の最高峰だ。言葉を失う眺めが我が手にあった。ここで初めて甲斐駒・仙丈岳に接した。残雪をまとって剛毅ですらある甲斐駒は岩の質感を圧倒的に放射している。一方雄大に裾野を広げる仙丈はカールに陰影をつけあくまで優美を通す。北アルプスの銀嶺も思いのほか近い。須崎さんが槍ケ岳を指差してくれる。そしてやや離れて乗鞍。一方中央アルプスは仙丈岳の影になって木曽駒は見えないが、連なる白銀の連嶺は南駒ケ岳や摺古木山などの南部の山だ、という。御嶽の奥には加賀の白山まで見えるという。さすがに3000mに近い稜線での風景はダイナミックだ。しかも山々に雪が付いていることがその眺めにアクセントをつけている。偏光サングラスを通して見る空は青いというより黒く、山々の陰影が目に焼きつく。好天という事もあるが残雪期の山は、癖になる。

使われていない錆びた山頂標識用の鉄柱に釣竿ヘンテナを固定、須崎さんが50MHzSSBを開局する。たちどころにパイルアップを浴び始めた。何局も重ねて呼んでくるのでピックアップも大変だがそこはさすがにオペレーションが上手い。出力は2.5Wだがレポートは概ね59-59で、やはり南アルプス主峰群からのオンエア、登りの苦労も吹き飛ぼう。一分間に2,3局くらいのハイペースでパイルをさばいていく。新市施行後の最強の運用、と意気込んだがどうやらその通りいきそうだ・・。身震いしそうな呼ばれ方に見ている自分も気がはやる。一方河野さんは5エレメント八木アンテナをあげ430MHzのFMを運用し始めた。河野さんも生粋の50MHzマンのなのだが、各山頂からの25局との交信を目論んでいるために最近は運用局数の多い430MHzに出ることが多いようだ。こちらはバンドの運用スタイルの違いからコールサインとレポート交換のみでは済ませられず局数を稼ぎたい交信には不向きでもある。が河野さんは持ち前の丁寧な運用で確実に局数を伸ばしているようだ。

空き時間を利用して早めの昼食などをとる。ロールパンにスライスチーズと薄切りサラミを挟む。湯を沸かしてスープを飲む。しかし一体何という山岳展望だろう。雲一つない、まさに五月晴れのもと有名無名の山々がただひたすら居並んでいる。それは遥か太古の昔からある風景だろうが苦労して登った人しか見ることの出来ない贅沢な眺めでもある。数えるほどだがその中には登ったピークもある。それを見て懐旧の思いを感じ、未知の峰に興味を抱く。こんな楽しみを味わえるなんて、山を好きになって良かったと思う。

須崎さんのパイルアップが収まったその一瞬をついてオペレーションを交代だ。さぁ50メガでのいよいよ南アルプス市運用の自分の番だ。パイルは変わらず続く。嬉しい。がそれも10分程度で、その後は丁度潮がひくかのように急速に呼ばれるペースが落ちてきた。何だろう、無線機の具合が悪いのか、電池が干上がったか。バンドをスィープしてみるとそこらじゅうでパイルがおきていた。Eスポが発生したようだ。遠く九州や北海道の局が入感しそれに関東の局が群がっていた。こちらは新市なのだから需要度では負けていないはずだが。とはいえEスポ発生による電波状態でバンド全体のノイズレベルが上がって来ていることは容易に想像がついた。これでは強烈な電離層反射局の前に出られるわけもない。50メガはこれがあるから夏場の山岳移動家にはやや苦しい。がそれも50メガの魅力なのだから仕方ない。自分も家にいる時は大いにその恩恵を味わっているのだから。

(観音岳から。目前に甲斐駒が
素晴らしい迫力で迫ってきた)

尻切れトンボのようになったが閉局する。猛パイルを味わうという期待が消化不良になってしまい悔しい。がそれも仕方ない。河野さんもノルマを達成したようで改めて素晴らしい北岳をバックに記念撮影を行った。

12:00、もう少し50メガをワッチするという須崎さんを残して鳳凰の最高峰を後にした。ここから更に縦走路を先へ進む地蔵岳は時間もかかるので割愛し、薬師岳に戻っての運用が次の目標だ。一足早く薬師に向かった河野さんを追って元に戻る。

薬師岳のピークは標高2780m、観音岳より60m低い。白砂に大きな奇岩が点在する山頂。早くも河野さんが大きな声でCQを出しているのが広い山頂の一角から聞こえてきた。その声を頼りに残雪の斜面を降りて僅かに登り帰すと岩の向こうに430MHzの八木アンテナが見えた。河野さんはさすがによい場所を選んでいた。目の前のハイマツの大斜面の向こうは千頭星山から甘利山が随分と低く見えているがそれ以外には何もさえぎるもの無い甲府盆地が広がっていた。下界までざっと標高差は1500mはあるだろう。眺めも抜群だが電波の飛びもずば抜けているはずだ。ザックを下ろししばらくは遠くの山の展望を楽しもう。奥秩父の山並みが手にとるようによく見える。顕著な独立峰がない奥秩父は山が幾重にもうねるように続くだけでひたすら重厚だ。僅かな岩の突起からあれが瑞牆山か、と同定できる。近くで見れば威圧的な乱杭歯のようなあの山頂岩稜もここから見ればミニチュアのようで可愛いらしい。右手に高いのは盟主・金峰山だろう。そしてその奥はただもう山しかない。瑞牆に始まって金峰を経て標高2500mから2000mの稜線が延々と雲取山まで。奥秩父も一般コースしか知らずまた完全な全山縦走は果たしていないものの、深い森の中をひたすら歩くしかない奥秩父の縦走も自分には捨てがたい魅力がある。

さてこちらも運用してみよう。こちらも1200MHzでCQを出してみるがこのロケをもってしても所詮ハンディ機に付属のホイップアンテナでは関東平野には飛ぶまい。山梨市と1局交信したのみだ。そうこうするうちに須崎さんが到着した。早速アンテナを立てて50MHzを再開する。観音岳で不本意に終わった自分の交信結果を思ってか須崎さんは先に自分にマイクを譲ってくれた。よし、いくぞ。バンド内のEスポは収まっていたようでCQを試しに出すと観音岳での交信に続いてJG1OPHが再び目ざとく見つけてくれた。先程までEスポに混じってスキャッターも開いておりかなりかなり混乱状態だったという。今は一段楽しているとのこと、その通りで今度は好調に呼ばれ始めた。 CQを出しマイクを放すとワーッと重なって呼んでくる。コールサインの一文字でもとって呼びかえすしかない。サフィックスないしはその一部のみを拾ってそのままレポートをつけて返し、フルコールサインで呼び返してもらうようにする。これで二回のやり取りで交信を成立させてしまう。本当は山頂の様子などをそこに付け加えたいがこのパイルでは無理だろう。ゾクゾクしてくる。南海の孤島でアンテナを上げ世界を相手にするDXペディショナーの気分だ。1分間で2局程度のハイペースで交信を続けていくとさすがに観音岳で感じた消化不良は雲散霧消してしまった。やはり海抜2700mを越える高峰だ、史上最強の南アルプス市もおおげさではないだろう。確かにここより高い南アルプス市の山頂は五指を越えまい。兵庫県あたりからも呼んでくる。何局かに電信のリクエストを受ける。下手糞なトン・ツーをおそるおそる打つ。これでも希望に添えたと嬉しい。

成果に満足し須崎さんに運用を譲った。相変わらず好調に呼ばれるが須崎さんは今度は電信を中心に運用を始めた。いくつかのリクエストはあったが今のところSSBの運用ばかりであった。電信もそこそこ需要があり須崎さんは絶えず呼ばれている。一方の河野さんは430MHzのFMで順調に交信局数を伸ばしておりノルマの25局はとっくに達成したようだった。須崎さんの電信の閉局のあと自分も電信でCQを出してみる。下手糞なキーイングだとやはりあまり呼ばれない。それでも貴重な1局が呼んでくれ嬉しかった。

さぁもうこの山頂に思い残すものはない。逆光で曖昧としてきた北岳を背景に3人で記念写真をとり、2時間半長居した薬師岳の山頂を後にした。

薬師小屋に下りて砂払岳に登り返す。森林限界から樹林帯の中に潜っていく。3人とも思う存分新市をサービスできたという思いが強く満足感で笑みがわく。朝は固まっていた残雪もすっかり緩くなってしまった。この時間でもまだまだ薬師小屋を目指して登ってくるパーティが多い。数十人はすれ違っただろう。昨日から入山した我々だが、実際には連休後半は今日からスタートでもある。そんな訳で今日は昨日とは違い入山者がやはり多い。残雪期で登り手を選ぶとは言えこの時期でこの人数とはさすがに百名山だ。それにしても薬師小屋は外見には小さめの小屋だ。「これじゃあ一畳に3人パターンだね。」と河野さん。我らが南御室小屋はどうだろう。

最後の雪の急坂を下りて小屋に戻ってきた。15:30。荷物をデポしておいた屋根裏の一角には既に先客がシュラフを広げていた。シュラフ持ち込み組は我々を入れて7人のようで残りの広大な屋根裏にはすでに布団が敷かれていた。それも半分以上埋まっており一階とあわせて泊まりは50人くらいだろうか。

狭いスペースでゴロリとなり伸びをする。半日以上じっとして無線ばかりに興じていたわりには妙に疲労感を感じる。やはり五月の強烈な太陽をずっと浴びていたから少し脱水症状気味なのかもしれない。「やっぱり水分補給だよ。早くヤリましょうよ」、ニヤリと河野さん、そうそう、そうだよね。単に待ちきれないだけなのだ。全く山とビールって一体なんて素晴らしい組み合わせなのだろう。会社帰りに愚痴まみれに飲むそれに較べ山で飲むビールは何と開放的な魔力を持つことか!喉を通り過ぎる爽快な泡に一瞬気が遠くなった・・・。

茹でたうどん乾麺にフリーズドライの豚汁の素を投入、豚汁うどんは好きなメニューだ。河野さんも須崎さんも各々のメニュー。持ち寄ったつまみなどもありリッチな一時だ。心配していた部屋もこれ以上埋まる事もなく余裕のスペースで寝ることが出来た。

* * * *

(二日間お世話になった南御室小屋。)

5月4日。今日は下山のみだが残雪の状況によっては帰りの駄賃で辻山(2585m)に寄って運用をしようと言う目論見だ。辻山へのコースが分岐する苺平まで登り辻山方面を窺う。須崎さんが偵察にでて残雪の上に踏み跡を見いだした。行ってみよう。

果たして10mも進むと黄色いテントが張ってある。踏み跡もここまでかと思いきやまだ先へ進めそうだ。辻山へは尾根を外さなければ良いのだが樹林が多くやや北面の斜面のほうが歩きやすそうだ。須崎さんが先行し上手くコースどりをしていくのでこちらは雪の踏み抜きに気をつけてトレースを追うのみだ。というもののやはりズボッと潜ってしまう。片足のみならず両足が潜ってしまうと抜け出すのにも一苦労だ。身軽な須崎さんですら時折潜っているようで、全く傍目から見れば大の大人が3人一体何を雪まみれになっているのだろう、となかなか笑える光景ともいえる。

やや途切れがちに続く赤テープを追うとさっと樹林帯を抜けそこは小さな雪田となっていた。先行していた須崎さんの「辻山到着!」という声が雪田の奥の灌木の中から届いた。

山頂は雪がなく、そこにちいさなゴアのテントが張ってある。主人であろうカメラを持った初老の男性がこんな寂峰にわざわざ訪れた珍客を眩しそうに見ていた。彼は北岳の写真をとるために昨日からここに入ったと言う。写真を狙うのは日の出・日の入りの時間帯だけなので日の高い時間は特にすることもないとの事、撮影の邪魔にならないと言うことでアンテナのポールをブッシュに結びつけた。
昨日と同じく河野さんは430MHzを、須崎さんと自分は50MHzを運用する。50は今日もEスポがすでに開いているようでなかなか「引き」が少ない。それに300m近く昨日の鳳凰より標高が低いことも関係しているようだ。10局あたりと交信するが思いのほか難しい。代わった須崎さんも余り呼ばれていないようだ。河野さんの430MHzも同様でやはりロケが響くのだろう。といっても海抜2500mはあるのだが・・・。なんとかここでも25局交信を目指す河野さんは思ったよりも伸びの少ない430MHzを諦め50MHzに移っての運用だ。コンディションも動いているようでさすがはホームバンドと言うこともあり河野さんの50MHz運用は手慣れたものだ。じきにノルマ達成となり、ここに閉局とした。

写真を取りに来ている先程の初老の男性も手持ち無沙太なのか色々話が弾む。東京・町田にすむと言う彼は山岳写真もプロ級とのことで雑誌「岳人」にもよくその作品が掲載されているとのこと。かなり山歴も長いようで、同様にベテランの須崎さん・河野さんとも話があうようだった。北岳や仙丈岳あたりに春先はスキーにも行っているようで、こうして山に来ると頻度といい難度といい時折自分の想像を越えた山行を実践している人に会う事があるが、まさに目の前の白髪の男性を見て山の世界の深さを改めて感じた。

さていよいよ辻山を去ろう。数日ここに残るという彼と別れ雪田を踏んで再び樹林帯に導かれた。

日が高くなったこともあり朝よりも踏み抜きが多くなる。苺平まで戻ると後は標高差1000mを下るだけだ。縦走路の雪は多く踏まれているせいか入山した一昨日に較べ大分融けたようにも思える。雪が溶けて木の根や露岩の頭などが顔を出してきたこともあり登山道は歩きづらい。山火事跡まではあっけなく下りてきた。ザックを下ろして昼食とする。目の前の北岳は鳳凰の山頂から見たときよりも姿は小さくなっている。それを何げなく見ながら「これはとんでもない事だ」とふと我に返った。こんなに素晴らしい山岳パノラマを見てもとくにそれが当たり前のようになってしまっていたこの三日間だった。北岳の姿に「不感症」になっていたのだ!目の前に広がる神々しいばかりの北岳・間ノ岳・農鳥岳の3000mの白銀のスカイラインがもう見慣れたものになっていた・・。なんという贅沢さ・・。彼らは好天に恵まれたこの三日間の素晴らしい山行の最初から最後まで惜しみなくその姿を見せてくれた。メイ・ストームといい5月の高山は天候が荒れることも多いという。コース確認といい天気確認といい万全を期しての入山ではあったが3000m近い稜線行で雲ひとつ無いこれほどの晴天に恵まれ続ける事も珍しかろう。それに夏山のように午後にガスが出て風景が閉ざされてしまうことも無かった。我が憧れの北岳が惜しむことなく常に自分たちの伴侶となってくれたこの三日間であった。まさに「贅沢」な山行だったといえよう。目を南に転じると悪沢、赤石、笊といった南アルプス南部の雄たちも霞んではいるもののその影が認められる。自分にとってのスター達。どの山頂までも遠いもののいずれ再びその山頂を踏んでみたい、そんな思いを新たに抱きながらいつまでもそのシルエットを眺め続けた。

樹林帯の長い下りも思ったよりは呆気無い。しばらく行くと一昨日は登山道を覆っていた残雪も今日はすでに斑となっていた。足任せに下っていくと杖立峠も過ぎて夜叉神峠への急な下りとなった。さすがに須崎さんはいつものペースでぐんぐん下りていったのでもう視界からは消えてしまった。谷から吹いてくる心地好い風に思わず帽子を脱いで頭を冷やす。河野さんも心地良さそうに風に吹かれるままだ。

夜叉神峠は軽装の街着の人も結構多く夜叉神峠小屋も大忙しのようだった。小さな子連れやお年寄りも多い。皆一様にここからの北岳・間ノ岳・農鳥岳のスカイラインに歓声を上げている。そうだろう、この眺めはやはり全く非日常的なまでに神々しい。しかし自分たち3人にとっては三日間で最も小さくなった彼らの姿だ。そんな彼らに、またいつかの再会を心の中でつぶやいて名残惜しい峠を後にした。

* * * *

山行の締めくくりは山の湯だった。いつも南アルプス北部の山を巡った後は旧・芦安村村営温泉の山渓園に立ち寄っていたが今回はそこよりやや御勅使川に沿って下流にある旧・白根町の天恵泉白根桃源天笑閣温泉に立ち寄る。檜の湯舟が心地好い。三日間の汗を流す。湯上がりのビールと行きたいところだが今から横浜まで戻らなくてはいけない。替わりに冷たいアイスクリームを子供のように食べながら車中の人となった。

三日間を文句ない好天恵まれた。そして実際森林限界を越えてからはもう無かったものの、心配していた雪の山もとにかく無事に終えられた。自分にはその名前だけで縁の無いものと思っていた残雪期の南アルプス・・・。そして今回の重要な目的でもあった鳳凰山頂からの新市・南アルプス市のアマチュア無線運用サービスは充分にその当初の目論見を果たしたのではないだろうか。三人による50MHz(SSB・電信)と430MHz(FM)で合計のべ200交信は行ったのではないか。3000m級山岳という一般的な条件の厳しさを考えれば頑張った成果ではないだろうか。単にパイルアップを満喫しただけでなく、新市をサービスするという使命感を果たしたという思いもある。「史上最強の南アルプス市移動」はまさに看板に偽りなしだっただろう。久々にアマチュア無線家として満足のいく運用を行ったと自負できよう。

しかし何よりも嬉しいことは、趣味を同じくする仲間と素晴らしくそして濃密な時間を過ごせたということだろう。独りの山も楽しいが、仲間で歩く山も違う楽しみがある。メンバー間同士でのリズムのわかりあった山歩き。日常からの離脱のために供に時間を過ごす仲間たち。その意味で助手席と後席に座っている須崎・河野の両氏にはいつものように感謝の思いが絶えなかった。

気づけば入山前に気にしていた腰痛などその片鱗もなくなっていた。山によって癒されたのだろうか、人間好きなことをしていれば病気など吹き飛んでしまう。10年ぶりの鳳凰再訪も無事終了。次に登るのはまた10年後だろうか。それまでにまたもっと沢山のピークを踏んでみたい。森林限界を超えた山、樹林の山、近所の里山・・・。行きたい山は無数にありそれが減ることは無いだろう。これからも山を歩ける、そう思うと自分は嬉しくて仕方がなかった。

(三日間付き合ってくれた白根三山。その美しさに不感症になってしまうほど惜しみなくその姿を見せてくれた。
右から北岳・間ノ岳・農鳥岳)
 Ricoh GR-1 Fuji Sensia II

(終わり)


コースタイム

2003/5/2 夜叉神トンネル8:30-夜叉神峠9:25/9:40-杖立峠(大崩頭の肩)11:08-休憩11:45/12:15-山火事跡12:27/12:37-苺平13:37/13:50-南御室小屋14:20

2003/5/3 南御室小屋6:55-砂払岳8:00/8:20-薬師岳8:30-観音岳・アマチュア無線運用9:00/11:56-薬師岳・アマチュア無線運用12:30/14:53-砂払岳15:08-南御室小屋15:30

2003/5/4 南御室小屋6:50-苺平7:20-辻山・アマチュア無線運用7:50/11:00-苺平11:17−山火事跡11:43/12:12-杖立峠(大崩頭の肩)12:38/12:50-夜叉神峠13:31/14:00−夜叉神トンネル14:28


アマチュア無線運用の記録

観音岳 2840m 山梨県南アルプス市 
50MHzSSB 13局、430MHzFM 7局、50MHz設備 YAESU FT690mkII + ヘンテナ、430MHz設備 ICOM IC-T81 + 5エレ八木アンテナ

薬師岳
 2780m 山梨県南アルプス市 
50MHzSSB・CW 30局、1200MHzFM1局、50MHz設備 YAESU FT690mkII + ヘンテナ、1200MHz設備 STANDARD C710+ホイップ

辻山 2585m 山梨県南アルプス市
50MHzSSB 12局、430MHzFM 2局、50MHz設備 YAESU FT690mkII + ヘンテナ、430MHz設備 ICOM IC-T81 + 5エレ八木アンテナ


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