峠を越えて

(2000/11/23、山梨県東山梨郡大和村)


相模原辺りから急に降り出した雨で慌てて合羽を羽織ったものの、安物のライディングブーツはすっかり濡れてしまいその中に水が溜まっているのが実感できるほどだった。ヘルメットのシールドについた雨滴が滲んで前が見にくい。ましてや甲府へ向けての国道20号線は細くくねくねと長く、こんな時のライディングは結構辛いものだ。大月の市街地を抜けると両側の山は雨雲に覆われ重たそうだ。先行するダンプカーの撥ね上げる水煙に辟易しながらもただアクセルを握った。

山が狭まり高度を上げ始めると峠のトンネルが近いようだった。何回かのヘアピンですっとトンネルに入ると雨で冷えた体にふわっとトンネル内の暖気が伝わった。

ずいぶん長いトンネルだった。前方にポカリと明かりが見え、やっと出口だ。また雨に濡れるのか・・。トンネルを抜ける。が、拍子抜けした。抜け出したトンネルの外は雨一つ降っていなかった。

緩やかに下るにつれ、完全にガスを抜けた下界には容赦ない真夏の日差しが満ち溢れていたのだ。前方に大きく伸びやかに広がる甲府盆地。バイクを路肩に止めた。合羽を脱いで濡れた黒いグローブをはずし絞ると黒い汁が滲み出た。色落ちした染料が付着して手は真っ黒だった。お構いなく嬉しかった。青空がこんなに嬉しいなんて。

トンネルを抜けると、いや峠を越えるとこんなに天気が違うとは・・。そうだよな、今は7月。あの冷たい雨は何だったのだろう。走るにつれグローブもブーツも乾いていくような気がする。あとは憎たらしいほど暑い、真夏のツーリングが待っているのだった。ヘルメットの中で適当な口笛を吹きながら、アクセルも心も、軽かった。

19歳の夏に、当時親が住んでいた富山市に帰省するためにバイクで抜けた笹子トンネル。濡れ鼠になって飛び込み、抜け出した時に目の前に広がった夏空と甲府盆地。正確にはトンネルで超えたので峠超えとは言えないかもしれない。が、あの時峠を越えるということを意識した。峠越え。天気を分かつ峠。峠の向こうに何がある・・。それはなにか期待感を抱かせるロマンティックな響き・・。

たまたまそのきっかけが笹子峠だったからか、以来笹子峠と言うその名に何か特別な思いがあったように思う。時がたち山歩きに惹かれはじめた自分にとり思いがけず笹子峠は馴染みの存在となった。ちょっと遠出して山梨の山へ、必ず通りぬけるのだから。

中央高速や中央線ではなく、いつか歩いて越えてみたいな・・。

* * * *

早朝の天気予報では降水確率30%との事だったが前回の山行から3週間も経っており、出かけたかった。多少ぱらつくのなら構わないか、と出発。わずか3週間とはいえ久々の山という気がする。このところ仕事も多少なりとも忙しく1週間の経過がとても早い。山に来て正常な時間感覚を取り戻すかのよう。ハイカーで一杯の休日朝の中央線も、停まる各駅毎に少しづつザック姿が減っていく。

笹子駅でおりてダンプカーの疾走する国道20号線をのんびり西へ進む。吐く息が白く、もう12月も近いことを改めて感じる。今年は秋らしい好日が少なかった様にも思う。年齢を経るにつれ季節の移ろいにも鈍感になった、とは言いたくないが、あっというまに終わった秋だった。
(山頂にはお馴染みの
「山梨百名山」の標識が)
(西へ目を転じれば甲府盆地が
太洋の如く広がる)

しばらく歩くと街道沿いに一本だけまだ柿の実を実らせた木がぽつんと立っており、おやおや、確かに秋があったのだな、と感じる。見渡す周りの山は標高1000mあたりで白いガスの中に消えており、降水確率30%というのもさもありなん。しかしあの中を歩くと思うとやや気が重い。

緩く登り続けると旧国道との分岐を左に分け、旧道が大きく左に曲がるその地点から登山道が始まった。しばらくは杉林のなかの谷を詰める。ぐいぐいと両側が狭まりどんずまりとなる。一のぼりのつづら折れでJRの送電線鉄塔の立つ尾根に乗った。標高850m地点だ。ここで地形図のとおりしっかりとした尾根をとらえたので後はこの尾根を外さなければ良い。もっとも道はしっかりと踏まれておりいちいち地形図との照合をする必要は無いのだが・・。この道は昭文社のエアリアマップには破線表示だが良く踏まれておりここまで不安は一切無い。

しばらくは急登で一汗かく。落ち葉がじゅうたんのようになっており紅葉は盛りを過ぎた感がある。ここへきてやはり気づかぬうちに足早に去った秋という気がする。

恩賜林標石の埋まる標高1080mで右手から大きな尾根をあわせてなおもひとしきり急登が続く。足をすり足のようにして進めると面白い様に落ち葉が靴の前にたまり、ちょっとした除雪車気分だ。いつしか空は真っ青となり先ほどの気の重さはどうやら杞憂ですみそうだった。

1188m地点前後の尾根の平坦部では地形図からは木立のまばらな風通しと見晴らしのよさそうな尾根であるかと何となく想像していたのだが、実際は潅木がうるさい尾根で一瞬目指す笹子雁ケ腹摺山が右手に素晴らしい三角形を見せてくれただけで直ぐに木立に邪魔されてしまった。しかし目指す山頂はなかなか雰囲気がよさそうだ。

やや下りいよいよ本峰の急登にとりついた。落ち葉が堆積した中、標高差150mの一本登りはなかなか辛い。空はすっかり晴れ渡り日差しが暑いくらいだ。じっくりと頭の中を空白にして登る。いやいや結構あるな。マイクロウェーブの反射板をすぎるとそこが山頂だった。

細長い小さな山頂にここにもあったかという感じの山梨百名山の標識。その直ぐ前で男女3人パーティがくつろいでいた。赤ワインに茹でたてのソーセージ、カマンベールチーズとはかなりお洒落で食指の動くランチだ。富士山はうっすらとシルエットのみ。楽しみだった南アルプスの展望は皆無。が、本社ケ丸も滝子山も大きく展望は悪くない。

やや離れて50MHzを運用しようとセッティングしていると下から20人ほどのパーティが登ってきた。これだけの人数がこの狭い山頂に収まるかな、と思っていると、その中の一人が「6mですか」とだしぬけに聞いてくる。コールサインを名乗りあうと、なんと相手は7K3ICA・石井さんだった。檜洞丸の写真のQSLカードをもらった記憶がある。山のQSLカードを発行している人は交信回数が少なくとも記憶に残っているものだ。石井さんも自分の名前は覚えてくれていたようだった。

自作のトランシーバを取りだし小さなシール電池と簡単なデルタループアンテナをつなぐと素晴らしい時間の始まりとなる。毎度のJG1OPH/1・奥積さんや100mWの自作トランシーバで1000局交信目前となったローカルの7M1XPR・青木さんなどにつながり嬉しい。JI1TLL・須崎さんも呼んできて、この週末には櫛形山での忘年会に行くとの事だった。

お握りを食べながらQRTの準備をしていると下山をする石井さんが挨拶をしにきた。OMに別れを告げこちらも下山としよう。さて今日はいよいよ山の向こう側、笹子トンネルの反対側の甲斐大和に下りるのだ。約20年ぶりの思いを遂げる、まあ大げさだけれどそんな所だ。
(ひと気の無い尾根を伝って
甲斐大和へ下山した。)

笹子峠に向けて急な坂を下るとこちらは階段が整備されており登る人が多いのかもしれない。巨大な高圧鉄塔を過ぎるとすぐに1290mピークへの登りとなるがこれが思いのほか大きい。やれやれ、さぁ行くかと、と踏み出すと何のことは無い左手に巻き道があるではないか。楽が出来ると思うともういけない。反射的に巻き道に入っていた。

さて下山路のコースとして舗装路の旧甲州街道を辿るのはいかにもつまらない。送電線の通る1200m地点から地形図の示す登山道表記に従って甲斐大和側の集落まで伸びている長い尾根を下りてみようか。このコースは昭文社のエアリアマップには何の表記もされていない尾根道だがどんなもんだろう。地形図の登山道はえてして現実と異なっていることがあるが、まあこの主尾根を馬鹿正直に歩けば大丈夫だろう。それに送電線が尾根の主脈とつかず離れず走っている。

送電線鉄塔の立つ広場から下を見ると尾根の頂上部を辿って一条の踏み跡があるのが見えた。よし、これなら絶対大丈夫。行ってみよう。

ひと気の無い尾根道をおりていく。真新しい踏み跡は無いが迷いようもない道で少し拍子抜けしてしまう。多少なりとも藪っぽいのでまだ救いようがあるが・・。

1050m地点で明瞭な尾根を右手に分けるがここは迷わず左手にいく。960m地点で今度は尾根を左手に分ける。行く手は右だ。地形図で居場所を確認しながら歩くことは普段無く今回も踏み跡をトレースすればいいので必要も無いのだが、実際見ながら歩くとなかなか面白いし、いつか読図が出来るようになるかもしれない・・・。

標高750mで道が左手にトラバースするともう里に下りた、と緊張感が緩む。林相が雑木から植林に変わるのは山行の終わりを締めくくるいつもの光景だ。

しばらく植林の中を歩くとほどなく明るくなりお寺の裏手に出た。行きすがった小母さんに挨拶をすると「峠を越えて来た?ご苦労さん」と言われる。

そう、笹子峠を越えたのですよ。初めて通りすぎてから20年近く経ちました・・。今回はトンネルではなく、初めて歩いて越えたのですよ・・・。

* * * *

集落を抜け甲斐大和の駅までゆっくりと歩く。紅葉という漢字そのものに真紅に燃えるようなモミジがあり、山里の秋を感じさせた。小さな、久々の山歩きだったけど歩き終えた気持ちの良さは変わらない。

里道から国道20号線に出ると相変わらずダンプカーの往来が多い。そう、19歳の時に確かに峠のトンネルを抜けこの道路の上を走ったのだ。当時と変わらぬこの街道風景にあの時ここで夏空に接して湧きあがった喜びをまざまざと思い出した。

今日、その峠を歩いて越えてみて何があったのだろう・・。今回だけ何か特別な風景があったという訳では無い。何処にでもありがちな雑木の尾根を伝い、ピークから反対側に延びる尾根で下りただけだ。ただ違うのはずっと忘れていた心の中の大切な風景を、思わぬほどの明確さで思い出しただけだ。

確かにあったであろう秋が過ぎ去ったのも感じずに、山に来てそのうかつさに気づいた自分。20年近く前の自分と今はどう違うのだろう。感受性が衰える事を、いや感じる事を自分に都合良く解釈するような事を大人になると言うのであるならば、やはり自分はいつまでも若い気持ちを持ちたい。少なくとも山に来れば、鈍った自分自身が少しだけ軌道修正されるような気がする。

さて、山に登って峠を越えた。これは別に今始まった事でもなくこれからものんびりと続くのであろう。それを無理なく続けながら自分の中の大切なものを持ちつづけて行ければいい。

次回は何処に行こうか、そんな事を考えながら国道を駅までのんびりと歩いていく時間はいかにも楽しかった。それは口笛を吹きながら夏空の下この場所を西に向けて疾駆していった若いライダーの姿と、全く同じなのだから。

軽快なバイクの排気音が今ここで、大きく体の中で鳴っていた。

(終わり)

本文は同人誌「山岳移動通信 山と無線36号」(2001/1/25刊)に掲載されたものです。
たけなわの秋
下山した山里の寺には秋が盛りだった。

過ぎ行く秋
雑木の尾根に堆積していた秋の名残り。
近づく冬
山頂の日陰には冬の足音がやってきた。

(撮影: Nikon NewFM2/T ズームニッコール35-70mm フジベルビアASA400)


(コース:笹子駅8:43-登山口9:15-尾根850m地点9:40-恩賜標識1080m10:10-笹子雁ケ腹摺山・アマチュア無線運用11:03/12:50-JR送電線鉄塔13:22-集落(寺)14:40-甲斐大和駅15:08)


アマチュア無線運用の記録
笹子雁ケ腹摺山 xxxxm
山梨県東山梨郡大和村
50MHzSSB運用
自作SSB/CW機(出力4W)
釣竿デルタループアンテナ
笹子雁ケ腹摺山は山梨県東部と中部の甲府盆地を分かつ山稜上のピーク。当然の事ながらウナギの寝床の様に関東平野に向け東に開ける展望と、西に扇の用に広がる甲府盆地の眺めが同時に眺められる。

この辺りではやや低い標高なので電波の飛びのほうは滝子山や本社丸などより少し劣るのかもしれない。

Copyright7M3LKF,Y.Zushi


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