『”ものみの丘”に吹くそよ風』

最終話



         さらなる道
         さらなる轍

  数多の恨悔を踏みしめて

 Kanon original arrange album ”anemoscope”
 『凍土高原』より



「へぇ、あんたと拓臣がねぇ……」
「…なによ」
「いや、確かに付き合い始めて1年も経つんだから、おかしくは無いけど……ねぇ」
「だからなによ…」
「……こんなお子さまカップルが…」
「もう充分大人だよ」
「どこが」
「それは…、いろいろと」
「変わらないでしょ? 特に胸」
「ちゃんと成長してるもんっ。智ちゃんに比べたらまだまだだけど、もう、みゆちゃんよりは大きくなったんだから」
「そう? でも、美汐だって大きくなってるかも知れないでしょ」
「でもっ、みゆちゃんは多分、変わってないと思うよ」
「どうして?」
「なんとなく、だけど……」
「実際に会ってみないと分からないでしょう」
「うん、そうだけど。でも…」
「なに?」
「長いこと、みゆちゃんと会ってないね」
「……あぁ、そうだね」
「………」
「………」
「そう言えばこの前、みゆちゃんらしい人を見かけたんだよ」
「らしい? へぇ、どこで?」
「商店街。でねっ、男の人と一緒だったの」
「男の人と?」
「うん。だから、人違いかも……、遠くからだったし」
「ふ〜ん」
「やっぱり違うかな」
「いや、美汐だって良い年なんだし、彼氏の一人ぐらい出来てるかもね」
「そう思う?」
「うーん。確かめないことには、何とも言えないけど…」
「……じゃあ、訊いてみる?」
「…誰に?」
「みゆちゃん」
「………」
「智ちゃん」
「……なに?」
「会いたくない? みゆちゃんに」
「………」
「ねぇ、智ちゃん。私ずっと考えてたんだけどね……」
「私もずっと考えていたよ、美汐のことは」
「うん。でも……」
「解ってる。本当は、私も美汐に会いたい。また一緒にお喋りしたり、お料理したり、映画見に行ったり、また一緒に……、また、側にいたいと思ってる」
「それなら……」
「でもね」
「え?」
「でも、恐いんだよ」
「恐いの? みゆちゃんが?」
「ずっと考えていた事なんだけど」
「うん」
「こゆきちゃんは、本当にキツネの小雪ちゃんが化けていたんじゃないかって」
「……え?」
「もし…、もしも、本当にそうだとしたら。あの時、私たちが美汐の言葉をちゃんと聞いて、それを信じていたら、こゆきちゃんを助ける事が出来たんじゃないの?」
「…そんなこと……」
「ねぇ朝香。あの時まで、どんなに辛い事があっても、美汐だけはちゃんと前を向いて、私たちを支えていてくれていたよね。そう、だから私は、ずっと美汐に甘えていたんだよ」
「……うん」
「ずっと、そうだった。なのに、あんな…辛そうな美汐は、初めて見た……。美汐は、私たちに『力を貸して下さい』って言ってたよね。でも、私たちは何もして上げなかった、見当違いな、形ばかりの励ましばっかりで、結局何にもして上げなかった」
「智ちゃん…」
「もし、本当に、こゆきちゃんが小雪ちゃんだったとしたら、もしあの時、私たちが美汐の言葉を信じていたら、…こゆきちゃんを、助ける方法があったとしたら、……私たち、本当に、取り返しの付かない事をしたんだよ。そうは思わない?」
「でも……」
「有り得ない? でも、美汐は本気だった」
「うん」
「それなら、私たちは応えて上げるべきだったんじゃないの? 美汐の言葉に」
「……うん。そうかも…知れない、けど…」
「ずっと、考えていた。私はずっと、美汐の言葉に励まされてきた。本当に悲しかったとき、どうしようもなく辛かったとき、美汐は私の側にいて支えてくれたんだよ、ずっと。でもいつかは、私も美汐を支えて上げたいって思ってた、美汐に必要とされる人間になりたかった」
「私も…そうだよ」
「でも、でも私……私は、取り返しの付かない事、しちゃったんだよ……」
「智ちゃん?」
「だって、美汐……『もういいです』って……、私、何にも言えなかった。あの美汐が、あんなに辛そうにしていたのに、どうすることも出来なかった。美汐が離れていくのに……引き留めることも、できなかった」
「そんな……智ちゃん。智ちゃんは悪くないよ」
「どうして!?」
「だって、どうしようもなかったんだもん、私だって、どうしようもなかったんだから……」
「本当に、どうしようもなかったの? もう遅かったのは解ってる。でも、まだ何か出来たんじゃないの? せめて、美汐を支えて上げる方法が、何かあったんじゃないの?」
「……わからないよ」
「本当は、もっと何とか出来たんだ。でも私…私は、恐かったんだ」
「みゆちゃんが?」
「美汐に『要らない』って言われるのが」
「……え?」
「そう、美汐に『必要ない』って言われるのが恐くて、私は何にもしなかったんだ」
「みゆちゃんは、そんなこと言わないよ」
「解ってる。でも、私は臆病だったんだよ、ずっと美汐に、甘えていたから」
「智ちゃん……」
「どうしたら良いのか解らなかった。美汐が助けを求めたときに何もしなかったくせに、後になってから、どうしろって言うの?」
「………」
「もしそれで、『もういい』って言われたら……そう考えたら恐くて……、私は…私はね、自分が傷つくのが恐くて、美汐から離れたんだよ」
「智ちゃん…」
「そうだよ、私は。自分が…傷つかない為に、美汐を見捨てたんだよ。あなたなんか要らないって言われるより、黙って離れて行ってくれた方が、…私が、私が傷つかなくてすむからっ、私は…自分の為に、美汐を切り捨てたんだよ……」
「…智ちゃん。ねぇ、智ちゃん、泣かないで。ねぇ……」
「今さら、何をどう言えばいいって言うの? 私、美汐に非道い事したんだよ。もう、私なんて……」
「…ねぇ、智ちゃん、大丈夫だから。みゆちゃんは智ちゃんのこと、嫌ったりしないから、きっと、許してくれるよ。こゆきちゃんの事も、どんなに悲しかったって、みゆちゃんはちゃんと受け止めるんだから。私、みゆちゃんのこと信じてるから」
「……朝香」
「ねぇ、智ちゃん。会いに行こう、みゆちゃんに」
「会って……、今さら会いに行って、どうするって言うの?」
「会って、謝るの。今話したこと、ちゃんとみゆちゃんに伝えるの。そうしたら、絶対許してくれるから。みゆちゃんは智ちゃんのこと傷つけたりしないから。もう一度、会いに行こう?」
「そんな、今さら……」
「私も一緒に行くから、ね?」
「…会って、くれるかな?」
「大丈夫だよ」
「根拠は?」
「……後で考えておく」
「…ふっ、まったく、この子は」
「ねぇ、智ちゃん、いいよね。一緒に会いに行こうよ」
「……うん、そうだね。…ありがとう。もう恐がったりなんかしない、美汐の為にも」
「うん。それに、本当に、みゆちゃんも恋人ができてるかも知れないよ。紹介してもらわなくちゃ」
「あぁ、そうだね、紹介してもらわなくちゃ、ね」
「ほら、丁度会いに行く理由ができたじゃない」
「ありがとう、朝香。でも、もう理由なんて要らないよ」
「そう?」
「そう。私が美汐に会いたい、それが唯一つの理由。それで良いでしょ?」
「うん。そうだね」
「会いに行こう、美汐に」
「うん」
「そして、もう一度……」



 「もう一度」



「ならば、私の命を懸けてみよう」
「死ぬ…おつもりですか? ”長”」
「私は永く生きた。もう十分であろう?」
「……先の”長”は、二千年は生きていた筈です。あなたはまだ、八百年と生きてはいません」
「それでも、この”丘”の者の中では最高齢だ。私たちは自分の寿命を自ら決めることが出来る。私は…もう、疲れたのだよ」
「”長”……」
「どれほど多くの”死”を見てきたことか、どれほど多くの…”悲しみ”を感じてきたことか。……もう、良いであろう?」
「残された者達は、どうすれば良いのですか?」
「残りし者が定めればよい。イガスリ。そなたを新しき”長”に定める」
「”長”っ」
「心配するな、反対する者など居るまい、既に”老”達の了承も得ている。後のこと、全てそなたに任せる」
「どうしても…ですか?」
「それしか方法はあるまい? あの、”真琴”という名の、小さな魂を救うには」
「……”長”の命を懸けたとして、必ず助けられるとは限りません。仮にもし、もう一度”人の姿”を与えることが出来たとしても、いつまで保つというのです? 全ての力を注いだとしても、恒久的に維持できる”姿”を、他の存在に与えられるとは思えません」
「可能性は、ある」
「可能性だけです。もっと、他に方法が……」
「他の、誰を犠牲にするというのか? 私以外の誰かを犠牲にして、それで上手く行くと思うか?」
「……思いません。ですが……」
「あの子……”小雪”が消滅したとき、どれほど悔やんだことか。今まで、どれほどの恨悔を積み重ねてきたことか。私は、もう…後悔はしたくないのだよ」
「……そのお気持ちは、解ります」
「私しか居るまい。あの子を救うことが出来る可能性を持つ者は」
「しかし……」
「もう、言うな……。後のこと、よろしく頼む、新しき”長”よ」
「………」
「さらばだ」
「……お待ちください。いや、…待ちなさい」
「まだ何か?」
「新しき”長”として、最古老であるあなたの死は、認めかねます」
「なにを…」
「解りませんか? ”長”として命じます、死んでは成りません」
「なん…っ」
「あなたの知識と経験、そしてその”思い”と”力”は、皆にとって必要な物なのです。今、あなたを失う訳にはいかない」
「………それでは…」
「一つだけ、方法があります」
「なに?」
「あの子を助ける方法が、一つだけあるのですよ」
「犠牲を、払わずにか?」
「はい」
「………」
「簡単な事なのです、皆の力を借りれば良いのですよ。”丘”に住む、全てのキツネの力を合わせれば、あの子に”人の姿”を与え続ける事も出来ます。そうでしょう」
「……それは、無理だ。”丘”を去った者の為に、”丘”に残った全ての者が力を注ぐなど、皆が承知する筈もない。気付いておろう? 皆が本当は、”人”を求め続けていると言う事に」
「だからこそ、ですよ。皆が”人”に思いを寄せているからこそ、あの子の為に”力”を貸してくれるのではありませんか?」
「しかし……、その様な事を認めれば、以後、”丘”を去る者を止める事が出来なくなろう。皆各々、温もりを求めし”人”の元へ向かい、私たちは確実に、滅びてしまう」
「……それも、良いではありませんか」
「なん…だと」
「ずっと思っていたのです。あなたに仕え、戒律に従い、ずっとこの”丘”を維持してきました。ですが、それでは駄目だったのですよ、我々は、”人の温もり”求めてしまうものなのですから。あなたが私を”長”に定めるのなら、私はあなたの殻を破り、自分なりの方法で、この”丘”を変えていきます」
「種が滅びて、何が変わるというのか!?」
「滅びはしません。例えキツネがこの”丘”に居なくなろうとも、私たちは滅びはしない。人と解け合い、人と成って存続する事が出来る。私たちのこの”キツネ”の姿は、仮初めの物なのですから」
「その様な事…出来る筈もない。アスハ達は特別だ。例え我々にそうする事が出来たとして、幼き者達はどうなる? キツネの体に依存しなければならぬ者達は、ここに取り残されるのか?」
「急ぎはしませんよ、我々には時間はいくらでもある……。そう。いくらでも……」
「…イガスリ?」
「何故、これほど長い時間を生き続けなくてはならぬのです? アスハも言っておりましたでしょう、『ただ生きるだけの400年よりも、思い人と過ごす50年をこそ望む』と」
「…しかしそれは……」
「言った所でどうにも成らない。私たちの本質は”力”その物で、それには寿命という概念は存在しない。そうお思いなのでしょう?」
「違うとでも言うのか?」
「違いはしませんが、例外があります。気付きませんでしかた? ”望美”の事に」
「アスハの、子供か?」
「あの子は”力”を持っています。”人”であると同時に、その魂は”キツネ”なのですよ。そして、そんな例はあの子が初めてでは無い。1000年も前から、”キツネ”と”人”の間に生まれし子は”人”ありながら”キツネ”でもあった」
「それは知っている」
「なら、その子達に”寿命”があることに気付いていましたか?」
「なに?」
「あの子達は、”キツネ”であるのに”人”としての寿命を持つのですよ。生まれ出てほんの5年程で”力”を扱うようになり、20齢を迎える頃には100齢の”キツネ”を上回る”力”を発揮し得る、それでも、100年を生きる事は無い」
「何を言わんとするか、やっと解った」
「はい」
「我々が”人”を求めるのなら、”キツネ”である事を辞め、”人”の中に解ければ良いのだと、私たち自身にはそう出来なくとも、私たちの子は、”人”の姿で”人”として生きる事が出来るのだと、そう、考えたのだな」
「その通りです。”丘のキツネ”が滅びたとしても、私たちと”人”の間に産まれた子供達は、滅びること無く、”人”の中に在り続けるでしょう」
「………」
「急ぐ事はありません、時間はあります。永い時を掛けて、少しずつ変わって行けば良いのです」
「全ては、可能性か?」
「………申し上げておかなくては…いけない事があります」
「ん?」
「私は…10数年前、皆に隠れて人の街に降りていました」
「あぁ、その事か。……人との間に、子を成した事であろう?」
「……っ、ご存じ…でしたか」
「知らぬ筈も無い」
「ならば、何故、この様な私を、次の”長”にしようと考えたのです?」
「……ふっ、解らぬか?」
「解りません」
「私は、他の者に希望を託してしまう癖があるのだよ。臆病であるからな」
「……”長”」
「もう”長”と呼ぶな、新しき”長”よ」
「いえ、やはり私は”長”には向きません。叶うなら、もう一度あの子の側について、街に降りたいと思います」
「……お前らしいな。そうか、では、”真琴”の事、よろしく頼む」
「はい、全て、皆の思いのままに」
「うむ。……願わくば、”小雪”も救ってやりたかった」
「それは……、お気付きでは無かったのですか?」
「…なに?」
「”小雪”の事です。我々はあの時、ただ見ている事しか出来なかった。しかし、そうでは無い者も居たのですよ」
「どう言うことだ?」
「あの小さき魂に、新たに”人の体”を言う”器”を与える事で出来る者が、あの場所には居たのです」
「まさか……」
「”希望”は、今も失われてはいません。また再び、あの街で出会うことでしょう」
「そうか、…そう…だったか」
「はい」
「やはりそなたで良かった。思っていたより早く、私が見つける事の出来なかった道が、皆に示される事となろう。それがどの様な結果を持つ物にしろ」
「……はい」
「私は、もう一度、”人”の為に祈ろうと思う」
「はい。もう一度、麓の街に住む人々と、我々と、あの子達の為に……」
「もう一度、奇跡を」



 「もう一度」



「寝てるか?」
「はい」
「どうすんねん? 先に”丘”に行くんか?」
「はい。そうして下さい。早くこの子の事を、”長”やみんなに教えてあげたいですから」
「あの子の事はどうすんねん」
「美汐さんは、後の楽しみです」
「ふ…ん」
「……私はまだ、失った”力”を回復できていません。今の私では、美汐さんが何処に居るか掴めないのです」
「あぁ、そうか」
「イガスリにでも案内して貰いましょう」
「家に行ったら居るんちゃうんか?」
「居るかも知れませんが、居ないかも知れませんでしょう? やはり、いきなり行って驚かせなくちゃ」
「おまえもなんやなぁ」
「何です?」
「いー性格になって来たわ」
「あなたの所為ですね」
「なんでやねん」
「夫婦は似てくる物なんです。御義母様がそう言っていました」
「なんや、俺はいい性格してるっちゅうんか」
「ふふっ。さて、いい性格とは、どんな意味だったでしょうか?」
「……ん、よー解らん、なんや無茶な性格っちゅうか、図太いっちゅうんか、そんな意味やったんちゃうんか?」
「ふふふ、そうですね」
「何い? 俺が図太いってか?」
「そうですよ。初めて会ったときから、無茶な人でした」
「そうか? いや、初めて会ったときはそうでも無かったやろ」
「そうでしたか?」
「あぁ、猫被っとたからな。むしろ、二回目に会ったときは……、無茶してたな」
「無茶、ですか?」
「あぁ。お前が手加減してくれてるとも知らんで、いい気になって、…もしあの姉さんが止めてくれへんかったら、お前のこと、お前やと気付かんで殺してしまうとこやった」
「………」
「なあ?」
「懐かしい、話ですね」
「そう、やな」
「でも、あの後、いきなり押し倒されるとは思いませんでした」
「なっ……なにを言い出すねん、おまえはっ」
「前を見て運転して下さい、崖から落ちますよ」
「あほぅ、お前が変なこと言うから……」
「ふふっ、まったく、日下部家の次期頭領が、この程度の事で気を乱してどうするのです?」
「本当におまえも……」
「ふ…ん…」
「あら? 望美、目が覚めました?」
「……うん」
「あぁ、もうすぐ着くからな」
「この辺りで良いのではないですか?」
「そうか?」
「迎えが、来ているようです」
「あぁ、あれか」
「はい。……では降りましょう。私はこの子を抱きますから、望美をお願いします」
「おう。……望美、おいで」
「うん」
「さぁ、早くみんなに会いに行きましょうね。そして、あなたの本当のお母さんに…」
「なんやそれは?」
「この子は、私の子供である前に、姉様の子供ですから」
「まぁ、そう言えばそうやけどな」
「はい。そして、美汐さんの子供でもあるんです」
「……なんや、それやったらあの子は、中学生にして子持ちか?」
「あら、確かもう、高校生になっている筈ですよ」
「似た様なもんやろ」
「あれからもう、一年も経ったんですね。ふふっ、早く会いたいですよね」
「俺等よりも、その子がな」
「……そうですね」
「ほんだら、行くか」
「はい、行きましょう。そして、もう一度、出会いから始めましょう」



 「もう一度」



「相沢さんなら、何をお願いしますか?」
「……そうだな」
 そう呟いたまま、相沢さんはふと遠くに目をやった。
校舎が邪魔で見えないけれど、その方向に”ものみの丘”があるという事は、私にも解っている。
そして、相沢さんが、心の中で何を望んでいるかも。
「そう…ですね」
「あぁ」
 言葉の少ないやり取り。
それでも、同じ痛みを抱える私たちには、充分理解できた。
「多分、私も……」
 応えた私の髪を、”丘”の方から吹くそよ風が、優しく撫でて行った。

 季節は、緩やかに春を迎えようとしている。
風には、微かに花の香りが溶け込んでいた。
今日は日差しも温かく、校舎の影などに僅かに残った雪達も、そろそろ解けて無くなってしまうだろう。

「あたたかいですね」
「あぁ、小春日和だな」
「それは、冬の言葉ですよ」
「なに?」
「旧暦の10月頃の、春に似た暖かい日を指して”小春日和”と言うんです」
「……そうなのか?」
「はい」
「しまった、騙された」
「誰にですか?」
「いとこの女の子だ。あいつも昨日、”小春日和”と言っていた、それにすっかり騙されたんだ」
「でも、結局は相沢さんも知らなかったんですね」
「………、突っ込みが厳しいな、天野は」
「はい。私は厳しいんです」
 他愛もない会話に、軽く笑う。
日差しが温かいと、心も温かくなって行くような気がした。

「なぁ、天野」
「はい」
「最近、”ものみの丘”には行ったか?」
「……いえ」
「そうか……」
 そしてまた、しばらく沈黙が続く。
「天野」
「はい」
「行きたいと、思うか?」
「”丘”に……ですか?」
「………」
「………」
「いや、無理に誘ってる訳じゃ……」
「行きましょうか。天気も良いですし」
「………、あぁ」

 穏やかな風が、街に向かって吹いていた。
「待たせたな」
「いえ」
 商店街に入ると、相沢さんは私を待たせておいて、何かを買ってきた。
「何を買ってきたんですか?」
「肉まん」
「肉まん、ですか」
「あぁ。そろそろ、肉まんの時期も終わりだな」
「はい」
「天野も一つ食うか?」
「はい。いただきます」
 ごそごそと、袋に手を入れる相沢さんの、その向こう側。
ふと向けた視線の先。
電柱の陰に、懐かしい顔が隠れて見えた。
「……智子。朝香?」
「あ、見つかっちゃった」
 照れ隠しに笑って、朝香が姿を見せた。
「…久しぶり、だよね」
「はい。お久しぶり、です。朝香。…智子」
 まだ電柱の陰に体を半分隠して、智子が立っている。
「ほら智ちゃん」
「あ、うん」
「天野の…知り合いか?」
 突然の登場人物に、少し驚いたように相沢さんが問い掛ける。
「はい」
「初めまして。私はみゆ…えっと、天野さんの2…3番目の親友で、坂上朝香と言います。で、こっちの子が、2番目の親友の……」
 言いながら、ぐいっと智子を前に押し出す。
「高瀬…智子です」
「あぁ、…初めまして」
 半ば呆然としたように、相沢さんが応える。
「驚いたな。友達は居ないんじゃなかったのか?」
「………」
 そう言えば、以前そう答えたような気がする。
でも確かに、あの時は居なかった。
では、今は……。
「……智子、朝香。私を、許してくれるんですか?」
「え……」
 少し俯いていた智子が、はっと顔を上げる。
「許す…って、どうして? 悪いのは、私の方でしょ?」
「そうだよみゆちゃん。みゆちゃんは悪い事なんかしてないよ。悪いのは、あの時、みゆちゃんの話を信じなかった、私たちなんだから……」
「二人とも……」
「ごめん、美汐。私……いろいろ謝らなくちゃいけない事があるの」
「どうして?」
「話、聞いてくれる?」
 智子らしくない引け目がちな表情で、それでも真っ直ぐに私を見つめる。
ちらりと、相沢さんの方を見る。目が合った。
「大事な、友達なんだろ」
「はい」
「”丘”に行くのは、またにするか」
「すいません」
「あ、すいません、デートの途中でしたよね。すいません、私たち、またで良いです」
 慌てて智子が手を振る。
「行こう、朝香」
「うん」
「待って下さい」
 振り返って走り出そうとした、二人の体がぴたりと止まる。
「私も、話さなくてはいけない事があります」
 ゆっくりと、二人が振り返る。
「聞いて、くれますか?」
「でも……」
 朝香がちらりと相沢さんを見る。
「相沢さんも、ご一緒していただけますか?」
「俺も? あぁ、別に良いけど」
「あの子の……小雪の話です」
 軽く、相沢さんが息を呑んだ。
「まだ、お話ししていませんでしたね」
「あぁ」
「お話しします。喫茶店にでも入りましょう」
 その言葉に、全員が、無言で頷いてくれた。
それを確認して、駅の方に振り向いた、その時。
視界の角に、それが見えた。
「あれ?」
 思わず動きを止めた私の、その視線の先を見て、相沢さんが声を上げた。
「ピロ。なにやってんだ、お前。こんな所で」
「え!? 相沢さん、その子をご存じなのですか?」
「え? ってことは、天野も知っているのか?」
「知って…います。だって、その子は……」
 言いかけて、相沢さんの後ろに立つ人に、気が付いた。
「あ……」
 私の、声にならない言葉と、視線に、みんながそちらを向いた。
「よぉ、久しぶりやな」
 軽く手を挙げて、微笑む竜弥さん。そしてその向こう。
「ま……」
 ぼとりと、相沢さんの手から肉まんの入って袋が落ちた。
「真琴っ!」
「うぉっと」
 相沢さんは、竜弥さんを押しのけて、その後ろに立っていた、小柄な少女を抱きしめた。
「祐一っ」
「真琴、お前……」
「……ただいま、祐一」
「真琴……どうして……」
「祐一、ちょっと、苦しい…」
「真琴ぉ」
 ぼろぼろと、涙を零しながら、相沢さんはその子の名を、呼び続けた。
その様子を、竜弥さんとアスハさんが、温かく見守っている。
しかし、これは……。
あの子は、真琴は消滅したはず。
確かに、消えてしまった筈なのに……。

「お久しぶりですね。美汐さん」
 やがて、アスハさんが私の前に進み出て、穏やかに言葉を掛けてくれた。
「アスハさん……」
 これは、どういう事なのですか?
私は少し混乱した意識の中で、問い掛けたい事を頭の中心に据える。
「強い思いは、より多くの思いを引き寄せる力があるのです。それが、より強い奇跡を呼び起こす切欠になったのですよ」
 にこりと微笑んだアスハさんの、胸に抱えられた、真っ白な産着が目に付いた。
とくんと、私の胸が小さく鳴った。
何故だろう、ひどく懐かしく感じる。
「そして、あなたにも、会わせたい子が居ます」
 理由も無しに、私は確信していた。
それは、もう二度と会えるはずの無い……。
「私たちの二人目の子供」
 アスハさんは産着に包まれた、小さな赤ちゃんを私に差し出してくれる。
私はその子を、両腕でしっかりと抱きかかえた。
「そして、私の姉様の子供の生まれ変わり」
 とくんと、もう一度、胸の鼓動が響く。
それは誰の鼓動だったのだろうか?
いつの間にか、温かな涙が、私の頬に伝っていた。

「名前を、小雪と言います」

 さらりと、”ものみの丘”から吹くそよ風が、私の髪を、撫でて行った。



  1999年 春
 ”ものみの丘”から、温かなそよ風が吹いた日。
 街は、幾つもの奇跡に煌めいていた。









「ねぇ、智ちゃん」
「ん?」
「みゆちゃん、泣いてるね」
「そうだね」
「なんだか、感動のシーンみたいだよ」
「そうみたいだね」
「うん」
「良かったんじゃ…ないの?」
「うん。でも、よく解らないよ」
「ん……。別に良いんじゃないの?」
「まぁ、そうだけど」
「後で詳しく教えて貰えば良いじゃない」
「そうだね……」

「時間なら、いくらでもあるんだから」



  おわり。


第二十九話