白銀の奥多摩深部にあそぶ 

(2002/12/28.29、東京都西多摩郡奥多摩町、埼玉県秩父市、埼玉県秩父郡)


東日原バス停から急な
山肌に向けて登っていく
のがアプローチの始まり
だった。)

東日原のバス停からしばらくは南斜面に付けられたジグザグをただただ登っていくだけである。落ち葉の溜まったつづら折れを踏む三人の足音が冬枯れののどかな山里に消えていく。登山道とも作業道とも、生活道とも判別できないか細い踏み跡に沿って、かなり登って一軒、又しばらく登って一軒、と思い出したように民家が現れる。そのどれもが山肌にすがるように立っているのもいかにも奥多摩らしい。最奥の民家を越えてしばらく進むと薄暗い檜の植林帯の中を登るようになる。よく踏まれて歩きやすい道とはいえ決して登りはじめの苦しさが消えるわけでもなく、無言で登るのみ。それでも一時間近くも頑張ると傾斜が緩んだ。標高差450mを一気に稼いだ事になる。すぐに植林帯を抜け出すと尾根上の開けた雑木となり、と同時に三人の口々から口々に嘆息とも喜びともつかぬ言葉が発せられた。

「ほー、来たねぇ」
「雪だね」
「やったやった」・・・・

* * * *

10月に霧氷の北八ケ岳を共に歩いた飯田さん(JL1BWG)と河野さん(JK1RGA)と忘年山行に奥多摩へ行こうという計画が進行していた。飯田さんはかねてから避難小屋泊まりでの山行に興味を示されていたので、ちょうど自分も行った事がない奥多摩の深部、天目山(三つドッケ)から酉谷山にかけての稜線を歩こうか、と考えた。一方河野さんも天目山から蕎麦粒山方面は歩いているが酉谷山は未だでその方面への縦走は興味を持っているとの事、行く先の大枠はすぐに決まった。

後は細かいコース計画。インターネットでこのあたりの山行を検索すると東日原のバス停から入山して一杯水の避難小屋まであがりそこから北に向かって酉谷山の避難小屋まで歩きそこで一泊、翌日は天祖山を経由して日原は八丁橋まで下りてくるという馬蹄形のルートが何例かヒットした。しかし、実際に積雪が想像され、その量や状態が分からない事、酉谷山避難小屋の収容人数(6人?)に対する不安、途中で無線などをする為に時間かかかること、横浜からでは奥多摩駅の朝一番のバスには間に会わない事、などその不安要素が多い。結局計画は同じ馬蹄形の縦走ではあるが半分に短縮することにした。まずは初日に一杯水避難小屋で一泊、翌日は酉谷山経由で小川谷林道まで下りてあとは林道歩きで日原まで馬蹄形に歩こう、というものだ。天祖山にも興味はあったが、これだけでも充分天目山から酉谷山にかけて奥多摩の深部を味わえるのではないか、と思われた。

* * * *

あとはこの尾根を緩やかに北に向かって登って行くと一杯水の避難小屋に達するのだが、道は素直に尾根上を辿ることなくすぐに尾根の東斜面をトラバースしながら北上して行く。雪は斑模様から徐々にしっかりしたものに変わって行く。都心で積雪があったのは二週間ほど前だからその時の雪だろう。あるいは山間部なのでその後も何度か降雪があったのかもしれない。凍結もあまり無くツボ足で登って行ける。

今迂回しているこの尾根上には滝入の峰(1310m)というピークが2.5万分の1図上には記されており、アマチュア無線の良い運用ポイントにもなるので適当な所からそこへ向けて登り詰めてやろうと考えていたが、アプローチへのルートとしての候補がいくつかあった。一つは今現在東斜面をトラバースしながら進んでいる登山道が滝入の峰から東に向けて張り出す大きな尾根を乗越す箇所からその尾根に乗り、辿って行くというもの、もう一つは登山道がトラバースを止めて尾根上に戻った所から巻き終えたピークに向けて逆に南下するというものだ。後者のほうがピークまでの距離が短く容易なアプローチと地図上では思われる。

最初のポイントである尾根を乗越す箇所はすぐに分かった。ここでトラバース道の進路が北東から北に向けて大きく変わる事と、乗越す尾根が枝尾根とは思えぬほどとても立派に張り出したものだからであり、これを北西に向け尾根の背を外さずに登って行けば山頂までの標高差は70,80mといった所だろう。幸いに藪もさほどではなく何とか行けそうに思える。が念のためにもうひとつの後者のコースを見てみようとした。最初からそちらがコースとしては本命だ。しばらく辿ってその箇所に出たが、足場の悪そうな狭い尾根に雪がついている。西側は高度感のある斜面となっておりここを雪をついて登って行くのは危険に思われた。結局先ほどの尾根の乗越し箇所から藪を漕ぐのが最も手っ取り早そうだったがなぜか戻るのももどかしく結局そのまま滝入の峰は諦めて先に進む事にした。まぁ又来る機会はあるだろう・・。

標高差のあまり無い登りが続くがさすがに山深くなってきせいかいつしか雪もくるぶしを越える程度の深さとなってきた。ここでスパッツを履き同時に軽アイゼンも装着する。ついでに立ったまま昼飯も食べる事にした。しかし雑木に囲まれた尾根が雪に包まれるその様はなんと美しいのだろう。山は、さもない山でも雪がつくとその役者が間違えなく二枚も三枚も上がるのではないだろうか・・。

陽射しがきつくサングラスをかける。あると無いでは大違いだ。さらに深くなっていく雪を踏みながら頑張るとじきに小広くなり、前方に雪の雛壇の上に今日の宿は一杯水避難小屋が立っていた。

新しくは無いが評判どおり綺麗に使われている小屋だ。中は思ったよりも広く20人以上泊まる事が出来そうだ。先客は居ない。入り口すぐに立派な薪ストーブが置いてありその上に乗せた鍋の水が凍っている。「このストーブ、見かけは良いけど煙突が詰まっていて煙が漏れてきますよ、間違えなくしばらく体からも山道具からも臭いが消えないよ・・」と河野さん。彼は以前ここに泊まった事があるのだ。更に小屋の中を見渡すと片隅に座布団を3枚張り合わせたようなマットが5,6組置いてあり、それを使わせていただこう。小屋の裏に重ねておいてあったという薪は生憎と無い様で、あとで薪集めもしなくては。

小屋の屋根から雪が解けて垂れてくるのでその下にコッヘルや小屋のやかんなどを置き水作りをする。薪集めを兼ねて小屋の裏手にある天目山(三つドッケ)へ向かう。この時期でもかなり藪がかかりとても歩きにくい。雪の上に頻繁に鹿の糞が落ちている。その大きさは丹沢などで見かける糞よりも一回りも二周りも大きめで、種類の違う鹿なのか、とも想像する。

枝が頻繁に顔にもかかってくる。遠慮無く眼の辺りにも枝がはじかれて飛んでくるのでサングラスでもしていなかったら大変だったろう。なんとか小ピークに立つがこれは地形図を見ればまだ前衛峰で、目指す天目山はあと2ピークほど北北西にまだ250m程先だ。途中雪の深い急斜面があり肝を冷やす。雪の状態がふかふかなので助かったが凍結していたら軽アイゼンでは進退きわまったかもしれない。天目山への最後の登りは背の丈以上ある笹が密生した中を縫うように掻き分けていく。積雪の重みでことごとく登路に向かって倒れかかって進路を邪魔する笹は難敵でとてもまっすぐに進めない。勢いをつけて倒れ掛かるように笹の中に踏みこんでもすぐに抵抗を受けて体が戻ってしまう。下手に笹をくぐるとその上の雪がどっさりと体に落ちてくるのでこれまた厄介だ。そんなわけでなだめたりすかしたりしながらとにかく頑張るがそんなやる気も萎えるほどの笹藪で、山頂の一角に飛び出たときはすっかり消耗してしまった。

山頂は明るい日差しがあふれておりサングラスをしていても眩しいほどだ。やすみもそこそこにアマチュア無線運用をする。50MHz・SSBは午後遅い時間にもかかわらずピコ6(1W)にダイポールと言う設備であるがそこそこ呼ばれる。やはりロケが良いのだろう。飯田さんとやや遅れてきた河野さんは430MHzFMの運用をされている。

戦果に満足して下山するが帰りは今の雪の藪を下りる気も無くこのまま北上して縦走路に下りる事にした。踏み跡はかなり古いものが一組雪の中に残っている。追いながら歩くとあっけなく縦走路に合流した。こちらは藪も無く、最初からこのコースで行けば良かったかもしれない。今日のお仕事はこれで終わりで、あとは薪になりそうな枝を拾いながら縦走路を小屋に戻った。

屋根の雪解け水を集めたコッヘルの水は満杯で、さっそく枝を折って薪にする。中が乾燥している枝は呆気なく折れる。生木も混じりこれはなかなか折れない。もっとも生木はそうは燃えてくれないだろう。日も傾いてきてもともと寒かった小屋の中は更に冷えてきた。飯田さんが小屋の外にぶら下がっている温度計を見て「今マイナス5度!」と言っている。これからは冷えるのみだ。

ストーブの中に薪を入れ炊きつける。さすがに河野さんは手馴れておりすぐに薪が燃え出した。しかし噂どおり凄い煙だ。煙が全部部屋に漏れてくる。たちどころに小屋に煙が充満しタオルで顔を隠すが涙が溢れ喉が辛い。涙が止まらない。確かに、この中で一晩過ごせば間違えなく「燻製」になってしまう。しかし同時に流石に火は暖かい。パチンという薪のはぜる音も心に響いてくる。

陽も沈み夕食とする。ビールを開ける。飯田さんはワインとチーズを持ってきており遠慮無く頂戴する。河野さんはウィスキー。暖かいメシは心をも暖める。沢山拾ってきたつもりの薪もなくなりあとは真っ赤な「おき」になっているだけだ。しかしなんという豊かな時間だろう。喋っても良し、言葉なしでも良し。煙いけれど、楽しみを知る仲間たちと酒を片手に火を見ているだけで、こう心の中に例えようも無い充足感が満ち満ちてくる感じ・・。とてもこれが現実世界だとは思えない・・。

「こんな遊びを覚えちゃうともう他に何も出来ないなぁ」
「ホント、夜の街で女の子相手に飲むなんて馬鹿馬鹿しくて出来ないよね・・」
「いや、それはそれでいいなぁ!!」
「でも、こんな遊びはなかなか人に解ってもらえないよね」
「良いんじゃないですか、知る人が知るという事で・・」

シュラフにもぐり込んでおき火を眺めていたがいつしか消えてしまった。気づけば寝息が聞こえてきてあとはゆったりと時間が流れる山の夜が待つだけだった・・・。

(ストーブに薪をくべ、山の夜へのプロローグ) (雲取山に陽はおちた) (朝日がさして一夜を借りた小屋を出る。一日が始まる)
撮影 Ricoh GR1 28mm F2.8 Fuji SensiaII ASA100


* * * *

いつもの通り夜半に何度も目がさめる。物音がするが隣の飯田さんも起きたようだ。今、3時。トイレがてら2人で外に出る。温度計はマイナス10度付近を指している。月明かりで思ったよりもずっと明るい。しかしなんという空だろう・・。やはり冬は空気がクリアで、ちかちかと明滅する星はまるで黒布にしきつめたコンペイトウのようだ。星座はそんな無数の光点の中に本当にちょっとだけ目立つ限られた点だけで、いかに普段限られたものしか見ていないことか・・。飯田さんは星座に詳しく、寒いのを我慢しながらもいろいろと同定される。ふっと星空に、そして周りを取り囲む漆黒の森林の中に自分自身が吸い込まれてくるような錯覚を覚える。自然の前には自分はいかにも小さい。普段意識もしない、深い淵、そんなものに触れた気がする。原始の世界に呼び戻されそうなそんな気がする。怖さと寒さに追われるように小屋に戻った・・・。

シュラフが暖かくずいぶんと良く寝られた様な気がする。もう6時が近い。積雪期の山も、避難小屋での夜も初めての経験という飯田さんは無事に一夜を過ごせた事がとても嬉しそうだ。それは自分とて同じである。昨晩日が落ちてから小屋に到着した単独行ははやばやと7時過ぎには小屋を出て行ってしまった。こちらも荷をまとめて軽アイゼン・スパッツで足元をかためて7:45、北西に向けて進む縦走路に向けて出発をする。

だらだらと全般的に緩いのぼりのまま道は東京都と埼玉県の県境尾根のすぐ南面をトラバース気味に進んでいく。時折稜線上に出ると向こう側に秩父の街並みを遠望する。酉谷山までの間に大栗山と七跳山というピークがあるが、まずは大栗山のピークを踏んで無線運用をしようと考えている。

トラバース道は稜線上の小ピークをいちいち踏まなくて良いのでありがたい事は確かだが、一方で支尾根や谷等を忠実に乗り越しては回り込んでいくので時間がかかる割には距離が伸びない。もっとも稜線上を辿る道を歩いていると、なんで糞真面目に稜線の上をいちいち歩かせるんだろう、とも思うので、まさしく隣の芝生は良く見える、と言ったところだろう。

(一杯水避難小屋前にて) (大栗山山頂にトレースを残した)

似たようなトラバース道ではいくら2.5万分の1地形図を持っていてもなかなか現在位置の同定がやりづらい。大栗山はもちろん登山道が巻いているはずなので上手く逃さないで登らなくては。今回は秘密兵器としてハンディGPSターミナルを持ってきているのでそのへんはあまり心配をしていなかった。実際に手にしたGPS上には予めその緯度経度を登録をしておいた大栗山までの方角と直線距離が表示されている。それらしい地形に出ても心配無用で山頂まではあと300m北西を示している。更に縦走路を進むと前方に目指す大栗山が見えてきたが、登山道は想像通り南面を巻いて進んでいく。山頂直下を巻いている事がわかるが笹薮が猛烈でとてもここを突破して登って行けるとも思えない。更に進むと山頂からの尾根が上手い具合に下りてきて巻き道にぶつかる箇所があったのでそれを辿っていく事にした。尾根の形状は顕著でその上には笹の密生も少なく潅木が邪魔なだけだ。

ザックをデポして登っていく。古い踏み跡が曖昧に雪上に残っているのが歩幅といい大きさといい、先達者はどうやら鹿のようだ。なるほど彼の足跡はとても人間がくぐれぬようなブッシュと笹薮の中に点々と続いている。こちらも適当に起動修正をして藪の浅い箇所を追ってひたすら登っていく。しかし、これはまるでパズルを解いているようでなかなか楽しい。顔に掛かる枝、足の進行を妨げる笹はわずらわしいが何よりも山頂はもう見えているし自然味の残る藪と格闘しているという充実感がある。もっともこの余裕はまだ藪が浅いからだろうが・・。

最後のブッシュを払うと大栗山の山頂の一角に踊り出た。多分今シーズン初めてであろうビブラムの踏み跡を40,50cmはあろうかという雪上に残す。3人とも笑顔が自然にこぼれた。無線運用を終えて藪を払いながら下りていくとあっけなくザックの場所に”着陸”した。

* * * *

更に先へ進む。相変わらず似たようなトラバース道だが確実にゆっくりとだが高度を上げて行っているのでなかなか苦しい。9:53、七跳山分岐のあるゴンパ尾根分岐に到着。ここにはしっかりとした指導標が立っているが、正直このペースで酉谷山まで登れるかやや不安になってきた。酉谷山へは縦走路直下にある酉谷山避難小屋付近に荷を置いてピークハントの為にピストンしなくてはいけない。それに山頂での無線運用もしたい。昼食の為のブレイクも必要だ。一方で日没の時間を考慮すると遅くとも2時までには酉谷山避難小屋から小川谷に向けて下山の途につかなくてはいけない。 途中から林道歩きになるとは言え、そこまでは未知の、雪の谷を下山路にするのだからこれより遅いのは危険だろう。南面に開いた谷とは言っても何かあったときのリカバリーも入れて明るいうちに谷を抜け出る必要がある。

「どうやら酉谷はきつそうですね・・・時間的に」

誰からともなく口に出た・・。残念ながらその通りのようだ。最初は快調だった行程もやはり巻き道とは言え馴れぬ雪の登山道はコースタイムがあてにならなかった。又大栗山で結構てこずったのも一因だろう。しかしこの調子だと酉谷山避難小屋に着いた時点ですでに午後1時を回るかもしれない。1時間、足りない。行程が、あと1時間、あわない。

まだまだ続く、飽きるほど単調でそれでいて苦しいだらだらの巻き道。三人ともいつしか無言で、ザックも妙に重く思えてくる。しかしこの重い気分はなんだろう。

「酉谷山はまた来れば良いですね」
「来週にしようか?」
「・・・・」

空元気を出すがやはりピークを逃すのは辛い。皆くやしいのだ。酉谷山に登るのが今回の山行のある意味目標でもあったのでやはり山頂目前にして登頂せずにそのまま下りるのはいかにも残念だ。しかし谷沿いの下山路で凍結でもあったら時間切れも十分ありえる。日没になる前に谷を抜けることが必要なのだ・・・。

道は相変わらずゆっくりと登りながら地形に忠実に山のひだを丁寧に回っていく。右手にはたえず雲取山とその前衛に天租山が望める。逆光の中に曖昧だが富士山が立っている。眼下の谷の地形は思いのほか複雑な様相で、確かに未知のあの雪の谷底を下山するのだから時間の貴重さはよくわかる。しかし、なんとかならないだろうか・・・。

いつしか皆無口になる。雪の代わり映えしないトラバース道の山ひだをいくつ回りこんだことだろう。しかしこのチャンスを逃すとなかなか酉谷山にも来られないだろうなぁ・・。小川谷林道に車が入れたとしても決して近い山ではない。結局今回のように縦走を兼ねて登るのが良いように思える。くやしい思いの中になんとかならないか、という一縷の望みも含めて黙々と歩く。皆一様にピッチが上がったのは想いが同じということだろう。

大きな尾根をほぼ直角にまたぐように回り込むと思わず歓声が上がった!なんと前方の山肌に酉谷山避難小屋が遠望できた。思ったより早いペースだった。まだ11時前だ。漠然とあと一時間はかかろうと思っていたのだが。これなら行けそうだ。酉谷山を往復し昼飯をとっても午後1時前には下山の途につけるだろう・・。思わず駆け足に近いペースで先へ進む。

* * * *

(酉谷山山頂直下。柔らかい雪。
ラッセルすらも嬉しかった)
(下山する小川谷。西側から大きな谷が進入してきた。標高1200m地点だった)
撮影: Ricoh GR-1 28mm F2.8 Fuji SensiaII ASA100

ザックをデポして無線機だけを手にしてトラバース道から稜線の上に出た。いきなり北から冷たい風にあおられた。尾根上は風の通り道だった。前方に秩父の街が予想以上に近い距離で見える。この風に大気中の余分なものが飛ばされたのかぐっと遠景が迫るように目に届いて、一瞬たじろいだ。そうか、酉谷山は奥多摩の最奥部というイメージがあるが秩父の山と捉えれば思いのほか里に近いのかもしれない。

古びて判然としない踏み跡と鹿らしき足跡がおぼろげに残る雪の尾根・・、ラッセルだった。40,50cm程度のふわふわの雪に自分でトレースをつけていくのは辛いが痺れるような充足感でもあった。来てよかった、登れて良かった・・こんな素晴らしい山があるとは思わなかった。空荷なのに思ったよりペースが上がらないのは未経験のラッセルのせいだろう。わずかな雪とはいえやはり辛い。しかしこの弾むような心の満足は何だろう。

地形図をにらみ目を上に上げる。潅木の合間に山頂が見えた。11:25、待望の酉谷山。一度は諦めたピークに立てたことは素直にうれしい。河野さん、飯田さんとこれ以上はないという笑顔を分かち合った。尾根を渡る切るように冷たい風すら心地よかった。

下山はあっけなかった。軽い雪を蹴散らしてぐいぐいかっ飛ばす。こんなに軽くて粉のように舞う雪はスキー場ででも見たことがない。いや見たかもしれないがそこに至る過程が違っていたのかもしれない。名残惜しく雪を飛ばして縦走路に戻りザックを回収し酉谷山避難小屋に入り昼食とした。

南向きで暖かく、まだ木の香りただような真新しい避難小屋は確かに6,7人も入ると一杯かもしれない。12:40、下山開始。これなら暗くなる前に林道に出られるだろう。

(ハンディGPSで取得した今回のルートのログ
をカシミール3Dでキャプチャしたもの。小川谷
林道に出る前でGPSの電池が接触不良となり
以降のログの取得に失敗した。)

雪は深いが心配していた凍結はなかった。この雪であれば軽アイゼンも不用だろう。しかし凍結を危惧してそのまま進む。踏み跡は古いものが一つ。この谷を通った人は少ないのだろう。時折赤布がぶら下がっている。西から広い谷斜面が合流したきた。地形図を開く。特徴的な地形から標高1200m地点と読んだ。まだ先が長い。ここから先は水のある谷となり登山道は谷を高巻いたり近づいたりしながら進むようになった。古びた小屋跡を過ぎてさらに高度を下げていく。やがて大きな沢を東から迎え入れ続いて西からも沢が入ってきた。標高960m地点であろう。そこで小さな橋で沢を対岸に渡る。14:20だ。今度やゆるく登ると前方に林道が見えた。ついに出た、14:53、小川谷林道。日没前どころか3時前に林道に出られた。

もう危険はないといって良かった。山のフィナーレは長い林道歩きだった。

固い林道に登山靴は辛い。疲れきって声も出ない。それでも日原鍾乳洞まで歩いて日が落ちた。更にがんばって昨日の朝そこに下りた東日原のバス停につく。バスはなんと3分前に出たばかりであらかじめ調べていたダイヤが違っていたようだが、バス停そばの酒屋でタクシーを呼んだ。ついでに缶ビール3本を買い込んで乾杯。

* * * *

タクシーに揺られながら、様々なシーンが浮かんだ。酔いと疲れと充足感が入り混じってぐーっと気が遠くなった。

河野さんが運転手氏に「僕たち臭いでしょう?焚き火で燻されたから・・・。」と聞いている。素直な運転手は苦笑いをしている。河野さんは愉快そうに笑っている。

そう、山の一夜をすごした。明らかに下界と違う、素晴らしい時間を味わった。異次元と呼んで良いほどの充実された濃密な時間。山の空気に燻製になった。下界に馴染まぬ山の匂いに溢れた自分たち・・、こんな事で社会復帰できるのだろうか・・。

白銀の奥多摩を満喫した。いったん諦めた酉谷山にも登れた。避難小屋での珠玉の一夜も忘れがたい。無事に山を終えたという喜びは大きい。嬉しくって、もっと酔いたかった。そう、山の仲間と下山後に交わすビールほどの美味はないのだ。酒の肴は今歩いてきたばかりの山のシーンだ。それは無限といって良い。奥多摩の駅に着いたらもう一本買ってこの満たされた気持ちを素晴らしき仲間とともにわかちあおう、そう思いながら車窓を流れる暗い奥多摩の谷を眺めていた。

(終わり)

(コースタイム)
2002/12/28 : 東日原9:00-トラバースに入る9:55-一杯水避難小屋12:30/13:20-天目山(三つドッケ)・アマチュア無線運用14:00/14:50-一杯水避難小屋15:25

2002/12/29 : 一杯水避難小屋7:45-展望箇所8:30-大栗山1591m峰入り口8:55-大栗山・アマチュア無線運用9:05/9:15-縦走路9:19-七跳山分岐9:53-酉谷山分岐10:54-酉谷山・アマチュア無線運用11:25/11:55-酉谷山避難小屋12:00/12:40-沢との出会い1420-小川谷林道14:53-ゲート16:16-日原鍾乳洞16:36-東日原バス停17:05


アマチュア無線運用の記録

天目山(三つドッケ)1576m 埼玉県秩父市、50MHzSSB運用7局運用、ミズホMX-6S+ダイポール
大栗山 1591m 埼玉県秩父市、1200MHzFM/430MHzFM運用、STANDARD C710+ホイップ
酉谷山 1718m 埼玉県秩父郡大滝村、1200MHzFM運用、STANDARD C710+ホイップ


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