★クロダイ狂騒曲2★


 7月25日土曜日、私は、重い足取りで茅ヶ崎へと向かった。神奈川県下2番目のクロダイの名所である野鳥の堤防(横須貿沖)でもボウズを食らったので、もうここで勝負をっけるしかないと、悲壮な覚悟をきめていた。平島の堤防の上では、ズラーッとならんだ釣り人達が、クロダイやカイズを次々と釣り上げていた。竿を出して1時間程したころ、私の遠矢ウキが沈み、かるくあわせると、左へ走ったのち、カイズが浮いてきた。ずるずると引き上げると、ハリがはずれて、あやうく釣り落とす所だった。一応生まれて初めてのクロダイなのに、あまり引きも強くなかったし、巨大なクロダイを見た後だったので、ちっとも感動がなかった。後もう1匹、大きなやつを、の願いも空しく、時間切れとなった。5か月間、40回釣りに通って、10万円をかけて釣ったクロダイの、なんと味気ないことか。しかし、診療所に持って行くと、上を下ヘの大騒ぎとなった。ある人は、「魚拓をとろう」といい、またある人は、「写真をとろう、胴上げしてやろう」と言った。私は白けていたので、それらをみんな断わり、一番大げさに喜んでくれた、Mちゃんのお父さんに、カイズをやった。27cmあった。
 8月2日土曜日、私は、テリトリーの葉山へ向かった。I君のお父さんに似たNiさんという人と、一二人きりだった。まもなくNiさんは、20cmのカイズを釣った。「このサイズが出る時は、数釣れるよ。」の言葉に、緊張感が高まったとき、私のウキが、わすかに沈んだ。クロのアタリだ! すかさず大あわせをくれてやると、奴は激しく左へと突っ走り、さんざんてこずらせた後、やっとNiさんのタモにおさまった。すぱらしい感動だった。大きさは25cm程だったが、引きが強かったのは、茅ヶ崎の堤防が高くてミチイトがたくさんでていたのに対し、葉山ではすぐ目の前で釣れたので、引きがダイレクトに伝わったためだろう。私は満足しきって、半身を刺身にして食った。

 Yさんは、その後大津で立て続けにカイズを釣って来た。ある日は、一度に2尾釣ってきて、しかもその一方は、35cmもある、立派なクロダイだった。彼の釣果は5尾となり、私は大きく水をあけられた。しかも、彼の釣果は、すべて陸続きの堤防で上がっていた。私は私で、Iさんの情報にもどづき、三崎港のタマズメを狙っていた。
 9日8日火曜日、私はこの日を「クロダイ記念日」にしようと、ひそかに心に決めていた。朝4時起きして、出勤前にも狙ったが、やはり釣れない。7時15分ごろ、帰りじたくをして、車で三崎東岡のバス停の前を通ると、Sちゃんがいた。車に載せて、次はIkちゃんをひろってやろうかと思ったが、栄町のバス停にはいなかったので、通りすぎたら、向こうから歩いて来る所だった。わずかにタイミングがずれた。Sちゃんを市横高に送り届けたあと、衣笠に向かう途中で、今度は診療所で一一番美人の看護婦であるKIさんをひろった。私はポウズを食った後なのに、「クロダイとメジナをいちどに釣ったような気分だ」と、ふれまわった。
 仕事が終わると、再び三崎へと向かった。堤防では、すでに3人が竿を出していて、まもなくカイズを次々と釣り始めた。よーし、次は私だぞと思った瞬間、私の遠矢ウキがわずかに沈んだ。えっ、夢じゃないの? と思いつつ軽く合わせると、左に走った(どういうわけか、私かけたクロダイは、みな左に走りたがる。右にはしられたのは、13回のうち2回だけだ)。慣れない手つきで悪戦苦闘する私を見て、隣のお兄さんが優しくアドバイスをしてくれた。あとでわかったことだが、彼は私を、高校生だと思ったらしい! 彼が帰ったあと、暗くなってきたので、ウキを変えてケミホタルをつけた。もうアタリが遠のいて、今日はそろそろやめようかと思った時、ケミホタルの光が、海面にジワーッとにじんだ。再び夢ではないかと思いつつ、釣り上げた魚は、30cmジャストだった。隣の人に、「この大きさでもまだカイズですか?」と聞いたら、「うーん、カイズだなぁ」と言った。
 そんな調子で、1987年は6尾釣ったのだが、全部30cm以下のカイズだった。
 1988年は、40cm1Kgをを目標にした。三崎で釣ることはあきらめ、テリトリーの葉山に的を絞った。この年は大型が、次々と釣れていた。私が行くときは、あまり釣れていなかったが、船頭さんの話では、1.5〜2Kgのクロダイが、結構出ているということだった。また、バラシが多く、他の人が合計で9尾バラシた時もあったが、私にはちっともアタリがなかった。8回目を迎えた6月15日水曜日、私は心身共に不調の頂点に達していた。竿は折れて、その後がうまく直せていなかったし、ミチイトは疲れ果てて、竿先に絡みついた。ウキをみていても、雑念ばかりが頭に浮かんできて、いわば最悪のコンディションだった。そのとき一緒になった人は、常連の中でも一番のすご腕で、実際竿を出して30分後には、1.5Kgのすさまじいクロダイを釣り上げてしまった。私は、初めて見る巨大なクロダイに、すっかり仰天していた。その人に最高のポイントを教わって、竿を出していると、果たして巨大なクロダイがかかってしまった! 多分1・5kgはあるだろう。下に突っ込もうとする諦め込みを、私は2回、糸を出してかわした。このテクニックは、1Kgオーバーのボラを2回釣って、体得したものである。奴は次に、右へと走った。これがまずかった。私は、右に走られたのは、初めてだったのだ。しかし、私はすぱやく右に走り、クロダイの動きを止めた。ここで、まわりの人達が事態に気づき、近くに集まってきて、ああしろこうしろと、指図しはじめた(これがなけれぱ釣れたのに!)。私が自信をもってポンピングを始めたとき、「竿をそのままにして、浮いてくるのを待て」と言われた。言われた通りにしていると、彼等は私の竿先の異常に気づき、「おい、竿先に糸がからんでいるんじゃないか?」と言った。もちろん私は、心配無いことがわかっていたが、愛想のっもりで竿先を左に倒し、竿先を確かめた。すると奴は、磯ぎわの根へと、突進を始めた。いくら竿を沖へ向けても、これを止めることはできず、根にもぐられて、根ずれで糸が切れてしまった。よく考えれば、このとき糸を逆に緩めてやれぱ、奴は向きを変えて、沖に突っ走ったかもしれない。いや、もともと、竿と糸のコンディションを整えておかなかった自分が悪いのだ。しかしこのときは、もっと気がかりな「雑念」にとらわれていて、さしてくやしいとは思わなかった。
 そのあと、またしても釣れない日々が続いた。l1回目の、7月23日土曜日、その日は、なんとなく釣れるような気がしていた。2、3日前に・キスザオでクロダイを釣った夢をみて、いつものように、てのひらで大きさをはかると、ちょうど両手分、っまり40cmあったのだ。さて、竿を出して1時間程したとき、ウキが沈み、やりとりのあと、魚が水面に浮いてきた。あまり大きくなさそうだったので、自分でタモにとったところ、いやに重く感じられた。「夢とよく似ているなあ」と思って、てのひらを当てたら・・・果たして両手分あった! 正夢だったのだ。正真正銘のクロダイである。恥ずかしい話だが、私は腰が抜けてしまって、しぱらくは動けなかった。後ではかったら、38cmだった。もう一尾、34cmを釣り、家と職場で見せびらかしたら、再びみんなの私をみる目が変わり、各人、名人と呼ばれた。しかし、魚体は異常にやせていて、大きい方でも750gしかなかった。目標達成とは、いかなかったのである。ちなみにこの日は、潜水艦と釣り船の事故があり、30人の方がなくなられた。慣れないことはするものじゃない、と反省した。
 8月19日金曜日、雨がどしゃぶりの中、野島の堤防へ夜釣りに出かけた。雨は止んだが、すごい風と波で、全身ずぷ濡れになりながら、「今日は絶対釣れないだろうなあ」と思っていた。その後、波に逆さオケをさらわれたこともあって、いや気がさし始め、暗くなってからは、エサがちゃんと水の中に入っているのかどうかさえわからなくなり、早く帰りたくなってしまった。しかし、船が迎えに来るまでは帰れないので、考えごとをしながら、ヘチを探っていた。人生について考えが及んだとき、あまり苦しんでいない自分に気がついた。 7キロもやせるほどくよくよしていたのに、今回もやはり、俺は一人で解決してしまったのか。俺はこんなに強くなりたくはなかったのになあ。また生き残っちまったなあ・・・と考えていたら、ヘチザオを右に持って行かれた。潮の流れが速いので、流木にでも引っかかったのだろうと思っていると、糸が切れそうな程引っ張られるので、タイコリールをゆるめて糸を出した。すると、あまり引っ張らなくなった。あれれ?と思っていると、今度は下に、グッグッグッと3回づつ引っ張る。やっぱり魚かなあ? しかしクロダイがいる訳ないしなあ。そのうちまたグッグッグッ、てな調子で、そうこうするうちに、何か白っぼいものが浮いてきた。クロダイの腹のようでもあるが、いや、そんなはずはない。一応、タモでとることにしたが、暗くてなかなかうまくいかない。やっとの思いですくうと、バカに重く感じる。えいっと、堤防の上に放り出して、急いで懐中電灯を当ててみた。ひえ一っ、やっぱりクロダイだ! 恥ずかしいことに、またしても腰を抜かしてしまった。31cmあった。その後、24cmのカイズも釣り上げた。
 そんな具合で、1988年も6尾釣り上げた。しかし、30cm以下のカイズは、1尾だけだった。念願のクロダイは釣ってしまったが、まだ目標は達成していない。田中クンの情熱の日々は、今年も4月から始まるであろう。