アイヌ民族

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静かな大地 松浦武四郎とアイヌ民族
花崎こう平 岩波書店 1993   副題からして武四郎の伝記を期待したのですが、著者の思想のほうが強く出ている本でした。哲学者で少数民族や部落問題に取り組んでいる方です。
武四郎の著作をたどっているてんでは、「北海道人」と同じなのですが、書いてあることが難しくて(武四郎の原文そのまま)あまり楽しめませんでした。しかし、「門外不出他無見」とされた『丁己東西蝦夷山川地理取調日誌』『戊辰東西蝦夷山川地理取調日誌』にあたっているのは大変価値のあることでしょう。同じエピソードでも、出版を可能にするためにどのように表現を変えたのか説明してあります。
私にとっては武四郎の原文そのままでも難しいのですが、その原文さえ「解読」しなければ読めないほどのもので、在野の研究者の力が大きいそうです。移動しながら走り書きしていたのですから、そうですよね。
著者は、アイヌにかかわるうちに武四郎が「変わった」と言っていますが、とうとう私にはピンときませんでした。植民地を支配す側の役人になったものの、アイヌの実態に触れるうち政府をを批判し、直言するようになったというのですが、最初から役人としてアイヌとかかわったわけではないし、そもそも役人になったことさえ、北海道に渡るための方便であったのだと思うのだけど。

火の神の懐にて ある古老が語ったアイヌのコスモロジー
松居友 小田イト(語り) JICC出版局 1993   著者が住んでいる千歳で懇意になった、おばあさんからの聞き取りです。おばあさんの連れ合いもアイヌで猟の名人ということでした。 表現がとても文学的情緒的で、学術書とは違うなという感じです。
著者のことは児童文学関連(福武書店児童部編集長)で知っていましたが、アイヌのことにも関わりがあるとは知りませんでした。イタコにあたるトゥスメノコのことが出てきます。
アイヌ、神々と生きる人々 藤村久和 小学館 1995   もともとは1985年にかかれ、文庫化された本です。 エカシやフチたちと親しく付き合ううちに話を聞いたということで、身近な素材を書いてあるし、あまりこれまでの見方に囚われていないように思えます。子どもに名前をつけるにあたって、親でもその性格を見ぬけないような子の場合、「トゥスクルという巫術行為のできる人に教えてもらう」という記述がありました。このトゥスクルについては、他にどのようなことをしていたのか書いてありません。
食事の回数にしても、2回、3回、5回でも6回でも、お腹の空いたときに食べたとあります。ほとんどが2回だったと書かれていますので、これは新しいことです。間食程度の軽い食事も含めてです。
松前藩のアイヌ勘定についても、これは鮭や鱒の勘定のときに限ったことだったので、輸送途中傷む分を上乗せした勘定ではなかったかとあります。「ほ〜」とは思いますけれど、賃金代わりの米まで小さい枡で計ったことはどうなるのでしょう。
他には、薬、ツボ治療(らしきこと)、死者の葬り方などが興味深かったです。
北海道人 松浦武四郎 佐江衆一 新人物往来社 1999   もっとも参考にしたのは吉田武三著『定本松浦武四郎』であり、「この作品は小説であるが、なるべく虚構を排し」たそうです。
小説ということで、その時代の背景、友人関係、結婚の時のエピソードなども書かれていて楽しめます。吉田松陰、井伊直弼、勝海舟、ジョン万次郎など、幕末の有名人が総登場だし、安政の大地震の様子も書かれています。そのとき交された会話などは、想像の部分も多いのでしょうけれど、時系列がわかりやすいです。
余談ですが、この本に武四郎が「竜飛岬付近宇鉄村で「アシタカイン」という酋長に会った」ことがでてきます。武四郎が初めて会ったアイヌということになります。時期的に言えば、「初航蝦夷日誌」に記述があるはずです。
アイヌ人物誌 更科源蔵・吉田豊訳 (農文協 1981)(平凡社 2002)   武四郎著「近世蝦夷人物史」の現代語訳。前出、横山孝雄の訳とどう違うのか?ざっと読んだところ、エピソード自体に違いはない。2002年出版の方しか読んでいないが、1981年出版のものとも違うのだろうか。
北の海の交易者たちーアイヌの社会経済史ー 上村英明 同文館 1990  この本は久々のヒットでした。これが修士論文であったということに驚きです。卒論・修論なんてたいしたことないと思っていましたが。 著者の「和人の伝統的価値観で考えることを可能な限りやめて、アイヌ、狩猟魚労の民の立場で考える」姿勢は十分表現されていると思います。今まで記録を読んで疑問に思っていたことの回答を見るようで、あちこちで目からうろこがおちました。 他の国の少数民族との比較も出てきます。
  • コシャマイン戦争(1456年)頃、アイヌと和人の交易の場は十三湊であり、道南と青森は想像以上に近い関係だった。(十三湖、また行きたいです。また違った見方ができるでしょう)
  • 狩猟民族にとって、富を蓄えることは行動力がそがれることを意味し、歓迎されるものではない。ここが農耕民族とは決定的に違うところ。どちらが生産性が低いとか、野蛮だとかの問題ではない(”豊か”を意味するところは人それぞれだよね。狩猟民族にとって獲物が減ることこそ貧しくなる直接の原因)
  • チャシは軍事的要衝ではなく、交易の場所だったのかもしれない。(いくつかチャシ跡を見たけれど、こんな見晴らしのわるいところに砦があったのか?と疑問なことが多々あった)
  • 場所請負制度前後でアイヌの和人に対する姿勢が変わった。素直、従順、無気力なアイヌは和人の侵略により、環境がの激変し、食べ物の変化(脂肪質からでんぷん質)で基礎体力も落ちてしまった結果のこと。元々は「立派で頑丈で健康的(スノーの記録)」だった。1800年代のアイヌは和人にも毅然と反論する気概があった(松平定信の記録)。(私も記録によってアイヌの性格が天地ほど違うことを不思議に思っていた。病気が大流行することについても、基礎体力の低下ということから考えて初めて納得がいった)
  • 開拓民に対しケプロンは稲作をやめ、小麦に切りかえる「食物の強制改造」を行った。確かに科学的にはケプロン案が正しいだろうが、稲作は「食」だけでなく「衣(ぞうり)」「住(縄など)」など文化に全体にかかわるものなので、簡単に他の作物に転換できるものではなかった。(お上のお達しに逆らって稲作が発達していった原因がわかりました。捕鯨についてもそうです。私は別に鯨肉が食べたいとは思いませんが、鯨のひげ、油など使った文化はどうなってしまうのだろうと考えると、捕鯨禁止は他国から強制されるものじゃないだろ〜と思うのです。)
  • 和人は舟を食う 知里真志保 北海道出版企画センター 1986  生前知里氏あが発表した文章をあちこちから集めたものです。英文学を学ぼうと大学にはいったものの、やはり自分が学ぶべきはアイヌ語だというのは納得しましたが、和人にはアイヌ語を学ぶ資格ないという考えなら賛成できない。北海道地名でも、それまでの解釈の間違いを指摘していたようだ。この本のタイトルもアイヌ語の間違いを揶揄したもの。

    確かにアイヌ的な考えかたをしなければ分からない部分もあるだろうけれど、素人としてはいろいろ解釈して想像を楽しみたいところです。 彼の時代と違って、今は有名人一人の解釈が、業界を支配する時代ではないでしょう。

    エカシとフチを訪ねて 川上勇治 すずさわ書店 1991  7人のフチ、エカシからの聞き取りです。こういう本を読むとアイヌも英雄やピリカだけでなく、普通の人たちなんだなぁと思います。浮気も離婚も再婚もあるし、だます叔父もでてくるしね。
    縄文からアイヌへ 町田宗鳳 せりか書房 2000  宗教的な視点でアイヌを読み解くということだそうだ。カムイに対する供物やイナウは返礼贈与の考えだとか。いわゆるギブアンドテイクでしょう。このことについては、あまり目新しいとは感じませんでしたが、イオマンテで主役となる熊は、コタンで2〜3年飼った熊を使うということについて、「どうしてわざわざ子熊から育てて?」とは思っていました。著者は「大事に育てた者をこそ捧げる」ことに、生贄の意義があると言っています。古代日本の神事にも共通する事がある(あったらしい)と。
    歴史の群像12 雄飛 p203-248「松浦武四郎」 杉本苑子 集英社 1984  歴史上の人物を,色々な著者がそれぞれ違った視点から伝記風にまとめた本. 例えばこの本では,武四郎が9才で疱瘡を病み,跡が思いの他ひどく残ったのが 経文を習い,地図を見て山川に想いを馳せるような内向的な子になった理由としている. 後に故郷を離れて「自分よりひどいあばたづらもたくさんいる」と知ってほっとしただろうとも.

    北海道探索中の武四郎についてはあまり触れていないが,このような視点は他で見ない. ちなみに,12巻では他に阿部仲麻呂(陳舜臣),山田長政(藤本義一),支倉常長(高橋富雄)の部分を読んだ.

    北の国の誇り高き人びと 松浦武四郎とアイヌを読む 横山孝雄 かのう書房 1992  既刊の武四郎関係の本が有益。それぞれについて特徴や問題点などが挙げてある。後半は武四郎著「近世蝦夷人物史」の現代語訳。

    アイヌの実名(と思う)をあげ、それにまつわるエピソードが書かれている。その中には、実際武四郎が見聞したこととはいえ、フィクション(らしい)ことが含まれていたりする。例えば、熊は雄親と小熊が行動することがないのに家族熊が頻繁に登場する。著者の解説によれば当時の儒教的な風潮のせいではないかという。著者は他にも、武四郎は尊王愛国の士だったし、出版の許可を得るためにも表面は幕府の同化政策をよしとしながらも、要所要所で幕府に反抗するアイヌを登場させていることの方が武四郎の本音であろうとしている。 他の伝記では平松楽斎の塾を辞したとあるだけだが、この本では破門されたとなっている。なるほど。

    蝦夷日誌上下 松浦武四郎著 吉田常吉編 時事通信社 1960  元の本は武四郎の日記116冊を抄録・編集した「東西蝦夷山川地理取調べ紀行」。 地理的地形的な説明がほとんどだし古文だしするので、知っている地名(オタルナイとかニイカップとか)のところを拾い読みしただけ。私には読み取れなかったが、ここは肥えた土地だとか開拓しないのはもったいないとか、どんな作物に向いているとかいうことまで書いてあるとか。元々は日記なので、再訪したところは複数回登場するし、シャクシャインなどは何度も出てくる。

    帆立貝が奥尻島へ帆をかけて移動したという話がこの本にのっていた。以前テレビで「本当にホタテは帆掛け舟のように移動するのか?」調べている人の取材を見たことがある。他に、シャクシャインは??アイヌの訛化したものという部分があったのだけど、メモしそびれてしまった。

    武四郎は豪胆というより、熊や病を恐れつつも使命感や冒険心を押さえきれず調査を続けた雰囲気がある。

    意外だったのは、武四郎は土人ということばを使っていること。アイヌとは書いていなかった。誤字もそのまま編集しているくらいだから、土人という記述は編者のものではなく武四郎のものだろう。現代「土人」というと差別語だろうけれど、この時代はそんな意味合いはなく入植者に対する先住者ぐらいの意味だったのではないだろうか。「土人保護法」も作られた当初は今と違った語感だったのかもしれない。

    武四郎千島日誌 榊原正文 北海道出版企画センター 1996 「三航蝦夷日誌(下)吉川弘文館 1971」を現代語に訳したもの。和暦を太陽暦に、時刻方角も現代のものを付記しているので親しみやすい。

    クナシリ、エトロフ島の記述に関してはなじみがなかったけれど、所々挿入されている、植物や動物のスケッチが楽しかった。注釈も多岐にわたって充実していると思う。この本で初めて、武四郎は地形の記録だけではなく利用のし方も提案していたんだとわかった。

    アイヌは原日本人か 梅原猛・埴原和郎 小学館  これを読んで、今まで疑問に思っていたことの説明がついたような気がする。
     和人もアイヌも元は同じ縄文人であり、変化の速度や方向がちょっと違っていたという説。 アイヌは縄文人の特徴を多く残し、和人は他の人種と混血し、現代のような特徴を持つ人になった。
    アイヌの四季 計良智子 明石書店  アイヌ文化といったら女性が主役。こんな本がないものかと思っていました。 特にアイヌ料理の仕方が貴重だと思います。
     家事のほとんどが女性の采配次第。 着物一つ織るにしても、糸から手作りしたのですから、身につけるには相当の年月が必要でしょう。 著者は、1年間フチと暮らし、技術を教わりました。