◇三◇
それから、何事もなく数日が過ぎた。
円城寺がオレの内臓を狙っているという所までは、一応瑞希には話しておいた。
そのせいか、あいつはオレと居る間、随分と周囲に気を配るようになってしまったが、今の
所その努力は全て徒労に終わっている。
まあ、オレ自身も彼女が再び姿を現すのではないかと注意はしていたのだが。
だが円城寺がオレの前に姿を見せる事はなく、ほぼいつも通りの平和な学園生活が続いた。
せいぜい、投身願望のある生徒が二階から飛び降りて、マットのある場所を外れて大怪我を
したとか、絶叫中毒の生徒が防音の音楽室から抜け出して、奇声を上げて校内を走り回ったと
か、変わった事といえばそれくらいである。
この学園では日常的とも言える風景だった。
それとなく瓜川に円城寺の事を聞いてみると、彼女はどうやらここしばらく面会室に通い、
郷原に対して辛抱強く説得を繰り返しているらしかった。
この反省室を出たとしても、もう二度と如月夕夜に――つまりはオレに、暴力行為を振るわ
ないように、と。
だが、憧れの君の説得であるにも関わらず、郷原は頑としてその要求を受け付けてはいない
らしい。
曰く「オレはまだ一発もあいつを殴っていない。せめて、一発だけでもお見舞いしないと、
落とし所としては納得出来ない」
いや、一発でもお見舞いされたらオレは確実にあの世に旅立てると思うんだが。
郷原が反省室に閉じ込められている予定期間はおよそ二ヶ月。
結果的には器物破損・授業妨害しか行ってはいない為、適切な期間ではあるのだろうが、そ
の後の展開を考えると、オレとしてはもう少し長くても良いのではないかと思ってしまう。
円城寺の説得がその間に達成される事だけが、唯一の希望の光ではあった。
だが、オレのそんな思いを打ち砕くかのように。
ある日、学園を揺るがす大事件が発生してしまう事となる。
その日の朝、学園は普段とは明らかに違う異様な雰囲気に包まれていた。
教室に入るなり、しがみ付くように駆け寄ってきた瑞希の話で、オレは初めてその事実を知
らされたのだ。
――反省室に閉じ込められていた郷原丈邦が、殺害されたのである。
死体が発見されたのは、昨日の夕方――丁度、学園内での活動時刻が終了する直前の事であ
ったらしい。
面会室へ、いつものように郷原丈邦の説得に円城寺良華が訪れた時の事だ。
僅か十分程の出来事だったそうだ。
まず、円城寺との会話で興奮した郷原丈邦は、全治一ヶ月の重症であったにも関わらずその
場に居た見張りの教師を気絶させ、面会室の仕切り壁を叩き割った。
まさしく根性としか言いようがない。
そうして互いを分かつ壁がなくなった所で、円城寺は持ち込んだナイフで郷原の腹を割き、
その内臓を引きずり出したのだ。
当然、郷原はその行為を了承した。
以上は、見張りの教師が録音していた会話内容から判明した事実である。
面会室、及びその周辺には当然監視カメラが設置されていたが、管理システムの不具合によ
り、その時間帯の情報はほとんど残されていなかったらしい。
その後の円城寺の行方は、不明。
つまりはこの学園に、殺人犯が今も潜伏しているという事になる。
瑞希が顔を青くしてオレの体にしがみ付いてくる理由が、それだった。
「ゆ、夕夜ちゃんは大丈夫?確かあの女、夕夜ちゃんの内臓を狙ってるって……!」
先日、保健室であった出来事を知らない瑞希が、心配するのも無理はない。
とはいえ、オレとしてもそれなりには不安――というより、状況が不穏であるという事くら
いは理解出来る。
保健室では、何故かオレの内臓を見ずに立ち去った円城寺良華ではあるが、その後実際に他
人の腹を割き、内蔵を引き出すという行為をやってのけたのだ。
その行動を宣言するだけでも十二分に異常だが、現実に実行されてしまっては、やはり他人
に与える精神的圧力が段違いである。
とりあえず瑞希を落ち着かせてから、オレは自分の席に座ってリスト型コンピュータを操作
し、学園のサイトにアクセスする。
少しでも事件に関する情報を集めようと思ったのだが、ふと、自分宛てに一通のメールが届
いている事に気が付いた。
差出人はR・E。
件名は「この前にあった出来事について」
……もしかして。
こちらにチラチラと視線をやってくる瑞希に注意しながら、オレは周りに見られないよう慎
重に画面の角度を変えると、なるべく自然な動作でメールを開ける。
「先日の保健室ではごめんなさい。その後、お腹の傷の方は大丈夫かしら。彼については、私
がきちんと始末を付けるから貴方は心配しないで。R・E」
着信時刻は、昨晩の午後十一時二十五分。
明らかに円城寺からと思われるメール内容だった。
オレは何度かメールを確認すると、内容を忘れないよう頭の中に刻み込んでから、そのデー
タを消去する。
そして、改めて事件について考えてみた。
円城寺がオレの内臓を確認しなかった理由については分からない。
だが、郷原の腹を割き、殺害した理由についてはどうやらこれで理解出来た。
つまりは、あいつが反省室から出てきた後に、オレに迷惑が掛からないように。
円城寺は、自らの手で責任を取ったという事だ。
郷原が反省室の仕切り壁を破壊出来たという事は、その気になればいつでもそこを脱出し、
オレを襲う事が可能だったという事である。
円城寺がその事に気付いていたならば、郷原の反省期間終了を待たずして、最終手段に訴え
た可能性は非常に高い。
…………………………。
何だよ、それ。
じわじわとした感情が、腹の底から湧き上がってくる。
確かに郷原がオレを襲ったのは、円城寺が告白について話した事が原因であるかもしれない。
だが、だからといって全面的に彼女が悪いという訳ではないだろう。
基本的に、全ては暴力で解決しようとする郷原の姿勢そのものが問題なのである。
それなのに。
他に解決策がないからといって、殺人まで犯すというのは幾ら何でもやりすぎじゃないのか?
多分、その時のオレは、確かに苛立っていたのだと思う。
自分には何も言わず、勝手にそれを実行した、円城寺良華に。
そうこうしている間に授業開始のチャイムが鳴り始めると、いつものように無表情な教師が
入って来る――筈だった。
その代わりに、オレが見た事の有る――いや、絶対に忘れようのない嫌な顔が扉を開け、何
人かの生徒、そして教師達と共に教壇に立った。
そいつは大学部の制服を掲げながら、さも当然であるかのようにそこに居た。
何で。どうしてこいつがここに。
「皆さん、お静かに。昨日職員エリアであった不幸な出来事については既に耳にしているでし
ょうか」
教室内の私語をピタリと止めると、そいつは相変わらず有無を言わせぬ威圧感を放ちながら、
このクラスの生徒達に向かって語りかける。
「高等部二年E組の郷原丈邦君が、面会室でとある人物に殺害されました。職員の有志、そして
我々風紀委員は、学園内に姿をくらました犯人の行方を、現在全力で追っています」
そんな事を言いながら、そいつは古い知り合いでなければ決して気付かない程僅かに、だが確
かに愉快そうに表情を歪ませた。
「犯人の名前は高等部二年E組・円城寺良華。パーソナルデータはネット上で確認出来るよう手
配しておりますので、もしこの人物に関する情報をお持ちの方が居ましたら、是非教職員か、我
々風紀委員までご一報を。特に、如月夕夜君」
その生徒――生徒会風紀委員長・喜島薫は、射るような視線をこちらに向けると、今度は誰に
でもはっきりと分かる表情で。
「君からは、特に有益な情報が得られるだろうと期待しているよ――」
確かに、哂いながら奴はそう言ったのだ。
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