◇一◇ 「貴方の内臓を……見せて貰いたいのだけれど」  胸元に光る十字架を揺らしながら、円城寺良華はそんな一言を口にした。  学園の裏庭の木々は風にそよいで、涼やかな雰囲気を作り出している。  空は雲一つない快晴で、昼休みの喧騒もはるかに遠い。  青春真っ盛りの男子高校生が、同学年の女子から告白を受けるには、まさしく絶好のシチュ エーションだと言えよう。  ただし、その内容が常軌を逸した物でなければという条件付きだが。  オレがほんの僅かの間、放心した状態で立ち尽くしていると。 「……如月くん、大丈夫?」  涼やかに響く美しい声が、オレの意識を元の世界に引き戻す。 「いや、悪い、大丈夫。そんな事よりも……」  一呼吸だけ、口にする内容を確かめてから。  うん、良し、問題はない。 「……内臓というと、それはやはり何かの比喩で?」 「いえ、比喩でも何でもなくて、文字通り貴方の体の中の内臓を見せてほしいの。腎臓とか、 膵臓とか」  目の前の綺麗な少女――円城寺良華は相変わらず真面目な顔でそう告げた。  問題があるのは明らかにその少女の方だという事を確信する。 「それは……キミが医者か何かの卵であって、開腹手術の練習をするとかそういった意味での 申し出なのか」 「いえ、単純に好奇心からよ」  他人の内臓に興味を持つ女子高生なんて聞いた事がない。  オレはそんな彼女の様子を眺めながら、一体この状況をどうした物かと頭の中で考えを巡ら せる。  そうしていると、何を思ったのか彼女は少し顔を伏せてから頬を赤らめ。 「……気持ちは分かるわ。よく知りもしない赤の他人に体を隅々まで見せるなんて、例え男子 でも恥ずかしい気持ちはあるでしょうけど」  いや、その表現は何かが違うぞ。 「とにかく、ごめん……。オレの内臓は、軽々しく他人に見せられるような物じゃないから。 それじゃ!」  そう言い残すと、オレは全力でその場を後にしようとする。 「あ、待って……」  追い掛けて来るかと思ったが、特にそんな様子もなく、オレは平穏な昼休みを無事に再開す る事が出来た。  購買で買ってきた携帯食糧を口にしながら、オレは玄関前広場のベンチに座る。  普段より時間が遅れてしまったせいか、いつもの定位置に座る事が出来なかったが、まあそ れは流石に仕方がないか。  左手に嵌めたリスト型コンピュータ端末(時刻表示以外に、生徒証や様々な機能を兼ねてい る)が正午を示すと、いつものように広場の中央に立体映像が映し出され――お昼の構内放送 が始まった。  放送部有志による比較的どうでも良い前置きが終わると、いよいよ一昔前に放送されていた TVドラマが映し出される。  オープニングが一通り流れた後に、さて、本編。  オレが以前に見た事のある放送分だった。 「見逃したのは、あの十三話だけなんだよなー」  自分が唯一見逃した、あの幻の十三回目。  それを目にする為だけに、オレはほぼ毎日、こうやって昼休みの番組チェックをしているの だ。 「放送順がランダムっていうのが、痛いよな」  放送部に抗議する事も考えてみたが、それは、流石に、何というかルール違反に近いような 気がしないでもない。  TVドラマのファンたるもの、自らの精神力と忍耐にかけて番組をコンプリートする事こそ が、真の使命であるべきなのだ。  それに、明日十三話目が放送される可能性だってある訳だしな。  昨日も同じ事を考えていた気がするのはさておき、オレはベンチから腰を上げると、最後の 携帯食料を口の中に詰め込みながら、自分の教室に向かって歩き始めた。  ここ、トラモイル学園は全寮制の小中高、果ては大学までの一貫校であり、教師・生徒合わ せて五千人以上もの人間がその敷地内で生活をしている。  都会から遠く離れた山奥の森にこの学園は存在し、その建物のイメージは一見すると教会、 あるいは病院といった風情で、どことなく静謐とした印象を受ける。  だが実際に生活して感じるのは、自由度が低くどこまでも管理された閉鎖空間――すなわち 刑務所的なイメージだ。  オレは数年前この学園に転校してきたが、実際この学園には問題のある生徒が多く、自分の 知る限りではまともな奴は皆無――いや、オレが知らないだけかもしれないが――とにかく、 困った性格の人間が多い事だけは事実である。  例えば今、オレの目の前にぶら下がっているこの釣り糸。  校舎の二階を見上げてみると、そこの窓枠に座りながら、地面に向かって釣り糸を垂らして いる小柄な男子生徒が目に入ってくる。  クラスメイトの吉祥というヤツなのだが、あれはとにかくどんな場所でも何かを釣っていな ければ気が済まない男なのだ。  釣れるかどうかは関係ない。  ただ、釣り糸を垂らせればそれで良い。  そういうヤツだ。  その下の中庭で地面に穴を掘っているのが、隣のクラスの子守坂という、ちょっと無骨な筋 肉男。  こいつはこいつで自分の好きな物を地面に埋めたがるという、これまた厄介な性質を持って いたりする。  しかも地面の匂いを嗅いで、自分の埋めた物を時々チェックして回ってるらしいのだ。  お前は犬か。  ……とにかくそんな感じで、問題のある生徒、奇行に走る生徒ばかりが集められたのが、こ こトラモイル学園という訳なのである。  え?  そんな学園にいるからには、オレにも何か問題があるんじゃないかって?  いや、時々知り合いに指摘される事はあるが、オレのは他のヤツに比べればそれ程大した問 題じゃない。  間違いなく正常の範囲内だ。  それはさておき、こんな奴らが集まっているからには、この学園はそんな困った生徒を矯正 する為の施設に違いない、と思われる方が居るかもしれない。  正直、オレも最初ここに来た頃はそう思っていた。  ところがどっこい。  学園の外に出られない、夜中に出歩く事が出来ない、といった意味での不自由さは確かにあ るが、基本的にこの学園は、それ以外の全ての自由が保障されていると言っても良い。  授業のエスケープは基本的に自由、日中であれば学園内のほぼ全ての施設は出入り自由。  さすがに暴力や犯罪行為に関しては教師からのお咎めがあるが、それ以外は本当に、教育施 設としては有り得ない程の自由さなのだ。  だが学園の外に出られないのは問題だ。  いかに限りなく自由の効く場所であったとしても。それが故に、外に出られない事は非常な 苦痛となってくる。  物理的に外部から遮断されているだけでなく、情報的にもこの学園のネットワークシステム は外部とはまるで繋がっていない。  数年前以前の外部情報しか、ここには残されていないのだ。  この学園にいる生徒の大半はそんな発想すら抱かないようだが。  ――毎日同じような授業を繰り返し。  ――毎日同じような食事を食べ。  ――毎日同じ場所で眠る。  これがどれ程の苦痛であるか、まともな人間なら容易に想像が出来る筈だ。  何度か脱出を試みた事はある。  だが、時には教師達に捕まり、時には校内の警備システムの前に屈し、時には仲間内の裏切 りに合い、結果としていずれも成功する事はなかった。  まさしくこの学園が刑務所のように思える道理である。  今日はあまりに天気が良いので午後の授業はサボろうか、などと考えていると、前の廊下か ら教師が一人歩いて来た。  知っている相手だが、挨拶はしない。  向こうも、挨拶どころかこちらを見る事さえしようとしない。  教師はそのまま廊下の突き当たりの扉の前に立つと、カードキーを使って扉を開け、この教 室エリアから姿を消す。  扉の向こうは、一般生徒は立ち入り禁止の生徒会エリアである。  この学園にはオレの知る限り、大まかに分けて四つの区画が存在する。  生徒が授業を受ける為の教室エリア、授業後に食事や睡眠を取り、日常生活を送る為の居住 エリア、生徒会役員が使用する生徒会エリア、そして、教師達が常駐する職員エリア。  教室エリアと居住エリアは隣接し、繋がっているのでほぼ一つのエリアと考えて良いが、そ の周辺をぐるりと囲むように生徒会エリア、更に外側に職員エリア、と一般生徒の立ち入り禁 止区画が二重に周りを取り囲む形となっている。  従って、この学園からの脱出を試みるならこの二つのエリアを突破する事は必須なのだ。  以前に一度、カードキーを奪って職員エリアまで辿り着いた事がある。  だが、その時点で教師達に取り押さえられ、その外側がどうなっているのか、ついに確かめ る事は出来なかった。  あの時目の前にあった扉の向こう側は、まだオレの知らないエリアだったのだろうか。  それとも、そこはもう学園の外の世界だったのだろうか。  カバンを取る為に教室に戻ると、ここしばらくの間見なかった顔がそこに居るのに、ふと、 気付いた。 「あれ、瑞希。もう反省室から出て来たのか?」  そう尋ねると、目の前に居る小柄な少女――小倉瑞希は、こちらに気付いてくるりと回ると、 久しぶりの人懐っこい笑顔を向けてくる。 「へへー、ひっさしぶりだね夕夜ちゃん。私が居ない間に、寂しくて泣いたりはしなかったか な?」 「いや、静かで平和な日々を送る事が出来て、むしろ嬉しかったりしたが」 「何だよー、それ、つまんないよー」  瑞希は、そうやってぶーぶーと不平不満を口にする。  多少は心配していたのだが、以前と変わらない笑顔が見られてオレは少しだけ安心した。 「せっかく、夕夜ちゃんの為に珍しい品物を持ってきたのになー」  瑞希はそう言って、懐からゴソゴソと何かを取り出すと。 「はい、プレゼント。瓜川くんの所の新商品を、ちゃんと盗ってきたんだよ?」  彼女は一昔前に流行した古い携帯ゲーム機を、オレの方に手渡してきた。  ごめん、ちょっと訂正。  あまりに以前と変わらなさすぎて、逆に凄い勢いで不安になってきた。  ――つまりはこれが、瑞希が反省室に送られていた理由である。  彼女は、それが何であろうと他人の持ちものをスリ取らずにはいられないという、とてつも なく厄介な性質を持っているのだ。  別にその品物がどうしても欲しいとか、そんな切実な理由がある訳ではない。  ただ、近くに盗める物があるならば、それを盗まずにはいられない。  そういうヤツだ。 「だってさ、目の前に『盗んで下さい』と言わんばかりに新商品が置いてあったら、その挑戦 に応えるのが人として当然だと思わない?」  いや、誰がそんな挑戦してるんだよ。 「思わない。ていうか少しは懲りろよ……、また、この前みたいな事にはなりたくないだろ?」  基本的に瑞希のこの癖は、オレにとっては日常茶飯事であったりする。  だから普段は大事にならないよう、盗んだ品物は気付く限りオレが元の持ち主に返しに行く ようにしているし、瑞希自身も盗むという行為そのものが目的なので、物品を元の持ち主に返 す事に関しては特に異論を挟む事はない。  それ故に、普段は多少の諍いは起きるものの、瑞希自身が反省室に入れられるような大事に は滅多な事では発展しないのである。  だが、先日起こった一件は少し毛色が違っていた。  この学園に、様々な奇癖を持つ人間が多く存在するのは今更説明するまでもないが。  その時、瑞希が盗みを働いた相手は、自分の持ち物であるぬいぐるみを文字通り自分の命だ と思い込んでいるタイプの生徒だったのだ。  当然、その生きがいを盗まれた事に気付いたその生徒は半狂乱に陥り、危うく自殺をする寸 前にまで事態は発展してしまった。  比較的この手の出来事に寛容な教師達も、流石にこれは見過ごせない事件だと思ったのだろ う。  そうして瑞希はここ一ヶ月ほどの間、反省室という名の特別教室に閉じ込められていた訳な のである。 「……まあ、あれはねー。さすがに悪い事したと思ってるさ。でもさ、一ヶ月もの間、昼間は 特別教室でひたすら自習を繰り返しーの、夜は夜で、特別課題をこなさなきゃいけないーの、 っていうのは、ちょっとばかし、うら若きオトメに与えるにしては、ひどい処罰だとは思わな い?何よりもう、退屈で退屈で」  処罰がひどいかどうかはさておき、瑞希にとって一ヶ月もの間一人で過ごし続ける事は、確 かになかなかの苦痛であったろうと思う。 「それにさ、特別課題っていうのが、もう訳分かんないワケよ。横一列に並んだ棚の中に、ひ たすら充電池を詰めていくの。あれってさ、絶対先生とか用務員さんとかの仕事だよね。生徒 の反省に付け込んで、自分たちだけ楽しようとしてるんだよ、うん」  瑞希の反省室での愚痴は続く。  それはさておき、早めに瑞希が盗んだ品物を返してこないと再び面倒な事にもなりかねない。  適度な所で瑞希の話を切り上げてから、その旨を彼女に伝えてみると。 「あ、ならついでにこれも返してきてよ。戻ってくる途中でウチの担任を見かけたからさ、つ いつい、手が……ね?」  そう言うと、瑞希はカバンの中から何やら黒くてモジャモジャした塊を取り出してきた。 「何だ、これ……、乾燥したワカメか何かか?」 「ううん、あの担任よく見たら実はカツラだったからさ。何気ない顔して返しといてよ」  最高に難易度の高い任務を押し付けつつ、瑞希はにこやかな顔で答えた。  二年A組の瓜川孝は、この学園唯一と言って良い独自の商売を営んでいる。  数年前まで、この学園には購買部はただ一つしかなく、そのほとんどは携帯食料や筆記用具 といった代わり映えのしない品揃えであった為に、生徒からは甚だ不評を被っていた。  ところが、そこに現れたのが転校生であった瓜川孝だ。  彼は、購買部では決して手に入る事のない学園外の商品をどこからともなく入手し、ある時 は放課後の教室の隅で、またある時は人気のない校舎裏で――売り捌いたのである。  当然、教師達や学園の許可は取っていない。  一説によると、この学園から転校していった生徒の残した持ち物や、学外と唯一繋がってい ると言われる職員エリアから品物を手に入れているらしいのだが……まあ、その辺りの真偽は さておき。  重要なのは、そうして彼が手に入れた品物が、一部の生徒の学園生活にとってなくてはなら ない物になっているという事実である。  勿論、この学園においてほぼ唯一と言って良い商売だけに、瑞希が瓜川の闇市場に大いに興 味をそそられ、ついつい手を出してしまうのは多少は分からないでもない。  だが、オレのように正常に学園生活を営む人間にとっては、ショップ瓜川から恨みを買うよ うな真似は、絶対に避けておかなければならないのだ。  左手のリスト型コンピュータでショップ瓜川のサイト情報(要パスワード)を確認すると、 今日は旧校舎の閉鎖された音楽室で店舗を開いているらしい。  長く同じ場所で商売をしていては教師に見つかってしまう故の措置なのだが、買う側にとっ ては少々面倒な事ではある。  勿論、それでも瓜川の店の品物が求められるからこそ、成り立つ商売である訳なのだが。  旧校舎に入り、三階にある音楽室に行く為エレベータの到着を待っていると、廊下の隅から 一人の生徒がこちらの様子を伺っているのが見える。  おそらく教師達に見つからないように、入り口で見張りをしているのだろう。  到着したエレベータに乗り、三階のボタンを押してから扉を閉めると、すぐに目的の音楽室 前に到着する。  エレベータを降りると、そこは照明一つない薄暗い廊下で、一瞬金色の人影が見えたような 気がしたがそれはすぐに勘違いだと分かる。  内側から閉じられたシャッターの隙間から、僅かな日の光が漏れ出でていた。  サイトで確認した合言葉を告げてから扉を開くと――そこには幾つもの品々がフタの開いた ダンボールの中に詰められ、陳列されていた。  この学園ではおよそ見る機会がないであろう洋服やアクセサリー。パーティ用と思われる様 々な小物やゲーム類。紐でまとめられ、おそらくは投棄されたのであろう雑誌など……。  外の世界では単なる中古、もしくはリサイクル品と呼ばれる物だろうが、この閉鎖された学 園の中では、それらはひどく魅力的な物に映ってくる。  なけなしのポイント(トラモイル学園では、電子通貨で商品のやりとりを行う)を使いたく なるのをぐっと堪えて、目当ての顔を捜す。居た。 「瓜川、今、ちょっといいか?」  そう尋ねると、ショップ瓜川の最高責任者である瓜川孝は、じろりとこちらの方に目を向け てから教室後ろの黒板に何かの文字を書き始めた。 (久しぶりだな、如月)  独特な文字だが、そう読める。  この学園における成功者と言っても良い生徒・瓜川孝。唯一の奇癖がつまりはこれである。  彼は、文字以外で他人と会話をする事をしない。  別に声が出せない訳ではない。  ただ、彼は声を発するというその能力自体を何故か極端に嫌っているのだ。  とはいえ、商売をする上でその性質にはいささかの不自由も存在しない。  商品に値段は書いてあるし、情報はネットのサイト上で告知出来る。  何より、余計な説明や挨拶を省くならば、この手の商売には、実は会話という物は意外な程 に必要がないのだ。  客は自分で品物の内容や程度を確認し、自己の責任においてその商品を購入する。  ショップ瓜川は商品保障は一切しない。  ただ、学園にない品物を手に入れ、それを売り捌くだけなのである。  それでも、客は来る。  この店でしか、手に入らない物がそこにある限り。 「……久しぶり。また何か、新しい商品を入荷したんだって?」  そう言って、オレはポケットの中から瑞希が盗んだ古い携帯ゲーム機を取り出す。  瓜川は驚いて目を丸くした。 「例によって瑞希だ。ようやく反省室から出て来られたみたいでな、当分は暴走状態であちこ ち手当たり次第になると思う。何より」  オレはカバンの中から瑞希の盗んだカツラを取り出すと。 「担任から、こんな物までスリ盗ってくる始末だからな」  瓜川はますます目を丸くし、カツラを手にとってまじまじと見つめる。 「そういう訳だから。まあ、当分は瑞希の動向には注意しておいた方がいいだろうな。せっか く入荷した新商品がいつの間にかなくなっていた、なんて事になったらお前の方も困るだろ?」  オレがそう言うと、瓜川は聞いているのかいないのか、後ろを向いてからまた黒板に何やら 文字を書き始める。 (500)  そう読めた。  おいおい。もしかして、このカツラを買おうっていうんじゃあるまいな。  こんな店を経営するだけの事はあって、瓜川は自身、奇妙な道具の収集家というマニアック な一面を持っている。  だが、教師のカツラに興味を示すとは思わなかった。 「いや、瓜川。それは気付かれない内に担任に返さないといけなくてだな……」  幾らなんでも、勝手に売り払ってしまうのは流石にまずい。絶対にまずい。 (800)  瓜川は更に値段を釣り上げて来る。 「いや、だから無理だって。きちんと返しておかないと、後々面倒な事に……」  そこまで言ってから、ふと考える。  カツラを手に持って担任に直接返しに行くのと、この場で売り払って犯人不明にするのとで は、果たしてどちらが面倒だろうか。  何より、ショップ瓜川は教師不干渉の、生徒だけの闇市場として存在するのだ。  売り手がバレるなんて事は、間違ってもあり得ない筈である。 (1000)  瓜川がそこまで値段を上げたのを確認してから、それでもオレは心の声に正直に。 「じゃあ、1200で」  交渉は見事に成立した。


私こと円城寺良華は、生徒会室で与えられた仕事をこなしながら、昼休みにあった出来事に ついて考えている。 とうとう告白した。あの、如月夕夜くんに。  貴方の内臓を見せてほしいと。はっきりと、そう言った。  軽率だっただろうか。  私は、気になった相手の体の中身を確かめたくてたまらなくなる、という奇妙な性質を持っ ている。  方向性は確かに特異だが、人間なら誰でも持っている好奇心の一つだと思う。  それが世間的に異常である事くらいは、十二分に承知しているつもりだ。  ただ、頭で分かっていても、衝動はいとも簡単に私の体を突き動かしてしまうのだ。  だからこそ、彼に告白した。  貴方の内臓を見せて欲しいと。  結果は、明らかに拒否する者のそれだった。  …………………………。  少なくともこの学園に来てからは、この衝動はなるべく抑えるように心掛けていた。  一度だけ抑えられなかった事はあるが――それでも、その結果自体は特に問題はなかった筈 だ。  なのに。  如月夕夜はあらゆる意味で反則だった。  だって、彼のような――あんなに内臓の綺麗そうな人間には、私はこれまで出会った事がな かったのだ。  クラスが遠く離れていたとはいえ、この学園で過ごした数年間で、これまで気付かなかった 事がむしろ不思議だった。  だから。  少なくとも、これまでは何とか抑える事の出来ていた衝動が、一気に噴き出してしまったの だ。  彼の中身を、見てみたい。  そこまで考えてから、私は心を落ち着ける為に、大きく息を吸って深呼吸する。  考えながら磨いていたマネキンの腕を、机の上に一度、置いた。  今日の分のノルマは既に達成しているのだ。  これ以上、無理に仕事をこなす事もない。  何故こんな事をしなければいけないのかは相変わらず分からないが、生徒会の仕事はいつだ ってそうだ。  この前はマネキンの足だった。その前は胴体。頭部。目。  私は確かに人間の中身には興味があるが、別にバラバラ死体に興味がある訳ではない。  意図して割り振られた仕事ではないと思うが、甚だ理不尽な内容である。  私は席を立つと生徒会室の出口に向かい、生徒会役員専用のカードキーを専用のカードリー ダーに読み込ませる。  電子音が鳴って作業の終了を告げると同時に、今日の仕事の割り当て分だけ私のポイントが 加算された。  うん、今日の所はこんな物かな。  振り込まれたポイントの数値に満足し、私の足取りが少しだけ軽くなる。  ここ、トラモイル学園では一般的な金銭でなく、ポイントによる電子通貨が日常的に使用さ れている。  おそらくは、学園からの脱走を未然に防ぐ為の処置として(金銭がなければ、学園外に出た としても相当に行動の自由が制限されるだろう)採用されたシステムだとは思うが、それにし ても、この学園での金銭のやりとりは実に奇妙な形で行われる。  まず、学園で何もせず一日中部屋の中に閉じ篭もっていたとしても、最低限生活に必要なだ けのポイントは毎週自動的に振り込まれる。  つまり、まともに授業に出る事さえ出来ないタイプの生徒であっても、ギリギリ安定した生 活は保障されているという訳だ。  次に、真面目に学園に登校して授業を受け、日々の課題をこなし、きちんとした学園生活を 送っている者。  これは、真面目に生活を送っていればいる程に、毎週の振込みに一定額のポイントが上乗せ される事になっている。  逆に、何かしら問題を起こせば起こす程に振り込まれるポイントは減っていくのだが、それ でも一週間の生活に必要な最低限のポイント以下に減るという事はあり得ない。  つまり、もし学園で豊かに暮らしたいのならば、真面目に登校し、真面目に授業を受け、真 面目に学生らしい日々を送っていれば良いという事になる。  そして、もし更にポイントを必要とする生活――人によって事情は様々だが――を送りたけ れば、生徒会役員として活動するという選択肢が存在するのだ。  生徒会役員になる為には、学園内で一定以上の騒ぎを起こさない模範生――つまりは『比較 的まともな人材』である事が必須条件であるのだが、その審査さえ乗り切れば、放課後に生徒 会役員として、所定のエリア内で活動する事が可能になる。  ただ、生徒の大半は審査の段階で落とされてしまう為、生徒会役員は常に人材不足に悩まさ れている状態ではあるのだけれど。  帰り道に生徒会エリアの情報処理室を通りかかると、私はそこに見知った人物の顔を見つけ る。 「相変わらず遅くまで頑張っているのね、倫。そろそろ退室時間が迫っているから、早めに作 業を切り上げないとまた教室に閉じ込められるわよ」  私がそう声を掛けると、立体映像に向かって作業を行っていた小柄な影――詩野倫は、ほん の少しだけ作業を止めてから、こちらの方を振り向きもせずに。 「ああ、もうそんな時間なんですか。この場所に居ると、ついつい時間を忘れてしまっていけ ません」  そう言いながら、しかし倫は作業の手をまるで休めない。  彼女は私より五つ年下で、トラモイル学園・初等部の生徒である。  この学園の教室・居住エリアは小・中・高・大それぞれの区画に分けられているが、基本的 に区画間の出入りは自由だ。  だが、一般的な学校同士がそうであるように、出入り自由とはいえ他区画間同士の交流は、 同区画内でのそれと比べると非常に少なくなっている。  単純に、コミュニティ同士に心理的な壁が出来ているのがその理由なのだとは思うが、いず れにせよ区画間の交流が控えめになっている以上、それぞれの区画の生徒同士で知り合うとい う例は非常に少ない。  だが、そこに例外がある。  生徒会エリアは教室・居住エリア全体をぐるりと囲むように存在する為、そこには年齢によ る区画分けという概念そのものが存在しない。  つまり、この場所においてだけは、他区画間同士の交流が比較的活発に行われているのだ。  詩野倫も、そうして私が生徒会エリアに来てから知り合った友人の一人であった。  倫は相変わらず立体映像に向かって、凄まじい速度で何かの作業を行っている。  ウインドウが少しずつ減ってきているから、とにかく仕事のまとめに入っているのは確かだ と思うが、その内容は少なくとも常人である私には理解出来ない。  彼女はこの学園に来る前は、世界的に名の通ったいわゆるハッカーであったそうだ。  コンピュータの入力デバイスは現代では投影式の立体キーボードが一般的だが、数年前に、 次世代型の入力デバイスとしてとある装置が開発された。  それは脳からの信号を直接やり取りし、思考のみでコンピュータを操作出来るという究極に 近い代物であったが、しかしただ一つの致命的な欠陥が故に、世間に広まる事はほとんどなか った。  その装置は、人間の思考のノイズとも呼べる脳波の一つ一つにも過敏に反応する為、それ故 非常に不安定。  つまり、一般人が扱うにはあまりにも操作が難し過ぎたのである。  だが一部の天才とも呼べる才能の持ち主にとっては、その入力デバイスはまさに理想といっ て良い装置であった。  そして倫は、それを使いこなせる数少ない人間の一人だったのである。  生徒会役員としての彼女にこの学園が割り当てた仕事が、学園内におけるコンピュータ全体 の管理作業だったのは、とても自然な事だったと思う。  だがしかし。 「大丈夫?倫……。今日はちゃんと、『帰って』来れる?」  そう、私は不安を口にする。  彼女は情報処理においてはこの上ない才能の持ち主かもしれないが、逆にそれがそのまま自 身の欠点ともなっている。  彼女はコンピュータの世界に脳をリンクし、凄まじい能力をそこで発揮する事が出来るのだ が――実生活においてはせいぜい人並みか、あるいはそれ以下の能力しか持っていない。  バーチャル世界での全能感がある故に、その事実はひどく彼女を苦しめる。  そしてそれは、現実世界で過ごす彼女の身体の異常となって現れ、様々な症状を引き起こし た。  コンピュータ世界に入り込んでいる間は彼女の体には何一つ変化は現れないが、そのリンク を切断され、十数時間も経つと彼女は体の震えが止まらなくなる。  更に時が経つと、頭痛、吐き気、高熱……。  その先については考えたくもない。  彼女にとって現実世界はまるで水中のような物で、コンピュータとリンクする事は、酸素を 供給されているに等しい状態であるらしかった。  だから、私は声を掛ける。  彼女が、この現実世界できちんと生活が出来るように。  どんなに苦しくても、ここが彼女の帰るべき場所であると示す為に。  彼女は――この学園における、私のたった一人の『親友』であるのだから。  倫は、そんな意図を知ってか知らずか。 「……大丈夫ですよ、リョウカ。今日の作業はとても充実していましたからね、これなら明日 の昼くらいまでは何とか持ちそうです」  その返答を聞いて、私はようやく少しだけ安心する。  倫は作業を止め、ほとんど倫専用とも言えるヘッドバンド型の入力デバイスを頭から外すと、 こちらの方を見て少しだけ微笑んだ。  結んだ髪に、高等部とは少し違った初等部独特の制服デザインが良く似合っている。  彼女にはいつもこんな笑顔で居て欲しいと、心からそう思った。  だが、倫は何故か僅かな表情の曇りを見せると、口を一旦開きかけ、そして。 「リョウカ、今日は例の告白の方はどうでしたか……?」  そんな質問を、口に出した。  倫を初等部居住エリアの自室まで送り届けてから、私は玄関前広場のベンチに腰を下ろし、 自動販売機で買った携帯飲料で喉を湿らせる。  ふと、金色に輝く人影を見たような気がしてそちらを振り向くと、それは黄金色に輝く夕日 だった。  その色は今が夕刻であるという事実を如実に示すが、しかし夕日そのものは生徒会エリア、 そして職員エリアの建物に阻まれ確認出来ない。  定期的に吹く夕闇の風が心地良い。  そうして心を落ち着かせながら、私は自分自身の心を今一度整理し直してみた。  …………………………。  やはりあきらめきれない、と思う。  自分がおかしい事は分かっている。  でも、頭で納得しただけで止められるような物でも、ない。  この衝動が暴走した先にある物が何なのかを、私は既に知っている。  それでも、私は。  ……この心を、想いを。止める事が出来るのだろうか。  私は赤く染まった空を見上げ、大きく息を吸い、そして吐いた。  …………………………。  良し、とりあえず落ち着いた。  ふと気付くと、左手のリスト型コンピュータが午後六時半を告げている。  広場に立体映像が映し出され、まだ校内に残っている生徒に対して、学園エリアでの活動終 了時刻が近づいている旨がアナウンスされた。  流石にそろそろ寮に戻らないと、見回りの教師達に何かしら注意をされるかもしれない。  私はベンチから立ち上がると、寮の自室に戻ろうとして。  目の前の大きな影に遮られた。

その次の日

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