鈴木氏(金澤市史工芸編168〜169頁)

初代光弘は通称を長左衛門という、累代その通称を襲ぐ、鈴見屋徳兵衛の子なり、水野光政に就いて彫金の技を習い、細工者となりて二人扶持を給せられ、晩年その技に優秀なるを以て、更に一人扶持を加えられ、文化五年六十一歳にて没せり、
二代兼弘は文政三年四十五歳にて没し、
三代光宣は安政元年七十三歳にて没し、
二人とも初代の子なりき、
四代七左衛門兼宣は、明治二年六十四歳にて没し、
五代嘉平義敬に至りて、業を廃せり

鈴木氏(石川県史第三編753頁)

初代光弘は通称を長左衛門といい、鈴見屋徳兵衛の子なり。水野光政に学びて白銀師となり、二人扶持を給せられしが、晩年その技に秀でたるを以て一人扶持を増賜せらる。二代長左衛門兼弘家を襲ぎ、亦二人扶持を受け文政三年没す。後子孫相襲ぎて業を受く。

長左衛門光弘長左衛門兼弘長左衛門光宣(兼弘実弟)長左衛門兼宣(兼弘実子)長左衛門


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