西上州の静かなる山・諏訪山

(2001/5/5、群馬県多野郡上野村)


(新緑にアカヤシオが彩りを与えてくれた)

この5月連休は泊まりで奥秩父あたりを考えていたが、雨と三月並の気温の続いた連休前半のせいか気勢をそがれてしまい日帰りの山に変更する。かねてから気になっていた西上州の諏訪山(多野郡上野村)を目指す事にした。

横浜から西上州への道は遠い。登山口への有効なアプローチであれば迷わず自家用車を選ぶのであるがゴールデンウイークのさなかである。往復ともに渋滞を覚悟しての出発、せめて行きだけはと思い夜11時に家をでた。

途中関越道の嵐山PAで仮眠して西上州を目指す。神流湖を越えて走るとのんびりとした山里の風景が自分には嬉しい。深田久弥が「神流川を遡って」で描いた素朴な山里も清流もいまや遠い昔になってしまった今日にせよ、目の前に広がる村落の風景は充分自分の心を安らげてくれる。大きな鯉のぼりが河原をまたいで風に流れる光景は山の里では良く見かけるが、まさに五月そのものの風景だ。

ようやく着いた登山口の浜平は民家10軒もあるだろうか、小さな集落だった。もうここは長野との県境の近くで山深い西上州の中でも再奥の集落の一つだろう。日航機事故で有名になった御巣鷹山はこのすぐ裏手に当たる。

* * * *

車をとめ諏訪山への標識に導かれ民家を抜け神流川に架かる小さな青い鉄橋を渡る。せせらぎの音以外は何も聞こえない、時が止まったような気がする・・・。

鉄橋の対岸にあるもう廃業したと聞く旧浜平鉱泉の民家横手から登山道は始まっていた。廃屋を左手にみてしばらく沢伝いの登山道を行けば堰堤を前にして沢を左岸に渡り返す。何かの本で読んだが数年前の台風でこの沢道はかなり荒れたようだった。そんなこともあり危なっかしい桟道やつけ変わったように思えるコースなどが続く。何度も沢を渡り返して高度を稼いでいく。浜平の駐車地で一緒になった長野ナンバーの夫婦連れを追い越し進んでいく。道はしっかりしているが赤テープも多くはない。数段の滝が連なって清涼感があふれる沢のその右手に木造の梯子が架かっているが傾斜が緩いのでかなり歩きづらい。慎重に越える。

ゴウゴウという沢音は耳に心地よいが頻繁に沢の渡り返しが出てくるこのあたり、やはり歩き慣れた神奈川近郊の山よりずっととっつきにくい山のように思える。
(手始めはアルミの
2連の梯子だった)
(三笠山から特徴のない諏訪山山頂・左を望む。
遠望のシルエットは山域随一の2000m峰、
御座山だろうか)

沢は小さな滝やナメ滝などもありなかなか美しい。標高790m辺りで枯れた小沢を左手に分けるあたりは本流を左岸にかなり高巻いて歩く。続いて標高930m付近で再び大きな谷を左手に分けると今度は上流と思えない小広い地形に出て、いつしか沢音は消え静かな樹林の中を登るようになった。沢の源頭部から尾根に乗るあたりは地形の変化が明瞭に見てとれて面白い。しかしなんという清涼な空気だろう・・、新緑が鮮やかで谷間自体が仙人境の如し・・・。

何やら上方から物音が聞こえるが何か動物でもいるのだろうか・・・。何も見えないが。鼓動が高鳴り耳をすますとどうやら人の声で先行パーテイのようだ。しばらく進むと物音の主の3人組が休んでいた。扇を逆さに広げたようなこの地形は遠方の音がこだまとなって伝わりやすいのかもしれない。

ジグザグ道となり枝尾根に乗ってわずかに登ると「湯ノ沢の頭」を示す看板があり楢原からの登山道が左手から合流してきた。主稜線だ。

ここからは尾根歩きとなる。小ピークを片っ端から巻いていく尾根道は自分にはありがたい。ときおり新緑の中にアカヤシオが可憐な赤紫色を添えている。この花を観るために諏訪山に登る人も多いと聞く。ほぼ平坦な稜線をたんたんと進むとじきにトタン張りの粗末な避難小屋をすぎ、全く前ぶれも無くにわかに岩場の急登が始まった。アルミの2連の梯子だが、下を見ると高度感があり足がすくんでしまう。首にぶら下げたビニールの地図ケースが足元の視界を妨げる。邪魔だ。便利な地図ケースもこういう時は上手くない。

やや歩くと見晴らしの良い小さな岩のピークに出てここで初めて前方に大きな岩峰が目に入った。圧倒的な高度感に満ちあふれ威圧的に立ちはだかるその巨大な岩の鎧は見ているだけでじりじりと迫ってくるような恐怖感と緊張感を与えてくる。他人事の様に見ていたがその頂に小さな祠が鎮座しているのを見てようやく事の重大さに気づいた。あれに、登るのだ・・・。

どう見ても山肌から忽然と生えてきたとしか思えないあの巨大な岩の構造物へはおよそ通じる道もないようにみえるが、地図によるとあれがヤツウチグラ(三笠山)で目指す諏訪山の山頂はあの先にある。おいおい冗談じゃないぜ、あれはとんでもない絶壁だ。やめたほうが良いんじゃないか・・・?

ここで男女3人の先ほどのパーティが追いついてきたが前方を見るなり「あれは無理だよ。ここでお昼にしよう・・。ここでトカゲだ」と言っているのが耳に届いた。さてどうしたものか・・。折角だから行ってみようか、と思うが腹の底がジリジリとする、いやな感じがする。岩場への緊張感と反してアカヤシオの可憐さは先ほどからここへ来てますます際だってきたが残念なことに何の救いにもなってくれない・・・。

さあて、どうするか。どうせ行くのだろうと心の中ではわかっていてもその気持ちを萎縮させるのに充分な眺めが目の前にある。ちぇっ、迷ってもしかたない。勇気をつけて先に行く。
(湯ノ沢に沿ってたんたんと下山する。
頭に去来するは”静かなる山・諏訪山”への
想いだった)

三人組に見送られ、足場を選んで岩峰をおりて狭い岩場の登高を続けるが、先ほど望んだときよりは実際は「あたりまえ」の道で鼓動はやや収まる。とはいえ滑りやすい濡れた岩場に鉄の梯子がかかっており、嫌な感じだ。上から雫が落ちてくる岩の回廊のような棚の下を回ると開けた岩のピークとなり、下から回り込むようにぐいぐいと高度を稼いで行く。危険なコースではないがなにぶん高度感が圧倒的にあるので心の底から安心出来る訳もない。見上げる目の上に視界が広がりヤツウチグラの山頂に出た。針金で固定された立派な祠と赤い幟がはためく。すばらしく天空にせり上がった感覚があり展望はすこぶる良い。かんざしを逆さまにしたような両神山や、突出した2枚の岩盤のような二子山と思えるシルエットがはるかに見える。

振り返りここで初めて諏訪山の山頂が見えた。指呼の間ではあるが何の特徴もない樹林の尾根に見える。その右奥にひときわ高いのは御座山だろうか。

さあていくか。数歩進んで驚いた。行く手にとんでもない絶壁の下りにやや古びたロープが固定されている。今まさにそこを一人よじ登ってきていた。やりすごして自分の番だ。慎重に足を選んでロープをつかむがなかなかいい足場がない。腹の底から足の先までいじいじと小さくて重い砂が走るような感覚。切れたら終わり!駄目だ!「出来ない!」

思わず声をあげてもとに戻ってしまった。やはりこの山は自分には荷が重いのだ。さっきのアルミ2連梯子のあたりから感じてはいたのだが・・。

しかし悔しい。目指す山頂は後わずかなのだが。なんとか行けないか、三笠山で敗退か・・。

恐る恐る身を乗り出す。足場はないかと目をこらせばいことはなさそうだ。三点確保で、なんとかならないか・・。なるはずだ・・。

もう一度・・。手にしたフィクスロープは古く弾性もなくさながら干からびた芋の蔓のようで、いつ切れても不思議でない気がする。しまった、右の靴がややゆるい気がするがもう遅い。靴紐くらいきつくしておけばよかった。とにかく足がかり、手がかりを・・。右下はスーッと切れておりまず10mはなにもない。岩の切れ目に手足を置きするりするり下りる。芋の蔓が切れぬよう・・。ようやく安定した場所に出てホッとする。と、目の前に向こうからきた夫婦連れが待っていた。私の顔を見て、奥さんが「もうこの先は大丈夫よ」と言ってくれたが自分には声も出なかった。

放心して見ていると旦那がまず登り、続いて奥さんも「いきます!」と声を出して登っていった。帰りにあれを登るのだ・・。それに梯子と岩稜が続く三笠山からの下りも、嫌な感じだ。
(ひっそりとした静かな山に赤紫色が華やかに浮かび
上がった。)
Nikon nFM2 Nikkor35-70mm Fujiトレビ

気が重くなりとぼとぼと山頂に上りついた。静寂の風景に溶け込めないような真新しい山名標識が立っている。1549.4m、地味な、樹林のピークで、感動よりも帰路への気の重さが先にたった。

気を取り直そう、とお握りを食べながら6mの運用をする。缶ビールを持ってきたが帰りにあの岩場をこなすのに酔っ払っていては本気で危ないと考え自粛する。無線機の電源を入れるがどれも弱い電波ばかりでロケは良くない。群馬県最奥の、さして高くない山だ。CQを出して5局と交信できれば御の字だ。それよりも帰路が気にかかり、早く戻りたい。

例のロープの箇所が近づく。心臓が高鳴っているのがわかる。足がしびれるほど靴紐をきつく締めてからさっきの奥さんよろしく、「よしっ」と声を出して登りついた。するすると思ったよりも簡単に登れた。

なにかすべて終わったような気がして気が抜けてしまった。まだ2連梯子までは気が引けないが・・。

* * * *

気になっていた梯子場も通り過ぎ、沢道を歩きながら考えた。自分の域を少し、いやかなり出た山だったように思える。満足感もある。それに約1ヶ月ぶりの山だったせいか、足もがくがく、体もへとへとだ。しかし、あの山頂で6mの運用をした局は過去にいたのだろうか?いても多分5人は居ないのではないか、そう考えるとしみじみと達成感が湧いてきた。

何度も沢を渡り返しながら、もう多分再び来ることはないであろう山頂への想いを反芻していた。アカヤシオと新緑と、そして清流の山。そして上部にはきりりと締まった岩場があった。そんなアクセントがありながらも飾り気がなく地味で落ち着いたそのさまは、まさに静かなる山そのものだった。



(終わり)


コースとコースタイム:

浜平8:35-湯の沢の頭10:05/10:15-避難小屋10:55-ヤツウチグラ11:37-諏訪山12:10/13:05-避難小屋14:00/14:10-湯ノ沢の頭14:45-浜平16:00


アマチュア無線運用の記録


諏訪山 すわやま(1549.4m)、群馬県多野郡上野村

50MHzSSB運用、5局交信、最長距離交信:福島県田村郡 (直線距離218km)
自作4WSSB/CW機+釣竿ダイポール

Copyright:7M3LKF,Y.Zushi 2001/5/20



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