◇三◇  それから、何事もなく数日が過ぎた。  円城寺がオレの内臓を狙っているという所までは、一応瑞希には話しておいた。  そのせいか、あいつはオレと居る間、随分と周囲に気を配るようになってしまったが、今の 所その努力は全て徒労に終わっている。  まあ、オレ自身も彼女が再び姿を現すのではないかと注意はしていたのだが。  だが円城寺がオレの前に姿を見せる事はなく、ほぼいつも通りの平和な学園生活が続いた。 せいぜい、投身願望のある生徒が二階から飛び降りて、マットのある場所を外れて大怪我を したとか、絶叫中毒の生徒が防音の音楽室から抜け出して、奇声を上げて校内を走り回ったと か、変わった事といえばそれくらいである。  この学園では日常的とも言える風景だった。  それとなく瓜川に円城寺の事を聞いてみると、彼女はどうやらここしばらく面会室に通い、 郷原に対して辛抱強く説得を繰り返しているらしかった。  この反省室を出たとしても、もう二度と如月夕夜に――つまりはオレに、暴力行為を振るわ ないように、と。  だが、憧れの君の説得であるにも関わらず、郷原は頑としてその要求を受け付けてはいない らしい。  曰く「オレはまだ一発もあいつを殴っていない。せめて、一発だけでもお見舞いしないと、 落とし所としては納得出来ない」  いや、一発でもお見舞いされたらオレは確実にあの世に旅立てると思うんだが。  郷原が反省室に閉じ込められている予定期間はおよそ二ヶ月。  結果的には器物破損・授業妨害しか行ってはいない為、適切な期間ではあるのだろうが、そ の後の展開を考えると、オレとしてはもう少し長くても良いのではないかと思ってしまう。  円城寺の説得がその間に達成される事だけが、唯一の希望の光ではあった。  だが、オレのそんな思いを打ち砕くかのように。  ある日、学園を揺るがす大事件が発生してしまう事となる。  その日の朝、学園は普段とは明らかに違う異様な雰囲気に包まれていた。  教室に入るなり、しがみ付くように駆け寄ってきた瑞希の話で、オレは初めてその事実を知 らされたのだ。  ――反省室に閉じ込められていた郷原丈邦が、殺害されたのである。  死体が発見されたのは、昨日の夕方――丁度、学園内での活動時刻が終了する直前の事であ ったらしい。  面会室へ、いつものように郷原丈邦の説得に円城寺良華が訪れた時の事だ。  僅か十分程の出来事だったそうだ。  まず、円城寺との会話で興奮した郷原丈邦は、全治一ヶ月の重症であったにも関わらずその 場に居た見張りの教師を気絶させ、面会室の仕切り壁を叩き割った。  まさしく根性としか言いようがない。  そうして互いを分かつ壁がなくなった所で、円城寺は持ち込んだナイフで郷原の腹を割き、 その内臓を引きずり出したのだ。  当然、郷原はその行為を了承した。  以上は、見張りの教師が録音していた会話内容から判明した事実である。  面会室、及びその周辺には当然監視カメラが設置されていたが、管理システムの不具合によ り、その時間帯の情報はほとんど残されていなかったらしい。  その後の円城寺の行方は、不明。  つまりはこの学園に、殺人犯が今も潜伏しているという事になる。  瑞希が顔を青くしてオレの体にしがみ付いてくる理由が、それだった。 「ゆ、夕夜ちゃんは大丈夫?確かあの女、夕夜ちゃんの内臓を狙ってるって……!」  先日、保健室であった出来事を知らない瑞希が、心配するのも無理はない。  とはいえ、オレとしてもそれなりには不安――というより、状況が不穏であるという事くら いは理解出来る。  保健室では、何故かオレの内臓を見ずに立ち去った円城寺良華ではあるが、その後実際に他 人の腹を割き、内蔵を引き出すという行為をやってのけたのだ。  その行動を宣言するだけでも十二分に異常だが、現実に実行されてしまっては、やはり他人 に与える精神的圧力が段違いである。 とりあえず瑞希を落ち着かせてから、オレは自分の席に座ってリスト型コンピュータを操作 し、学園のサイトにアクセスする。  少しでも事件に関する情報を集めようと思ったのだが、ふと、自分宛てに一通のメールが届 いている事に気が付いた。  差出人はR・E。  件名は「この前にあった出来事について」  ……もしかして。  こちらにチラチラと視線をやってくる瑞希に注意しながら、オレは周りに見られないよう慎 重に画面の角度を変えると、なるべく自然な動作でメールを開ける。 「先日の保健室ではごめんなさい。その後、お腹の傷の方は大丈夫かしら。彼については、私 がきちんと始末を付けるから貴方は心配しないで。R・E」  着信時刻は、昨晩の午後十一時二十五分。  明らかに円城寺からと思われるメール内容だった。  オレは何度かメールを確認すると、内容を忘れないよう頭の中に刻み込んでから、そのデー タを消去する。  そして、改めて事件について考えてみた。  円城寺がオレの内臓を確認しなかった理由については分からない。  だが、郷原の腹を割き、殺害した理由についてはどうやらこれで理解出来た。  つまりは、あいつが反省室から出てきた後に、オレに迷惑が掛からないように。  円城寺は、自らの手で責任を取ったという事だ。  郷原が反省室の仕切り壁を破壊出来たという事は、その気になればいつでもそこを脱出し、 オレを襲う事が可能だったという事である。  円城寺がその事に気付いていたならば、郷原の反省期間終了を待たずして、最終手段に訴え た可能性は非常に高い。   …………………………。  何だよ、それ。  じわじわとした感情が、腹の底から湧き上がってくる。  確かに郷原がオレを襲ったのは、円城寺が告白について話した事が原因であるかもしれない。  だが、だからといって全面的に彼女が悪いという訳ではないだろう。  基本的に、全ては暴力で解決しようとする郷原の姿勢そのものが問題なのである。  それなのに。  他に解決策がないからといって、殺人まで犯すというのは幾ら何でもやりすぎじゃないのか?  多分、その時のオレは、確かに苛立っていたのだと思う。  自分には何も言わず、勝手にそれを実行した、円城寺良華に。  そうこうしている間に授業開始のチャイムが鳴り始めると、いつものように無表情な教師が 入って来る――筈だった。  その代わりに、オレが見た事の有る――いや、絶対に忘れようのない嫌な顔が扉を開け、何 人かの生徒、そして教師達と共に教壇に立った。  そいつは大学部の制服を掲げながら、さも当然であるかのようにそこに居た。  何で。どうしてこいつがここに。 「皆さん、お静かに。昨日職員エリアであった不幸な出来事については既に耳にしているでし ょうか」  教室内の私語をピタリと止めると、そいつは相変わらず有無を言わせぬ威圧感を放ちながら、 このクラスの生徒達に向かって語りかける。 「高等部二年E組の郷原丈邦君が、面会室でとある人物に殺害されました。職員の有志、そして 我々風紀委員は、学園内に姿をくらました犯人の行方を、現在全力で追っています」  そんな事を言いながら、そいつは古い知り合いでなければ決して気付かない程僅かに、だが確 かに愉快そうに表情を歪ませた。 「犯人の名前は高等部二年E組・円城寺良華。パーソナルデータはネット上で確認出来るよう手 配しておりますので、もしこの人物に関する情報をお持ちの方が居ましたら、是非教職員か、我 々風紀委員までご一報を。特に、如月夕夜君」  その生徒――生徒会風紀委員長・喜島薫は、射るような視線をこちらに向けると、今度は誰に でもはっきりと分かる表情で。 「君からは、特に有益な情報が得られるだろうと期待しているよ――」  確かに、哂いながら奴はそう言ったのだ。


 カーテンの引かれた薄暗い寮の一室に、私は膝を抱えて閉じ篭もっていた。  ここはトラモイル学園初等部の居住エリア・その学生寮の片隅にある倫の友人の部屋である。  明るい場所を嫌い、暗所を好むという学園でも有名な引き篭もりであるその彼女の嗜好は、し かし私が潜伏する隠れ家としてはこの上なく理想の環境だった。  彼女はこの部屋から外に出るという事自体が滅多になく、また周囲もそれを分かっている為、 ここを訪れる人間というのは滅多に居ない。  彼女の友人である倫が、携帯食料などを半月に一度差し入れにやって来るくらいだろうか。  それに、高等部の人間が初等部や中等部、大学部といった他のエリアを行き来する事は非常に 少ない。  そういった意味では、この場所は学園からの追っ手にとって、盲点を突いた潜伏場所であると 言えた。  倫には、感謝をしなければならない。  出来る事なら、彼女には迷惑を掛けたくなかったのだが。  そんな事を考えながら、私は昨日あった出来事についてもう一度思い返してみた。  約一週間にも及ぶ郷原くんに対しての説得は、既にほとんど手詰まりの状態だった。  ただ如月くんに対する暴力行為を止めて欲しい、私が訴えたのはただそれだけの事であったの だ。 だが、彼はその説得を頑としてまるで受け付けなかった。  仮にも私の事を好きだと言っておきながら、それはないのではないだろうかと少しだけ思う。  とにかく彼は、一発だけで良いから如月くんを殴りたい。それで、彼の心の中では様々な思い が綺麗に消化されるらしかった。  だが、郷原くんのあの怪力は少しばかり尋常な物ではない。心理的な制御がなくなっているの がその原因だろうと先生達は言っていたような気がするが、そんな事はどうだっていい。  重要なのは、彼に一発でも殴られて、その上まだ生存できる生物はおそらくこの世に存在しな いだろうというその一点だ。  その上、彼はその気になれば、いつだって反省室から抜け出す事が出来るだなどと言い切った。  実際、まだ全治一ヶ月近い重症であったにも関わらず、彼にはそれが可能であったのだ。  下手をすれば、次の瞬間にも彼は反省室を抜け出し、如月くんを襲いに向かっていたかもしれ ない。  選択の余地は、なかったと思う。  郷原くんは、如月くんに落とし前を付けさせる事にはこだわったが、それ以外の事に関しては、 本当に私の言う事を何でも聞いてくれたから、実行は意外な程に簡単だった。  まず、彼が暴れ出すように上手く会話を誘導してから(まさか先生まで殴り倒すとは思わなか ったが)面会室の仕切り壁を破壊して貰った。  そして、私は彼に言ったのだ。  貴方の内臓を、見せて欲しい――と。  その行為は、傷害だとか、あるいは殺人だとか、そういった類の物ではなかったと思う。  言うなれば、あれは儀式に近かった。  郷原くんは、私に好きだという想いを示す為に――そして私は、彼のそんな想いを利用して殺 害する為に――腹を、割いた。  彼は、最後までその行為に納得して、絶命していったように思う。  私にとって、彼は最後まで私の事が大好きな――けれど迷惑な事しか振りまかない人物であっ たとは思うけれど。  それでも、その信念だけは素直に尊敬出来る物だった。  そこまでの行動を実行した後、私はふうと溜め息をついて、その先に待つであろう運命の事を 考えていた。  私の行った事は明らかなる犯罪行為である。  反省室送りどころかそれ以上の罰則が加えられる事は、流石に想像に難くなかった。  この学園における犯罪行為は、基本的には学園内で処理される事となっている。  外の世界と、どういう取り決めになっているのかは知らないが――例えば殺人といったレベル の犯罪であっても、その犯人は学園側で独自に捕らえ、処分が決定された後、外の世界に連行さ れるというおかしな仕組みになっているらしい。  その辺りが曖昧なのは、この学園で過去に起こった事件で、人死にが出るレベルの物が実は意 外な程に少ないからだ。  だが、例が全くないという訳ではない。  以前に一人、周囲に常に暴力行為を働いていなければ気が済まないというタイプの生徒が居た。 郷原君を更に厄介にしたような生徒だった。  必然的に反省室送りにされる回数の多かった彼は、しかしそれでもその行為を止める事なく、 むしろその内容はどんどんとエスカレートしていった。  彼の暴力行為によって絶命する生徒が現れたのは、ごくごく自然な事だったと思う。  そうして、教師達によって彼は捕らえられ、処分が決定し、その身柄は当然の事ながら警察に 委ねられる事となった。  その後の彼の消息については、分かっていない。  他にも、素行の悪すぎる生徒の何人かに、外の世界での処分が決定された事がある。  それらについても、その後の消息については一切分かっていない。  外部世界と切り離されているが故の、それは明らかな不安要素以外の何物でもなかった。  ……そうか、ネットワーク接続から切り離されている時の倫も、こんな気分で居るのかもしれ ない。  そう考えると、倫の事が少し分かったような気がして何だか少しだけ安心出来た。  彼女には、本当に迷惑ばかりを掛けている。  郷原君の内臓を隅々まで見定めた後、私はこのまま先生達に捕まり、この学園を去らねばなら ないのだろうな、と半ば達観した気持ちで立ち尽くしていた。  そこに、倫から突然の連絡があったのだ。 「リョウカ、説明は後にします。今から十秒後、反省室前に自動清掃用のカートが到着しますの で、あとはその中に隠れてひたすらじっとして、次の指示を待って下さい」  リスト型コンピュータを耳に当てると、彼女は通話機能を使い、小さな、しかし確かな口調で そう告げてきた。  どうして彼女は私がここに居る事が分かったのだろう。  それよりも、カートに隠れて一体何がどうなるというのか。  働かない頭でそんな事を考えていると、ガラガラと音を立てて、清掃用の自動カートが反省室 の前にやって来た。  低く唸るような音を立てて、カートが扉の前を通り過ぎようとする。  ほんの一瞬だけ逡巡したが、倫がわざわざここまでしてくれた事なのだ。  乗るしかない。  カートに被さったシートを開いて、その中に飛び乗り、再びシートで蓋をする。  暗闇の中で、リスト型コンピュータの画面だけが僅かな光を放っている。 「リョウカ、リスト型コンピュータを外してそれはそのカートに残して行って下さい。そして次 の角で、向かいからやってくるもう一台のカートに飛び乗って下さい。出来るだけ、早く」  倫はそんな事を言うが、これを外してしまっては倫と会話が出来なくなってしまうのではない だろうか。 「次のカートに乗り込んだら、あとは私の所に着くまで他に指示する事はないので心配ありませ ん。それに、その端末を付けている限り、学園側は貴方の事を決して見失わないでしょう。 ……それには発信機能も付いていますから」  発信機能?  そんな機能が付いてるだなんて、この学園に来て数年間一度も聞いた事がない。  それに、倫はどうしてそんな事を知っているのだろう。 「コンピュータ全体の管理をしている内に、端末に幾つかおかしな機能が付いている事に気付き ましてね。無闇にリョウカを心配させるのもなんでしたので、これまでは黙っていたんですが」  という事は、その気になれば学園側は常に生徒の存在位置を把握出来るという事か。  もしかして、倫が私の位置を知ったのも同じ機能を使ったのだろうか。 「ええ、趣味が悪いとは思ったんですが、郷原さんとの面会はあまりにも危険が多いと判断しま したので、端末の機能、及び反省室に設置されたカメラなどを使って、これまでの面会は全てモ ニターさせて頂きました。……すみません、リョウカ」  倫が本当に申し訳なく思っているのが、その声質から理解出来た。 「勿論、学園側も同様の事を行っていたと思いますが……、リョウカの反省室からの足取りは、 可能な限りの妨害工作で記録を改竄していますので、その点については安心して下さい」  そう言って、倫は言葉を結ぶ。  そうか……、彼女は私の事を心配して、それで。  少しずつ、頭の中がはっきりと動くようになってきた。  それに伴い、私が事件から逃亡しているのだという事実をようやく完全に把握する。 「そろそろ次の曲がり角です。リスト型コンピュータを外して、前から来るカートに乗り換えて 下さい」 「うん、大丈夫よ倫。もう外してるわ。あと、まだ話が出来る内に言っておきたい事があるんだ けど」  倫は、多分私が何を言うのか予想出来なかったみたいで、驚いたように少しだけ間を空けてか ら。 「何ですか?」 「ありがとう、倫。貴方に迷惑を掛けるつもりはなかったのに」 「……水臭いですよリョウカ。それに、その言葉は私の所に辿り着くまで取っておいて欲しかっ たですね。貴方は必ず私が救い出してみせますから」  ガラガラと、前方からもう一台のカートが近づいてくる音が聞こえる。 「今です、リョウカ。飛び乗って!」  私はシートを持ち上げ、カートに残された倫の言葉に別れを告げると、前方からやって来たカ ートに飲み込まれるようにして飛び乗った。    倫から貰った携帯食料を齧りながら、私は暗い部屋の中で、ひたすら時が過ぎるのを待つ。  彼女の友人であるこの部屋の主は、長くてボサボサした髪でその表情を隠し、部屋の片隅で端 末をいじりながら何やらブツブツと呟いている。  私がこの部屋に来てからずっとあんな感じだが、こちらは脛に傷持つ犯罪者なのだ。贅沢な事 は言ってられない。  ふと、如月くんの顔が目に浮かんだ。  倫に頼んで、彼に送って貰ったメールはちゃんと届いただろうか。  私の意志は、ちゃんと彼に伝わっただろうか。  既に自分の道は彼のそれとは外れてしまったが、少なくとも彼にだけは私の行動について誤解 をして欲しくなかった。  あの時。  保健室で、彼のお腹をメスで引き裂こうと手を掛けた時。  彼は明らかに恐怖心というものを感じていなかった。  そこには動揺というものが全くなかった。  ……何故だろう。  あの郷原くんでさえ、死に怯える事こそなかったものの、そこには明らかなる動揺が見て取れ たのだ。  その彼よりも、弱い――という表現は間違いかもしれないが、少なくとも根性があるとは思え ない如月君が、あそこまで自己を冷静に保てる物なのだろうか。  それが、ひどく気になった。  彼の中身を、内臓を見る前に――それを作り出した、彼の心を、その中身を、どうしても知り たいと思ったのだ。  だから手にしたメスを元に戻し、ポケットに入っていたバンドエイドで既に付いた傷を止血し てから、私は保健室を立ち去った。  あるいは、彼の内臓を見る最後のチャンスを逃したのかもしれないが、その時点で、私の好奇 心は内臓のそれより彼の内面に対する物の方が上回っていたのだ。  そこに、悔いはなかったと思う。  思考をそこで一度中断してから、私は再び携帯食料を齧った。甘い。  私はその味を飲み込むと、水をほんの少し口にしてから。  彼は今頃、一体どうしているのだろうか。  そんな事を、考えた。


 生徒会エリアの風紀委員専用個室で、オレはトラモイル学園大学部一年、風紀委員長・喜島 薫と机に向かい合わせで座っている。  だが、こいつと顔を合わせる事だけはしない。  絶対に、しない。  喜島は相変わらずの歪んだ笑みで――こちらの方から視線を外さずに。 「……成る程、郷原君が君の命を狙っていた為に、彼女は責任を取って彼を殺害したという事か。 いやいや、この学園らしい実に狂った事件だね」  一体、どの口がそんなセリフを言うのだろう。  オレが嫌な顔をしているのは一切気にせず、喜島はますます嬉しそうに。 「それで、彼女の行方についての話なのだがね」  ようやく本題を切り出し始める。 「面会室には、当然の事ながら監視カメラや、その他防犯システムが設置されていた訳なのだが、 それらは実に間の悪い事に、システム障害によって事件当時はほとんど役に立たなくてね。一応 データの復帰作業は続けているが……。まあ、学園のシステム自体が既に相当に古い物だから、 常時どこかしらに不具合が発生しているのは、ある意味で仕方のない事だとも言える」  手を広げて大仰なリアクションを取りながら、喜島は実に楽しそうに事件について説明していく。 「従って我々風紀委員、そして教師達も、事件後の犯人の足取りを完全に見失ってしまっている 状態でね……、現在は非常に原始的な捜査に頼らざるを得ない状況だ。まあ君にこうやって質問 をしているのも、その捜査の一貫な訳だが」  そこまで言うと、喜島は一旦息をついでから。 「単刀直入に言おう。円城寺良華から、君に対して何らかの接触はなかったかね?」  成る程、つまりはそれが聞きたかった訳か。  確かに状況から考えて、円城寺がオレに接触してくる可能性は相当高いと考えるのが自然だだ ろう。  実際、メールによる連絡はあったのだから喜島の想像は決して間違っている訳ではない。  だが、その事実をオレが教えるかどうかは全く別の話なのだ。 「……いや、特に何の接触もなかったな。少なくとも今の所は――だが」  喜島は、オレが何か隠してはいないかと睨むような視線をこちらの方に向けていたが、やがて 無駄を悟ったかのように息を吐くと。 「……まあいい、これまでに接触がなかったとしても、将来的に接触を持つ可能性は十分にあり 得るのだから、その時に我々風紀委員に情報を与えてくれればそれで良い。それに、その前に彼 女が見つかる可能性の方が高いだろうしな」  喜島はそこで一度言葉を切る。  そういえば、疑問に思っていた事が一つある。 「……喜島、風紀委員の仕事はあくまでモラルの範囲内での学園内での活動が主だった筈だ。そ れが、どうしてこんな犯罪的な事件にまで関わってくる?」  そう言うと、喜島の奴は待ってましたとばかりに喜色満面の笑みを浮かべて。 「相変わらず情報が遅いな、如月夕夜。一年前とは違って、風紀委員はこの種の事件に関してほ ぼ教職員と同等の権限が与えられているのだよ。勿論、この私の努力の賜物だがね」  ……教職員と同等の権限だって?  聞き逃せない情報を、喜島はさも当然のように語る。 「まあ、学園で起こるこのレベルの犯罪自体が少なかったからな、現・風紀委員の権限を全面的 に使用したのは、今回がほぼ初めてだと言って良いだろう。思う存分正義の刃を振るう機会があ るというのは、実に……素晴らしい気分だよ」  ……こいつ。  腹の底から沸き立ってくる嫌な感覚を抑えつつ、しかし一年前にあった学園からの脱出劇を思 い起こさずには居られない。  当時、まだ高等部の三年だった喜島薫は、同じ高等部の後輩だったオレに対して、とある相談 を持ち掛けてきた。 「如月君、君の事を見込んで話がある。何人かの同士を集めて……この学園から外に抜け出すつ もりはないか?」  その時、既に風紀委員だった喜島薫は、しかしこの学園におけるその役割がほとんど形ばかり の物である事に対して、大きな不満を持っていたのだろう。  同じように、学園での生活に対する不満を持っていた生徒数人を集めて、この学園から外に脱 出する計画を立てたのだ。  風紀委員である喜島薫が生徒会エリアでの脱出経路を確保し、オレが教師の不意を突いて職員 エリアへのカードキーを奪う。他の仲間達の助けもあって、オレ達は職員エリアから外部へと繋 がる最後の扉にようやく辿り着く事が出来た。  そこまでは、良かったのだ。  喜島薫が、オレ達を裏切ってさえいなければ。  教師達が待ち伏せをしている事に気付いた時は既に遅かった。  オレ達はたちまちの内に捕らえられ、反省室送りとなり、そして、唯一、喜島だけが助かった。  あいつは最初からオレ達に学園内の風紀を乱させ、風紀委員としてそれを捕らえる為に――オ レ達に計画を持ちかけたのだ。  自らの不満を解消する、その為だけに。  決して忘れる事の出来ない、この学園での最悪に近い思い出だった。  だから、喜島薫――こいつの事だけは、今でも決して許す訳には行かないのだ。  絶対に。  オレのそんな考えを知ってか知らずか、喜島は相変わらずニヤニヤとした表情でこちらを見て いる。 「……もう話す事がないなら、そろそろ帰らせて貰うぞ、喜島」  オレがそう言って席を立つと、喜島はそれを止める事はなく、しかし。 「喜島風紀委員長と――そう呼びたまえ、如月君」  そう言いながら背中を叩き、最後までオレの気分を最悪にさせる。  オレはその言葉に答える事なく、喜島に最後まで背を向けたまま、その教室の扉を閉めた。  廊下に待機していた風紀委員に連れられ、生徒会エリアの出口へと向かう。  こうしている間にも、円城寺に対する包囲網は刻一刻と狭まっているのだろう。  喜島の奴は性格は最悪だが、あれでもそれなりに頭が切れる。  オレが情報を何も話さなくても、彼女が捕まるのはおそらく時間の問題のように思えた。  それでも。  彼女が無事に逃げおおせられるよう、オレは祈らずにはいられなかった。


  教室エリアの方から放課後のチャイムの音が聞こえてくる。  そろそろ午後五時を回った頃だろうか。  何時間もカーテンの閉められた暗い部屋に閉じ篭もっていると、どうも時間の感覚が麻痺して しまっていけない。  ぼんやりとそんな事を考えていると、突然、誰かに肩を触られた。  驚いて勢いよくそちらを向くと、倫の友人がびっくりしたような表情で――髪の毛に隠れて顔 は見えないのだが――膝を突いた視線のまま固まっている。  初等部の生徒にしては随分と背が高いのが印象的だ。  ええと、名前は確か。 「ごめんなさい霧沢さん。突然だったからびっくりして……、何か、御用?」  私がそう尋ねると、霧沢さんは左手から外したリスト型端末を、私の方に手渡してくる。  画面を見ると、どうやら倫からのメールが届いているようだった。 「ありがとう、御免なさいね、迷惑を掛けてしまって。なるべく早くにここを出て行けると良い んだけど……」  私がそう言うと、彼女は口を動かし、ほとんど聞こえない程の小さな声で。 (きにしないで。りんちゃんのともだちは、わたしのともだちとおなじだもの)  霧沢さんの唇は、確かにそう言っていたと思う。  もう一度お礼を言ってから、私はコンピュータ端末を操作してメールを開く。 「リョウカ、そちらの方の様子は変わりありませんか?現在も教師、及び風紀委員会の動向をハ ッキングして調べていますが、今の所、学園からの追っ手は予想通り、高等部の居住エリアに絞 って捜索を続けている様子です。初等部の寮に捜索の手が伸びるのは、おそらく明日以降になる でしょう。……私の所にも風紀委員がやってきましたが、事件当時、私は情報処理室で仕事をし ていたという鉄壁のアリバイがありますからね。疑われてはいない筈です」  確かに倫は、事件が起きた時にはただひたすら情報処理室で仕事をこなしていた――いや、そ ういう風に、認識されているだろう。  学内の人間の位置情報と清掃用カートを利用し、犯人の逃亡の手助けをしたなどとは間違って も思われていない筈だ。  私が面会室から脱出して最初に倫と合流した時、倫は学園側の動きについてこんな予測を立て ていた。 「リョウカ、既に現在、学園内での活動終了時刻は過ぎています。おそらく事件は既に発覚して いるでしょうから、学園側の貴方への捜索は、現場検証を終えてから、まず生徒会エリア、教室 エリア、そして念の為に職員エリア内へと伸びて行く事になるでしょう。一晩で全てを捜索し終 える事はないと思いますが、これらのエリア内に隠れ潜む事は非常に危険であると言えます」  確かに、それはその通りだった。  トラモイル学園では、夜間の学園内での生徒の活動はほぼ居住エリア内に限定される。  逆に言えば、夜間に捜索をするなら学園エリア、生徒会エリア、そして職員エリア内から一つ 一つ潰していくのが確実だという事だ。  そうして朝方、生徒達が学園に登校するのを待ってから、居住エリア内を探索する――それは、 生徒達の安全を確保する上でも、確実性の高い捜索スタイルであると言えた。 「よって、リョウカが身を潜める場所として私は居住エリア内を勧めます――幸い、私の友人に 初等部居住エリア内の主と呼ばれる人物が居ます。彼女は一日中居住エリア内の自室で過ごす生 活を送っていますから、学園側の捜索の手もそう簡単には入って来られないでしょう。……プラ イバシーの問題が、ありますからね」  確かに、幾ら殺人犯が学園内に潜んでいるとはいえ、勝手に寮の部屋に入り込む事は、教師達 もそう簡単には出来ないだろう。生徒からの相当な反発が予想されるからだ。  ……勿論、授業中など生徒が中に居ない状態であれば、隠れてこっそりと捜索する事も不可能 ではないかもしれない。  だが、まる一日中その部屋の住人が中に閉じ篭っているとなれば話は別だ。  少なくとも二、三日……、私を見つける事が出来ずに彼らが痺れを切らすまで、ここは比較的 安全な隠れ場所であると言えた。  私は再びメールの続きに目を向ける。 「……リョウカを助ける手段として、私が思い付く方法は現在の所二つあります。一つは、この 事件の犯人がリョウカではない、あるいは犯人だとしても正当防衛だった事にし、その無実を立 証する事。……勿論、実際に貴方が起こした事件であるのですから、なかなかに難しい所だとは 思います」  それは、自分が犯人である事を知っている私には、決して思い付かない発想だった。 「しかし、現場に残された明らかな証拠は、見張りの教師の持っていた録音機器だけしかありま せん。更に現在、私は風紀委員会から、事件当時の監視カメラデータの復帰作業を依頼されてい ます。データ復帰に成功したという事にして、証拠をでっち上げることは決して不可能ではない でしょう」  そう言われてみると、確かに私が犯人であるという証拠はその録音データだけしかないのだ。  郷原くんが暴れて見張りの教師を気絶させ、仕切り壁を割った後より先の事実は、そのデータ と、現場の状況から推測するより他に方法がない。  そういえば、私はあの時、郷原くんにどんな言葉を掛けたのだろう。  興奮していたのか記憶がうすぼんやりとして、その辺りはよく覚えていない。  でも。 「そして、もう一つの方法――こちらはあまりお勧めする事は出来ませんが。この学園の外に脱 出、つまりは外の世界に逃げ出すという方法です。リョウカの逃亡範囲がこの学園内に限られて いる以上、永遠に逃げ続けるという訳には行きませんからね。それならば最悪の場合、この学園 の外に脱出した方が……私はむしろ逃亡のメリットは高くなると考えます。リョウカの体の事も ありますし」  二つ目の方法はなかなかに無難というか、私も薄々と考えてはいた方法だった。  外の世界に出たとしても追われる身に違いないとはいえ、その逃亡範囲、また様々なメリット はこの学園内に居続けるよりは随分と大きい。  ただ、一つだけ問題があるとすれば。  私の知る限り――この学園から自力で脱出した生徒が、かつてただの一人も居ないという事実 だけだ。  勿論、倫だってそんな事くらいは分かっているだろう。  ただ、あくまで可能性の一つとして検討したというだけの話だ。  それよりも。 「……現在の所の情報は以上です。私もある程度は日常生活を送っておかないといけませんので、 今後の相談については、私が寮に戻ってからという事にしましょう。風紀委員などに怪しまれる と厄介ですからね。それでは、また」  そこで、倫はメールの言葉を結ぶ。  私は一度メール画面から視線を外すと、倫にはまだ話していない、自分の意見についてもう一 度よく考えてみた。  私は現在、学園の追っ手から逃亡中の身ではある。  勿論、倫の尋常ではないサポートがあればこそ成し得た結果で、そこに私自身の能力はほとん ど介在する余地はなかった。  そう、そこには私の明確に逃げようという意思すら、ほとんど必要がなかったのだ。  現状から全く逃げたくなかったとは言わない。  けれど、倫や、その友人にまで迷惑を掛けて私が逃げ延びたその先に、一体何が待っていると いうのだろう。  そういつまでも逃げ続けられる身ではないというのに。  その事を考えると、どうしても私の気分は暗く沈み、憂鬱な想いでたまらなくなる。  駄目だ、もう一度良く考えてみよう。  私がこの事件を起こしたその理由は、確か。  ……そう、如月くん。  彼に掛けた迷惑を取り除く為。その為だけに、これは起こした事件であったのだ。  その答えに辿り着くと、私はほんの少しだけ安心する。  そしてその安心は、そのまま如月くんに会いたいという気持ちに変わっていった。  でも、それは今となっては叶わぬ願い。  もし、私が今も逃げ続けている事に何か理由があるとすれば、それはもう一度だけでも彼に会 いたいという、ささやかな願いに他ならなかった。

更に数日経った日

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