雪の子持山へ

(2001/1/6、群馬県沼田市)


2001年を迎えた。今年に入って1月2日にアマチュア無線の行事をかねて初山行は終えたが地元神奈川近郊の500m級の山なので余り登った気がしない。少しだけ本格的な山に行ってみよう。昨年から登りたかった群馬県沼田市の子持山へ向かう。

横浜からは、さすがに遠い。高崎線をフルに乗る。高崎線に乗るのは何年ぶりだろう。学生時代に親が富山に住んでいたので帰省といえば高崎線・信越線・北陸線廻りの特急「白山」に乗るのが慣わしだった。それ以来、2,3回は乗っているだろうか・・。新幹線の開業とともにいまや好きだった横川-軽井沢間の電気機関車との重連運用もなくなりあの頃は遠い過去になってしまった。横川駅で下りて買い求める峠の釜飯には旅の風情があった。とはいえのんびり揺られる列車は悪くない。テレビ番組の「各駅停車のんびりの旅」といった趣がある。

神保原駅あたりから左手に素晴らしい三角形の山を望む。何の山だろう、実に良い形だ。地図を広げる。多分、御荷鉾山だろうと想像する。一度は登りたい山だが残念ながら山頂直下まで林道に蹂躙されてしまった悲しい山でもある。高崎で2両編成の上越線に乗り換える。電車の下回り・連結器や空気弁の辺りにはかなり雪が付着しており、おいおい、かなり雪があるのか?と危惧がわく。果たして水上エリアは昨晩からかなり降雪があったらしい。2両編成で乗り合わせた10人程度の男女の熟年パーティ、手には「新ハイキングXX会新年山行・掃部ケ岳」と書かれたコピー用紙を皆一様に手にしている。なあるほど新ハイの御一行は榛名へ行くようだ。左手の赤城山は山頂が白く右手の榛名山には雪がついていない。

電車の窓から2つの山が真正面に見える。右の山は雪がついて白い。わずかに低い左の山は黒く雪がついていない。地図を見る。真正面・右手の白銀に輝く山こそ目指す子持山だ。左は小野子山。うーん、雪だ。それもかなりありそうだ。身の引き締まる思い。

* * * *
(沢の源頭付近で傾斜が強まると落ち葉に
雪がついた滑りやすい斜面となった。)
(獅子岩(右)の奥に広がる関東平野。
その上にのんびりと雲が浮いていた。)

渋川駅から子持神社の奥、七号橋までタクシーに乗る。残念ながら相乗りは居ない。子持神社から林道となり途中雪山のいでたちの3人パーティを追い越す。何を勘違いしたか運転手さんは七号橋を通り越して八号橋の上まで行ってしまった。こちらもわからず更に上まで歩いて行くと林道が終わり熟達者向けコースと書かれた看板がありミスコースと判明。七号橋まで10分程度戻る。タクシー代4500円弱とはちと辛いが、まぁ会社の飲み会のつきあいが一回あったと思えばいい。会社のつきあいで4500円が消えるのは惜しいが山の費用だとはるかに納得がいく。もちろんどちらも痛いが・・。

雪が薄くついた沢沿いの登山道を上がる。足跡が皆無で、自分が一番乗りだ。つららの下がった屏風岩を見て身が引き締まる思いがする。山は完全な冬だった。自分に手に負えるのか・・。安全に登って無事に下りなくては・・。

わかりずらい沢の中を進む。雪のついた沢道はコースが判然としない。これでいいのか。この沢を詰めればよいはずだ。大丈夫・・。

四珠尼の歌碑からはえぐれた明瞭な道形となり安心する。杉林の中を進むが誰も居ない。足跡も無い。こんな雪の山でただ独り、無事に山頂に達して、下山できるのか。いや、しなくてはいけない。先ほどから地元の小学生の集団登山の時の手作りの看板だろうか、小さな看板が点々と木にかかっている。「マイペースで登ろう」「ゴミは持ち帰ろう」「安全に登ろう」など・・。そう、安全に登らなくては。小学生の看板はまるで小学生の自分の娘に語りかけられているかのような思いがわく。看板に我が子達の顔が重なり自戒の念が頭をよぎる。無事に行かなくては・・。

杉林を抜けると傾斜が強くなる。斜面が更に急になり短いつづら折れで沢の源頭だ。傾斜や日当たりの関係か雪は斑模様となるが、落ち葉に雪がついておりすべりやすい。足場を選んでジグザグ登りで稜線に出た。振り返って驚いた。関東平野が広い。赤城の裾野と榛名の裾野が視界の左右の果てに広がっている。

尾根には先達者の真新しい足跡があった。六号橋から登った人だろうか。が、足跡だけで誰も居ない。静かで黙々と登る。彼の足跡に自分の足跡が混じり雪の斜面に軌跡を残していく。おおむね歩きやすい場所に足跡が残っているので自分の足跡もほぼ同じ箇所についていく。獅子岩の基部を巻くあたりから先達者の足跡にアイゼンの爪跡が加わった。自分はもう少し履かないで頑張ってみよう。

下から人の声が聞こえるような気がした。タクシーで追い越したパーティか。こんな時は誰かつかず離れずで登る人が回りに居れば随分と安心できるのだが。滑りやすそうな嫌な感じの片流れの雪の斜面となりここで諦めた。別にアイゼンを履くことは悪いことではない。雪は柔らかいので特別にアイゼンの効果を感じないが、まぁいいか。時折小さな岩場が出て、神経質な登りを強いられる。

稜線の道は吊り尾根のように細い箇所もあり、自分がこんな時期の白銀の山に登っているなんて嘘のような気もする。眺めは潅木にさえぎられるがおおむね素晴らしい。時折吹く風が枝についた雪を一斉に吹き飛ばす。文句ない晴天の下に飛ばされて舞い上がった雪の粉がちらちらと舞うその様はまるで気まぐれな光の粒子のお遊戯のようだ。細い稜線には小さな岩場が出るがそのような箇所には雪がついておらず、カチッカチッと軽アイゼンが岩にあたる金属的な音がする。いい気はしない。

山頂直下となり、岩場が連続する。一箇所だけ自分には進退窮まるとんでもない箇所があった。わずか2m程度の岩場だがどうして抜けきろう。アプローチを間違えたか。下を見ても急斜面の潅木の谷があるだけ。手がかり、足がかりは何処か。風が吹き潅木の枝からアスピリンスノーが飛んできて腹の底から足の指先までじわじわと嫌な気がする。怖い。心の中で右往左往する。雪のついた狭い岩棚で体が右往左往するだけのスペースは無い。何とかホールドを見つけ短い潅木の幹をつかむ。ここで潅木が折れたら多分おさらばだ。えいと、足を伸ばし渡りきった。ふーっと汗が流れてしばらくは立ち直れない。
(氷の花が咲く北斜面の樹林帯を歩いた。凛とした
静けさだが歩みを止めると静けさの持つ
「音」が聞こえるような気がした。)
Nikon FG-20 Zoom Nikkor 35-70mm F22 +1/3

放心状態で数歩進むと山頂の一角はそこにあった。誰も居ない。気づいたのだがさっきまであった真新しい先達者の足跡が無いような気がする。なにか古そうな足跡がいくつか雪の上に残っているだけだった。しかしキツかったなぁ。あそこの岩場は小学生の団体登山でも登れるのだろうか?あるいは雪上の足跡につられてきついコース取りをしてしまったのか。一体何が悪かったのか。たまたま運が良かっただけのような気もする。越えてはいけない一線を越えてしまったような後悔がある。自戒を破ってしまったという思いがある。もう戻れないという気がする。高鳴る鼓動が回復しない。

標高1296m。山頂には大きな岩と小さな子持山の山名標識。注目を集める一等三角点も雪の中から顔を出していた。無線運用をする気もしないが・・。手短に50MHz運用。静寂の山頂にCQの声が響いた。JG1OPH/1がいつものように目ざとく見つけてくれたのでカードはOKだ。ホームから遠く離れた地で交信するローカルほど安心できるものは無い。聞きなれた声を聞きながらすこしづつ自分が戻ってくるような気がする。横浜や川崎まで問題なく59-59で交信できる。自作の4Wのトランシーバとダイポールという設備。15分弱、6局の交信。

目前の赤城山を北から流れてきたグレーの雲がすっぽりと隠してしまった。湿気を帯びた感じの重たそうな雲だ。雲と言ってもその高さは自分の目の高さと同じだ。今日は一日快晴という予報だったがどう見てもこの雲は雪の雲だ。店じまいするか・・。ラーメンを持って生きたのだが箸を忘れていた。代用になりそうなものを探すのが面倒くさく、湯を沸かし熱いココアを入れてお握りをひとつ口に入れるだけにした。熱いココアの甘さが身にしみた。

交信中に中年の夫婦連れが自分の来た方向から登ってきたが彼らはザックも下ろさずに反対側へ下山していった。こちらも下山はこのまま北へ、小峠への道をとる。勝手のわからぬ雪の北斜面の下りは気が進まなかったが先ほどの岩場を下りるのはもう勘弁させてもらいたい。

山頂から急な下りで西に延びる尾根を辿る。雪が豊富でザクザクと足をもぐらせるように下りるのは快適だ。意に反して古い足跡も雪上に残っており、また先ほどの夫婦連れのものとも思える真新しい足跡もある。なによりも気難しそうな斜面が続いた南斜面からの登りに反して、北斜面のコースはなだらかなカヤトから雑木の雪原を下りるという柔和な斜面で、これが同じ山かという程の違いがある。北斜面から取り付けばこの山は随分と易しい山ではないだろうか。しかし、子持神社の南斜面から登ってこその子持山、ともいえるかもしれない。 

足に感じる雪の感覚は柔らかく、何か実体の無い物を踏んでいく感じ。サクサクと蹴散らすように歩く。凛として静かそのもで、しかし歩くのを止めてじっとしているとブーンという低い音を感じるような気もする。静けさは無音ではないのかもしれない・・。中山峠に向かう積雪の車道に瞬時出くわし、小峠までまたもや雪原の下りが快適だ。誰も居ない雪の山。静寂、そしてコース上の危険は多分ゼロ。こういうときの気分は最高だ。子持山賛歌から鼻歌まで、適当に口ずさみながら足任せ。先ほどの自分とは別人だ。いや、先ほどの恐れと不安を忘れようと、無理に明るくしているのかもしれない。遅ればせながらの自衛本能か・・・。

雪上に点々と残る真新しい足跡は間違えなく先ほどの夫婦連れのものだろう。驚いたことにスニーカーの足跡だ。ベンチの置かれた北に眺めの広がる高台に出て急な階段の下りとなった。下りきると雪に埋まった林道だった。

小峠で足跡の主に会う。桐生から来たという彼らの足元は案の定ナイキのスニーカーだった。彼らも山頂直下の岩場では途方にくれたという。もっともスニーカーなのだ。それに比べ登山靴にスパッツ+アイゼンという自分はなにか情けない。

一足先に下りていった彼らを目で追いながらのんびりと車道を下りていく。30分も歩くと雪は消えた。振り向くと逆光の中に子持山が聳えていた。独立峰だけあってなかなかの威容がある。静かなあのピークに居たと思うと嬉しい。更に歩くとバス通りに出て寺尾バス停。あと25分の待ち合わせで沼田駅へ行く関越バスが来る。雪がぱらつき始めた空のもと、スパッツを脱ぎながらバスが来るのを待った。

* * * *

赤々とストーブが燃える温かい沼田駅の待合室。雪の山を、独りきりで満喫したという喜びがあった。何とか歩ききれたという満足感があった。同時に後味の悪い気持ちがいつまでも心の中に棘のように残っている。戒めを破ったという思いがある。自分が安心して登れる範囲を越えてしまったような思いがある。無事だったから良かったものの、自分は独りではない。

このいじいじと迫る嫌な感じを決して忘れてはいけないが、出来れば早く楽になりたい。この棘を泡とともに飲み込んでしまおう・・。500CCの缶ビールを買い込みホームに出るとヘッドライトを点灯して特急「谷川」が入線してきた。

列車が谷あいをぬけ視界が広がると西の方をまさぐるように眺め入った。右後方に子持山が朱に染まっていた。真ん中に複雑で気難しそうな高まりをみせているのが頂上だった。その高まりはこの足が覚えていた。驚くような広がりの裾野だった。その広大さはこの目で上から捉えたのだった。車窓の奥にしばらく惜しみなく披露してくれるその全貌を、小さくなり街の陰になり見えなくなるまで、ずっと眺めた。それはまさに悠然という姿だった。

(終わり)
先達者の足跡が残るだけの斜面。
静けさを味わう。それは贅沢な喜び。

下山して望む子持山。小雪を降らす重い雲が
逆光の山頂にかかろうとしていた。
流れる車窓の奥にゆったりと。
それは悠然としていた。


(コースタイム:渋川駅9:15-(タクシ-)-七号橋10:10-水場10:20-稜線10:52-浅間山分岐11:38-子持山・アマチュア無線12:02/12:50-車道出合13:12-小峠13:35/13:40-寺尾バス停14:27-(バス14:53)-沼田駅15:05)


アマチュア無線の記録

子持山 1296m
群馬県沼田市
50MHzSSB運用、6局運用、最長距離 神奈川県鎌倉市
自作SSB/CW機(4W)+ダイポール
群馬県中央部の独立峰。関東平野への展望は広がり電波のとびも期待できる。
群馬県北群馬郡子持村としても運用可能。

Copyright 7M3LKF Y.Zushi 2001/1/14


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