楽しさを「山分け」する山 - 道志・今倉山

(2002/3/31、山梨県都留市)


(ミルク色のガスにカラマツが溶け込んでいた。
冷たい濃密な空気が」漂う今倉山山頂。)
(枯れた色彩の稜線を歩く。先ほどまでの黒くて
冷たいガスもいつしか消えた。赤岩にて。)

同じ市内に住むJI1TLL・須崎さんとJK1RGA・河野さんと共に行った一月の群馬・鳴神山。山頂からの白銀の袈裟丸連峰が余りにも素晴らしく、誰からともなく3人並んだ写真でアマチュア無線のQSLカードを作ろうという話になり、須崎さんに幹事役をお願いし印刷会社に発注していただいたのだが、そのカードが出来上がったという。発注前から当然のように完成したQSLカードの引渡しは「次回の山行」で「山分け」しよう、という事になっていた。であれば、早速「山分け」の為の「山」を決めなくてはいけない。目的がカードの引渡しでもあるので簡単に登れる山にしようという事で、手近なるホームグランドの感がある山梨は道志山塊に決定。今倉山から二十六夜山にかけての稜線歩きは三人ともに未踏であり、すんなりと決定した。

* * * *

横浜線の先頭車両に予定通り無事菊名、新横浜、中山と各駅から乗り込み合流し、八王子から中央線の甲府行きのボックスシートに無事に納まる。三人一緒の電車の山行は初めてのパターンではないだろうか、独りで乗る中央線の車中ではまわりのグループ登山者の会話が羨ましくもあったが、今回は自分達もすっかりグループ登山者である。いい年したオジサン達であーでもないこーでもない、とこれが楽しい。車内で朝メシのサンドイッチなどを食べながら今日の山行に思いを馳せる。今日は道坂トンネルまでバスで上がり、ここから道坂峠にあがり、朝日・菜畑・今倉山と御正体山を結ぶ道志の主脈に上り、今倉山から西へ派生する尾根で二十六夜山に歩く、というコースである。道志は一般にやや藪がかった静かで渋い山域と言われているが、今日は途中の道坂トンネルまでバスで上がってしまうので行程的にはキツくはない。大月で富士急・河口湖線に乗り継ぎ都留市駅から道坂峠行きのバスへの接続はあらかじめ調べていたこともあり無駄がない。
  

8:10定刻で7,8人の登山者と僅か1人の地元住民のみを乗せたバスが出発。地元民はすぐに降りてしまい、後はまったく登山者貸切となってしまう。前のシートの中年女性二人は御正体山に行くという。三輪神社バス停でおりようとする二人に、他の登山者から「御正体山には道坂トンネルまでバスに乗っていったほうが楽だよ」と声をかけている。それを聞いた二人は、良くわかっていないのかあっさりと自分達のプランを変えてしまった。御正体はこのあたり一体ではいちばんデカくてキツイ山である。三輪神社からのコースは表参道でもありよく踏まれているが、実際に歩いた須崎さんによると道坂トンネルコースは高低差的には楽でも藪道のコースは長くなるとのことである。大丈夫かな、と他人事ながらやや心配。

さて道坂トンネルの今倉山登山口前でバスを降りたのは自分達3人とあと1人のみ。今日は随分と静かな山歩きになるか、と思ったとたんトンネルの向こうから1台の観光バスが来てザック姿のハイカーが40,50人近く「吐き出されて」きた。これは大変だ、あんな集団の後だとせっかくの静かで藪っぽいという道も「完全に整地」されてしまう。やや慌てて三人でトンネルの左手から木の階段を登り始めた。

しばらくは笹の混じる緩斜面である。雑木の風情も美しく、やはり山っていいなぁという単純な想いがわいてくる。しばらく緩斜面を辿るとすぐに今倉山と御正体山を結ぶ稜線上に出た。なるほど、御正体方面は藪がかかっている。一方今倉山へは良く踏まれた道が伸びており、そのまま踏み込んでいくと一途な急登となった。とたんに息が上がってきた。先行する須崎さんがたちどころに遠ざかっていくが、こちらはこれ以上はスピードが出ない。ハァハァと息を弾ませながら滑りやすい急登をひたすらこなしてく。やや斜面が緩み緩急がつくがおおむね直登である。登るにつれ冷たいガスが流れてきた。今日の天気予報は曇りで夕方は雨とも言う。さもありなん。

いつしか峠の下を走る車の音も聞こえなくなった。樹相にブナが混じり始めるとやはり道志の山らしくなってきた。ガスがかかっているので更にその雰囲気に深みがある。しっとりとしたガスの粒子がブナをとりまき、その中を登っていく。見上げていた頭上が広くなる予感がすると先行していた須崎さんが「山頂ですね」と短く一声。

標高1470m、自分達以外にだれも居ない山頂にはミルク色のガスが静かに流れている。天空と目の前も全く同じ色で遠近感がない。そんな中にカラマツの陰と山頂指導標などがゆっくりと沈殿している。晴れた山も素晴らしいが霧の山も捨てがたい。冷ややかな感触のガスが火照った体を包み込み、ほーっと一息をつく。ずーっと山の持つ空気に一体化していく・・。

山梨百名山の標識の横で記念撮影を済ませるとさっそくアマチュア無線運用の為のアンテナ設営が始まった。この辺は三人とも全く手慣れたもので無駄なくあうんの呼吸で進んでいく。ヘンテナといえども河野さんは出来る限り地上高を稼ぐのが定石で、樹の幹の途中の節に上手くポールを引っ掛け高々と設営していく。この辺りが同じ設備でも河野さんと自分では飛び方・呼ばれ方が違ってくる理由の一つだろう。細かい技の集積がやがては大きな違いを生んでいく。50MHzのヘンテナの設営が終わりFT817をつないで早速運用を開始する。三月も今日で終わり明日から四月となる。50メガもそろそろ活気の出てくる季節となった。山梨県都留市は特に珍しいわけでもないが、途切れることなく呼ばれる。ロケはそれなりに良いのだろう、パイルも混じる。予想外のペースで10局以上との交信が出来たので、今度は少しだけ電信にトライしてみよう。家からは充分ワッチした後に時々電信のCQに応えることがあるが、自分が呼ばれる身になるとミスは出来ないしプレッシャーが多い。が、ここしばらく久々に電信のテープなどを聞いているので、実践してみようと思う。電鍵をつなぎキーをたたく。「ツートツー ト・ツーツートツー・・・」おそるおそるキーを離すと、すぐにコールバックが帰ってきた。幸いゆっくり目で打ってきてくれたのでコールサインを聞き落とすことはない。3局と立て続けに電信で交信ができた・・。緊張で心臓はバクバクで”CL"と打信してキーを放り出すようにして無線機の前から離れた。普段やらない下手糞な電信でも交信が出来たのがとても嬉しい。

(二十六夜山山頂からは1.5ケ月前に登った
九鬼山が手に届きそうだった)
(上戸沢への下山の沢筋にて、
エイザンスミレか、ヒゴスミレか・・)

須崎さん、河野さんと順番にオペレーション。その間に登りはじめの道坂トンネルで見た例の一団が上りついてくる。老若男女と言いたい所だが「若」は皆無で、老中男女とでも言おうか、まさに行軍といった感じで山頂がたちまち一杯になった。幸いなことに旗を持ったリーダー格が「15分後に出発」とアナウンスしている。このまま東に、菜畑山方面に行ってくれればと思っていたが、腰を上げた彼らはそのまま稜線を西に、ガスの漂う中に消えていった。どうも、我々と同じ行程のようだ。まぁ藪もここまで無いし「整地」を危惧するまでも無い。

三人とも運用を追えて閉局とする。手早く撤収するその合間にも単独行が2人、通り過ぎていった。閑寂な山域との感のある道志だが、静かな山の嗜好派が増えているのだろう、訪れる登山者はそれなりに多いようだ。

カラマツとガスの中を縫うように西へ進むと緩やかに下っていく。とすっぽりとガスを抜け出した。ガスは山頂だけに局地的だったのか、鞍部から登り返していく。登り返したピークは今倉山の西峰で、ここから西への展望はなかなか素晴らしい。右前方に堂々と見える山は御正体山で、道坂トンネルから稜線が長い背骨のようの延びその果てに忽然と盛り上がりを見せる山頂。自分が登った時は爽やかな秋晴れでやや乾いた風に吹かれながらあの辛い登りを辿ったっけ・・、そんなことを思い出す。しかしこうして離れてみると大きくってその素晴らしさがわかろうというものだ。ここから鞍部の西ケ原までは90m近い降下となる。道坂トンネルからの不明瞭な登山道を左手から併せると再び登り始める。急降下してふたたびずるずると登り返して行く。地形図によると70mの登りで、毎度の事ながら稜線歩きは楽しいのやら苦しいのやら良く分からない。

おおむね潅木帯でまだ新緑の季節でも無いので山全体が枯れたモノトーンに支配されている。もっとも空は先ほどの冷たいガスも消え去りすっかり青白く、春の里山のコントラストに満ち溢れる。そんな中を進むと小さな岩稜となり潅木の枝を払って小ピークへ向けて緩い登りに導かれる。先行していた須崎さんが小ピークの天辺にある岩の上に立って遠くを見晴らしていた。あれが、今回のコースで屈指の展望地という赤岩だろう。

すばらしい展望に目を奪われた。足元からすーっと落ちていてその高度感はなんとなく佐久の御座山をやや思わせる。御正体山もますます立派でその背後の富士は大きすぎて気づかないほどである。前方には目指す二十六夜山があり、その先にはアンテナでそれとわかる三ツ峠山。その右下には桂川に沿った細長い平地が蛇の様にうねっている。川面が春の光を浴びて時折銀色の光沢を放っている。右に手に取るように近いのは1.5ヶ月前に固い雪を踏んで登った九鬼山で、僅か1.5ヶ月で山も里もすっかり春の装いだ。日々を単調に繰り返しても確実に季節が移ろう。山に来てはそんな時の流れを改めて肌身で感じる・・・。

河野さん、須崎さんとも風景を心行くまで堪能したのか、皆晴れ晴れとした顔で露岩にピークを後にした。やや進み須崎さんがこの先の稜線を歩く数10名の団体を眼下に目ざとく見つけ出した。貸切バスで道坂トンネルに乗りつけた、例の一団である。「あそこまで15分ですね・・」、と告げて大股でスッスッと岩混じりの下りていく。「わぁ須崎さんは相変わらず足腰が強いですねぇ・・・!」と河野さんとともに嘆息が思わず出た。

モノトーンの稜線を小さな登下降を繰り返しながら二十六夜山とのコルに向け下っていくとそこには真新しい舗装林道が横切っていた。手持ちの7,8年前の登山地図には勿論載っていない道路で、こんな山中になんの為の道かは良くわからない。ただ判っているのは山梨県の林道開発は神奈川県などよりもよほど熱心なことである・・。ここで先ほどの集団パーティが休憩中であったが、丁度出発するところのようだった。このまま先を急いでも二十六夜山の山頂でまた彼らと鉢会わせとなるのははっきりしているので、それであればいっそのことここで昼食しよう、と決める。その間に一団がぞろぞろと出発して行く。40人まで人数を数えたがまだ10人以上は居るだろう、これが高尾山などなら頷けるが、ここは道志。山が地味で渋いだけにこんな大パーティはどうもマッチしない・・。

二十六夜山(1297m)に登りつくと先ほどの大パーティは去った後だ。二十六夜山はこの道志には秋山村の二十六夜山(972m)と二山あるが、眺めはこちらの都留市の二十六夜山のほうがよい。山頂からややおりると小さな広場となりそこに「二十六夜塔」が安置されていた。秋山村二十六夜山の二十六夜塔よりもずっと大きくて立派だ。江戸時代に盛んだったという二十六夜信仰、この広場で信仰集会が行われていたのだろう・・。ここで河野さん須崎さんと430MHzで巴QSOを済ませて、さああとは下山だけだ。

下山地の上戸沢集落から富士急行線へのバスは午後は2時間に一本のみ。工事用のナイロンロープが張られた滑りやすい尾根道を須崎さんに引っ張られるようにぐんぐん下りていくと早くも右手下から先ほどのパーティのものとも思える声が届いてくる。道は尾根から東側の谷へ雷光型に降りていく。沢筋へ降りたところで足元に咲く小さなスミレに須崎さんが気づいた。見回すとあたり一帯に群生している。田中澄江の「新・花の百名山」の二十六夜山の欄でも紹介されているエイザンスミレか、ヒゴスミレだろうか・・。紫の5枚の花弁が可憐だった。

ここでくだんの大パーティをかわして後はたんたんと沢に沿って下りていくのみ。「あぁー、もう下りてきちゃったね・・ちょっと名残惜しいよね・・」とは山行後のいつもの台詞で、車道に出て目新しい温泉設備・「芭蕉・月待ちの湯」に着いたのは全く予定通りのバスの出発30分前だった。

帰りの中央線では冷たい缶ビールにありつく。ピーナッツを口に放り込みながら興奮冷めやらぬ三人。楽しかった山の話をしながら、幸せなる軽い疲労感に包まれるのだった・・。

* * * *

さてこの山行のきっかけとなったQSLカードであるが、実は今日の天気予報を危惧して、打ち合わせかたがた前日にすでに須崎さんの自宅のそばで集まり、三人で分けてしまった。そんな訳で山で「QSLカード」を「山分け」するわけにはいかなかったが、そのかわりに例によって三人で「楽しさ」を「山分け」してしまった。雨との予報もあった三月最後の日曜日だったがそんなことも無く満喫の山行だった。

(終わり)
(尾根道を離れ下山の途についた。名残惜しく稜線を振り返る。
すっきりとした空に山のシルエットが黒かった。)
(上戸沢集落は春爛漫。山と里の間の空気が一体化して
区切りがなかった。)
Nikon FG-20 Nikkor 28mmF2.8 Fuji Astia ASA100



(コースタイム: 8:50道坂トンネル-今倉山9:42/11:25-赤岩11:55/12:00-林道12:30/13:07-二十六夜山13:20/13:30-上戸沢バス停14:40)


アマチュア無線運用の記録

今倉山 1470m 山梨県都留市 
50MHzSSB・CW運用、13局交信、YAESU FT817(5W)+ヘンテナ、最長距離交信:栃木県佐野市 (直線距離103km)
1200MHzFM運用、1局交信、ICOM ICT81(0.1W)+5エレ八木(FCZプリンテナ) 埼玉県さいたま市 (直線距離74km)

二十六夜山 1290m 山梨県都留市
430MHzFM運用、2局交信、STANDARD C710+ホイップ

注:交信距離はカシミール3Dで求めた。相手局所在地は市役所の場所とした。


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