★クロダイ狂騒曲★


情熱エッセイPart1(1989年早春)

 最近、よくラジオを聞くようになった。あるとき、ぽんやりと聞いていた歌の中に、「情熱」という言葉が出てきて、はっとさせられた。そういえぱ、そんな言葉もあったなあ。いつの間にか、日常生活の中に埋もれてしまっていたわが「情熱」。あれは9年前、我が敬愛するジョーズ君(本名を鮫田と言い、高校時代は暴走族だったというっっぱりにいちゃんで、彼の部屋のカギの番号は「人殺し」だった。)にいわれた言葉も思い出した。「お前には、若さが感じられないんだよな。」矢吹丈が、世界タイトル挑戦に先だって、野性をとり戻したように、私もいま、我が熱き「情熱」を再燃させるために、このエッセイをしたためる。

 私の父は、そうとうの釣りキチガイだったらしい。母の話によれぱ、よせぱいいのに、毎朝店を開ける前に、葉山に釣りに行っていた。また、わが家は合資会社を経営しているのだが、どういうわけか決算・たなおろしを2月にやるのだ。これも、もともとは9月にやっていたものが、9月はクロダイのいちぱん釣れる時なので、変えたらしい。それも、名目上は、{9月はまだ暑くていやだから」ということだったらしいが。また、これは確認していないが、3月にしなかった理由は、きっと川魚の解禁の月だからだと思う。そんな父が、ある日、何を思ったか、病弱で星ぱかり見ていた自分の息子を、釣りに連れて行った。逗子の田越川の河口でのハゼ釣りである。そこそこに釣れたように記憶している。その後、担任の先生が釣り好きであったこともあり、せっせと田越川に釣りに出かけるようになった、40cmほどのウナギを釣ったこともある。それからしぱらくして、父は、「今日は少し遠出をしよう」といって、息子と一緒にバスに乗り、葉山の清浄寺というところに出かけた。そこから、細い路地をとおって海にでると、小さな堤防があって、大人の人ぱかり6〜7人が釣っていた。その人達のバケツをのぞいて見たら、信じられない程釣れているのだ! 青いバケツに、30cmくらいのメジナを20枚も並べている人もいた! 我々も、堤防の先端に出て、仕掛けを作り、竿を出した。するとまもなく、父が何かを叫ぴながら、息子に竿を持たせた。竿は弓のように大きくしなり、小学校5年生の私は、無意識のうちに「おおっ」と声を上げたらしい。釣り上げられたのは、30cmのメジナだった。私たちのまわりでは、なおもメジナラッシュが続いていたが、しぱらくして、隣の人の竿が、ひときわ大きくしなった。まわりではどよめきが起き、「クロか?」と異口同音につぶやいた。釣り上がったのは、良型のメジナだったが、私はそのとき、「クロ」と呼ぱれる魚が、とてつもない魅力をもっていることを感じ取っていた。その晩、メジナの塩焼きを食べながら、父は私に言った。「隆雄や、メジナは今日のように、下へ下へともぐるけど、クロダイつて奴は、沖へ突っ走るんだ。だから、クロダイがかかったら、ボヤボヤしてると糸を切られるから、リールをフリーにしてやって、沖へ走らせるんだ。すると、そのうちに疲れてきて、引きが弱くなるから、糸を巻きとるんだ。そのうちに、またクロダイの奴は突っ走り姶めるから、またリールをフリーにしてやって・・・」。この話を聞かされた少牢が、目を輝かせたことは、想像に難くないであろう。私は、それから毎晩、クロダイを釣る夢を見た。しかし、病弱の少年には、夢を実現させるだけの行動力がなかった。釣り自体は、中学1年の頃までやっていたが、次第に飽きてきて、心のなかに、クロダイヘの憧れだけが残った。
 父は台風が来ると喜び勇んでサナギをすりつぶし、葉山の沖磯に出かけて行ったが、いつもずぶ濡れになって帰ってきては、「今日も隣のヤツが、こんなにでっかいクロダイを釣ったんで、網ですくってやった。オレはバカみちゃった」と言っていた。そんなわけで父は、私がもの心ついてからは、クロダイを釣ったことがない。少なくとも、家に持って帰ったことはない。父の話を総合すると、まあだいたい私と同じくらい釣れなかったのではないだろうか。だから、先に出てきたような、糸を出さなけれぱ、切られてしまうような、巨大なクロダイは釣ったことがないのだろう。そんな父が、なぜ釣りをやめたかというと、これも話半分に聞いた方がよさそうだが、ある日、例の葉山の沖磯で、メジナ30枚にクロダイ5枚を釣って、急に熱が冷めてしまったからだという。この話が本当ならぱ、その魚は、途中で捨ててきたことになる。なにせ私は、クロダイを見せてもらったことがないのだから。しかし、ほんの4、5年前までは、そのくらいの大釣りは、あたりまえだったらしい。隣の人が、メジナを20枚釣るのを見たことがあるし、クロダイも、9枚釣ったという人がいる。私にだって、クロダイやメジナを釣れる場所なのだから、驚くには値しないのかも知れない。

 1986年11月1日、私は15年ぷりに清浄寺の堤防に行き、20cmのウミタナゴを釣った。なぜ急に釣りを再開したかというと、新たな目標が欲しかったことと、診療所で、釣りがはやり姶めたことによる。新たな目標とは、もともとは、伊豆七揚の利島(としまと読む)に星を見に行き、ついでに釣りをやる事だった。いきなり大物釣りは無理だろうから、すこしカンをとりもどしてから。というくらいの気持ちだった。しかし、いろんな人から釣りの惰報を集めているうちまたぞろクロダイヘの憧れが、首をもたげて来た。しかし、季節はクロダイの落ちに入り、初心者には、極めて難しい季節になっていた。そこで私は、冬の風物詩メジナを狙うことにした。ところが、これがまたさっぱり釣れない。1987年の元日から3日まで、城が島に通いつめたが、さっばり釣れない。4日の朝は、例の堤防に行ったが、隣の人が、15cn位のを1尾釣ったのを見ただけだった。これはきっと、地磯で釣るのは無理なのだろうと思い、父が通った沖磯に渡ることにした。船で渡るのは初めてなので、ライフジャケットを購入し、準備万端整えてその日を待った。しかし、嵐のため、お流れ。それからまた2週間後の、1月の土曜日、念願かなって、沖の平島に渡った。釣りはじめてしぱらくすると、私の反対側て釣っていた人が、「すみません。これ何ていう魚ですか?」と、声をかけてきた。見ると、40cmのメジナだった! 私は、腰を抜かさんぱかりに驚いた。よし私も、と思い、気合いを入れるのだが、さっぱり釣れない。仕方がないので、細い仕樹けに変えて、ウミタナゴをねらうことにした。ウミタナゴを3尾程釣った後、急に、鋭い引きに、竿が大きくしなった。あとの事は、気が動転してよく覚えていないが、とにかく、ほどなく、30cm程のメジナが、水面近くまで浮き上がって来た。しかし、そこでメジナが反転すると、1号のハリスは、ガン玉を打った所から、プッツリと切れてしまった。後の祭りとはこの事である。次に、私の仕掛けにメジナがかかったのは、4月15日の事だった。この2か月半が、どれ程長く、辛かったかは、よくおわかり頂ける事と思う。この日は、ストライキが予定されていて、執行委員の私は、本来なら休む事は許されないのだが、みんな快く承諾してくれた。しかし、こんな日は釣れない方が気が楽である。釣れたら、やはりみんなに見せびらかしたくなるが、こういう時は、さすがに気がひけるものである。そう思っていると、釣れてしまうのが世の常であり、このときも、御多分にもれず、そうなった。島に渡って一時間程したとき、私のドングリウキがゆっくりと水中に引き込まれた。軽くあわせて、ゆっくりとリールを巻いていると、磯ぎわ10mほどの所から、猛然と下に突っ込み始めた。わたしはびっくりして、竿を立て、腰を落としてためたが、強引なまでの引き込みで、根に持って行かれ、動かなくなってしまった。隣の人のアドバイスに従って、高い岩にのぽり、思い切り竿をあおると、竿がはね上がってしまった。ハリがはずれたのだ。このときは、さほど惜しいとも思わず(今でも惜しいとは思っていない)、2尾目を狙って、竿を出した。その後は、ウキが沈む度に、岩にかけ上がって、思い切りリールを巻き上げるようにしたが、ウマズラやペラが、すっ飛んでくるぱかりだった。何度目かのアタリでは、もうすっかりあきらめてしまって、軽くあわせてから、ゆっくりと岩に上り、ちんたらリールを巻いた。すると再び、あの鋭い締め込みが襲って来た。必死で竿をあおり、無我夢中で磯ぎわに寄せ、隣の人にタモってもらった。30cmを越えていた。釣り上げたメジナは、恐ろしいカ強さではねまわり、つぷらな瞳はブルーに輝いて、とてもきれいだった。この日は、他の人は何も釣れなかったので、私がバラした大メジナの話で持ちきりだった。対岸の島で釣っていた石物師達が一部始終を見ていて、「いや、あれは絶対1キロ級のメジナだった」と言って、私をおだてるのだ。有頂天になった私は、診療所でも、メジナを皆に見せびらかした。文字どおり、みんなの私をみる目が変わった。今まで、15cm位の魚しか釣ってこなかった男が、急に30cmオーパーを釣ったのだから無理もない。私は、急に名人扱いされることになった。翌日、塩焼きにしたメジナは、大きくて食い切れず、2日間かかって、やっと食べ終えた。父が、「おまえが小学校の時に釣った奴も、ちょうどこのくらいだったなあ。」と言った。そう。つまり、尾頭つきで塩焼きにするのは、30cmが限度なのである。最初にバラしたメジナを、さして惜しいと思わないのも、実はこのへんにそのわけがある。

 さて、肝心のクロダイの方であるが、1987年の2月半ぱ頃から、本格的に狙い始めた。茅ヶ崎の沖磯は、神奈川県で一番クロダイの釣れるところである。一月頃、合宿が茅ヶ崎ユースホステルで行なわれたとき、私は昼休みに、渡船の釣り屋に様子を見に行った。驚いたことに、ここ数日間の日付の魚拓が、ズラーツと並んでいるのである。エ一ッ、こんなに釣れちゃうの一っ。と思って、2月のある日、茅ヶ崎の平島に渡ったのである。しかし、結果は惨たんたる物で、隣の人がポラを釣った以外は、誰も釣れなかった。話によると、6月ごろからは、バカスカ釣れるという事である。この日、あまりにムシャクシャするので、少しぜいたくをしてやろうと思い、逗子のレッドロブスターに寄って、その名前の巨大なエビを食してみた。しかし、よせぱよかった。レッドロブスタ−のにおいは、ついさっきまでいじくり回していた、オキアミのにおいと全く同じだった。クロダイの奴が、俺のオキアミを食べないで、私が自分で食ってしまったような気分になった。その後、3月の半ぱ頃からは、葉山の沖磯でも、クロダイを釣る人が現われるようになった。ある時は、私と50cmしか睡れていないところで、2枚たてつづけに釣られた事もあった。私は月に2回ずつ葉山に通いつつ、週に1〜3回は、出勤前に三崎方面にクロダイを狙いに行った。始めの頃は、みんな呆れてみているだけだったが、6月頃から、診療所にクロダイブームが巻きおこった。他の人達は、主に大津で夜釣りをしていたが、私は、大津が余り好きでないのと、夜釣りは活動と競合するので、早朝の三崎に固執していた。誰が最初にクロダイを釣り上げるか、みんな血眼になっていた。ここで、すこしクロダイにっいて説明しよう。クロダイは、タイ科の魚である。これは当り前のようだが、実はそうでもない。世に「タイ」と名の若く魚は数多くあれど、タイ科の魚は、マダイとクロダイだけである。例えぱ、イシダイやキンメダイは、タイ科の魚ではない。それから、クロダイは、いわゆる出世魚である。一歳魚(約20cmまで)をチンチン、二歳魚(30cm位まで)を海津(カイズ)、三歳魚以上をクロダイとよぶ。なお、25cm以上をクロダイとする説もあるが、クロダイらしい風格を持ち、糸を出さなけれぱ上げられないようになるのは、やはり、40cm、1kg以上の奴である。そして私は、まだそれを釣っていない。それから、クロダイは、性転換をする事でも有名である。一歳魚は、すべて性的に未熟なオスである(だからチンチンとよぷ)が、2歳になるとメスがまじってきて、三歳以上になると、メスが圧倒的に多くなる。またクロダイは、成長が遅いほうらしい。そのうえ、多分寿命も余り長くないのだろう。マダイが10kg近くにもなるのに、クロダイはせいぜい3kgどまりである。ただし、伊豆のある港では、10kg級のクロダイが出没するらしいが・・・ それから、余り泳ざは得意な方では無く、30mを越えるような海域には、住む事ができない。巨人なクロダイでも、ハリスはせいぜい2号どまりで・それでもちゃんと対応できるのは、クロダイがやや瞬発力に欠けているせいである。パワーのメジナ、釣り味のクロダイといわれるるゆえんである。性格は、警成心が強いくせに好奇心も強く、人里近くに住み着く性質を持つ。また、何でも食べるので、九州ではクソダイともよぱれている。実際に・汚物を食べに集まるのだそうである。釣り人が使うエサにも、すぐになれてしまう。相模湾での生サナギ、房総のスイカなどは、あまりにも有名である。その釣り方も、クロダイ17種と言われるくらい多様で、私がこころみたのは、そのうちの6種・実際に釣ったのは、わずか2種にすぎない。クロダイ釣りの奥深さがわかるであろう。
 6月の中頃、私は茅ヶ崎の人達と、下田にイサキを釣りに出かけた。前の晩酒を飲みながら、私がクロダイを狙っている話をしたら、いろいろと親切に教えてくれた。もともと彼等は、茅ヶ崎の沖磯で、クロダイを釣っていたのが、年をとったので沖釣りに転向したらしい。彼らのうちでもっとも若い人がいうには、クロダイをはじめてから最初に釣るまでに、3年かかったといつていた。まあそのくらい難しい釣りではあるのだ。そのころ・診療所のHさんの義理のお兄さんが、真鶴でクロダイを釣って来た。私はちょっとくやしい気がしたが、黙っていた。7月になつて、ある日突然M事務長が、25cm位のカイズを釣って来た。彼が言うには、毎日帰りに港によって(彼は大津に住んでいる)、懐中電灯を当てると、魚がサッと逃げるポイントが3個所あるという。その晩も、酒を飲んだ帰りにちょっと寄ったら、Yさんがいたので、あまっている竿を借りてちょっとやったら、釣れちゃったというのだ。Yさんはショックで寝込んで、その日は休んでいた。皆、私を気の毒がったが、私は意外と平気で、「30cm以下は、クロダイじゃねえ」と言っていた。そして7月23日木曜日、私はいつものように三崎港で釣りをしたあと、三浦診療所へと向かった。その日TとNは、伊豆へ2泊3日のクロダイ釣りに出かけていた。職場へ着くとIさんが、「今日は、いいお土産があるのよ」という。彼女の息子さんはすご腕の釣り師で、三崎の夜釣りで、50cm才一バー、3kg近いクロダイを釣ったというのだ! 余りの巨大さに、タモがこわれてしまったという。そして次の晩、またしても少し小ぶりのやつを釣ったということで、それを私にくれた。小ぶりといっても、39cm、1.1kgもあった。私はこちらの方がショックで、目の前が真っ暗になった。最初のクロダイは、白分で釣って食べたかったのだ。しかし、いやな顔を見せるわけにもいかず、喜んだふりをしてもらっておいた。




つづき