新しい発見と深い感動の旅を
 
 小さな西坂の丘は、日本の基督教信者にとって幸く悲しい地でもあり、また栄光の聖地でもあり、訪れる人は後を絶ちません。

 禁教となった江戸初期までの殉教と潜伏の時代、そして弾圧と苦難の時代の江戸末期から明治初期の時代など、長崎の切支丹の悲しい歴史があったからこそ今日の信仰の自由が勝ちとられてきました。

 1945年8月9日、長崎浦上に落とされた一発の原子爆弾は、死者3万9千人、負傷者4万5千人という大変に悲惨な事態をもたらしました。多く人が、父と母、兄弟姉妹を失い、家を焼かれました。そして今なお、原爆の後遺症に苦しんでいます。「絶対に戦争はいけない。核兵器を二度と使ってはいけないんだ」と叫び続ける地でもあります。


 どこの町にも、どこの村にもそれぞれに歴史があります。ふるさと長崎の「明と暗、怒りと平和」の歴史のなかで、数々の苦難に鍛えられた長崎人(ながさきびと)は、坂が多く、狭い土地にあって肩を寄せ合いその苦難を乗り越えていっています。

 「バッテン、長崎よかとこですけん」。これは「長崎いいところです」という長崎の方言です。
波瀾にとんだ歴史、そのなかではぐくまれた人々の底知れぬ楽天性こそ長崎の真の魅力です。そして長崎情緒とされてきた中身です。
 大浦天主堂やグラバー園がある南山手付近に朝早くたたずめば、教会のアンジェラスの鐘、寺町界隈の寺院からの時を知らせる金の音が、いっしょに響き渡ります。そこに湾内を行き交う船の汽笛も重なって聞こえたりします。異国情緒たる由縁もここにあるのかということも実感できます。


  私のふるさと長崎へ旅しましたら、この歴史も垣間見ていただき、人情にもふれていただければ、異国情緒あふれる長崎の旅がいっそう充実し、新たな発見と深い感動の旅になるのではと思っています。

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