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矢原 昭人 profile

家族の写真矢原 昭人(やはら あきひと)

1960年生まれ。山口県宇部市出身。横浜市在住。学生時代を京都で過ごす。
(写真は、1998/3/30、鴨川シーワールドにて。)

昨年(1997年)2月、7年間使ってきた自宅のMac をついに買い換えました。この間、パワーアップを繰り返して来ましたが、近年のソフトの重さに耐えきれず、ついに買い換えとなりました。

この時「俺の80年代は山下達郎とともに過ぎ、俺の90年代はMacintoshとともに過ぎ、だなあ...。」などと、思わず呟いたところ、妻も感慨深げに「ほんとうに、そうよねえ...。」とうなずいたのでありました。

でも本当は「俺の90年代は一ノ蔵とともに過ぎ、だなあ...。」なのであります。

(1998/4/29記)

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用語解説

【1998/5/9更新】

宇部市

本州最西端の県である山口県の、瀬戸内海に面した工業都市。人口約17.6万人(97年末現在。山口県第2位)。

宇部を離れ、関西、関東に来たときに、出身地を聞かれて「宇部」と答えると、「ああ、セメントの宇部ね。」と言ってもらえることが多く、意外に有名だなあ、と田舎者は喜んでいるのであります。しかし、良く聞いてみると「上の方?(上=北=日本海側)」とか言われたりして、たぶん「萩」とまちがえられたりしているわけですが、まあ、東の方々から見ればそんなもんなんでしょう。私の場合だと、群馬県と栃木県はどちらが東かなんて、とっさに出てこないこともありますから、同じ様なものなのですね。(群馬県、栃木県の関係の方々、例え話で他意はありませんので、ご了承下さい。)

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自宅のMac

アップルコンピュータ社の Macintosh SE/30 を、1990年6月に購入。 CPU:68030(16MHz)、RAM:2MB、HD:40MB、モニター:内蔵白黒9インチ、というスペックで、なんと約60万円もしました。自家用車で秋葉原まで買い出しに行きましたが、「乗せてる車より高いね」などと言いながら帰ってきました(前年、カローラの中古を50万円(経費別)で購入)。

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パワーアップを繰り返して来ました

Macintosh SE/30 は、白黒モニター一体の愛嬌のある匡体に拡張性も一通り備えていましたので、人気の高い名機でした。そのコンパクトな匡体にいかにパワーを詰め込むか、というのも楽しみの一つでした。

SE/30の写真私の SE/30 の最終スペックは、CPU:68030(16MHz)+アクセラレータカード(Diimo Cache 68030 50MHz with FPU)、RAM:20MB、HD:80MB内蔵+外部320MB、ビデオカード(Vimage SE/30)+外部モニター(Apple 13インチカラー)。周辺機器は、カラープリンタ(HP DeskWriterC→スター精密 JT144MC(熱転写))、4倍速CD-ROMドライブ(IMC製)、28800モデム(Microcom製)、MacRecorder(音声入力I/F)、MIDI I/F などです。

NiftyServe のMac関連のフォーラムにパワーアップの会議室があり、そこの有志で「最強のSE/30を作る会」なるものも作られ、アクセラレータやビデオカード等の情報の交換にとてもお世話になりました。ちなみに私は「最強のSE/30を作る会」会員番号73番です。2〜3年で100人を越える程度でしたが、最近、会長さんが「最強のSE/30を作る会」のホームページを作られ、会員数もうなぎ登りのようです。

もっとも、実用的には、アップグレードで太刀打ちできるのはCPU:68040レベルまでで、今のように Power Mac(PowerPC)の時代になると、さすがの名機も、趣味の世界と言わざるを得ないと思います。というわけで、我が家のメインも次のように買い換えとなりました。残った SE/30 は、と言いますと、一時期妻の実家に里子に出していましたが、そのうち義父も最新のMacを購入し、今は我が家で眠っているところです。【1998/5/9更新】

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買い換えました

アップルコンピュータ社の Power Macintosh 7600/132 を、1997年2月に購入。 CPU:PowerPC 604(132MHz)、RAM:16MB、HD:1.2GB、というスペックで、ヨドバシカメラの店頭展示品をなんと約18万円で買うことができました。17インチマルチスキャン(SONY製)とセットで、なんと約24万円。時代の流れを感じます。

その後、RAM増設(→80MB)、CPUアップグレード(→180MHz)、HD増設(+2GB)、カラープリンタ購入(アルプス電気 MD1000)、スキャナ購入(EPSON GT5500)とたて続けに機器を揃えました。それでもまだ最初に買ったSE/30本体のみよりも安いわけで、なにか、今まで買えなかった積年の恨みを一気に晴らしている、といった状況でもあります(だって、安いんだもん)。

しかし、快適だあ!

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ほんとうに、そうよねえ...。

自宅に SE/30 を購入する前の90年2月頃、職場に Macintosh IIcx がやってきました。その頃私はパソコンマニアでも何でもなく、ただ便利な時に「一太郎」や「123」、「N88 BASIC」、「WordStar」などを使っていただけでしたが、Mac導入担当だったこともあって、一気にMacのマニアになってしまいました。ただ、職場にもMacが解る者はほとんどいず、Macの動作が不安定なこともあって、帰宅は深夜になることもザラ、お陰で妻は「Macintoshウイドー」状態になってしまいました。

そこでそれを解決すべく、自宅に SE/30 を購入する(そうすると残業が減るよ)という話になったのですが、購入後も状況は大差なく、「俺の90年代はMacintoshとともに過ぎ」「ほんとうに、そうよねえ...。」という会話になったのでありました。

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山下達郎

言わずと知れた日本ポップス界の大御所(それなら、大瀧詠一さんは重鎮(?))。彼のポップス音楽に対する造詣、うんちくの深さには定評があり、しかも、一見マニアックでありながら、一方でスタンダードをこよなく愛しているというバランスの良さが、彼の音楽の息の長さにつながっているのではないでしょうか。ただ、新しいアルバムがなかなか完成しないのがファンの間でも不満の種で、ユーミンとまでは行かなくとも、2年に1枚くらいは出して欲しいものです。(←COZY ついに出ました!

私が最初に購入したアルバムは「Ride On Time」(1980年)。その後、ほぼ全アルバムを購入。出会いは決して早い方ではありませんが、70年代の彼のアルバムをリアルタイムで聴いていても当時の私には解りづらいものだった、と思いますので、ちょうどメジャーになった頃の、ツアーも精力的だった頃に知り合えて良かったと思っています。

山下達郎コンサート・チケット最初のコンサートは1981年1月7日の大阪フェスティバルホール(右チケット)。その後、86年に京都を離れるまで、京都会館や新年恒例の大阪フェスティバルホールにほぼ毎年行きました。ただ、竹内まりやと結婚する前のツアーで、竹内まりや、EPO、大貫妙子がバックコーラスに入ったコンサート(82年1月5、6日の大阪フェスティバルホール)に行かなかったのが残念。

ラジオでは、1982〜3年の、毎日放送「サウンズ・ウィズ・コーク」、1983〜6年の、NHK-FM「サウンド・ストリート」は欠かさず録音、私の宝物となっています。私のポップスに関する知識はほぼこれらの番組に依る、と言っても過言ではありません。

卒業就職と時期を同じくして「サウンド・ストリート」も終了し、「これで僕の青春も終わったなあ」などと思いながら上京した私ですが、その後も、彼の音楽と音楽観に触れ続けることができ、幸せなことです。

その後のコンサートでは、結婚後の1988年秋に大阪フェスティバルホールに妻と一緒に出かけた時、メンバーとのトラブルで達郎さん一人が出てきてお詫びと数曲弾き語りした「ごめんなさいコンサート(私の自称)」や、89年2月に達郎さんの喉の調子が悪く途中で中断、後日再ステージとなった神奈川県民ホール「エヘン虫コンサート(自称)」、87年秋の「村上ポンタ秀一セッション(六本木ピットイン10周年)」への飛び入り演奏、93年ファンクラブの企画によるTBSラジオ「クリスマス・スタジオ・ライブ」など、結構楽しませていただいています。ファンならば一度は行きたい年末恒例の中野サンプラザにも参りました(91年末)。

達郎さんも「時と共にファンの年齢層は上がっていって欲しい。同世代に歌いたい」と言っておられ、有り難いことです。昔は嫌いだったファンクラブも「同世代のために」作られたとのこと。今後も彼の活動が、私の人生を豊かにしてくれることを楽しみにしています。【1998/9/5更新】

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一ノ蔵

宮城県の日本酒の銘柄ですが、ここでは私の所属している「一ノ蔵男声合唱団」のことを指しています。

高校時代(山口県立宇部高校)に合唱を始め、大学時代は修士の2年間、京都ミューズの「第九を歌う会」に所属。就職後、87年秋から、横浜音楽鑑賞協会(ハマ音)の「第九合唱団」に参加。現在までハマ音の活動に参加しています。

「一ノ蔵男声合唱団」は、ハマ音の合唱活動に参加する男声陣で結成したもの。練習後に必ず飲みに行く、桜木町の居酒屋「一ノ蔵」の店の名前から合唱団名を付けたものです。92年からほぼ毎年演奏会を行っており、今や私の趣味の時間の大部分はここにかけられています。

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Last update : 5 September 1998
1st issue : 29 April 1998


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