残雪の小さな寂峰を歩く - 道志・阿夫利山

(2001/2/17、山梨県南都留郡秋山村)


(稜線には雪上に古びた先達者の足跡が
不明瞭に残っていた。誰にも会う気配の
無い静かな尾根歩きの始まりに大きな
期待と小さな不安が入り混じった。)

先々週は襖に足の小指をぶつけて爪が割れ靴が履けなくなり、先週は風邪、とこのところ週末はツイていない。しかも来週末は出張でつぶれるときた。この週末を逃すと2月は「山無し月」になってしまう、そんな焦りを感じ手ごろな道志へ目を向ける。目当ては阿夫利山。2.5万分の1図「大室山」には山頂名が記されているものの昭文社のエアリアマップには登山道を示す赤線も赤破線表示もないその山頂には、おのずと小ささと静けさが期待できるというものだった。

山頂の南西側の金波美峠から山頂に取り付こう。かねてから山と無線仲間のJI1TLL須崎さんから詳細な情報を入手していたので、峠直下を真新しいトンネルが走っていることがわかっていた。もっとも安寺沢の集落と秋山カントリークラブのある神野集落を結ぶこの閑道が除雪されているとは考えずらい。今年は私の住む横浜市ですらもうすでに何度も降雪をみたという例年に無い多雪で、東部とは言え山梨の積雪状況は推して知るべしとふんだ。かたいのは麓から登るしかなかろう。それにどうせならピストンではなく尾根伝いをしたいので、一計を案じた。下山地の富岡集落まで車で入りそこに車をデポ。そこから一日数便の無生野行きのバスを捕らえて西へ神野集落へ向かう。神野からは秋山カントリークラブ沿いに車道を歩いて金波美トンネルまで行こうと考えた。

秋山川に沿う富岡は神奈川と山梨の県境を越えて最初の大きな集落だ。路肩に駐車して靴をはきかえバスの通過予定時間までのんびりと待つ。上野原駅から出るバスは交通量が少ない道を走ることもあってか停留所の錆びた看板にかかれた時刻から5分も遅れることなくやってきた。車中の先客は登山姿の高年男性一人と若い女の子の計2人。女の子は次のバス停で下りてあとは物好きな山姿2人のみとなった。地元民でない二人を乗せてバスは山間の道をのんびり走る。10分弱で神野に着き下車する。くだんの先客はまだ下りない。何処に行くのだろう・・、二十六夜山か、雛鶴峠越えか、それとも倉岳山あたりだろうか・・。

バス停からやや下り小さな橋を渡り集落を抜け登ると秋山カントリークラブの境界線を辿る舗装道となった。数分も歩くと雪が現れ更に15分も歩くと路面は完全に雪一面となった。北斜面が白い山々を眺めて今日は雪の感触が味わえるかなと思う。しばらくは固い雪面だったが、じきに積雪は50cmくらいとなりズボズボとふくらはぎ辺りまで足が潜ってしまい歩きづらいことこの上ない。この程度ではラッセルとはいえないだろうが、しばらく歩くと息が弾んで一息入れざるをえない。溶けかけて曖昧としたワカンの足跡とウサギの足跡のみが点々と続いている。振り向けば登り始めた県道は随分と眼下に遠くなりそれなりに高度を稼いでいるようだった。ひと気のない道を独り歩いていると色々なことが頭に浮かぶが、特に怖いのは不意に動物に会わぬかというおそれで、熊はともかくとして野犬などに会ったらたまったものではない。おのずと神経が鋭敏になってしまう。周りの小さな物音にびくつきながらも淡々と登るとようやく白い景色の中にぽっかりと黒く金波美トンネルが見えた。

須崎さんの情報どおりトンネル手前に檜林の中に先達者の溶けかけた足跡が残っていた。迷わずこれに従う。薄暗い植林帯の中緩いつづら折れを何回かこなすと割とあっけなく稜線が見え、金波美峠だった。小さな看板が立っており斑雪のそこには峠の雰囲気が満ち溢れていた。向かい側の安寺沢のほうから登ってきた踏み跡が思いのほか明瞭でこの道はまだまだそれなりに歩く人がいるのだろうか・・。

ここから稜線行。雪はまだらな箇所としっかり残っている箇所が交互に現れるがやや高度を上げるとまだまだ豊富に残っていた。雪上には先達者の古びた足跡が点々と不明瞭に残っていた。やや大きな足跡は大柄の人だったのだろうか・・。振り返ると道志の主脈が白くて立派だ。写真などを撮りながらのんびりと歩く。小ピークをこなして上り返したのが718mピークだろう。ここで初めて右手に阿夫利山の山頂が望めた。小さな愛らしいピークではないか!

(670mピークで雪上の踏み跡は二分していた。左へ尾根を辿るか、
右へ沢に下りるか・・・。おおげさだがちょっとした人生の分岐点のような
気もしてしまう。さて尾根を、伝おう・・)
Nikon FG20 Nikkor28mm F22 +2/3

710mピークに上り返すと一旦歩く主尾根は真北に向かい先ほどの山頂は右手に見えている。地図を良く見る。なるほど、ここは90度に折れ曲がらなくてはだめだろう。しばらく北に下りると案の定雪上の足跡は直角に右手に折れている。弓なりにカーブをして上りに転ずると小ピークがあったがこれは偽ピーク、本当の山頂はその先の日溜りの小さなピークだった。陽光をたっぷり浴びた尾根上には雪はないが、頂上に向かう踏跡がいまひとつはっきりしない。灌木のうるさい小枝を払いながらやや強引に道形らしきものを直登していくと空が近くなりそこに小さな山頂が待っていた。山名標識が無い事がいかにもこんな小さな藪山に似つかわしかった。

50MHz運用。自作のトランシーバを取り出しCQを出すがシーンとして応答も無い。この季節の50メガ、それもお昼時はこんなものか・・・。それでものんびりと1時間で12局交信、電源を切って大きく伸びをする。文句ない晴天で日差しが暖かい。シャツ2枚だが十分で、とても雪の残る山にきているとは思えない。木々の芽ぶきが感じられなにやらこちらまでが軽やかな気分になってくる。カップ麺を茹でレモンティーをいれる。大室山が素晴らしい大迫力で迫っている。檜洞丸も大きな姿を見せてくれる。雪の付いた丹沢主脈は近寄りがたい神々しさが満ちており憧れがある。またいつか行きたい・・。

北東に向かう。急な雪の逆落としはスリルがある。がすぐに快適な雑木林の中の雪の稜線行となった。670mピークで地形図では登山道は沢に下りていくが、「中央線の山を歩く」(新ハイキング社)から尾根上に踏み跡があることがわかっていた。なるほどここで雪上の踏み跡も沢コースと尾根コースに分岐している。暗い谷より明るい尾根。迷わず左へ、尾根コースだ。

573mピークまでも気持ちの良い下りが続く。雪は腐っているぶん柔らかく足首からザクザク潜らせていくとさっさと下りていける。ザックに一応忍ばせてきたアイゼンはこんな雪であれば出番はないだろう。コースは一部藪っぽいが気にするほどもない。もっともこの季節でこうであれば春以降はかなり木々もうるさくなるに違いない。明瞭な尾根の分岐が想像される573mピークでは北東に延びる尾根に踏み入りたい。ピークで尾根の分岐を確認して北東に向かうと先達者の古い足跡もきちんとそちらに残っている。ほっとする。

次の470mピークで尾根は大きく2分するが再び北東へ。樹間から山麓風景が近くに見えゴールも近い。次の400m地点ではほぼ真東に急坂を下りていけば良いのだが雪上の古びた足跡はそれより北に向かって残っていた。まあいいか、ここで地形図を追いかけるのを諦めた。もう山麓だし、それにこの先達者の古い足跡を辿ればいいのだから。

とどうしたことかかなり藪っぽい箇所に足跡は強引に続いていた。やはりやや北よりに来すぎているようだ。えい、いいや。振りかかる枝を払いながら歩いていくと気づけば秋山川を挟んで対岸の県道より低い箇所まで下がってしまっていた。しまった、秋山川の流れまで下りてしまえば下りすぎだろう。どこから富岡の里にあがろうか。頼みの足跡も腐った雪原のなかにいつか消えていた。焦る。山ではなく里の手前で迷うのはたまらん。体のせいか、精神的な焦りのせいか、喉が渇いた。早く人里に出たい。仕方なく逆行するがやや南へ歩いていく。適当に杉林の雪原を歩くと向かいにやや高く民家が見えたがその間に枝沢が小さな谷を刻んでいた。チエッ、この沢を渡らなくては・・・。さらに南へ数十メートル雪の林を歩くと道形が現れその先に沢を渡る小さな橋が見えた。ホッと一息、橋をわたりぽっかりと集落に出た。

集落を抜けデポしておいた車に戻る。食料品店で買った缶ジュースを喉に流し込んだ。炭酸の泡が喉の渇きと疲れを吹き飛ばしてくれるような気がする。ああ今日も山を楽しんだ。無線ものんびりと満喫できた・・・。

乾いた服に着替えて車のエンジンをかける。振り返ると富岡集落とその背後に続く山並は逆光の中に霞んで見えた。山中で誰にも会う事も無く静けさを楽しめるとは何という贅沢な喜びだろう・・。残雪の道志の寂峰は小さくていかにも愛らしかった。ささやかな山歩きだったが山行後の満たされた思いは変わらなかった。

(終わり)

(コースタイム:神野バス亭9:10-林道・金波美峠線分岐9:55-金波美トンネル10:22-金波美峠10:40-阿夫利山山頂11:30/13:10-670mピーク13:30-540mピーク14:02-富岡15:00)


(718m峰からやや下り
阿夫利山山頂を望む)
(山頂には山名
標識がなく
美化看板のみ)
(県道から富岡の集落と
歩いてきた山が逆光に
霞んで見えた。)

アマチュア無線運用の記録

阿夫利山 (あふりやま)
729m山梨県南都留郡秋山村
50MHzSSB運用12局運用
最長距離交信:茨城県新治郡
自作4WSSB/CWトランシーバ+ダイポール


Copyright: 7M3LKF Y.Zushi 2001/3/1


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