身も心も萎えてしまった武尊山 

(2003/8/2、群馬県利根郡)


(頂上台地の一角から武尊山山頂。近いようで無限の距離にも・・)
Nikon FG-20 Nikkor 28mm Fuji SensiaII ASA100

下から見上げる岩場は高さはわずか3m程なのだが結構高度感がありそうだ。気合いを入れて腹に力を入れて鎖場に取り付いた。鎖に加えナイロンロープも垂れ下がっている。ナイロンロープに沿って湿った岩棚に上がるがこの上2mがハング気味でこのままは登れそうに無い。やや右手に逃れ鎖へ手を延ばす。鎖まで約1m、濡れた岩の棚に足を乗せ慎重に体を水平に移動させる。頼みの棚は足がかりが小さく嫌な感じだ。あと10cm、いや5cm幅があれば靴がうまくのるのだが。腹の底がムズムズして頭の芯に痺れが走る。なんとか鎖をつかんで一安心。あとは三点支持と念仏を唱えながらなんとか登り切ると更に二箇所の鎖場が連続していた。これは最初のに比べると手がかりが多くたやすく登る。基礎がないせいもあるが鎖場はやはり好きになれない。必要以上に怖がることもないのだろうが・・。

最後の鎖場を越えるとぐんと視界が広がりはや頂上台地の一角のようでハイマツが生えていた。それらしくないが森林限界を丁度越えたあたりだろう。海抜は2050m。しかし目指す頂上はどこだろう・・。剣ガ峰からの縦走路に合流するとやっとそれらしいピークが前方に見えたがまだずっと先に感じられた。地形図上から読む直線距離は700・800m、が、遥か先に思える。とたんに体から力が抜けてその場に座り込みたくなってしまった。先ほどの岩場の手前から力が出なくなっていたのを感じていたが、こんな脱力感は初めての事だった。久々の山ということも、自分のペース以上に飛ばしてきた事もあるにせよ、なにかとても情けなかった.
    
* * * *

7月に登った榛名・掃部ケ岳の山頂で会った人たちがガイドブックを広げ上州武尊山へ登るコースについて話しているのを見聞きしたせいか、武尊山へ登るのも悪くないか、と急に登る気になった。いつか登るつもりで2.5万分の1地形図も買いコースの検討も済ませてあった。あとは「おさらい」して登るだけだった。コースは標高差が比較的少ない武尊牧場からの往復が良いだろう。そこまでのアプローチも一番楽だし実際地形図の等高線も過疎で楽なアプローチに見えた。強いていえば歩く距離は長そうだが・・。

前夜に横浜を出て関越道を北上。赤城高原PAで仮眠をする。翌朝沼田から国道120号を日光方面に走り武尊牧場スキー場へ。分岐する林道に回り込んだ東俣駐車場には水洗トイレのある立派な小屋が立っていた。

裏手から歩き始める。思ったよりも早く尾根に上がるといきなり舗装路が現れ面食らう。武尊牧場スキー場の一画に出たようで路はスキーリフトのメンテ用だろう。果たしてわずかに登ると入山ポストがあった。備え付けの用紙に必要事項を書き込んで登山道に踏み込むと傾斜は全くといって無くたんたんと歩くだけだ。素晴らしい緑の林で葉緑素が降りかかってきそうだ。海抜もはや1500mに近く冷涼な山の空気を破るように歩く。しばらくは木道の敷かれた道だがそれも終わるとやや傾斜が増してきた。ブナから白樺に林相が変わると清々しさが広がった。駐車場には10台以上も停まっていたにもかかわらずここまでしーんとして誰もいない。自分の足音が深い緑の白樺林に吸い込まれていくだけだ。最近独りで山を歩くことが減ったのでこの孤独感に妙に寂しさと不安を感じてしまう・・。

じわじわと高度を上げていくとふと物音がして向こうから一人やってきた。もう下山とはずいぶんと早い。ほんのわずかに目を合わし短く挨拶を交わす。妙に嬉しかった。

地形図の示すとうり傾斜がやや強まりそれを登りきると木々の合間から小さな三角屋根の小屋が見えた。避難小屋到着。ここまでノンストップで来たので大休止としよう。造りそのものはは頑丈な小屋だが扉が外れており中の板の間も埃がたまっている。収容人数5,6人といったところだが余り利用者が居ないようだった。人の気配を感じたので小屋の外に出るとすぐ上の倒木に一人腰掛けていた。ここで合流する田代湿原からのコースで登ってきたという。今日は武尊、明日は皇海山という。休日のたびに百名山を片づけているようだ。

一足先に歩き出すが直に先ほどの彼が追いついてきた。さすがに足が早い。しばらく話をしながら一緒に登る。転勤が多いようでそのおかげで全国の山に登れるのだ、と嬉しそうだ。百名山は60座以上登っているようだった。

彼の足取りは軽く、行く手に武尊の主稜線を仰ぎ見るようになったあたりでかなりペースにあわすのが辛くなってきた。左手にロープの張られた窪地があるがこれがガイドにのっていた湿原だろう。花もきれいなので休憩がてら彼と別れた。湿原もさる事ながら自分のペースを取り戻したかった。

展望は開いているものの夏の日らしく遠望は利かない。一方目指す主稜線は絶壁状にかなり高く樹林の合間に岩場が見えた。鎖場があるとは知っていたがあれを登るのはやや気が重い。

再び腰を上げると随分と足取りが重くなっていた。久々の山ということもあるがやはり負荷をかけて歩いたせいだろう、わずか30分程度とはいえ。見上げる絶壁はますます眼前に迫りとても歩けそうにも思えない。第一足に力が入らなくなっていた。シャリバテっぽい。お握りを一つ頬張りながらペットボトルのお茶を飲むと少しやる気がわいてきた。

(頂上直下の水溜りに
ぎらぎらとした夏空が
映っていた・・。)
(山頂台地への岩稜を下から望見する。
実際の鎖場は長さ5,6mのものが3箇所。)

撮影Nikon FG-20+Nikkor 28mm (左) Nikon Coolpix775 (上)

* * * *

ようやく登り着いた山頂台地は中ノ岳の南面をトラバースするように続いている。倒れかかる笹と刈り払ったばかりの笹の切り株が踏み跡の中に続く路は思ったよりも歩きずらい。それに加えて遮るものの無い夏の太陽がじりじりと照りつけて全く動くのが苦しい。

笹清水と名づけられた小さな水場に出た。冷たくて美味い水だ。甘露に元気を出すがやはり10分ともたない。小さな池のそばを通り過ぎる。夏空がそこに映りますますと気分は萎える。登りに転じた。山頂はすぐそこだがそれが近くにもはるか遠くにも思える。とにかくもう先に進みたくない。いつザックをおろそうか、頭の中はそれだけで一杯だ・・。

ヤマトタケルの銅像の立つピークでもうたまらなくなった。30mと離れていない武尊の山頂が果てしなく遠く見える。ザックを捨てるようにおろし岩影に置いた。空身になるがいままでザックの重みに慣れていた体のバランスが妙に崩れ歩みがギクシャクしているのを実感する。

無限に思えた30mも歩けば距離は減る。夢遊病者、ついに山頂到着。さすがに人気を集める百名山だけのことはある。2158mの頂は登山者で溢れかえっていた。避難小屋からしばらく一緒だった先程の単独行者も群れる人影の中にいた。軽く挨拶する。疲れきったうえにこの強烈な夏の日差しを前に、とても長居する気が起きない。はやばやとザックをデポした先程のピークに戻る。こちらも日照りだが人が居ない分まだしのげる。

アマチュア無線、50Mhzを開局。CQを出すと30分で14局と交信。やや深い場所とはいえ一応関東平野の北端に立つ2000m級ピークである。ロケは決して悪くないはずだがパイルアップではなかった。やはりアンテナがダイポールなので今一つゲイン不足なのだろうか、設営は面倒だがやはりループ系にすべきだろうか・・。

閉局して軽くお握りを食べ下山の途につく。

先程の水場にボーイスカウトの小学生数人が疲れた顔で水を飲んでいた。引率の大人が見当たらないがどうしたのだろう。もっともこちらは休憩で元気を取り戻したとは言え今からあの岩場を降りるのかと思うと気が重い。彼らのことよりも自分が心配でもある。中ノ岳の先で前武尊への道を分けるとすぐに岩場となった。ここで先ほどのボーイスカウトの引率者と思える初老の男性が疲れきったように座っていた。早く彼らに合流することを影ながら祈る。

さぁ行こう。えぃ、疲れた自分に一喝を入れ、鎖をつかんだ。落ちても死ぬことはあるまい。斜面に正対しながら慎重に降りていく。足場はなんとか見つかるものだ。

三つ目の鎖場は行きに嫌な思いをした個所だ。あらかじめルートを目でなぞり一気に行こう。なんとか抜けきり大きく息をつく。後は距離は長いがたんたんと高度を落としていくだけだった。

* * * *

長い緩斜面の下りが続く。樹林帯に潜り込んでもまだ先は見えない。誰も居ない山の中をたんたんと降りていく。避難小屋から先は平坦といってもいい下りだ。口笛で適当なメロディを口ずさみながら、足任せにして歩く。

車道に出てすぐ林の中を降りて駐車場についた。

歩き応えのある山に登ったのは何ヶ月ぶりだろう。身も心も萎えてしまった山・・なにかとても情けなかった。やはり山は定期的に歩かなくては体力も気力もある程度のレベルを維持できないようだ。あきらかに山にご無沙汰している自分に気づく。それにやはりペース配分も重要だ。確かに、往復距離ではそれなりに距離があったのも事実だろう、スキー場上部の登山ボスト付近で片道8Kmの表示があったので単純に言っても16kmか。山道にしては歩き甲斐のある距離といえる。とはいえこのコースが数ある武尊山へのアプローチとしてはもっとも易しいコースとの事だが・・。しかし山頂直下30mでもうこれ以上やる気が出なくなって完全に放電してしまったのはやはりショックだった。いろいろな環境の変化もあり、山と自分の距離は必ずしもいつも密着している訳ではない。それに体力とていつまでも10年前と同じではない。まぁこれからもその時々の自分に合わせて登るしかないのだろう・・。悔しいがこれからもこんな機会がこれからまた増えていくのかもしれない・・。

花咲集落の温泉に立ち寄り汗を流す。今から横浜まで走らなければならない。関越道が空いていることを祈りながら、嬉しいやら寂しいやら。ともあれさっぱりとした気分で家路についた。

(終わり)


アマチュア無線運用の記録

武尊山(ほたかやま)2158m 群馬県利根郡水上町 50MHzSSB運用 自作4WSSB/CW機+ダイポール、14局交信


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