父は終戦後、フィリピン戦線での栄養失調と肺結核に冒されて復員後まもなく死亡。 私は当時3歳、父の記憶は殆んど無い、僅かに残された出征前の写真と入隊後の写真で面影を知るのみである。しかし、今回発見の「メモ手帳」に書かれた僅かな文章から改めて父の人柄を知る事が出来た。 ここで「軍隊手帳」と「メモ手帳」からフィリピンの地図と各種太平洋戦争記録図書から戦争末期のフィリピン-ルソン島の戦場と、父の従軍足跡を辿り、さらに我が家が被災した「東京大空襲」も併せて、あの忌まわしい太平洋戦争をもう一度想起してみたい。また貴重な父の遺品である「メモ手帳」の一部を公開して、絶対に忘れては成らない太平洋戦争の記憶を残すために、このページをアップしました。 1)召集入隊ー朝鮮ー台湾ーフィリピンー復員迄の足跡 軍隊手帳」の記録
「メモ手帳」の記録
昭和19年1月9日~昭和20月12月1日フィリッピン-終戦ーマニラ出航まで
追記(2019年8月15日) (アジヤ歴史資料センタ)WEBページから、やや日にちが異なるがこの第19師団の一部と思われる。 19師団の詳細はこちら。 ![]() 参考 ウイキペディア「ルソン島の戦い」から 「ルソン島の戦い」(ウイキペディアより)抜粋
2)北部ルソンの悲劇 父の「メモ手帳」にはルソン島北部での移動が事細かく地名が記録されている。そこで早速フィリピン地図を購入して足取りを辿ったが、大きな街名は分るがその他は地図に地名が無い、現在国内で入手出来る地図では分らない。 ところがインターネット「Google Map」で見たら市販の地図より少し詳しかった。それでも終戦前の最後に駐屯していた「トッカン」の所在地が分らない。世界遺産指定の棚田で有名な「イフガオ州」の山地である事まで突き止めた。 ウエブサイトで「北部ルソンでの悲劇」を検索していたら次のサイトが有りました。 高知市の松井浩一氏(ファームスクールで戦死された方の息子さん)が纏め作成された「北部ルソンでの悲惨」です。 内容は北部ルソンーイフガオ州「ファムスクール」で高知県で編成された大隊の壊滅記録やその他壮絶悲惨な敗走記事などでした。この「ファームスクール」から街道一本西に「トッカン」の地名が掲載地図に有りました。 又、この纏められた記事の中に多く「トッカン」の地名がでています。 参考に地図を掲載させて頂きました。 ![]() ![]() 詳細図 左上に「至トッカン」 追記(2020年8月)GoogleMapで「トッカン」の位置判明しました。(TUKUCAN)「トウクカン」の地名で見つかりました。 ![]() ![]() この記事を読むと、北部ルソンの戦いと言うか。壮絶悲惨な敗走記録です。殆んどの日本兵は飢えと病気で亡くなられている。このウエブサイトを纏められた松井浩一氏に改めて御礼申し上げます。 「北部ルソンでの悲惨」から抜粋記事
「続 イフガオの墓標」から抜粋記事 「バギオの北ルソン日本人会」のウエブサイトに、「続 イフガオの墓標」(宍倉公郎著 昭和55年育英印刷興業発行)からの抜書きがご紹介されており。この中に終戦直前からの「トッカン」の様子が詳しく記載されていました。ウエブサイトページの「バギオの歴史コーナー戦時編」です。その内「続 イフガオの墓標」の抜粋は「その五」「その六」「その七」「その八」。
「バギオの歴史コーナー戦時編その五」 その五からの抜粋記事
「バギオの歴史コーナー戦時編その六」 その六からの抜粋記事
「バギオの歴史コーナー戦時編その七」 その七からの抜粋記事
「バギオの歴史コーナー戦時編その八」 その八からの抜粋記事
追記(2020年9月6日) 念願だった「続イフガオの墓標」古書を9月5日に入手購入しました。 ![]() この本の巻末記載のトッカン周辺の地図。 ![]() ![]() 本325ページ挿絵地図より ![]() 追記(2020年8月) ![]() ブログ「高原バギオ。雲に乗って、心のままに」よりお借りしました。 追記(2020年8月)GoogleMapで上記に該当する衛星画像。 ![]() 追記(2020年8月) 中央下🏁「トウクカン」。右上の🏁「ワンワン村」(大和基地の近く)。右端🏁は「キャンガン」 左端は「ブギアス」。「大和基地」とは山下奉文大将の最後の日本軍の基地があった場所.です。 トッカン街道周辺の3D地図 ![]() ![]() 以上の記事から終戦直前に敗走して逃げ込んだ最後の場所が「トウクカン」こと「トッカン」でした。 奇跡的に生き延びた父はここで終戦を迎えて昭和20年12月復員。しかし栄養失調と肺結核に侵され、帰国後私たち家族の疎開先新潟県(現在)上越市柿崎区上下浜に漸く辿り着き即入院しましたが 昭和21年1月21日没享年35歳。 追記(2020年8月15日)
管理者の「東京空襲~終戦」記録はこちらリンクです。 戦後76年を迎え戦争の悲惨を忘れない様に語り続けよう 2021年8月15日 管理者 小川久雄 |